3話目 家族からの連絡
それからの数日間、俺はほとんどベッドの上で過ごすことになった。
意識ははっきりしているのに、身体が言うことを聞かない。起き上がろうとすれば目眩がして、無理に動けばナースに止められる。ダンジョンのことも、カレンのことも、考える時間だけが無駄に増えていった。
ある日の午後、ナースが何気ない調子で言った。
「そういえば、救助された時に持ち物が回収されていましたよ。スマートフォンもあります」
差し出されたそれは、見慣れた自分のスマホだった。画面に細かな傷はあるが、壊れてはいない。
俺はそれを両手で受け取り、しばらくじっと見つめていた。
怖かった。
電源を入れれば、現実が一気に流れ込んでくる気がして。
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
電源ボタンを押す。
振動と同時に、画面いっぱいに通知が溢れた。
未読メッセージ。
着信履歴。
数え切れないほどの名前。
「……こんなに……」
最初に目に入ったのは、家族からの連絡だった。母からの心配する長文。父の短い「無事でよかった」という一文。妹からは、何通も続けて送られたメッセージが並んでいる。
『バカ!』
『ほんとに心配したんだから!』
『生きててよかった……』
思わず、口元が緩んだ。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
友達からのメッセージもあった。事故の話、ダンジョンの噂、意味の分からないスキルの自慢。どれも現実感がなくて、でも確かに「日常」の延長線上にあるやり取りだった。
生きてる。
戻る場所は、まだある。
そう思えた、その直後だった。
俺は、無意識に指を動かしていた。
連絡先一覧を開き、スクロールする。
探している名前は、最初から分かっていた。
……カレンからの連絡はない。
トーク履歴を開いても、事故の日以降、何も届いていなかった。既読も、未読も、ない。まるで、時間があの日で止まっているみたいだった。
胸の奥が、冷たくなる。
「……そっか」
小さく、呟いた声が、病室に溶ける。
連絡がない理由は、分かっている。分かっているはずなのに、どこかで期待していたのだ。目を覚まして、何事もなかったみたいに「遅くなってごめん」と届くんじゃないかと。
そんな都合のいい奇跡は、起きていなかった。
指先が、少し震える。
妹や友達からのメッセージに感じた温かさが、今度は逆に痛みに変わっていく。喜びと同時に、失われたものの輪郭が、はっきりと浮かび上がってしまったからだ。
俺はスマホを胸の上に置き、目を閉じた。
現実は、逃げている間に優しくはならない。
ただ、待っているだけだ。
円頓寺カレンは、今も意識を失ったまま。
そして、俺はここにいる。
その差が、ひどく残酷に思えた。
「カレン……なんで、カレンが……」
声に出した瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
どうして、よりにもよって。
世界が変わるなら、もっと他の形があったはずだ。
目を閉じると、病室の匂いが遠のいて、2週間前を思い出す
校舎の廊下。昼休み前のざわめき。窓から差し込む、少し強すぎる午後の日差し。
「大門くん、また寝不足でしょ」
背後から、聞き慣れた声がする。振り返る前から、誰だか分かっていた。
「顔に書いてあるよ」
「書いてねえよ」
「書いてあるってば」
そう言って笑う彼女は、いつも通りだった。長い髪を揺らして、こちらを見下ろすように立つ姿は、同級生なのに少しだけ大人びて見えた。
成績は上位。運動もできる。先生からの信頼も厚く、クラスのまとめ役。
それでいて、近寄りがたいタイプじゃない。
「はい、これ」
差し出されたのは、いつものように小さなチョコレート。
「朝ごはん抜いたでしょ。低血糖になるよ」
「……母親かよ」
「世話焼きって言って」
そう言って、少し得意げに笑う。
正直、目立つ存在だった。容姿も、性格も。男子の視線が集まるのも無理はない。それでも、本人はそういうことに無頓着で、誰に対しても同じ距離感だった。
文武両道。
面倒見がよくて、活発で、優しい。
放課後、部活帰りに声をかけられたこともある。
「大門くん、帰り一緒にどう?」
「今日は用事ないの?」
「あるけど、後回し」
そんな軽い調子で、当たり前のように隣を歩く。
周囲から見れば、釣り合っているとは言えなかったかもしれない。それでも彼女は、気にしたことすらなかった。
「大門くんはさ、変なとこで真面目だよね」
「褒めてんのか」
「褒めてる褒めてる」
笑いながら言うその横顔が、やけに眩しくて、視線を逸らしたことを覚えている。
その彼女が。
今は、目を閉じたまま、どこかで眠っている。
呼びかけても、返事をしない場所で。
病室に戻る感覚が、ゆっくりと戻ってくる。消毒液の匂い。機械の音。静かすぎる時間。
俺は、シーツを握りしめた。
どうして、カレンなんだ。
どうして、あんなやつが。
答えは、どこにもない。
ただ一つ確かなのは、あの笑顔が、今はここにないという事実だけだった。




