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第八章 そう、そして嵐がやってくる

時刻は午前零時、明日も学校があることを考えると、普通の学生は皆、就寝している時間である。そう、深夜まで頑張って勉強しているごく少数の勤勉な学生や、家族が寝静まった後、こっそりと一八歳未満は見ちゃいけません的なブツを見ている思春期真っ只中のさくらん坊以外は。健康優良変態の駈も今日は特にやることも無かったので、この時間に就寝していた。

今夜も楽しそうに、ニヤニヤしながらハーレムで女の子に囲まれている夢を見ていた駈だったが、ゴソゴソと誰かが自分のベッドに入ってきた音で目を覚ました。

「ん? 誰だ?」

まだ若干寝ぼけている駈に弱弱しい声が返ってくる。

「お、おじゃまします、なのだ」

その声に駈の眠気が一気に吹き飛んだ。

「シャ、シャルか! こんな時間に何やってんだよ!」

駈は驚きのあまりうまく口が回らなかった。まさか、また自分がベッドに引っ張りこんだのだろうか。

「え、えう、よ、よ、よ、夜の相手をしにきたのだ」

シャルが、目玉焼きでも焼けるんじゃないかと思うほど顔を真っ赤にして答えた。そのあまりにも可愛い仕草に駈の顔も赤くなる。

「お、お前、夜の相手って何をするか知ってんのかよ?」

「え、えっと、実はあんまりよく分かってないのだ」

シャルが頭からプスプスと煙を出しながら答える。

「だ、だから、駈の好きにしていいのだ」

爆弾発言がきた。しかもアルマゲドン級の。

「えっと、ちょっとくらい痛くても我慢するのだ。その……嫁、だし」

ズドドドーン! 駈の頭(正確には背景)に稲妻が走った。

今、駈の脳内ではこういう場面ではお約束の天使と悪魔が登場している。

まずは悪魔から。

「旦那、旦那。チャンスですぜ。美少女ですぜ。び・しょ・う・じょ。旦那にゃあもったいないくらいの上玉ですぜ。胸がないことに目を瞑りゃあ、あのうまそうな太ももとかぶりつきたくなるような尻が旦那の思いのままですぜ。ここは行くっきゃねえでしょう。さあさあさあ!」

さすがは悪魔。予想を裏切らない見事な誘惑である。

一方の天使は……

「フラグ来たー! さあ、やってきました。起こって欲しい美少女イベントで常に上位にランキングされている、『美少女が自分のベッドに潜り込むイベント』きましたー。大抵はここでムフフかつ、にゃんにゃにゃんな関係になって、そこから先はゴールまで一直線。ここを逃せば明日はない。さあ、輝ける未来に向かってテイク・オフッッ!」

何やら天使も同じようなことを言っている。普通こういった場面では天使は止めに入るものだが、そこは所詮駈の脳内天使であった。

しかし、結論は出た。それすなわち合戦である。

「ほ、ほんとにいいのか? 実はドッキリでしたじゃ済まないんだぞ?」

その言葉にシャルはギュッと目を瞑って答えた。

「だ、大丈夫なのだ。ど、どんとこいなのだ」

全然大丈夫ではなさそうだが、とりあえず了承は得た。

駈はゆっくりとシャルに向かって手を伸ばす。

ビクン

指先が軽く触れただけで、シャルは大きく反応した。駈が触ったのはどうやらシャルお腹の辺り(推定)。シャルは小恋愛のTシャツを着ているようだ。ブカブカでサイズが合っていない。

火傷をするんじゃないかというくらいに火照ったシャルの素肌に触れた瞬間、駈は気付いた。シャルが下着を何も着けていないことに。それはつまり、下にも何も着けていないということで……。

それを意識した瞬間、駈の指先が電気でも走ったかのようにシャルの体から離れた。

駈も知識ではレベル99であっても、実戦経験は0である。シャルの甘い息遣いや、艶かしい素肌に触れた瞬間、チキン全開になってしまった。チキンな自分に気付かれないように、駈が慌てて背中を向ける。

「バ、バカじゃねえの? 俺はまだお前を嫁だって認めてねえぞ」

そう言うのがチキン駈の精一杯だった。

「え、えう、ごめんなさい……なのだ」

それでもシャルは健気に謝る。心なしか泣いているようにも感じた。

駈は罪悪感に駆られながらも、シャルに向かって口を開く。

「と、とにかく、さっさと自分の部屋に戻れ」

「……はい、なのだ」

シャルが名残惜しそうに駈から離れ、部屋を出て行った。

まだシャルの素肌の感触が手に残っている。駈は自分の気持ちと元気にそびえ立つムスコ(パオーン状態)を静めるのに必死だった。



「駈さん、駈さん」

珍しく予鈴前に登校した駈に、牙が声を掛ける。その表情は、いつものおちゃらけたものとは違い、真剣そのものだった。

「牙、どうしたんだ?」

牙の真剣な表情に駈も真顔で返す。牙が少し言いにくそうに口を開いた。

「俺、昨日見ちゃったんすよ」

「見たって、何をだ?」

「昨日小恋愛さんが合コンしているとこ……」

「ああ、それか……」

牙の言葉に駈は渋い表情になった。合コンしたこと自体は昨日小恋愛から聞いている。

駈は油断していた。駈の知る限り、小恋愛が今まで合コンに参加したという話は聞いたことがない。昨日も、てっきりモデルの仕事で遅くなったものだとばかり思っていたのだが。

「知ってたんですか?」

「ああ、まあ一応な」

駈は歯切れ悪く答える。牙は一瞬言うべきかどうか迷うような素振りを見せてから、おずおずと口を開いた。

「その相手ってのがサッカー部の三年なんですよ」

「何?」

流星学園のサッカー部は県内でも屈指の実力を持つ強豪チームだ。メンバーのほとんどがサッカー推薦で入学しており、県大会でも常に上位の成績を収めていた。

つまり、有り体に言ってしまえばモテル男達であった。

「それに、その中にはあの金谷もいたらしくて……」

「あのスケコマシ野朗か」

金谷というのは三年にしてサッカー部のエースだ。おまけにイケメンで成績も優秀。つまり、他の男子生徒から見れば死ねばいいのにと思われる類の男である。

そして、何より金谷は女好きで有名だった。

「はい、俺、あいつのこと嫌いっす。他の男子からも良い評判は聞かないし。何か今、四股掛けてるらしいっすよ。その中には去年ミス流星に選ばれた御門さんもいるらしくて」

「何? あの御門さんが?」

御門紫苑。才色兼備な学園の三年生で、全校生徒の憧れの的と言われている。駈が秘密裏に行っているブロマイド販売でも、常に売れ筋ランキングのトップ争いに食い込む生徒であった。

「はい、自分も一年の頃から御門さんに憧れてたんでつらいっす。(自分がもらうはずだった)御門さんのピーとかピピーがあんなスケコマシ野朗に……」

牙が血涙を流して唇を噛み締める。駈はそんな牙の肩に優しく手を置いた。

「まあ、確かに御門さんがあんなクソ野朗(男子目線)と付き合っているのは非常に、ひっじょーうに不愉快だが、今はそれは置いといてだ。昨日小恋愛が行った合コンにそいつもいたんだな?」

「はい、まあ軽くカラオケに行って、そのまま解散になったみたいですけど。一応、駈さんには伝えとこうと思って」

「そうか、サンキュな」

駈は素直に牙に礼を言った。

「とんでもないっす。同志っすから」

牙は恩を着せる訳でもなくただ笑った。駈は牙のこういうところが気に入っている。

「悪いけど、またなんか分かったら連絡頼むわ。俺の方も気を付けとく」

「了解っす。お任せっす」

そして、牙は敬礼して自分の席に戻っていった。


▲▲▲

「小恋愛ー」

授業が終わり、下校しようと立ち上がった小恋愛の背後から声が掛かる。

小恋愛が振り向くと、そこには自分のよく知っている親友の姿があった。

「この前はありがとねー。おかげで助かっちゃった」

露原小鳥はいつも通りの軽いノリで小恋愛に礼を述べた。

「別にいいよ。私も楽しかったし」

小恋愛の言葉は、半分は本心であり、半分は社交辞令だった。カラオケは好きだ。でも、男子と一緒に騒いだからといって、それが別に楽しい訳ではなかった。

どちらかと言えば、自分にとってはいつものようにあのおバカな兄と一緒に居る方が……。

「小恋愛。ねえ、小恋愛ってば。ちゃんと聞いてる?」

不満そうに頬を膨らませる小鳥に、小恋愛は慌てて返事を返した。

「ゴメンゴメン。ちょっと考え事してた」

「もー、ちゃんと聞いてよ。あのさ、前に合コンした先輩達がさ。この前すごく楽しかったからまた合コンしようって」

「えー、またー」

小鳥の言葉に小恋愛は困ったような表情を浮かべる。別に嫌というほどでもないが、そこまで進んで行きたい訳でもなかった。

「ねえ、お願い。私の狙ってる先輩とさ、今イイ感じなんだよね。でも、まだ二人で会うのは恥ずかしいっていうか……。きっかけが欲しいの。だから、お願い」

そう言って、小鳥は手を合わせた。しかし、小恋愛は返答に迷っている。

「それにさ、金谷先輩も小恋愛が来てくれたら嬉しいって言ってたよ」

金谷先輩? 小恋愛は頭の中で自分の記憶のデータベースを検索した。

そして、思い出す。確か前回の合コンで、小鳥達が一番カッコイイと言っていた先輩だ。

ハーフなのか少し茶色掛かった髪に、スラリとした長身。スタイルも良く、確かに女の子にモテそうな先輩だった。聞くところによると、頭も結構いいらしい。

しかし、残念ながら小恋愛のタイプではなかった。

「ねえー、ここあ。どうかなー?」

しつこく食い下がる小鳥に、小恋愛は困った顔を浮かべて言った。

「でもなー、兄さんの食事の支度もあるし……」

「兄さんって、駈、じゃなかったオタク先輩?」

「いや、そこは言い直さなくていいから。オタクなのは否定できないけど」

小恋愛は内心で頭を抱えた。駈が二次元とアイドルをこよなく愛するオタクということは、すでに全校中に知れ渡っている。そして自分がそのオタクの妹だということも。つまり、少なくとも駈が卒業するまでは、自分に苦悩の日々が続くのは目に見えていた。

「どうしようもないバカでクズでゴミ虫のような兄なんだけどさ。私がいないとなーんにもできないからしょうがな……」

「でもあの人、嫁ができたんでしょ?」

ピシ!

その言葉に、一瞬小恋愛の中の時間が止まった。そして小恋愛の脳裏に先日の駈の言葉が浮かんでくる。

『小恋愛は一生俺の大事な妹だ』

その言葉はずっと小恋愛の頭にこびりついて離れなかった。

そう、自分は妹で。この先もずっと妹で。妹以上にはなれなくて。

今は『嫁』より大事にされていてもいつかは……。

「二人の邪魔しちゃ悪いんじゃない?」

小鳥の放ったその言葉がとどめだった。気が付くと小恋愛は、またも小鳥の誘いにイエスと答えていた。

▲▲▲


ちゃららー、ちゃちゃちゃ、ちゃららー

有名な必殺○事人のBGMと共に、シャルのスマホがブルブルと震える。

先日、緊急時の連絡用に小恋愛に買ってもらったものだ。

シャルは『ワンの使いっぱしり』に目を向けつつも、素早くスマホを操作した。

「もしもし、どちらさまなのだ?」

「あ、シャル。私よ。小恋愛」

電話の相手は小恋愛だった。心なしか少し元気がないように聞こえる。

「小恋愛か? どうしたのだ?」

シャルの言葉に、電話から申し訳なさそうな言葉が響く。

「悪いんだけどさ。今日も帰りが遅くなりそうなの。夕食は、またあのバカと二人で適当に食べてくれる?」

「ん、分かったのだ。嫁のわっちにお任せなのだ」

シャルの元気な返事に、小恋愛は少しだけ、そうほんの少しだけ寂しそうに言った。

「ありがと。助かるわ。じゃね」

そう言って、電話が切れる。

「誰からだ?」

そこにちょうど風呂上りの駈が現れた。

上半身は裸で、下はタオル一枚巻いただけの状態である。

「小恋愛からーって、駈、なんてカッコしているのだ」

シャルは瞬間湯沸かし器のように真っ赤になりながら、急いで両目を手で覆った。ただし、指と指の間はしっかりと開いている。

「何って、風呂上りなんだからしょうがないだろ。それより、小恋愛、何だって?」

シャルの視線など全く気にせず、駈は冷蔵庫にあったコーヒー牛乳を手に取った。風呂上り後の定番である。

「今日遅くなるから、ご飯は二人で適当に食べて欲しいって言ってたのだ」

「何? まさかまた合コンじゃないだろうな?」

腰に手を当ててコーヒー牛乳片手に真顔で考え込んでいる駈に、シャルは思わずツッコんだ。

「駈……そのカッコで真面目な顔しても、全然カッコよくないのだ」

「黙れ。今はそんなことどうでもいい。一応念のために牙に張らせるか……」

そして、駈は半裸のままリビングを出て行った。


▲▲▲

気が付くと自分はまたこの場にいる。今回の合コン会場はボーリング場だった。

場所はヘブンズドア。時刻が夕方ということもあって、仕事帰りのサラリーマンや自分達と同じ学生の姿もちらほら見えた。小鳥も、お目当ての先輩と楽しそうに話している。しかし、小恋愛は今回の合コンを前回より楽しんではいなかった。

小恋愛の頭には、ずっとある一つの言葉がループしている。

『一生大事な妹』

何故かは分からないが、この言葉がずっと頭から離れない。

「小恋愛ちゃん」

すぐ隣に誰かが座ったことで、ようやく小恋愛は我に返った。どうやら、先ほどからずっと呼びかけられていたらしい。声の主は金谷だった。

「ごめんね。退屈だった?」

「い、いえ、そんなことないです。ごめんなさい。少し考え事してて……」

紳士的な金谷の態度に小恋愛は慌てて頭を下げる。そんな小恋愛の態度に、金谷は笑顔を浮かべて小恋愛との距離を縮めた。小恋愛は焦って離れようとしたが、座っている場所が一番端っこであったため、それ以上距離を取ることはできなかった。

「小恋愛ちゃんは、今彼氏いるの?」

いきなりの金谷の言葉に、小恋愛は目を丸くした。そんな小恋愛に金谷は苦笑して続ける。

「いや、小恋愛ちゃん可愛いからさ。もう彼氏でもいるのかと思って」

「い、いえ、いないです。それはもう全然。全く。これっぽっちも」

小恋愛は大急ぎで首を振った。

「ほんとに? じゃあ、気になる人は?」

「え?」

小恋愛は少しだけギクリとする。自分には気になる人なんて……。

「いえ、いないです」

「ほんと、やったあ!」

小恋愛の言葉を聞いた金谷が大袈裟にガッツポーズした。他の面子も何事かと視線を向けるが、すぐにまた自分の目当ての相手へと戻っていく。

「あの……」

「俺さ、前から小恋愛ちゃんのこと可愛いと思ってたんだよね」

そう言って金谷は小恋愛に詰め寄る。

「あ、あの、近いです」

小恋愛も控えめに抵抗しようとするが、金谷はそんなことなどお構いなしに続けた。

「ねえ、良かったらさ、今度二人っきりでどこかに遊びに行かない?」

「い、いや、私、そういうのはちょっと……」

「まあまあ、そう言わず俺の目を見てよ」

「えっ?」

金谷がじっと小恋愛を見つめる。深く吸い込まれそうな瞳。

小恋愛は、いつの間にかその瞳から目を逸らすことができなくなっていた。

▲▲▲


「ただいまー」

小恋愛が帰宅したのは午後九時。玄関のドアがゆっくりと開く。

「おかえり」

リビングに入ってきた小恋愛に、待ち構えていたかのように声が掛かる。声の主は駈だった。

「遅かったな」

珍しく真顔の駈に、小恋愛は一瞬気後れしたように口を開く。

「何よ。別にいいでしょ。シャルは?」

「今、風呂だ」

「そ、そう」

「今日は仕事か?」

「……まあ、そんなとこ」

「ふーん」

それ以上は会話が続かず、小恋愛は冷蔵庫から麦茶を取り出す。

「うちの学園の三年とボーリングに行くのが今日の仕事だった訳だ」

「ッ!」

小恋愛は、危うく麦茶の入ったコップを落としそうになったが、寸でのところで耐えた。

「……見てたわけ?」

「まあな」

駈は嘘を吐いた。本当は牙に張らせてその報告を聞いただけだ。

しかし、今小恋愛に牙の存在を知られたくはなかった。

「妹を尾行するなんてサイテーね。あんた」

「何だ。今頃気付いたのか?」

小恋愛が冷たく睨みつけても、今回の駈は微動だにしなかった。

そんな駈に、小恋愛が僅かに怯む。しかし、そんな自分の内心を悟られないように小恋愛は言った。

「まあ、前々から分かってはいたけどね。どーしようもない、最低の兄だって。再確認しただけ」

「ははは、いや、まったくその通り。困ったもんだ」

それでも駈の表情は崩れない。

小恋愛には、とても目の前にいるのがいつものおちゃらけた兄だとは思えなかった。

「と、とにかく、あんたには関係ないでしょ。ほっといてよ」

そう言って、小恋愛はリビングを出ようとする。しかし、その背後から駈が声を掛けた。

「待て、小恋愛」

「……何よ?」

小恋愛が鬱陶しそうに振り向く。

「まあ、その、なんだ。そんなに急いで彼氏を作ることもないんじゃないか」

その言葉に、小恋愛は思わず声を荒げた。

「何よ! あんたにだって嫁がいるでしょ! なのに、私は誰かと付き合っちゃ駄目なわけ!」

「いや、そんなつもりは……」

「とにかく、余計なお世話よ。ほっといて」

リビングのドアを乱暴に閉めて、小恋愛は二階へと上がっていった。



サッカー部の練習が終わる頃には、日は完全に沈んでいた。流星学園の運動部には学園も力を入れており、グラウンドにはナイター設備が完備されている。それが、運動部の好成績に一役買っていた。

「どもどもー」

他の部員と別れて下校しようとする金谷に、声を掛ける者がいる。

「君、誰?」

「いやいや、突然すいませんねー。二年F組の西岡駈と申しますー」

駈であった。

「西岡駈? ああ、あの有名な」

「えっ? 僕って有名なんですか?」

驚いたような口調で尋ねる駈に、金谷は小馬鹿にしたように答えた。

「ああ、有名だよ。年中、二次元とアイドルのことばかり考えている、オタクの中のオタク、別名流星学園の恥部こと西岡駈君だろ?」

「ガク、僕ってば周りからそう思われているんですね。参ったなー」

駈が全然困った様子も見せず、わざとらしくこける真似をする。

「君はこの学園じゃ有名人だからね。で、その有名人が僕に何の用かな?」

鼻にかかったような言い草で金谷が尋ねた。

「いやいやー。そういう金谷先輩だって男子の間じゃ結構な有名人ですよ。年中、女の子をとっかえひっかえしてるスケコマシ野朗だってね」

その言葉に金谷の顔から先ほどまで余裕が消える。

「へえ、言ってくれるじゃないか。で、その僕に何の用事があるのかな?」

「妹にちょっかい出すのやめてもらえませんかね」

「妹? ……ああ」

そこで、金谷がニヤリと笑った。

「小恋愛ちゃんね。そういや兄妹だってな。全く似てないみたいだけど」

「いやはや、本当ですよねー。僕もあいつが自分の妹だなんて未だに信じられません」

「ふーん。でもさ、妹の恋愛に口を出すなんて野暮じゃないの? お兄さん」

金谷は、なおもニヤニヤと笑い続けている。

「ははは、分かってはいるんですけどね。シスコンの兄としてはどうにも心配でして。しかもその相手が現在四股中の金谷先輩とくれば、そりゃもう……」

「ははっ、ほんとに言ってくれるね」

金谷の目がスッと細まった。

「嫌だと言ったら?」

「そうですねえ……力尽く、とか?」

「へえ、面白い。やってみせてよ」

金谷が愉快そうに両腕を開く。まるで、どこからでもかかってこいとでもいうかのように。

「先に言っとくけど、僕が勝ったら、小恋愛ちゃんもらうからね」

そう好色そうな笑みを浮かべて話す金谷。それを聞いている駈の表情は、暗くてよく見えなかった。

「……ははは、それは負けられませんねえ。……じゃあ」

ダッ!

駈が飛び掛かろうとした次の瞬間、金谷を庇う様にして両者の間に一つの影が入ってきた。

「こ、小恋愛」

二人に割って入ってきたのは小恋愛だった。小恋愛は憤怒の表情を浮かべて、駈を睨み付ける。

「愚、じゃなかった、兄貴、金谷先輩に何してんのよ?」

小恋愛は金谷を庇うようにして、駈の前に立ちはだかった。

「小恋愛、お前、何でこんな時間まで……」

「風紀委員の見回り。今日は私の当番なの。それより、私の質問に答えなさいよ」

「いや、それは……」

駈は何と言ったらいいのか分からず口ごもる。

「小恋愛ちゃんに手を出すなって釘を刺されてたんだよ」

先の口を開いたのは金谷だった。

「小恋愛ちゃんのことが心配だから、ちょっかい出すなってさ」

金谷は駈にチラリと視線を向けてニヤリと笑う。駈は内心で歯噛みしていた。

「な、ちょっと愚兄。先輩の話、本当なの?」

「いや、それは……」

「サイッテー」

小恋愛は金谷に向き直り、頭を下げた。

「先輩、本当にすみませんでした。この馬鹿には私からよく言って聞かせますから。だから、その……」

「ははは、いいんだよ。ちょっと突っかかられただけだしね」

金谷が馴れ馴れしく小恋愛の肩に腕を回し、その瞳をじっと見つめる。小恋愛は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「それより、また今度どこかに遊びに行こうよ。今度は二人っきりでさ」

「は、はい。喜んで」

顔を赤らめて返事を返す小恋愛に、金谷は女性限定と思われる天使のような笑みを浮かべて、その場を後にした。

やがて金谷が完全に立ち去った後、小恋愛はゆっくりと駈に近づき……

パシン

その頬を思い切り叩いた。駈は驚いた表情のまま固まっている。

「もう、私の周りをうろつかないで」

駈を射抜く小恋愛の視線は、氷の如く冷たかった。その瞳には、駈が今まで見たことがない本気の拒絶が浮かんでいる。

「次にこんなことしたら、私にも考えがあるから」

そう言って、駈を残したまま小恋愛は走り去った。

駈はどうすることもできずに、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


▲▲▲

あそこまでするつもりはなかったのに。

生徒会室に戻ってくるなり、小恋愛は後悔の念に苛まれていた。

最近の自分は変だ。そんなに行きたくもない合コンに参加してみたり、必要以上に兄に突っかかってみたり。以前はこんな気持ちになることは一度もなかったのに。

そりゃあ、あれだけバカでクズでどうしようもなく手のかかる、こんなのが生きていてもいいのかと不思議に思うくらいの困った兄だ。何度も困らせられて怒ったり、小さなことでケンカすることはよくあった。

でもそれは、口にこそ出さないが、自分にとってそれほど悪い日常ではなかった。

本当は分かっている。いつからこうなったのか。

シャルが来てからだ。シャルが来てから自分の気持ちは少しずつ変わっていって。兄も少しずつ変わっていって。いつの間にか兄と自分の距離は離れていった。

シャルのことが嫌いな訳じゃない。

あの子は良い子だ。自分が生き延びるためとはいえ、あれだけ健気に尽くす子はそうはいない。

根は元々優しい子なのだ。だから自分は決してあの子が嫌いな訳じゃない。

でも、シャルが来てから自分と兄の距離が離れていったのは事実で。

そして、自分と兄の二人の時間が少なくなっていったことも事実だった。

それが自分にはどうしようもなく……

「うっ……」

そこで小恋愛の頭に頭痛が走る。

最近頻繁に訪れる痛み。この痛みが走るようになってから、自分の中の大切なモノが少しずつ黒く塗り潰されるようになった。そして、代わりに違うモノの存在が大きくなってくる。

金谷先輩。最近よく話すようになった人。女子の間でもカッコイイと評判だし、確かにイケてると思う。成績も優秀だし、おまけにサッカー部のエース。まさに言う事なしだ。

でも、自分にとっては必ずしも好みという訳ではなかった。何となく軽薄な感じがするのだ。あの紳士的な態度もどこか薄っぺらい感じがある。どうしても、生理的にそこまで好きにはなれなかった。

なのに……

二度目の合コンで金谷先輩の目を見てから、自分の中で徐々に先輩の存在が大きくなっていくのを感じる。あの引き込まれそうな瞳を見てからずっと……

何故? ほんとに好きという訳でもないのに。

何かが少しずつ自分の中に入って来て、大事な人を金谷先輩に置き換えていくような感覚。

どうしようもなく気持ち悪い。でも、自分ではもうどうにもできなくて。

「お・・にい……ちゃん」

そして、ゆっくりと小恋愛の意識は黒く塗り潰されていった。

▲▲▲


「ふう」

時刻はちょうど三時間目の授業が終わった頃、駈は一人で物憂げにため息を吐いていた。

ため息の理由ははっきりしている。小恋愛のことだ。昨日の口論以後、小恋愛とは口を利いていない。

今日も自分が起きた時には、すでに家を出ていた。どうすれば小恋愛との関係を修復できるのか。また、金谷の件をどうするか。駈は、またため息を吐いた。

次の授業が終われば、学校生活の憩いの一時である昼休みに突入する。いつもの駈なら授業をサボって女子のブルマ姿を見に行くか、昼休みまでぶっちぎって眠り倒すかのどちらかだ。

しかし、件の理由により非常に珍しいことに、駈は登校してから今の時間まできちんと起きていた(無論、授業をきちんと聞いていた訳ではない)。

そして、駈の悩みなど全く知らないF組の面々は、このクラス始まって以来の珍事にどよめいていた。

皆、口々に「これは天変地異の前触れか?」だの、「あれは、きっと駈じゃない。○ョッカーだ。本当の駈は誘拐されて、今頃どこかで改造を受けたあげく、腰にベルトを巻いて昆虫型ヒーローになっているに違いない」だの、終いには「なーに、あの一人で黄昏た顔。ああいうのがカッコいいとでも思ってるのかしら。キモッ」などと、真に心温まる陰口をお叩き下さっている。

しかし、誰かがアクションを起こさなければ何も変化は起きないことは事実で。

クラスの面々は無意識の内に、駈に声を掛けるという白羽の矢を立てるべき男に視線を向けていた。

牙である。元々、F組では駈と牙をワンセットと考えていて、F組の恥さらしコンビ、もしくは流星学園伝説のオタクブラザーズなどと呼んでおり、どちらかが妙な行動に出れば、とりあえずもう一方に何とかさせようという暗黙の了解が成り立っていた。

F組一同からの無言の圧力に気づいた牙は、渋々と駈の席へと向かう。

よしよしそれでいいと言わんばかりにうんうん頷くF組の面々。

しかし、一人で黄昏ている駈に声を掛けたのは牙でなかった。

「駈―!」

突如として二年F組に乱入してくる一つの影。シャルであった。

シャルは余程慌てていたのか、ピンクのTシャツにデニムの短パンという部屋着全開の格好で駈の元へやってきた。駈は思わず何事かと身構える。

「赤ちゃんができたのだ!」

「何ぃーーーーって、……あれ?」

今回大声で叫んだのは駈一人だった。前回、そして前々回のようにF組の面々は叫ばない。

しかし、代わりに……

クラス内が黒く染まっていた。

駈が慌てて周りを見回すと、クラスメイト全員の体から漆黒の闇が吹き出ている。

妬み、恨み、僻み、殺意などといった負の感情をミキサーでぐわんぐわん回して、ぱかっと蓋を開ければ、はい完成みたいなどす黒い悪意。

そこにいるだけで目眩を覚えそうな闇をその身に纏いながら、F組の面々は無言で駈を睨み付けている。しかし、シャルはそんなことなどお構いなしに駈に向かって続けた。

「駈、どうしよう。わっち、こんなこと初めてで、どうしたらいいのか分からなくて……」

そう言って、目を潤ませながら、上目遣いに駈を見上げるシャル。

F組を覆う闇はより一層濃くなっていった。

「どうしたらいいのか分からないのは自分の方です」と、ツッコミたい駈であったが、いつの間にか、背後から誰かに肩をガシッと掴まれ、口に出すことはできなかった。

駈が恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは以前駈にフルボッコ判決を言い渡したモブさいばんちょであった。

「よー、兄さん。その話、詳しく聞かせてもらおうかい」

以前は怒りに満ちていながらも丁寧な口調を崩さなかった彼だが、今は口から瘴気を撒き散らして、有無を言わせぬ態度で駈に詰め寄っている。

「い、いや、もうすぐ授業が……」

駈が最後まで言い切るより早く、モブさいばんちょは入り口付近にいた生徒に声を掛けた。

「おい! 次は数学の原田だよな。今から職員室に行って、次の授業を自習にしなかったら、この前職員会議でいびられた腹いせに、教頭のお茶に雑巾の絞り水を入れたことバラすぞって言ってこい!」

指示された生徒が教室を出て行くよりも早く、件の数学教諭、原田香澄二六歳(独身、彼氏無し)が無言で教室に入り、黒板に一言『自習』とだけ書いて再び教室を出て行った。

教室を出て行く際、若干涙目になっていたが、今この場にそれを気にする者はいなかった。

モブさいばんちょとクラスの視線が再び駈へと集中する。

顔を引きつらせる駈に、モブさいばんちょは子供が見たら逃げ出しそうな顔でニヤリと笑った。

「さーて、時間はたっぷりとある。ゆーっくりと聞かせてもらおうか?」

大魔王ばりの風格を湛えるモブさいばんちょを前に、駈の頬から一筋の汗が流れ落ちた。

他の面々も出口を塞ぎながら、目から○ガ粒子砲でも出しそうな雰囲気で駈に迫ってくる。

駈は内心頭を抱えた。

な、何故だ? ほんの一〇分前まではとても平和だったのに。それが何故今は第○次忍界大戦でも始まりそうな空気になっているんだ。

しかも、その攻撃対象はほぼ間違いなく自分一人であり、そして自分の生存確率は限りなくゼロに近いことは明白だ。こうなったら……

「み、みんな聞いてくれ」

瞬時にそう判断した駈は、苦し紛れの言い訳を敢行した。F組黒の○士団は一瞬だがその動きを止める。どうやら雀の涙程度の理性は残っていたようだ。

駈は一筋の光明を神に感謝しながら、必死になってこの場をどう言い繕うか考えたが……

(お、思いつかない)

申し開きをしようにも、駈自身にも事情がよく分かっていないのだ。しかも、生半可な言い訳は、このリア充を妬む餓鬼共には通じそうもない。駈は急いで自分の中の脳内悪魔を天使に救援を求めた。

しかし、悪魔からは「本日休業、というか多分このまま廃業。来世でお会いしましょう。さよーならー」、そして天使からは「祈りなさい。祈っても無駄だけど」というありがたーいアドバイスしか返ってこなかった。

こうなったらシャルに詳しく説明させるしかない。

そう思い当たった駈は、急いでシャルに説明を求める。

「シャル、とりあえず落ち着いて詳しく説明してくれ」

まずはお前が落ち着けよ、と言われそうなほど駈に激しく両肩を揺す振られ、シャルは頭でヒヨコをピヨピヨさせながらも何とか事情説明を開始した。

「あの、テレビを見てたら急に気分が悪くなって。今も悪いけど。慌てて洗面所に行ったのだ。そしたらオエッてなったからまさかって。そういえばアレも最近こなくなっ……」

シャルがフラフラしながらも必死になって説明する。しかし、駈の全身からはブァッと大量の汗が噴き出した。だ、駄目だ。こいつがこれ以上何を喋っても事態は全く好転しない。というか悪化しかしない。そう感じ取った駈はシャルに向かって口を開く。

「シャル、とりあえず救急車を呼んでくれ」

「救急車? あ、わっち知ってるのだ。あの病院まで連れて行ってくれる便利な車のことなのだ。分かったのだ。お任せなのだ」

ようやくピヨリ状態から回復したシャルは、元気に一つ頷くと足早に教室を出て行った。

しかし、シャルは全く分かっていなかった。

救急車に乗るのがその子供ができたらしい誰かさんではなく、今からボコボコにされる駈であるということを。


時刻はすでに放課後。駈はボロボロになった体を引き摺り、帰途へとついていた。

顔に青タンと引っかき傷。髪は何度も掴まれてボサボサ。おまけに制服は所々破れている。

シャルが教室を出て行った後、駈は男の身でありながら魔女裁判へとかけられ、嫉妬にとち狂った悪魔の群れに殴る、蹴る、投げられる、おまけに極められて噛み付かれるといった集中砲火を浴びて沈黙。残念ながら、可愛い銀髪のネクロマンサーに蘇らせてもらったリア充ゾンビではないので、瞬時に体の再生はできなかった。

F組の面々は駈にとどめまで刺そうとしていたが、シャルの話がドラマのヒロインのことであり、そもそも自分達は妊娠するようなことをしていない、というかヘタレの自分にそんな度胸があると思うか、という駈の涙ながらの必死の弁明に、何とかHPがゼロになる直前でその矛を収めた。

クラス全体からクソ虫を見るような視線を向けられた駈に、当然肩を貸してくれるような者などいるはずもなく(駈の同志を自認する牙も今回ばかりは敵に回っていた)、こうして駈は一人寂しく帰途についている。このままでは保たないと判断した駈は、休息を求めて近所の公園を訪れていた。そんな駈に声を掛けてくる人物がいる。

「駈? こんなところで何をしているんだ?」

贅肉の一切付いていない引き締まった体、スラリとした長身に、長い黒髪を後ろで一つに縛って、その容姿に不釣合いな上下緑色のジャージに身を包んだ美女。駈の師匠こと日向地雷矢であった。

「どうしたんだ、そのナリは? ボロボロじゃないか」

「いやまあ、その色々ありまして……」

「何だ何だ、野良犬にでも襲われたのか?」

「まあ、そんなところです」

本当は野良犬など赤ちゃんに思えるほどの強大な○レデターの集団に襲われたのだが、さすがにそこまで詳しく説明する余裕はなかった。

「やれやれ、まったく情けない。我が弟子ならば、ラ○ウくらい指先一つで『ひでぶっ』できなくてどうする」

地雷矢が自分と同じ位の重さがありそうな酒樽を背負いながら、首を振ってため息を吐いた。

「ははは、師匠なら○ラモスくらいなら一撃で倒せそうですね」

「うむ、○竜辺りまでなら楽勝だ。○ルボルはパスだな。あれにだけは触りたくない」

妙なところで通じ合う師弟である。

「どうした? ずいぶんと浮かない顔をしているが。何か悩みでもあるのか?」

内心を見透かされた駈は、思わず息を呑んでしまった。

「別に……この怪我のせいですよ。僕の玉のお肌に痕が残らないか心配になりましてね」

「嘘だな」

駈の言葉を地雷矢は即座に切り捨てる。

「この私を誰だと思っているんだ? この世で最も強く、そして美しいお前のおっしょーさまだぞ。馬鹿弟子のことなど何でもお見通しよ。はっはっはっ」

地雷矢がいつものように豪快に笑った。

「その強さと酒癖の悪さのせいで男が全くよりつかな……あぶね!」

突如飛来した何かを駈は寸でのところで避ける。グサッと何かが自分の背後にあるコンクリートの壁に突き刺さる音が聞こえた。駈が恐る恐る振り向くと、そこには一本のアーミーナイフが深々と突き刺さっている。

「ふふふ、減らず口を叩く余裕はあるようだな。安心したよ」

地雷矢が指をポキポキ、首をゴキゴキと鳴らしながら駈に近づいてきた。

「ははは、そいつはどうも」

駈は引きつった笑みを浮かべ、じりじりと後退する。

「どうだ。とどめを刺して……じゃなかった、久しぶりに揉んでやろうか?」

「謹んで遠慮させて頂きます」

思わず本音の漏れた地雷矢に、駈は全力で首を横に振った。

地雷矢が構えを解いて酒樽を担ぎ直す。

「まったく、口の減らない馬鹿弟子め。まあ、それだけ元気があれば大丈夫だろう」

そう言って、地雷矢は笑った。

「師匠、もしかして俺を元気付けるためにわざと?」

「いや、八割方本気だったが」

「……ですよね」

駈の頬を汗が伝う。これまでの経験から、自分の師には男絡みの冗談が全く通じないことが身に染みて分かっていた。

「何があったのか話す気はあるか?」

地雷矢の問いかけに駈は静かに首を振る。

「……すいません」

「そうか」

地雷矢は駈を責める訳でもなく、ただ優しい笑みを湛えたまま言った。

「まあ、若い内には色々あるさ。話せないことの一つや二つあって当然だ。でもな、駈……」

そこで地雷矢は真っ直ぐに駈を見つめて言った。

「何があろうとも私はお前の味方だ。それだけは忘れるな」

駈が思わず目を大きく見開いた。そして、地雷矢はそんな駈の肩を軽く叩いて静かにその場を後にする。去っていく地雷矢の背を見つめながら、駈は無言で頭を下げた。


再び帰途についた駈が、時間を確認しようとスマホを操作する。

そこには一件の不在着信があった。電話してきたのは牙だ。

自分が近づけないため、牙に小恋愛の見張りを頼んでいた駈は、急いで牙に電話を掛ける。

「牙、今どこだ? 小恋愛は……」

『駈さん。すいません。見失いました』

その一言は、駈の最も聞きたくない言葉だった。駈が思わず電話越しに怒鳴り声を上げる。

「馬鹿野郎ー! 何のためにお前をつけたと思ってるんだ。くそ、今どこにいる?」

電話から申し訳なさそうな声が響く。

『商店街のブティックっす。小恋愛さんがそこに入ったのを確認してから、ずっと張ってたんですけど……』

「分かった。すぐに行くからそこで待ってろ!」

そして、駈は全力で走り出した。


夕暮れの商店街は夕食の買い物に来ていた主婦で賑わっていた。駈はそこにある商店街唯一のブティックへと足を向ける。そこにいたのは牙がリーダーを務めるチーム『ぶったぎり』の面々と……

「何でお前がここにいる?」

シャルであった。シャルは満面の笑顔で得意げに言った。

「小恋愛お助け隊なのだ。小恋愛から、変な奴らに追い回されて困ってるから助けてって連絡を受けて、助けにきたのだ」

どうやらシャルを身代わりに試着室へと向かわせ、小恋愛は店員に事情を話して裏口から出たらしい。駈は思わず頭を抱えた。

しかし、シャルはそんな駈の様子に気付かず自慢げに続ける。

「小恋愛は明日デートだから友達と服を買いに行きたいって言ってたのだ。でも、変な連中が付いてくるって。小恋愛が困ってたから、わっちが日頃の恩を返しにきたのだ」

意気揚々と話すシャル。しかし、駈にはそこまでが限界だった。

「この大馬鹿野郎ー!」

牙達でさえすくみ上がるほどの怒声が商店街に響く。

他の買い物客も何事かと振り返るが、頭に血の昇っている駈にはどうでもいいことだった。

「俺が頼んだんだよ。俺がつけないから代わりにな。俺は小恋愛にデートさせたくないんだよ。相手の男はこの辺じゃ有名なスケコマシ野朗だ。分かるか? 女をとっかえひっかえしてるクソ野朗なんだよ。だから、小恋愛が心配でこいつらに頼んだんだ。それを……くそ!」

そう言って、駈が憎々しげに吐き捨てる。シャルは泣きそうな顔のまま、何と言っていいのか分からずオロオロしていた。そんなシャルに駈がとどめの一言を告げる。

「くそ、やっぱり落ちこぼれだな。お前は」

ピシリ!

駈のその言葉で、シャルの中の何かが音を立てて崩れた。

今まで必死になって積み上げてきた物がガラガラと音を立てて崩れていく、そんな感覚。

「もういい、お前は二度と俺の前に姿を見せるな」

そして、放心状態のシャルを残し、駈はその場を後にした。


商店街を出た駈は自宅へと向かっていた。

さっきの話では、どうやら小恋愛は友人と買い物に行ったらしい。それは牙にも確認を取った。

サッカー部は確か今日、対外試合が組まれていたから、少なくとも今日会うことはないだろう。

そう判断した駈は、状況を整理するため自宅へ戻ることにした。

駈が自宅に着くと、家にはすでに灯りが点いている。慌てて玄関の扉を開けると、そこには小恋愛の靴があった。駈は急いでリビングへと向かう。そこでは小恋愛が夕食の準備をしていた。

「……帰ってたのか?」

「まあね」

小恋愛の声がいつもより冷たい気がする。しかし、駈はめげずに小恋愛に向かって言った。

「あいつと関わるのはよせ」

リビングのドアを開けるなり駈は言った。夕食の準備をしていた小恋愛は、菜箸を持ったまま駈を睨みつける。

「はあ? 何言ってんの、愚兄」

小恋愛は吐き捨てるように言った。駈を睨む目に侮蔑が混じる。駈はそんな小恋愛の様子に違和感を覚えていた。自分を睨みつけてはいるものの、その目はどこか虚ろに見える。

「私が誰と付き合おうと勝手じゃん」

そう言うと、小恋愛は再び鍋に目を落とした。もう話すことなどないとでも言うかのように。

「お前はあいつがどういう男か知ってんのか?」

駈はあきらめずに続ける。小恋愛は視線だけを駈に向けた。

「どういう意味よ?」

「あいつは他の女にも声掛けてんだぞ」

小恋愛がコンロの火を止め、菜箸を置いた。そして真っ直ぐに駈に向かってくる。その目は怒りに満ちていた。

「嘘言わないで!」

小恋愛が叫ぶ。しかし、駈も負けてはいなかった。

「嘘じゃない。ちゃんと聞いたんだ。あいつの目当てはお前のから……」

駈が言い終えるより早く、小恋愛の平手が飛んだ。打たれた駈は呆然と小恋愛を見つめる。

「サイッテー」

小恋愛が駈を睨みつける。その目からは涙が滲んでいた。

「何? ひょっとして妬いてんの? あっきれた。あんた何様のつもり。私が誰と付き合おうとあんたには何の関係も無いじゃん。キモいのよ」

「確かに俺にはこんなこと言う資格はないかもしれない。でも、お前が心配なんだ。だから、頼む。あいつだけはやめてくれ」

駈は懇願した。しかし、その答えはまたも小恋愛の平手だった。

「だから、キモいっての。何、保護者面してんのよ」

小恋愛が駈に冷え切った視線を向けたまま続ける。

「大体考えてもみなさいよ。誰があんたの言うことなんて信じるかっての。口を開けば、やれアニメだのエロゲーだの。隠れてやってるんならまだしも公然と言いふらすなんて、イカレてるとしか思えないっての。おかげで妹の私がどれだけ迷惑したと思ってんの。そのあんたが今更私に頼みごと? 笑わせるんじゃないわよ」

小恋愛はエプロンを脱いで玄関に向かった。

「どこ行くんだ?」

「あんたには関係ないでしょ」

「まさかあいつの……」

「うるさい! 私に干渉するな!」

閉められたドアの音が、空しく部屋に響きわたった。

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