4話目 ダンジョンマスターに
それから、俺はスマホを使ってスキルについて調べ始めた。
ニュースサイト、掲示板、動画配信、どこも同じ話題で溢れている。ダンジョン、魔力、スキル。昨日までなら冗談で済んでいた単語が、今は現実として語られていた。
目に付いたのは、スキル覚醒時の共通点だった。
――神の声のようなものが聞こえた。
――頭の中に直接、言葉が流れ込んできた。
――自分の意思とは関係なく、理解していた。
「……」
画面を見つめながら、喉の奥がひりついた。
俺にも、覚えがあった。
あの地下で、ボスの下敷きになり、赤黒い光が弾けた瞬間。意識が遠のく直前、確かに聞こえた。誰かが囁くような、命令するような、よく分からない声。
ダンジョンマスターに認定します。
はっきりと思い出せる。
それは、夢じゃなかった。
スキルは、声に出すことで発動するらしい。そう書かれていた。念じるだけでなく、言葉として形にする必要があるという。
俺は、病室を見渡した。
点滴。医療機器。薄いカーテンの向こうには、他の患者がいる。ここで、もし間違ってダンジョンマスターのスキルを使ってしまったら、何が起きるのか分からない。
床が割れるかもしれない。
魔力が溢れるかもしれない。
最悪、誰かを巻き込む。
想像しただけで、背筋が冷えた。
それに、もっと先のことも考えてしまう。
もし、俺がダンジョンマスターだと知られたら。
ゲームや小説みたいに、人類が攻めてくる可能性は、十分にある。
危険だと判断される。
管理下に置かれる。
最悪、排除される。
そうなる前に、場所を選ばなければならない。
人のいない場所。
簡単には近づけない場所。
「……山、か」
呟いた瞬間、自然と一つの場所が浮かんだ。
幼い頃、よく遊びに行った山。
記憶の中で、景色が切り替わる。
夏の夕方。蝉の声。草の匂い。少し急な坂道を駆け上がる小さな背中。
「大門くん、こっち!秘密の近道!」
振り返って手を振る彼女は、今よりずっと幼くて、それでも変わらず活発だった。
「転ぶなよ!」
「大丈夫だって!」
その山は、彼女の家の裏にあった。
円頓寺の家は、昔から続く神社の家系で、表の社殿とは別に、管理しきれなくなった裏山があった。立ち入り禁止にするほどでもないが、人もほとんど入らない場所。
「ここね、昔は神様の山だったらしいよ」
子供の頃の彼女は、少し得意げにそう言っていた。
「でも今は、誰も管理してないんだって」
「危なくないのか」
「だから秘密基地にぴったりでしょ」
笑いながら、木の根元に腰を下ろす。その横顔は、今の彼女と重なって見えた。
あの山は、人目が少ない。
元々、神域だった場所。
ダンジョンを作るなら。
誰にも知られず、守るなら。
他に、思いつかなかった。
スマホを握る手に、少しだけ力が入る。
まだ、決断ではない。
ただの可能性だ。
それでも、俺の中で、道筋がゆっくりと形を取り始めていた。
それから数日が経ち、ようやく退院の許可が出た。
医師からは「無理はするな」と何度も念を押されたが、身体の感覚はほぼ元に戻っていた。事故の痕跡は、包帯と薄い痛みとして残っているだけだ。
病院の入口を出た瞬間、外の空気がやけに冷たく感じた。空は変わらず青いのに、世界だけが少しズレてしまったような感覚がある。
迎えに来ていた家族の顔を見て、ようやく現実に戻った気がした。
「……おかえり」
母はそう言って、俺の顔を何度も確かめるように見つめた。父は多くを語らず、ただ肩を軽く叩いてくる。妹は、少し照れたように視線を逸らしながらも、すぐに不満をぶつけてきた。
「ほんと、心配かけすぎ」
「悪かったって」
そのやり取りが、ひどく懐かしかった。
家に戻ると、見慣れたはずの部屋が、どこか他人のものみたいに感じられた。事故も、ダンジョンも、ここには何の痕跡も残っていない。
夕飯を一緒に食べて、他愛もない話をして、それでも心の奥では、ずっと別のことを考えていた。
夜になり、家族がそれぞれの部屋へ戻った頃、俺はそっと家を出た。
向かったのは、あの日、地割れに飲み込まれた場所だった。
街灯の少ない道を歩き、記憶を頼りに辿り着く。けれど、そこにあったはずの光景は、どこにも見当たらなかった。
「……ない」
巨大なクレーターも、裂けた地面も、すべて消えている。
そこには、ただの地面があった。整地されたわけでもなく、荒らされた様子もない。まるで、最初から何もなかったかのように。
俺は、その場にしゃがみ込み、土に触れた。
冷たい。
現実的な感触。
確かに、俺はここから落ちた。
確かに、ダンジョンは存在していた。
それなのに、証拠は何一つ残っていない。
「……隠されてるのか」
それとも、役目を終えたのか。
答えは出ないまま、俺は立ち上がった。
そして、次に向かう場所は、もう決まっていた。
街を離れ、少しずつ住宅が途切れていく。記憶の中の道をなぞるように歩くと、やがて見慣れた木々が姿を現した。
円頓寺の家の裏山。
幼い頃、何度も足を踏み入れた場所。今は、ほとんど人が寄り付かない。
夜の山は静かだった。風に揺れる葉の音だけが、遠くで鳴っている。
俺は、一歩、足を踏み入れた。
ここなら。
そう思えた。
山の中は、思った以上に暗かった。
街の明かりはもう届かず、足元を照らすのはスマホのライトだけだ。懐かしいはずの道も、夜になると別物に見える。幼い頃は、こんな場所を怖いと思ったことはなかったのに。
俺は、立ち止まった。
ここだ。
昔、秘密基地を作ろうとして、途中で諦めた場所。木々に囲まれ、外からはほとんど見えない。人が立ち入る理由も、今はない。
深く、息を吸う。
言葉にすれば、もう後戻りはできない。
「……ダンジョンマスター、スキル発動」
声は、震えていなかった。
一瞬、何も起きない。
やっぱり、勘違いだったのか。そう思いかけた、その時だった。
空気が、変わった。
山の静けさが、音を失ったように消える。代わりに、頭の奥へ直接流れ込んでくる感覚があった。
――認証を確認。
――ダンジョンマスター、中村大門。
誰かの声。
男でも女でもない。
感情の起伏すら感じられない、ただの“声”。
足元の地面が、ゆっくりと歪む。
土が崩れ、岩が露出し、まるで最初からそこにあったかのように、洞穴が形を成していく。人工的でも、自然でもない、不思議な穴。
「……」
言葉を失ったまま、俺はそれを見つめていた。
洞穴の中は、暗い。けれど、恐怖はなかった。あの地下で感じた圧迫感とは違う。むしろ、呼ばれているような感覚がある。
一歩、足を踏み入れる。
中は、外見よりも広かった。壁は岩肌で、奥へ続く通路が緩やかに伸びている。足音がやけに大きく響いた。
さらに進んだ瞬間、視界が揺れた。
――ダンジョン管理メニューを開きます。
声と同時に、視界の前に、半透明の光が広がる。
文字。
枠。
理解できる言語。
そこには、はっきりとこう書かれていた。
【ダンジョンマスター・メニュー】
俺は、無意識に息を止めていた。
夢じゃない。
妄想でもない。
ここに、俺のダンジョンがある。
そして、俺はその管理者となった。




