26
記憶の遡行――。
その旅を終え、ゴーシュは現実へと戻ってくる。
依然大気に混ざり込む粉塵で埃っぽい空気が鼻に付き、同時に手の中の死体が完全に冷え切っているのを感じた。
――が、ゴーシュはそのどちらも認識しなかった。否、出来なかった。
ほろりと彼の目から零れる一筋の滴。頬を伝って顎からポツリと落ちて、腕の中に居た白髪の少女――イーリアの体に落下する。
あの後――壊死したゴーシュの目の前で、イーリアは一人ロアの死体を埋葬していた。
だが、それしかわからなかった。
どうしてロアの人格がイーリアの体に存在していたのか、どうしてあの大通りから始まったのか。
それらに関しては記憶の遡行では見ることが叶わなかった。
けれど、あの憎き天使が封印だれたと言う事実だけはわかる。
「…………」
ゴーシュは動かない。
涙を流して、声を押し殺して、肩を震わせながらも、その頭の中身はぐちゃぐちゃだ。
記憶をなくしていたことによって消えていた自責の念が、記憶の帰還と共に再度圧し掛かる。
「俺が……。俺がこの街を滅ぼして、あの研究室の惨状を生み出して、俺が、俺がぁ……」
涙を流しながら俯いて、イーリアの体を見て――結局、俺は二人の妹のどちらも助けることが出来なかった。
二人とも、目の前で死んだ。
後悔と懺悔。
どこまでも続くこの自己嫌悪は腐り落ちることなく心を縛り上げる。
絶望し、目を落したイーリアの服の胸元から何かが覗いて見えた。それは……ロアの花の押し花で作られた栞。思いだされるのはここ一年のこと。
「俺は、俺はぁ……っ! どれだけ妹たちに迷惑を掛け、傷つければ済むんだよぉ……」
イーリアは死ぬとき『私たち二人』と言っていた。
つまりロアが体を動かす反面、イーリアはずっと内側に居たのだろう。
イーリアの姿をしたロアと会話するゴーシュを、ずっと見ていたのだろう。
……考えると、自分の情けなさに吐き気がした。
記憶を失くして、初めて彼女と出会った時、記憶を無くしていたとはいえイーリアの姿でロアだと名乗ったことに疑問すら抱かなかった。
雪の日、ロアの花を二人で見た時も、ゴーシュは花を見て「花にそっくりだ」と言った。
ロアは唯一兄妹で似ていない少女だった。
彼女は一度も口にはしていなかったが、何処か自分だけ似ていないことに疎外感を覚えていたに違いない。
思い出せば、節々で彼女は表情を歪める時があった。
「なのに俺は……俺はぁ……!」
この一年の楽しかったはずの思い出を思い出したくない。
今までロアに向かって言って来た言葉の数々を撤回したい。やり直したい。
すべてを最初から。
でも、それは叶わない。
――繰り返される激しい自己嫌悪。悲しみと怒りと、ここ一年の楽しさや嬉しさ。それらがすべて彼女らを傷つけていたことに再度自己嫌悪を抱く。
「嗚呼、だからか……」
だからロアは言っていたのだ。「思い出せば死ぬ」と。
だから彼女らは入れ替わっていたのだ。ゴーシュの心をよく知っているのはロアの方だ。あの過去があるからこそ、少しでも心を知るロアが適任だったのだろう。
解き明かされる謎に、しかし、ゴーシュは乾いた笑みすら浮かべて、壊死した心を受け入れる。
「終わりだ」
ゴーシュはイーリアの体をゆっくりと地面に置くと、その胸元からロアの栞を手に取り、ポケットへ。
こうすることで彼女らと同じ場所へ迷わずに行けると思った。
ゴーシュは自殺する場所を求めて歩き出す。
「すぐに俺もそっちへ行くから」
死んだ目で、死んだ足取りで、死んだ動きで、死んだ頭で、死んだ心で――死に場所を求める。
――が、ゴーシュが大通りに出た瞬間、その目の前に突如として何かが飛来してきた。
「少年ッ!! まだやり直すことは可能だッ!!」
地面のコンクリがまるでガラスの様にひび入り、その中央から一人の男が立ち上がる。
「俺と、血の契約を結ぶつもりはないか? 少年、ゴーシュ・ランペルージュよ」
ゴーシュの目の前に現れた男は身長高く、すらっとしていながらも引き締まった肉体を持っていた。
顔から窺うに三十前後と思われる彼は、紫の髪を掻き上げながら自己紹介をした。
「俺の名はナイト・バロン。吸血種の、それも世界最強と言われる高祖だ」
だが、それに対するレスポンスは無い。
ゴーシュの心はひどく荒れ果て、高祖や、血の契約と言った単語を耳にしようとどうでもいいと判断を下していた。
ナイトはムッと表情を歪めると俯きがちのまま死んだように歩くゴーシュの前髪を掴んで無理やり視線を合わる。
「……よもやここまでとはな」
ナイトの瞳に映る少年の瞳。
それは生きることに絶望し、生きていることに嫌悪感を抱き、ただただ単に死を求めて彷徨う亡霊のような瞳。
狂気を越えて、常軌を逸し、絶望に支配されて何もかもが壊れた少年は、見ていて決して気持ちの良い物ではなかった。
ナイトは乱雑にゴーシュの前髪を離すが、ゴーシュのそれに対する反応は皆無だった。
何も感じない、何も思わない。現実を認識する心が死んでいるのだから、それは当たり前だ。
だから、ナイトは言葉を紡ぐ。
その絶望に支配され、心が死んだ少年に届くだろう唯一の言葉を――。
「もし、妹たちを生き返らせることが出来ると言えば。お前は、ゴーシュ・ランペルージュはどうする?」
ゴーシュの壊死した心に、停滞していた思考に、その言葉は強く突き刺さる。
深々と堂々と、決して聞き逃せない鋭さを持ってゴーシュに強い衝撃を与えた。
バッとうつむいていた頭を上げて、目を見開きながらナイトの肩を掴んで大きく揺さぶりながら叫ぶ。
「で、出来るのか!? そんなことが、出来るのか!?」
その食いつきぶりに、ナイトは若干顔をひきつらせた。
「ああ、可能だ。ただし、俺と血の契約を交わし、その上で……」
「わかった、する! だから、だから二人を生き返らせてくれ!」
言葉を遮って首肯するゴーシュの姿に、ナイトは面食らったように目を見開いた。
「お前……。方法を訪ねたりとかはしないのか?」
「そんなことはどうだっていい! 俺が、俺がお前のために何かをして、それで二人が生き返るなら俺は……それだけでいい!! さあ、早く二人を生き返らせてくれ!」
正直ナイトの言う生き返らせる方法と言うのを聞いても、自分に理解できるとは到底思えなかった。
なら、何故そうも簡単にナイトの言葉を信じられるのか。
――そもそもゴーシュは彼を信じてなどいなかったのだ。
彼が本当に二人を生き返らせてくれるかどうか。
それが嘘か真かを、確かめるすべなどゴーシュにはない。
つまり彼は信じられない。だが彼は言った。
生き返らせることが出来る、と。
それは先の見えない道と同じだ。今ゴーシュは真っ暗闇の道の真ん中で止まったまま。
彼の言動はそこに光を差し込ませた。
そうして照らされた道が正しいのか、間違っているのか、闇の中にいるゴーシュにはわからない事である。――が、すでにその光の方へ歩いて行く以外、道はないのだ。
ゴーシュの必死さを見て、ナイトは慌てた。
「ま、待てっ! 人の蘇生は今まで誰も無しえたことのないことだ。成功させるにはそれなりの準備と時間が必要になる。今すぐには無理だ」
「ならその準備の為に俺は何をすればいい!?」
間髪入れない質問に、今度は冷静に告げる。
「準備は――まぁ、いろいろとあるが、今することは一つ」
人差し指を立てながら、彼は一度瞑目し、開くと同時にゴーシュにとって驚き以外の何物でもないことを伝える。
「おそらくもう数分の後に『ガンド帝国』の兵士、二百人がやってくる。お前がこれからどう生きるのかは知らないが、それから逃れることこそが、今行わなければならないことだ。しかし、俺はこのざまでいくら高祖と言えども勝機は万に一つもないだろう」
「そんな……。で、でも最初に言ってた血の契約? だっけ? あれをすれば……」
「もし俺が万全の状態なら余裕で片が付くだろうな。だが相手とて訓練された兵士。それらを相手にこんなボロボロの状態では、いくら血の契約で本気を出したところで、勝つことは出来まい」
「だったら、どうやって……」
絶望の色を見せるゴーシュに、ナイトはニッと笑って――。
「勝つことは出来ないが、時間稼ぎくらいはできる。……俺が時間を稼いでいる間にお前が、神聖兵器『乖離する罪過』で奴らを無力化するんだ」
その兵器の名前には聞き覚えがあった。
先ほど見た記憶――いや、すでに頭に定着し、思い出したと言うべき記憶の中でイーリアが彼の憎き天使レレック・ノームに使った武器の名前だ。
結局彼女はすぐに『怒り』の感情を思い出し、殺意を抱いて襲ってきたわけだが……。
確かにあの武器を使い、相手の敵意を奪えば容易に片が付くだろう。
だがゴーシュは使い方を知らないし、それ以前にどこに有るのかさえも知らない。
「俺が……?」
どうやって? と困惑気な表情を見せ、自分にできるはずがないと自虐的になるゴーシュに、先ほどと打って変わって、今度はナイトが彼の肩を掴んで揺さぶりながら叫んだ。
「そう、お前がやるんだ。お前ならできる――いや、これはお前にしかできないんだッ!」
「どういう……」
「お前は『流転神イーリア』の信徒であり、そして『現人神イーリア』に愛された少年だッ! お前は神聖兵器を手にするのに必要な条件を二つともをクリアしているんだッ! ……だからあとはお前の決意次第だ。お前が望めばその手に現れるはずだ」
――決意。現状においてそれが大きな事と言う事はゴーシュにだってわかっている。
例えば、決意して『ガンド帝国』の兵士を無力化する。
それすなわち『ガンド帝国』に敵対すると言う事でもある。
『ガンド帝国』は世界トップクラスの軍事国家で、『神聖生存戦争』に参加している国々としても極力戦いたくない相手でもある。
その『ガンド帝国』に刃向うと言う事は、世界を敵に回すと言う事でもあるのだ。
もちろん細かい事を言えば『ガンド帝国』と敵対している『天の地』などは除外されるが、だからと言ってゴーシュ個人としても『天の地』はロアの――いや王国民全員の仇だ。
仲良くなどできず、やはり結局行きつく結論は、ただ一つ。
ナイトが言った決意とは、妹たちの為に世界を相手にできるか? と言う事なのだ。
「俺は……」
だからなのだろうか。ゴーシュにとってその決意はとても簡単な物だった。
割に合わないリスクとリターン。
馬鹿な行動。
妹たちもきっとそんなことは望んでいないのかもしれない。
だが、その妹たちの兄、ゴーシュ・ランペルージュと言う男は、とてもつもなく馬鹿で、極度のシスコンなのだ――。
「良いぜやってやる! 俺は妹たちの為なら、何だってやってやる――ッ!!」
ゴーシュの咆哮と共に、遠くから鎧を着た軍勢の影が見えた。
ゴーシュはいっそ朝日を背に突き進んでくる彼らに警告する勢いで咆哮した。
「もし、俺に力を貸してくれるなら、頼む! 来い――『乖離する罪過』ッッ!!」
緊張に膝を震わしながら、ゴーシュは叫ぶ。
すると叫びに応じるようにソレは現れた。
黒い弓。
禍々しく恐ろしさすら感じるのに、どこからか発する魅力。
その魔性の弓は記憶の中でイーリアが取り出していた物と相違いない。
「良い決意だッ! では血の契約も結ぶぞ――ッ!」
「あぁ!」
ゴーシュの手の中に現れた『乖離する罪過』を見てナイトは口元を歪めながら叫び、途端、ゴーシュとナイトの足元に真っ赤な魔方陣が浮かび上がる。
魔方陣から天へと紅の――まるで血のような液体が波模様を描きながら昇って行く。
「さぁ、少年。たった二人で世界に戦争を仕掛けようかッ!!」
ナイトは言いながらゴーシュの首元に噛みついた。




