19・やられた
きっちり半刻待ち、わたしはこの国の国王陛下と王妃さまと謁見することになった。
途中で叔父さまと合流したけれど、言葉を交わす暇なく室内へと通される。
騎士たちは外で待機するのかついては来ず、わたしと殿下と叔父さまだけが中へと足を踏み入れた。
物々しくて堅苦しい部屋なのかと思いきや落ち着いた調度品で統一されたサロンで、これは私的な面会なのだと理解した。
談笑していたというような雰囲気の国王と王妃さまの前で、わたしたちは作法に則り深く礼をした。
そして殿下が告げる。
「ロベルト・コーエン侯爵とトーカ・コーエン侯爵令嬢を連れて参りました」
「そのようだな。顔をあげて、かけなさい」
ジェイド殿下に髪の色がよく似た偉丈夫と、顔がそっくりな美しい女性。この国の国王陛下と王妃さまだ。はじめて実物を見た。絵姿でなら見たことがあるけれど、やっぱり絵は絵だ。忠実に再現するのと、本物は似て非なるもの。声とかまとう雰囲気とか、それをひっくるめて人間は構成されているらしい。
椅子に腰かけると、陛下がまず、叔父さまへと言葉をかけた。
「久しいな、ロベルト。例の、宮殿の壁画を壁ごと剥がしたいとのたまい追い返したとき以来か」
叔父さま……なんて怖いもの知らずな。さすがね。
精霊研究に必要な壁画だったのだろうか。だとしても剥ぎ取ってしまったら、壁画の本来のよさが失われてしまうというのに。
腕のいい絵師を雇って模写をしてもらえばいいと、後で助言しておこう。
「ええ、覚えていただけていたみたいで安心しました。もうすっかり、私のことなと忘れ去ってしまわれたものかと思っておりましたよ。王妃さまは相変わらず瑞々しく麗しのですけれど、陛下はお老けになられたようで」
「まあ。うふふ」
王妃さまは、お上手ね、と上品に笑う。
だけどここにノアがいたらまず間違いなく、涙目で余計なことを言うなと叫んでいた。
叔父さまの自由気ままさは今にはじまったことではないから、陛下は気に止めることはなく、むしろ同意して頷いた。
「心労がな、祟ったのだよ」
陛下の視線の先には、息子である殿下。少しも悪びれることなく、しれっとしている。
だめな息子を持つと大変ね。
そう思った瞬間、テーブルの下で殿下が足をぶつけてきた。
顔に出していないのに、なぜかわたしの考えがすべて読まれている。
「しかし、ようやく相手が見つかったようで私の肩の荷も下りた。コーエン家の者というから、さぞかし変わり者の娘かと思っておったが、楚々とした美しいご令嬢ではないか。……少々、ドレスが幼いのが気にはなるが」
「そうですわね……」
センスが疑われている叔父さまは、わたしのドレスを満足げに眺めて、滔々と語り出した。
「これはうちのトーカのために、精霊をイメージしてあつらえたドレスです。これは花の精霊ですね。パフスリーブとスカートの膨らみで花のほころびを表現しております。諸説ありますが私個人の見解としましては、精霊はこのように柔らかい色を好み、幼子のような姿をしていると仮定した上で――」
「もうよい。長くなりそうだ」
精霊を語り尽くせなかった叔父さまは、不完全燃焼のまま渋々口を閉ざした。
「それでだ、ジェイド。……例の件は、おまえの口から話をしたのか?」
「例の件……?」
わたしがきょとんとすると、陛下は「まだなのか」と、呆れた様子で肘かかけに腕を置き、王妃さまは、わたしへと申し訳なさそうな眼差しを注いだ。
わたしとしてはなんとなく、あのことかな、というのは頭にあった。
そもそもはじめから、この結婚話はおかしなところばかりだったから。
殿下はためを作るもなく、わたしに目を向けると、なんでもないことだとばかりにさらりと告げた。
「正妃としておまえを娶った後、側妃を迎えようと思っていた」
……ええ。言われなくても、わかっていましたけれどね。
わたしとの間に子供がいらないと言われた時点で、別の女性に産ませるつもりなのだと見当はついていた。
それでも改めて言われると、腹立たしいかぎりだった。殿下に好意があるわけではなく、ただの持ち駒として利用されていることに。
「……そんな、ひどいっ」
わたしは恋する人の裏切りに衝撃を受けたという顔を作ると、今にも泣き出しそうな具合に歪めて、両手で覆った。
それだけで悲劇のヒロインのできあがりだった。
「わたしだけを愛してくれない人は嫌です! ふぇぇ……ん! 叔父さまぁぁ!」
叔父さまに抱きついて胸に顔を埋めると、ぎゅうっときつく抱きしめられた。
ちらっと殿下を窺う。忌々しげにこちらを睨んでいると思いきや、涼しげな顔だ。
わたしの演技、嘘っぽかった?
これではだめだ。使えるものはなんでも使わないと。無理やり体内の水分を目から出すこともやぶさかではない。
結婚を回避するためならば、国王陛下すら欺く覚悟で挑まないと。
「ああ……可哀想な私のトーカ。喜ばせておいてからのこのような仕打ち……! いくら殿下でも、許しませんよ」
さすがは叔父さま。打ち合わせなしでも、真に迫った演技をした。
叔父さまに睨まれた殿下は、ようやくひとつ息をついて、待て、と手のひらをこちらへと向けた。
その顔ににじみ出ているのは……余裕?
「話を最後まで聞け。思っていた――が、やめることにした」
「……あ、ら?」
「それほど私を愛してくれているとは思わなかった。その想いに報いるため、おまえの望み通りにしよう」
え、あ……ああ! やられた!
敵の方が一枚も二枚も上手の役者だった。
殿下が、ご令嬢たちがうっとりするような甘い微笑みを向けてきて、ぞぞっと怖気立つ。
その表情の真意は、おまえはまだまだ未熟な子供だな、というところか。
「トーカ。それでいいのだろう?」
誰かに優しく名前を呼ばれて、これほど嬉しくないことがあっただろうか。
「なんと! ジェイド、よいのか!? あれほど使用人の娘なんかを召し上げたいと言っておったのに!? もう心変わりをしたのか?」
ほんの一瞬だったけれど、伏せた殿下の目に冷徹な、憎悪のようなほの暗い感情が浮かんだ気がした。
わたしはそれを、怖いとは感じなかった。
陛下の反対にあって、その使用人の彼女を正妃にできなかったのだ、きっと。
国の王太子だ。正妃に身分のない女性を選べるはずがない。
そして彼はきっと、正攻法で立ち向かうことを諦めたのだ。
わたしというカモフラージュを担ぎ上げて、自らの思いを遂げようとしている。
それが間違っていると、理解しながら。苦しみながら。
そこでふと、さっきまでの会話を思い出す――……。
「ほしいものがなにもなかった」
シーツの海を眺めながら、殿下が聞きようによっては国の大半の人の反感を買うようなことを呟いた。
しかしこの国の王太子なのだから、当然といえば当然のことだ。ほしいものなんてすべて手に入る。いくらでも手に入れられる。
いっそ清々しい本音の悩みだった。偽善者ぶられるよりはまだ好感が持てる。
「うらやましいですね」
「おまえも、腐っても貴族だろう。甘やかされ放題の箱入り娘は、ほしいものは無尽蔵に与えられ続けてきたのではないのか?」
「まあ。ご冗談を。わたしはぬいぐるみひとつもらうためにも、家のお手伝いをしたりしておりましたので。ほしいものを努力もなしでほしいだけもらっていたら、『嬉しい』という大事な感覚が麻痺してしまいます。……殿下のように」
「……まったくその通りだ。そのせいで、ほしい、よりも、いらない、ばかりの生意気な子供だった」
殿下の子供時代の想像はできなかったけれど、話の腰を折らずに先を促しつつ、聞き手に徹することにした。
「それでその生意気な子供は大人になって、どうなさったのですか?」
「ほしいものができた」
「あら。それはよかったですね」
「さあ、どうだか。自分から手を伸ばしたことがなかったせいで俺は……手に入れ方を誤った」
彼の一人称が俺になっていた。たぶん本人は気づいていない。
「……」
「それだけだ」
間違ったのなら、やり直せばいい。そう言って口先だけで励ますことは、わたしにはできなかった。
それができれば誰も苦労はしない。
やり直すことと前に進むことは、同じくらい難しいのだから。
その間違えた場所でいつまでも留まり続けているわたしには、彼は言うべきことなどなにひとつ見つかりはしなかった。
だけどきっと、わたしも、ほしいものの手に入れ方を間違えたひとりだ。
たから、わかるよというように、頷いて同意することしか、できなかった。




