手がかり05.ルイスという男の形跡
1日2回(昼、夜)更新です
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カトレアは、私物が散乱した部屋にぺたりと座り込んでいた。せっかくの可愛らしい部屋がこれでは、台無しである。
けれども、今のカトレアに部屋の掃除をするような気力も残っていなかった。
(おかしい、明らかに……)
ルイスが研修に行っている間、カトレアはずっと触ってこなかった私物の整理を行っていた。
カトレアのいる部屋がアンジュー家の邸宅ではないとすれば、自分の書いていた日記帳や洋服があるはずがないからである。
(でも、もれなく全部あったのよね。日記帳も洋服も、昔の思い出の品だって沢山あった。だから、ここはやっぱり、アンジュー家の邸宅なのかしら?)
日記を読めば、過去の自分の考えや交友関係と一致するし、服やアクセサリーも買った記憶のあるものばかりである。
ただ、一点だけおかしなところがあったのだ。
(―――私とルイスが“婚約していた”形跡がない)
婚約指輪もないし、手紙のやりとりもない。日記にもルイスは一度も出てこない。彼からの贈り物らしきものもない。
仲が悪い婚約者同士であっても、多少は婚約の痕跡くらい見つかりそうなものなのに、不自然なほどに彼との婚約の痕跡は見つからなかった。
じわじわと見ないフリをしていた違和感がカトレアの中にこみ上げてくる。
(実はルイスとは婚約していないとか? ただの友人ってこと? にしても……)
カトレアの友人たちの名前は、彼女の記憶の中の通りに日記帳に書かれていたし、手紙も残っていた。
それなのに、ルイスという男の存在の痕跡がこれっぽちも見つからない。
カトレアは頭を抱えていた。
(そうだ……こっそり外に出てみるのはどうだろう。ここがアンジュー家の邸宅なら、お父様かお母様にルイスのことを聞けばいいし、もしアンジュー家の邸宅じゃないのであれば、それも判明するわけだし)
なぜ今まで思いつかなかったのだろうか、とカトレアは思った。
立ち上がり、部屋から出ようとして――――ふとその足を止めた。なんだか、この部屋から出てはいけないような、そんな気がしたのだ。
今まで、カトレアは何の疑問も無く、この部屋での引きこもり生活を受け入れていた。
けれども。
「あれ、なんで私ここから出ちゃダメだって思ってたんだろう……」
なぜ、自分の両親に会いに行こうと思わなかったのだろう。
なぜ、外の空気を吸いに行こうと思わなかったのだろう。
なぜ、この部屋から出るという選択肢がなかったのだろう。
(まるで、ここで過ごすことが当たり前かのように受け入れていたのは……)
疑問が沸々と湧いてきたカトレアは、廊下に繋がる扉の前でただ立ち尽くしていた。
無意識のうちに、カトレアの中の何かが「行っては駄目だ」と警告していたのかもしれない。だから、そもそも部屋を出るという考えが湧いてこなかった。
(それは、もしかして失った記憶と関係があったり……)
そう思うと、廊下に繋がるはずの扉にかけた手が、だんだんと震えを増してくる。
「……っ!」
恐怖からパッと手を離せば、奇妙なことに気が付いた。この部屋の扉は明らかにおかしい点があるのだ。
この扉には、通常付いているはずのものが欠けている。
(内鍵がない……!)
令嬢の個室に内鍵がついていないなんて有り得ない。
何度思い返してみても、カトレアの記憶の中の自室には内鍵がついていたはずだ。
ぞわりと、寒気が全身に走っていく。そして、確信した。
(やっぱり、ここはアンジュー家の邸宅なんかじゃない……!)
カトレアは恐る恐る、扉のノブを回しゆっくりと体重をかけて押した。
ドアは開かなかった。押しても引いても扉が開く気配はない。
(―――やっぱり。外から、鍵がかかっている)
何となくわかっていた。カトレアが気付かないふりをしていただけだ。
ルイスが帰るたびに、外から響く鍵をかける音。
カトレアの部屋の窓に付けられた鉄格子。
部屋から一歩も出ることなく生活するための、バスルームや小さなキッチン。
この部屋を訪れる者が、ルイスと食事を運びに来る使用人のダイアンだけというのもおかしな話である。
いくら、娘に興味がないからと言って、一度も両親が顔を見に来ないことがあるだろうか。
伯爵家の娘なのだ、付き合いで貴族の一人や二人、見舞いに来ても良いのではないか。
日記に出てきた友人は、どこに行ってしまったのだろうか。
(つまり、それって……)
ドクドクと、心臓が嫌な音を立てて鳴り響く。
恐怖に全身が支配されていく感覚がする。
婚約した形跡のない元婚約者。そして、このカトレアの扱い。
(そこから導き出される答えは――――)