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手がかり02.週に一度の血液検査

 

 カトレアが記憶喪失になってから1か月が経った。


 使用人ダイアンの運んでくる食事を食べ、本を読み、寝るだけの生活。代わり映えのしない毎日に、カトレアは飽き飽きしていた。

 

「それでは、カトレア様。本日の検査はこれにて終了いたします」

「ありがとう……」

 

 カトレアは、自分の腕にぺたりと貼られたガーゼを押さえながら、涙目で自室から出ていく医者を見送った。今日は、週に一回の血液検査の日なのである。


 カトレアは注射が嫌いだ。痛みに弱いわけではないが、あの細い針が皮膚に刺さるところを想像するだけで、全身に鳥肌が立つ。

 

「カトレア様、お疲れさまでした」

「ダイアン」

 

 使用人の男は、無表情のまま淡々とそう言ったあと、ベッド横のサイドテーブルに、紅茶をことりと置いた。

 

「カトレア様は、注射がお嫌いなようなので、こちらで一息つかれてください」

「注射が嫌いなこと、バレてるの?」

「ええ、当然です」

 

 それはそうか、とカトレアは思う。使用人はひとつの家に長く勤めるものだ。きっとダイアンは、カトレアのことも幼少期の頃から知っているのだろう。

 

「というか、お父様もお母様も過保護すぎるんじゃないかしら。毎日、お医者様の診察があるし、週に一度は血液検査が必要だなんて……」

「全てはカトレア様のことを思ってのことですから」


 ただ階段から落ちただけなのに、絶対安静を言い渡され、部屋の外に出ることは許されない。カトレアは溜息をついた。


(アンジュー家ってこんな過保護だったかしら……)


 思い返してみても、父も母も多忙だったし、特に溺愛されていたような記憶はない。

 カトレアの記憶の中にある両親は、冷たく合理主義な人たちだった。魔法の才能が無かったカトレアは、魔法学校の試験に落ちてからというもの、冷遇されていたように思う。


(とはいえ、暮らしてくのには何一つ不自由はないんだけど)

 

 ベッドに横たわったまま、カトレアはぼーっと天井を見上げる。

 ひとつ、文句があるとするならば、暇なことだ。カトレアは、天井のシミの位置まで覚えてしまっている。


「ダイアン」

「なんでしょうか、カトレア様」


 ダイアンは、ベッド横のサイドテーブルで何やら書き物をしていたが、パッと顔を上げてカトレアの方を面倒そうに見つめる。

 相変わらず、使用人にしては大変不愛想である。

 

「記憶喪失って、治るのかしら」

「……」


 ダイアンは、少し怪訝な顔をしてカトレアの顔を覗き込む。

 

「……カトレア様は、記憶を戻したいですか?」

「普通はそう思うでしょう?」

「じゃあ、やはりルイス様を呼ぶ必要があるのか……」


 なぜそこで、婚約破棄男の名前が出てくるのか。カトレアが疑問に思っていると、居間の扉がノックされる音が響く。

 

「……っと、お話をしていたら、お客様です」

「えっ?」


 ダイアンは、ぱたりと手元のノートを閉じて扉に向かっていった。「失礼します」という言葉と共に入ってきたのは、1か月前に婚約破棄を突きつけてきた男である。

 

「やあ、カトレア。元気そうだな」

「……もしかして、貴方も記憶喪失になったんですか?」

 

 カトレアはそう言った後に、ルイスが婚約破棄をした時、去り際に『またな』と言っていたことを思い出した。

 

 ◇

 

 カトレアの部屋は、寝室と居間が半個室で区切られている。寝室から軽く身支度を整えてやってきたカトレアは、ソファでくつろいでいるルイスが目に入った。

 相変わらず暑そうな服を着ているルイスは、カトレアに気が付くと、パッと顔を上げる。

 

「ご多忙なアンジュー伯爵から、君の見舞いを頼まれたんだよ。これから定期的に君の元を訪れることになる」

 

 ルイスは、そう言ってテーブルに紙袋を置いた。見舞いの品らしい。

 

「見舞い……?」

「ここは王都だからね。アンジュー領からは遠いし、王都にいる知り合いは俺くらいしかいないから、見舞いを頼もうという考えになるのも変ではない」


 ルイスが何一つ気にしていない様子で言ってのけるから、カトレアは自分がおかしいのではないかと不安になってくる。


「いやいやいや、にしても、貴方は元婚約者でしょう? 他に好きな人もいらっしゃるというのに……」

「婚約破棄したのは俺だ。アンジュー家のお願いくらい聞くさ」


 家の権力的には、もちろんアストリアン家の方が上だが、一方的に婚約破棄を突きつけた以上、彼もアンジュー家と関係性を悪くしたくないのだろう。


(普通だったら、絶対にありえないんだろうけど……)


 カトレアは、目の前の男に対する嫌悪もなければ、好意もない。どうでもいい、というのが素直な感情である。

 だから、彼が見舞いにくるのは一向に構わない。しかし、彼は違うだろう。


「貴方も災難でしたね」

「…………」

 

 カトレアが気の毒そうにそう告げれば、なぜかルイスは黙り込んだ。深刻そうな顔をしたまま、口をゆっくりと開く。

 

「……敬語を、やめて、名前で呼んでほしい」

「敬語と、名前」

「以前のように話して、ほしくて」


 絞り出すような声でそんなことを言うものだから、カトレアは、こくこくと頷くしかなかった。確かに、今までと違う喋り方をされたら気持ち悪く感じるだろう。


「わかったわ、ルイス」

「……――――っ」


 そう告げると、ルイスはぎゅっと奥歯を噛みしめたようは表情をして、顔を横に逸らした。目にゴミが入ったのか、ごしごしと目元を擦るような仕草をしながら、立ち上がる。

 

「そ、そうだ、紅茶を淹れてもいいか?」

「お願いしてもいいの?」

「ああ、俺は紅茶を淹れるのが好きなんだ」

 

 カトレアの部屋には、小さなキッチンが併設されている。

 ルイスは、そのままキッチンに向かうと手馴れた様子で、かちゃかちゃと食器を出して紅茶の準備をし始めた。


(もしかして、婚約している間は、私の部屋で紅茶を淹れてくれていたのかしら……?)


 そこまで考えて、カトレアはふるふると首を振った。自分の脳内に存在しない記憶に思いを馳せても何も得られるものはない。


 紅茶の用意を続ける、背の高い彼の背中を見つめながら、カトレアはふと思った。

 

「ルイスって、騎士なの?」

「そうだ。先日、騎士になったばかりだ」

「……へぇ、そうなのね!」


 彼の纏っている紺色の制服は、騎士のものだ。彼の腰には、彼の瞳と同じ紫色の魔法石の嵌めこまれた剣がぶら下がっている。


 ここ、インディゴーラ王国の騎士というのは、少し特殊な職業である。魔法に愛されたインディゴーラは、国民が魔力を持っていることと引き換えに、各地に魔物が発生する呪いにかけられている。

 魔物は、見境なく人々を襲っては甚大な被害を引き起こしていた。


(そんな恐ろしい魔物を討伐するのが、騎士たちなのよね。我が国では、とっても名誉な職のひとつだわ。だけど)


 アストリアン侯爵家は、魔法省の官僚を多く輩出している家系であるし、そもそも、伯爵位以上の貴族の令息が騎士になるという話はあまり聞いたことが無い。


 仮に、貴族ということを抜きにして目の前の男を眺めてみても、すらりとした細身のその体型は、騎士というよりも官僚の方がしっくりくる。同じ魔法職でも、騎士ではなく魔法師になろうとは思わなかったのだろうか。


「……意外か?」

「ええ、今の私は噂でしか貴方のことを知らないから、てっきり魔法省の官僚を目指されているのかと」

「別に魔法省官僚を諦めたわけじゃない。騎士として功績をあげつつ、官僚も目指すつもりだ」

「そんなこと」


 あまりの無茶を言う、とカトレアは思った。騎士という職は忙しいし、官僚の試験は我が国最高難易度の試験である。常人であれば、片手間で目指せるようなものではないのだ。


(……まあ、天才の彼なら、それも可能になってしまうのかしら)


 ルイス・アストリアンという男は、なんでも器用にこなすことのできる『天才』と呼ばれる人間なのだ。

 つくづく、自分とは住む世界の違う人間なのだな、とカトレアは思う。


「……俺は欲張りなんだよな」


 にかっと笑みを浮かべながら、カトレアに紅茶と可愛らしいお菓子が差し出された。先ほどの紙袋に入っていたのは、お茶請けだったらしい。


「最近王都で流行ってるミニタルトだ。美味しそうだろ?」

「……か、可愛い!」


 小さなタルトの中に、キラキラと輝くジャムが詰まっている。ストロベリーにマーマレード、ブルーベリーもある。カトレアは、じゅるりと唾を飲みこんだ。


「ああ、でもこんな美味しそうなもの食べたら血液検査に引っ掛かっちゃうかも」

「……大丈夫だ、これくらい。医者に許可は取っている」


 婚約破棄の時といい、根回しを欠かさないのはさすが天才ルイスだ。


「本当!?」

「ああ、好きなだけ食べるといい」


 カトレアは目を輝かせた。ここ一か月の食事は、健康のためなのか、味気の無いものばかりだったのである。


「大体、階段から落ちただけなのに検査をしなきゃなんて、大袈裟よね」

「記憶喪失って、結構大層なことだと思うけどな」


 呆れたように言うルイスを横目に、カトレアはぱくりとタルトを口に運んだ。少し酸味のあるストロベリー味が口の中に広がり、サクサクとしたタルト生地からはバターの風味が香る。


 カトレアは、甘い物が大好きなのだ。


「美味しい!」


 両手で頬を押さえる。どうして、甘い物を食べるだけでこんなに幸せな気持ちになれるのだろうか。


 カトレアが、ぱくぱくとタルトを食べ進めていると、真向かいから、ものすごい視線を浴びていることに気が付いた。


「な、なに……?」

「いや、君は、やっぱり笑っていた方がいいなと思っただけだ」


 そう言って、なぜかルイスは切なげな笑みを浮かべるのだ。


 結局、見舞いとやらはただのお茶会をしただけで終了を迎えた。





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