手がかり04.カトレアの部屋の場所
「……ダイアン」
「なんでしょうか」
相変わらず、いくら話しかけても、この使用人は不愛想である。袋に詰められたカトレアの洗濯前の服を回収しながら、ダイアンは面倒そうに顔を上げた。
「好きって、どういう気持ちのことだと思う?」
「……は?」
目を細めながら、ダイアンはカトレアの方を見つめた。それは、貴族に仕える使用人がしていい表情ではない。
「恋愛の話ですか?」
「カテゴリー的には、そう」
「カトレア様、記憶喪失なんですよね?」
「うん」
「……まさか、ルイス様のこと好きになったんですか? この短期間で?」
淡々と尋問をするかのように、ダイアンはカトレアに質問を投げかける。
質問する相手を間違えた、と思ったが、あいにくカトレアは、この使用人かルイスとしか会話する機会が無いのだ。
核心を突かれて、彼女はもごもごと口ごもった。
「…………もし。もしも、よ」
カトレアは膝を抱えた。
「もしも、婚約破棄してきた相手のことを、好きになってしまったとしたら……それって、すごく、馬鹿みたいだと思わない?」
昨日、手当てをしながら心臓が跳ねた、あの瞬間を思い出す。
「守りたいものがある」と言ったルイスの、いつもと違う真っすぐな目。あれを思い出すだけで、こうして今も胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
もう、誤魔化しようがなかった。
甘い物に絆されているだけ。優しくされて勘違いしているだけ。そう自分に言い聞かせていたのに、昨日はっきりと自覚してしまったのだ。
――私は、ルイスに惹かれ始めている、と。
「でも、ルイスには好きな人がいて、私はその人のために婚約破棄をされた側で……今更、好きになったって、どうしようもないじゃない? ……仮にの話だけど!」
「はいはい、仮にの話ですね」
ダイアンは呆れたように溜息をついた。
「…………なるほどねえ」
ダイアンは、手帳を取り出して何かサラサラとメモを取っている。何か有益なアドバイスを期待して待っているカトレアに、ダイアンは少しだけ間を置いてから、言った。
「それ、本人に聞いてみたらどうですか」
「……聞けるわけ、ないでしょう」
「そうですか。じゃあ、仕方ないですね」
あっさりと引き下がるダイアンに、カトレアは唇を尖らせる。本当に、この使用人は薄情だ。
◇
陽が落ちる前に、元婚約者はやってくる。
カトレアは、いつものようにソファに座ってルイスが紅茶を準備するのを待っていた。
「今日は、ガトーショコラだ。中が少しとろっとしているから気を付けて食べてな」
「わあっ、美味しそう……!」
カトレアの前に差し出された皿の上には艶々としたガトーショコラが鎮座している。一口に入れれば、少しビターな味が口の中に広がる。甘すぎず、上品な味だ。
(ふふ、ルイスの手土産って、なんでこんなに美味しいのかしら)
顔を上げれば、ニコニコとこちらを見つめるルイスと目が合ってしまう。彼もガトーショコラを口に入れているが、目線はずっとカトレアにあるのだ。
昨日のことを意識してしまって、カトレアはまともにルイスの顔が見られない。
(……だめだめ。意識しちゃ、だめ)
平静を装おうと、カトレアは紅茶に口をつける。今日も、渋めに淹れた紅茶に、はちみつがひとさじ。カトレアの好みのど真ん中だ。
……そういえば、と、ふと引っかかった。
「ねえ、ルイス」
「ん?」
「ルイスって、どうして私の好みばっかり知ってるの?」
渋い紅茶も、はちみつの量も。手土産のお菓子も、どれもカトレアの好物ばかり。
記憶を失う前の自分のことなのに、ルイスはまるで長年連れ添ったみたいに、カトレアの「好き」を言い当ててくる。
「だって、私たち、婚約破棄するくらいの仲なのに」
軽い気持ちの、ちょっとした疑問だった。
けれど、ルイスはぴたりと手を止めた。ティーカップを持つ手が、一瞬、宙で止まる。
「…………それは」
彼は、視線をわずかに泳がせた。
いつも饒舌に話を進める彼が、めずらしく言葉に詰まっている。やがて、ルイスは目を逸らしたまま、ぽつりと言った。
「……勘だよ」
「勘?」
「ああ。なんとなく、君はこういうのが好きそうだなって。それだけだ」
そう言って、ルイスはぎこちなく笑った。
なんだか、その笑い方が不自然で、カトレアは首を傾げる。けれど、それ以上追及できるような空気でもなかった。
(変なの。勘で、人の好みをここまで当てられるものかしら)
もしかして、婚約していた時に私のことを好きでいてくれたり――したのだろうか。
昨日の自覚のせいで、変に意識してしまう。
このままではいけない、とカトレアは思った。叶わない恋なら、はやく終わらせてしまわないと、よけいに苦しくなる。
だから、ダイアンのアドバイス通り、確かめることにした。
「ルイスは……その、最近、『好きな人』と会っているの?」
「……ごほっ……なんだ、いきなり」
ルイスは紅茶でむせながら、涙目でカトレアのことを睨むように見つめる。質問が唐突過ぎたか、と反省しながら、口元を拭うルイスを見つめる。
「まあ、それなりには、会っている」
「……そう」
「好きなのよね、その人のこと」
「…………ああ、世界一好きだ」
少し照れるように目線を逸らしながら、ルイスはそう言った。彼の頬は少し赤く、本当に
その人のことを愛しているのだと突きつけられたようだ。
カトレアは、ごん、と鈍器で頭を殴られたような感覚に陥った。
(……やっぱり、そうよね)
わかっていた。わかっていたはずなのに、こんなにも胸が痛い。
(勘違いしちゃいけなかったんだ。「守りたいもの」も、優しい目も、全部、私に向けられたものじゃなかったのに)
いつの間にか、自分のために手土産を持ってきてくれるのだと、自分のために紅茶を淹れてくれているのだと、自分のために会いにきてくれているのだと、勘違いしてしまっていたのかもしれない。
(なんて馬鹿なんだろう、私。ルイスは、私のことが好きじゃないのに。ここに来るのは、私のお父様から言われたから来ているだけなのに)
カトレアは婚約破棄された、フラれた側の女である。
それを自覚すると、急に面白くない気分になり、言うはずのなかった言葉たちが、ぽんぽんと口から飛び出していく。
「ルイスって、ここに毎日来る必要あるのかしら」
急に冷たくなったカトレアの態度に、ルイスは紫色の瞳を揺らした。目線をカトレアから逸らすと、気まずそうにティーカップを置く。
「それは、まあ……」
「暇なの?それとも、“好きな人”とやらに振られた?」
「いや……」
彼は言葉に詰まった。
十中八九、『好きな人』と上手くいっていないのだな、とカトレアは感じた。女の勘というやつだ。
(『好きな人』と上手くいっていない、その心の隙間を私で埋めようとしているの?)
そう思うと、ぎりぎりと胸が締め付けられるように痛くなった。目の奥がじわじわと熱くなり、うっかりすれば、カトレアは、目から涙が零れてしまいそうだった。
「あなたの“好きな人”が悲しむんじゃない? 毎日こんなところに来て」
「……怒られるだろうね。きっと、勝手なことをするなと」
ルイスは、悲しそうに目を伏せる。
(ああ、まただ)
彼が婚約破棄を申し出た時と同じ顔。悲しそうなその表情の意味がわかった。それは、きっと、“好きな人”に対して向けられたものなのだ。
その目線の先にいるのは――きっと、カトレアではない。
「ごめん。今日はもう帰るよ」
居た堪れなくなったのか、ルイスは立ち上がった。
「あの、ルイス……」
「……来週から騎士の研修があって、一週間くらい王都を離れる。だから、しばらく来れない。ごめんな。じゃあ」
振り返りもせず、ルイスはぱたんと扉を閉めて、部屋から出ていった。頑張って、とすら言う暇が無かった。
(一週間も王都を離れるなんて……うん?)
寂しい、と感傷に浸るよりも先に、ふと、カトレアは部屋を見渡した。
この部屋は、明らかにアンジュー家の邸宅の中にある、カトレアの部屋である。
白とピンクを基調にしたその部屋は、カトレアがこだわって家具を選んだ『アンジュー領にある自室』だ。
(でも、ルイスは言っていた。『王都にいる知り合いは自分だけだから、アンジュー伯爵に見舞いを頼まれた』『研修で王都を離れるから会いにくることができない』って……)
その言葉が真実であるならば、カトレアは今現在、王都にいるということになる。段々とカトレアは頭がこんがらがってくる。
(婚約破棄と記憶喪失という大問題のせいで、ものすごい矛盾があることに気が付いて無かったわ……)
アンジュー領にあるカトレアの部屋と王都にいるというルイスの言葉は、両立しないものなのだ。
ぞわぞわ、と全身に鳥肌が立っていくのがわかる。
(――じゃあ、ここは、一体どこなの?)




