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「イヴ、なんで、なんで、そんなこと言うの? あたしが焦ってる、なんて……」 

「……だって、君はすぐ旅に出るんだろう?」

「旅に出るから! だから、あたしは、どうしても!」

「イヴ!」

 彼女の大きな目が、僕の声でさらに大きく見開かれた。


「僕は、君が好きだよ。でも、この想いが恋なのかは……正直、わからない」

「……そんなの、」

「イヴ、君が望むなら僕は君と恋人になるよ。僕にとって、君が一番大事だから。でも、イヴ、君は本当に、本当に僕のことを好きなの? 僕に恋をして、その先の言葉を言おうとしたの?」

「…………」


 確かに、僕らの間には互いに好意があるだろう。だけど、それは友達としてのものだ。僕は、イヴに友達として接していたし、彼女もきっとそうだった。


 恋人。僕らがそうなるには時間も、感情も足りなさすぎる。だから今、どれだけ互いを想っていても、それは恋には至らない。きっと、イヴも同じだと僕は思っていた。


「——『神』に彼女だって言われてから、君はそうなったよね? あれからずっと、恋愛を意識したそぶりで、僕に接してた。違う?……ごめん、それって、感情が伴ってないんじゃないの?」

「…………」

 イヴと手を繋ぐたび、いくつかの段階を飛ばしてしまったかのような気持ちになった。表面だけのロマンスを演じているような気持ちだった。


 それでも、手を離さずにいたのは、イヴとの関係が大事だったからだ。僕は、持て余した自分の心と同じくらい、彼女からの想いを理解する努力を避けていた。でも、もうそれを無視することはできないのだ。だって、もう隣にはいられないのだから。


「君がもし、僕に恋してるんじゃなくて、ただ僕と恋人になりたいだけなら、そういう関係性になりたいだけなら、僕はその先の言葉を聞くわけにはいかない。それは、あまりに君に不誠実だ」


「……あたし、あたしは…………」

 僕はずっと繋いでいた手を離す。

 イヴは、泣きそうな顔をしていた。息を吸い込み損ねたように、彼女はひどく咳き込む。その背を支えようとした僕の手を、彼女は振り払った。


 風はまだ冬の寒さを纏っているというのに、汗が顎まで伝って、彼女の首筋を濡らしている。

「…………………………最低だ。あたし……」

 イヴはまた咳き込んで、両手で口を押さえた。立っていられないのか、しゃがんでしまった。

 ぽた、と足元に彼女の涙が垂れる。


「イヴ、大丈夫?」

 僕もしゃがんで、彼女を介抱しようとする。イヴは青白い顔でこちらを見た。

「君のいう通りだ。あたし、君に恋してない。でも、恋人にしようとした。都合のいい役割を君に押し付けようとしてたんだ」

「……イヴ」

「あたし、気づいてなかった。焦ってた。こんな、酷いこと、あたし、でもあたしはただ、…………」

 涙がその目から溢れ出る。しゃくりあげながら、泣いている。初めて見る彼女の姿に驚きながら、僕はハンカチを差し出した。イヴはそれを受け取ろうとはしないで、言葉を続けた。


「——ごめん、あたし、どうしても、このまま死にたくなかったの。本当に、ごめんなさい……」


 ハンカチが、音もなく地面に落ちた。僕が無意識に手を離してしまっていたせいだった。


「——え?」

 自分が言ったはずのその声が、やけに間抜けに聞こえた。

 彼女が、ゆっくり立ち上がる。その手は、血で真っ赤に濡れていた。

 ——吐血したんだ。


 そして、彼女はそれにまったく動揺していなかった。僕は、驚いて動くこともできないというのに、彼女は慣れた様子でその手を見つめて、煩わしそうに、拳に握り込んだ。

「あたし、ね。旅に出るんじゃないの。君ともう会えなくなるっていうのは、そういう意味じゃなくて、その、…………もうすぐ死ぬってだけ」

 血で汚れるのも気にせず、彼女は風に靡く髪を耳にかけた。彼女は、あまりにも悲しそうな顔をしていた。


「……どういうこと?」

「…………イヴ、これからあたしが言うこと信じてくれる? 聞いても同情なんてしないって約束してくれる?」

「約束する。絶対だ」

 すぐにそう返した。迷ってる暇なんてなかった。

 けれど、どれだけ考えたとしても僕の答えは変わらないと確信できた。彼女の言うことを信じたい。その気持ちは変わってはいない。


「……『枯葉病』って、知ってる?」

 イヴは彼女の手から腕に滑り落ちていく血を眺めて、そう言った。僕は首を振る。そんな病気は聞いたこともなかった。

「珍しい病気なの。先天性か、後天性かすら判明してない。わかってるのは、罹患者で成人を迎えた例はないってことくらい」

「…………」

「一人も、いないんだって、どの本にもそう書いてあった」

「その……症状を、聞いてもいい?」

「——脆くなるの。身体の全部。肌が脆くなってぼろぼろになって、喉が脆くなって傷ついて、骨が脆くなって折れる。いつか、咳をしただけで、死んでしまう。ぼろぼろになった身体は、不思議と崩れて、風に攫われて跡形もなく消えてしまうの。遺体すら、残らない。世界から、拒絶されたみたいに」


 口から垂れた血をまた拭って、イヴは笑みを浮かべた。

「びっくりでしょ? あたし、生きてた証拠も残らないんだって」

 痛々しい笑顔のまま、その目からは涙が溢れだした。雫に夕陽が反射して、光る。とめどなく、流れては落ちていった。

「まるで枯葉みたいだから、『枯葉病』。酷いよね。あたし、若木みたいに元気だったことなんて、一度もないのに」


「……治せないの?」

 咄嗟にそう問いかける。今度は、イヴが首を振った。

「前例はないよ。あたしも、もうそんなことは望んでないし」

「じゃあ、君は、何を望んでるの?」

「イヴ、あたしが前に言ったこと、覚えてる? やるべきこがあるのは幸せだって、死ぬために生まれてきたわけじゃないことの証明になるって、言ったでしょ」

 二人、公園でサンドイッチを食べた日。彼女が飲み込んだ言葉を、いつか聞けたらと思っていたあの日、確かにイヴはそう言っていた。

「……じゃあ、君は」

「——あたしの望みは、ただ死ぬために生まれてきたんじゃないって証明すること。そのために、あたしはこの国に来たんだよ」


 ——あのとき、君は僕にそう言おうとして、でもきっと、言えなかったのだ。

 聞きたかったあの日の言葉が、目の前にある。僕はそう思った。


「あのね、あたし病気のせいで、今まで外になんて碌に出たことがなかったの。だから、君が初めての友達っていうのは本当だよ。……君と対等でいたかったから、病気のこと、言わなかったはずなのにね……」

「……イヴ、」

「同情で今さら、告白を受け入れたりなんてしないでね。頼むから。あたし、君を利用しようとしたんだから。恋人だって間違われたとき、あたし、あたしと仲良くしてくれる君なら、あたしの王子様になってくれるんじゃないかって、あたしは誰かに愛されてから死ねるんじゃないかって、そんな風に思ってたんだから」

 彼女は、後ずさった。僕から距離をとったまま、堰を切ったように話し続ける。

「ごめんなさい。恋が何かなんて、あたし、わかってないの。ただ物語の中の『恋』に憧れていただけ、本物の恋の気持ちなんて得たことがない。でも、でも……あたしは、恋を知らないまま死にたくなかった。誰かに、あたしを覚えておいて欲しかった。ようやく気づいた。——これが、あたしの本心……」

 もうすぐ死ぬらしい彼女の髪は、風で力強くたなびいていた。その赤黒く汚れた一片が、やけに目につく。


 イヴは震えた声で息を吸った。

「——……後味が悪くなっちゃったね。あたしのことは、忘れてね。約束してくれたよね、イヴ。同情なんてしないって」

「…………」

「あたし、もう行かなきゃ。この国の図書館で、本を借りてたの思い出したから、早く……返しとかないと。それじゃあ、ね」


 そう言って背を向けた彼女の手を、僕は握った。


 初めて、僕から手を繋いだのだ。すり抜けていきそうな何かを、手放さないために。彼女を引き留めるために。今度は、言葉だけじゃない。しっかりと掴んだ。僕は彼女に向かって叫ぶ。


「僕が治すよ!」


 考える前にその言葉は口から出た。けれど、どれだけ時間をかけたとしても僕は同じ言葉を言っただろう。勢い任せの言葉に後悔なんてしない。するわけがなかった。

「僕が治す! 君の病気を!」

 ——だって、きっとそれが、僕のやるべきことだから。


「……え?」

「病気が治ったら、君は誰かを本当に好きになって、素敵な恋ができるようになる。勘違いじゃない、妥協じゃない、恋ができるようになるんだ」

「…………君、本気で、言ってるの?」

 ひく、と彼女の眉が動いた。困惑とも、怒りとも取れる、そんな顔をしていた。


「——もちろん、本気だよ。言ったよね、僕、人間じゃないって、『神』が混じってるって。僕の中にある『神』の力を使えば、きっと君の病気を治す方法が見つかる」

「そんなの、あるわけない」

「ある。世界中、全部探して、見つけてみせる。だから……、だから、イヴ、僕と旅に出よう」

「——……………………え?」


 ——この国には、まだやるべきことが残ってる気がする。あの「神」の言いなりになんてなりたくない。

 そんなさっきまでの想いは、もうどうでもよかった。「予言」も、何もかも、すべてがどうでもいい。僕は、目の前のイヴをただ救いたい。この国より、僕に課せられた役割より、目の前にいる友達のほうがずっと大事だ。恋人になろうとなるないと、大切にしたいという想いは変わらない。


「二人で見つけよう。そのためなら僕はなんだってするから」

「……どうして、君は」

「友達だから。それにイヴと二人なら、世界のどこに居たって、きっと楽しいから」

「同情しないでって、あたし、言ったはずだよ」

「同情じゃない。僕が君を助けたいんだ。僕の、友達の病気を治したいっていう、ただのわがままなんだ」


 違う空の下にいるなら、たとえ二度と会うことがなくとも、彼女にはずっと幸せでいて欲しい。当たり前に生きていて欲しい。でも、それができないのなら、僕は一緒にその道を探したい。彼女が幸せに生きられる道を探したい。ただそれだけだった。これが僕の一番の動機だ。


 それに、目の前にいる彼女を、手の届く誰かを蔑ろにしたら、僕は僕でいられない。そんな気がするのだ。

 ——僕の目の前に、イヴがいる。

 それだけで、助けたいと思うには充分だった。


「絶対、僕が君を救ってみせる。だからお願い、諦めないで。忘れてなんて言わないで。僕に、君を救わせて欲しいんだ」

 握る手に力を込める。氷のようだった彼女の温度が、ようやく少し上がった気がした。涙は止まっているのに、イヴは今にも泣きそうな顔のままだった。

「……旅に出るって言ったって、あたし、もうそんな元気とか、時間ないよ?」

「それも、僕の『神』の力でどうにかする。その方法をすぐ見つけてくるから」

 たった一人の延命。そんなこともできなくて何が「神」だ。誰に頭を下げても、どうなってもいい。探し出してみせる。それに、なぜか見つかるという確信があった。大丈夫、イヴを延命する方法はきっと見つかる。

「だから、少しだけ待ってて。旅に出れるくらい元気になったら、一緒にいこう」


「…………いいの?」

 そんな震え声とともに、また彼女の頬を涙が伝った。

「本当に、あたしを助けてくれるの……?」

 雫は、溢れてはこぼれていく。彼女の体は痙攣したように震えていたけれど、確かに僕の手を握り返していた。


 しゃくりあげながら、彼女は言う。

「……あたし、君にもっと早く会いたかった。……君と一緒に旅がしたい。ほんとは、君とずっと、生きていたい」


 夕陽が沈み、街灯は次々と灯っていく。人造の光が、僕らを照らしはじめる。

 僕らは、握った手を離さないまま、空いている手で指切りをした。

 約束は、こうして交わすらしいから。


「イヴ、」

 僕は目の前の彼女に呼びかける。

「——ありがとう」

 ようやく涙が止まった彼女は、また目を潤ませながら何度も頷いていた。


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