手がかり03.鍵のかかった部屋
記憶喪失のカトレアは、毎日が暇である。
過保護なアンジュー家の指示により外出は許されず、使用人ダイアン以外との会話がない。
(外の様子も良く分からないし……)
屋敷の二階に位置しているカトレアの部屋にある窓からは、外の様子があまり見えない。というのも、落下防止のために太めの鉄格子が付けてあるからだ。
ダイアンに聞けば、窓の鉄格子はカトレアが階段から落ちた後につけられたものらしい。さすがのカトレアも窓からは落っこちないと思うのだが。
そんな暇人カトレアの部屋の扉から、いつものように、コンコンとノックの音が響く。
「カトレア、アップルパイ買ってきたぞ!」
「……ルイス!」
「このアップルパイ、旬のリンゴ使っているから、絶対美味しいと思うぞ」
「想像しただけでお腹空いてきちゃったわ! 早く食べましょう!」
カトレアにとっての唯一の外界との繋がりは、婚約破棄男――ルイス・アストリアンなのである。
あの日から、ルイスは毎日カトレアの部屋に押しかけているのだ。しかも、美味しい手土産付きで。
『私たち、婚約破棄したのよね』
『そうだ。これは、ただの見舞いだ』
『…………でも』
『婚約者でもない男が何度も部屋に訪れるのが心配か? 大丈夫。君の名誉は守られるように根回しはしている』
『いや、そういう問題じゃ……』
そんな会話を何度繰り返しては、押し切られたことだろう。
(私たち、婚約破棄したのに。変な人)
ルイスには、好きな人がいる。カトレアは、所詮フラれた身なのだ。
私の父に頼まれたからとはいえ、嬉々として毎日元婚約者の部屋を訪れるのは、いったいどういう訳なのだろうか。
記憶喪失なカトレアはさておき、ついにルイスまで頭を打ってしまったのではないかと心配になってくる。
(婚約者でもない令嬢の部屋に何度も訪れるなんて、その『好きな人』から勘違いされても仕方ないのに)
ルイスにとっては、面倒なことこの上ないだろうに、殊勝なことだ。
「カトレア、紅茶飲む?」
「じゃあ、ありがたくいただこうかしら」
「はちみつ入れよっと」
ルイスは紅茶にティースプーン一杯分はちみつを入れると、くるくると丁寧にかき混ぜた。
ちなみに、そのはちみつは、ルイスが数日前に置いていった彼の私物だ。この通り、完全に彼はカトレアの部屋を自室のようにして、くつろいでいる。
「はい、どうぞ」
「どうも」
カトレアは、彼から紅茶を受け取ると、それに口を付ける。
ルイスの淹れる紅茶は美味しい。カ
トレアは、濃い目に淹れた渋めの紅茶が好きなのだが、彼はカトレアの好みを良く把握していた。渋みの中から、ほんのりとはちみつの甘い味が顔を出し、口の中に広がっていく。
カトレアは、アップルパイにフォークを入れる。
(アップルパイも美味しい。焼きたてだから、サクサクしていてほんのりと甘い……)
ルイスの手土産のセンスは抜群だ。彼はカトレアの好みをピンポイントで突いたようなものばかり買ってきてくれるのだ。
(私も単純ね。味気ないご飯に添えられるスイーツと、彼が持ってくる話に完全に絆されてしまっているわ……婚約破棄してきた相手なのに……)
「それで、聞いて欲しいんだけど」と、いつものようにルイスが話を切り出す。
基本的に、記憶喪失かつ部屋に引きこもり生活のカトレアは話す話題がないので、ルイスが一方的に話すのが、ここ最近のお決まりだ。
「今日は、王都の外れまで行ってきたんだ。小さなゴーレムが数体発生してな。なんとか、陽が落ちる前に君の元に来ることができて良かったよ」
ルイスがカトレアの部屋に訪れるのは、決まって陽が出ている時間だった。夜に令嬢の部屋を訪れるのは、この国ではタブーな行動とされているからだ。
「俺は、ゴーレムを2体倒したんだ。まだ慣れないから……ちょっとだけくたびれたよ」
カトレアは、ルイスを見遣った。
(……本当だ。ルイス、傷だらけじゃない)
ルイスの紺色の制服は少し汚れており、頬には大きな赤い切り傷がついている。きっと何の処置もしないまま、陽が落ちる前にカトレアの元に駆けつけてくれたのだろう。
「ちょっと待ってて」
カトレアは立ち上がると、キャビネットの中を漁った。
(ええと、記憶では確か上から二段目に……あった!)
取り出したのは、救急箱だ。中から、ガーゼと消毒液の瓶を抜き取ると、テーブルの上に置いた。
「ごめんなさい。私が治癒魔法でも使えたら良かったのに……ちょっと染みるけれど、我慢してね」
カトレアは、消毒液を浸したガーゼで優しく傷口を押さえていった。
ルイスは、消毒液が染みたのか、少し顔を歪めたものの、なぜか嬉しそうに口元を緩めて、大人しく座っていた。
(魔物の討伐……この傷がついた時、痛かったに決まっているわ)
カトレアは眉を下げる。
騎士は、怪我だけではなく、死も常に付きまとう。侯爵家の令息がわざわざ、そんな職に就かなくてもいいのに――とカトレアは以前と同じことを考えてしまう。
「ねえ、ルイス」
「なんだ?」
ガーゼで頬の傷を押さえながら、カトレアはぽつりとこぼした。
「騎士なんて、危ない仕事、やめちゃえばいいのに」
侯爵家の人間なら、もっと安全で華やかな道がいくらでもあるだろうに。毎日傷だらけになって。きっと彼は選択を間違っている、と思った。
なのに。
「やめないよ」
顔を上げれば、先ほどまで嬉しそうに細められている紫色の瞳が、まっすぐにカトレアを射抜いていた。
眉を下げた弱々しい笑みも、切なげな伏し目も、そこにはない。
普段の柔らかな声とは、まるで別人のような。
「守りたいものがある。だから、絶対にやめない」
ただ、一歩も引かないという意思だけがビリビリと伝わってくる。
(……っ)
カトレアは、息をするのを忘れた。
その顔が、その目が、怖いくらいに――綺麗だったから。
心臓が、どくん、と大きく跳ねる。
(なに、これ……)
頬が熱い。
甘い物を持ってきてくれるから。優しくしてくれるから。だから絆されているだけだと思っていた。
けれど、違うのかもしれない。
今、カトレアの胸を貫いたのは、もっと根の深い、もっと厄介なもので。
(この人の、こういうところを、きっと記憶喪失前の私は……)
カトレアは、慌てて首を振った。
真っ赤になった顔を隠すように、残りの手当てに集中するふりをした。
「今度からは、ちゃんと手当てしてもらわなきゃ駄目よ」
「わかったよ」
ルイスは、手当てされた頬を押さえながら、ぽつりと呟く。
「俺も、もっと強くならないといけないな……このままじゃ駄目だ。官僚の試験も控えているというのに……」
「官僚の、試験」
「言っただろう。魔法省官僚も目指すって」
ルイスの目の下には、うっすらとクマが見えた。
騎士は、早朝から訓練があるはずだ。ということは、仕事終わりにカトレアの元へ寄って、陽が落ちた後、官僚になるための試験勉強をしているとでもいうのだろうか。
(『騎士として功績をあげつつ、官僚も目指すつもりだ』っていう彼の言葉は、本気だったんだわ。睡眠時間を削ってまで、ずっと勉強をしているのね。周囲は、ルイスのことを『天才』だなんて呼ぶけれど――)
カトレアはハッとした。
彼は、生まれ持った才能に甘えず、ずっと努力を続けているのだ。『天才』だと言われて、羨まれることはあっても、褒められることもなく。それでも、ただひたすらに自分のやるべきことを突き通している。
なんだか、ルイスが婚約破棄をしてきた事実も忘れて、カトレアは尊敬の眼差しで彼を見つめた。
「ルイスって――とっても努力家なのね!」
「……!」
カトレアがそう言えば、驚いたように紫色の瞳が見開かれる。シャンデリアの光を反射し、まるでアメジストのようにキラキラと輝いた。
「ああ、君は――……」
切なそうに一度顔が伏せられ、再び真っすぐに見つめられる。紡がれるのは、愛おしい恋人に告げるような柔らかい声だ。
「……君は、いつだってそう言ってくれるんだな」
紫の瞳が細められ、ふわり、と花が咲くように微笑まれた。
かと思うと、向かいから大きな手が伸びてきて、カトレアの手に触れようとする。思わず手を引っ込めると、ゴロン、と消毒液のビンがテーブルに落ちた。
「…………ごめん」
「……」
謝罪の言葉を告げられ、どう返すのが正解なのか分からなくなり、カトレアは黙り込んでしまった。
(……婚約破棄、したのよね。私たち)
流れる空気が、あまりに甘ったるい。切なく痛む胸を押さえながら、ぐるぐると考える。
ルイスの気持ちが分からない。けれど、カトレアは彼に尋ねる勇気がないのだ。
だから、可愛くない言葉が口からぽん、と飛び出す。
「私への見舞いは、別に毎日じゃなくてもいいから……」
「見舞いは、俺が来たいから来てる。じゃあ、また明日」
鉄格子の向こう側には、赤くなった夕日が見える。
彼は陽が落ちる前に必ず帰っていくのだ。夜に淑女の部屋を訪れてはならないという紳士のマナーをきっちりと守っている。
(さっきの『守りたいもの』って、なんなんだろう)
聞きたかったけれど、聞けなかった。聞いてしまったら、もう後戻りできない気がして。
いつものように、外からカトレアの部屋の鍵を閉めて。




