20・ふりだしに戻る
出し抜かれて呆然としているわたしへと、殿下が生真面目な声で囁いてきた。
「おまえにだけ諦めを強いるのはフェアでないと、考えを改めた」
「……」
王太子なのだから、我を通してしまえばいいものを、と思わなくもない。
どちらにしても、わたしはこのまま黙って結婚するつもりはない。
ただ悲しいことに、現時点でわたしにできそうなことは……ふりだしへ戻る、ということくらいだった。
「ああっ……! めまいが……」
病弱設定再び、である。
盛大に床へと倒れると陛下と王妃さまが慌てふためき、部屋の外へと呼びかけた。
「誰か! 人が倒れた、宮廷医を呼べ!」
その叫びに飛び込んで来たのは、ドアの向こうに控えていた騎士たちだった。
「……トーカッ!?」
倒れているわたしを目にしたケントが、慌てて駆け寄って来る気配がした。
顔を見られたら嘘なのが見抜かれてしまう。そうしたらまた、怒らせてしまいそう。
けれど、私が危惧した事態にはならなかった。
「いい。私が運ぶ」
そう言って殿下がケントを制して、わたしの身体を抱き上げたからだ。
「医師はいらない。陛下がいきなり話を持ち出したせいで、ショックのあまり気を失っただけだ」
陛下は自分のせいにされて、うぅむ……と唸っている。
「殿下、心配だから私もついていくよ。陛下に王妃さま、申し訳ありませんが失礼をいたします」
叔父さまは堅苦しい相手と残されるのを嫌い、席を立つと丁重に退席する旨を伝えて許可を得た。
そして頭がぐでんと仰け反っていたわたしを、殿下は抱え直して、胸にもたれかかるように首の座りをよくした。優しいところもあるらしい。
そのままつかつかと、ドアへと向かってまっすぐ歩いていく。
目を閉じていても、立ち尽くしているケントの横を通ったのがわかった。
また嘘をついて、ごめんなさい。伝わらないのに、心の中では素直に謝った。
「……さて、仮病娘。好きな男の前で別の男に抱かれている気分はどうだ」
廊下へと出た途端囁かれたその言葉へと、わたしは薄目を開けて眼差しで抗議した。
「どうした? 言いたいことがあるならはっきりと言えばいい」
今しゃべったら色々台無しだ。わたしは沈黙を貫いた。
「きゃー! 王太子さまが女性を抱いてるわ!」
進むたびに少女たちの嫉妬や羨望の甲高い声があがる。
殿下は一体どんな顔をして歩いているのだろう。
そんなことを想像しながら、わたしは気絶したふりを続けた。
叔父さまだけ入室を許可した部屋で、今度はソファへと転がされた。
殿下は人が見ていないところでの女性の扱いがひどすぎる。
そして叔父さまが、人という枠に入っていないところが悲しい。
「トーカはやっぱり仮病だったのかい? 国王すら欺くその演技力があれば、舞台女優も夢じゃない。今から目指してみたらどうかな?」
「わたしが、舞台女優……」
スポットライトを浴びる自分の想像に、不思議と胸が踊った。それはとても、楽しそう。
わたしが酔いしれていると、無粋な殿下が水を差す。
「現実を見ろ。こんな華やかさに欠ける女優に誰が金を払う」
「ああ……華やかさ、か。朗らかさとのびやかさはあるのだけれどね?」
健やかさもあります。
言わないけれど。
叔父さまがソファへとかけて、わたしの頭を膝へと乗せる。嘘だとわかったあとでも、気分が優れないときのように背中をさすってくれた。
向かいにかけた殿下の目は冷ややかだ。
「いくらなんでも甘やかしすぎだ。吐き気がする」
「我が家では普通ですよ。殿下だって、お生まれになったとき、国王がでれでれ締まりのない顔で抱っこをして見せびらかして、重臣たちが引いていましたよ?」
殿下が想像してしまったのか、ぞっと震えた。
この人を揺さぶることができる叔父さまが、最強に思えた。
「私のことはいい。二度と話すな。それと、仮病娘」
「わたし……のことですか?」
周りを見渡し、胸元を指差しながら小首を傾げて尋ねた。もちろん、寝たままで。
「おまえ以外にいるのか?」
いませんけれど。
「だって、仮病ではありません。殿下が側妃を迎えるなんておっしゃるから持病の発作が起きたのです」
「迎えない、と言ったはずだが?」
「それは……なぜなのですか」
「自分が側妃を置くのは嫌だと言ったのではないか」
こればかりは、ぐうの音も出ない。
「しかし、な。側妃がいないとなると、おまえが世継ぎを産むことになるな」
絶対に嫌です。
「どうか今すぐ側妃をお迎えください。わたしは身体が弱くて、子を宿せるかどうか……」
身体を起こしてお腹を庇うように抱くと、殿下は冷笑するように口の端を軽くつり上げた。
「子が宿るまで寝台に縛りつけて何度も挑戦してみてもよいが?」
「えー、ごほんごほん! そういう話は叔父さまの前では禁止で!」
「そういう話?」
「ああ、そうか……。そうだね。トーカは知らなくていいことだからね? 精霊に愛されるような、清い心をずっと大切にしなさい」
叔父さまはどんな話にでもでも精霊を絡める。
殿下は呆れた様子で会話を切り上げた。
「どうしたいか、考える時間だけはやろう」
出て行こうとする彼の背中へと、わたしは問いかけた。
「もし。……もし、ですが、わたしが側妃はいらない、あなたの子を産むと言ったら?」
ドアの前で殿下の足が止まる。目だけをこちらへと流す。
綺麗な髪から透かし見えたその横顔からは、感情を読み取ることができなかった。
「もしもの話は必要ない。おまえは絶対に、それを望まない」
彼はきっぱりとわたしの気持ちを言い切った。
わたしがケントを好きなことを知っているから。あの日、襲われかけたとき、わたしがケントを呼んでしまったから。
わたしが殿下を好きにならないという意味では、彼はわたしを信用している。
それでもわたしは、彼の期待には応えられない。
だってわたしは、他人のために身を投げ出せるほど、親切な人間ではないのだから。




