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「そんな……ロアはロアじゃないって言うのか!?」
時は遡る。
ゴーシュが手に持つのは血に汚れてほとんど読めなくなっている『現人神計画』の資料。
ところどころ読めない部分もあったが、それでも何とか解読した時には、夜は開けて明朝三時をまわっていた。
資料は『現人神計画』の主な内容と……現人神イーリア本人についてが記されていた。
何度も実験を繰り返し、その果てに誕生したのが白髪にアメジストの瞳の少女。
彼女に神の記憶は無く、見た目の年齢は十六程だが、実際のところは生まれてまだ一年も経過していない。
急速に成長を行わせ、自分で考えて行動が出来る年齢にしたのだ。
「そんな彼女に付けられた名前はイーリア。卵子の提供は開発責任者のメイリ・ランペルージュ。精子の提供はその夫、トレット・ランペルージュ。十六になった彼女は一般常識を身に付けさせるために、彼らの一家と一年の間、同棲させた」
資料を読みながら、ページをめくる。
「ランペルージュ家の構成は、父トレット、母メイリ、長男ゴーシュ、長女ロア。長男長女も『現人神計画』については理解を示しているので問題は無いだろう」
これでようやく家の中にあった写真の意味が理解できた。
ゴーシュは酷い思い違いしていたのだ。
あの写真、ロアはきちんと映っていた。
ただし、ゴーシュの知っている見た目とは異なる姿で……。
「俺が今日まで世話になってきたのはロアじゃなくて……現人神イーリア?」
ロアとは写真でゴーシュの隣に立っていた、黒髪の少女のことだったのだ。そして、実際にゴーシュと黒髪の少女ロアは兄妹だった。
父と母で髪色が違うためそれが顕著に表れたのだ。
また、現人神イーリアの受精卵提供者であるのも父と母。
イーリアはゴーシュとまったく同じ髪、同じ瞳を受け継ぐ形で生まれてきた、と言う事だったのだ。
理解しがたい事実だが、現状そうとしか考えられない。
「クソッ、だったら何でイーリアは『自分はロアだ』なんて言って俺を騙して……」
悩むゴーシュ。
だが、その答えは一人では知りえることが出来ない。……だったら。
「本人に直接聞くだけだ」
言ってその場を後にする。外に出て真っ直ぐに教会へ。全速力で彼女から逃げてきたため、戻る道のりも長い。
だが、時間はいくらでもある。
ゴーシュはそう考えて走り続け、しかし来たことのなかった道に、さらには辺りは暗く、月明かりだけが頼りで迷ってしまう。
そうして教会の影を捉えたのはなんと二時間後。あと少しと言うところまでやってきたゴーシュは……しかし、まだ薄暗い空を裂く一つ時の光線を見た。
「なんだ、あれ……」
冷や汗が流れる。歩むスピードが上昇する。走る、走る、走る……。
そして、しばらくの後、二撃の砲撃が防御魔法へと当てられ、ひびが入った。
「な……ッ!?」
驚愕に目を見開くゴーシュだが、驚きは止まらない。もう一発砲撃が放たれ、しかしそれは新しく出現した幾重の防御魔法によってはじかれる。
だが遂に、まさに会心の一撃と言わんばかりの砲撃が……防御魔法をいともたやすく撃ち抜いた――。
★
ゴーシュが姿を消した教会の内部では、長椅子に腰かけてながら物憂げに息を吐く白髪の少女が居た。
流れるような美しい髪に、アメジストの瞳。
整った顔立ちの彼女が思い出すのは、実の兄のこと。
「兄さんの……馬鹿」
口をへの字に曲げて少女、ロアは告げた。――と、不意にロアの頭の中に声が響く。
『お兄さん、ロアのことを信頼しきってたからこそ裏切られたって思ったんじゃないかな?』
突然の声にもかかわらず、ロアはいたって冷静で、まるで、以前からこの現象を受け入れているかのようだ。
「裏切られたって……」
『良く考えてよ。お兄さんは記憶を無くしていて、ロアのことも知らない状況だったんだよ? そんな中での生活で、ようやく慣れて来たのに急にいつもとロアの態度が変われば、混乱くらいするよ』
「そうなんでしょうか?」
確かに自分から世話をするとは告げたが、まさかあそこまで堕落しているとは思わなかったのだ。
それは、彼女にかつての……記憶を無くす前の兄の記憶があるせいだった。
『もう、ロアもお兄さんも……。遺伝子的には私と同じはずなのにどうしてそんなに頭が固いの?』
「きっとイーリアはお父さんに似たのでしょうね。あの人は物腰の柔らかい人でしたから」
『じゃあロアはお母さんだ! 私は一年しかお父さんお母さんと過ごせていないからわからないけど……でも、料理をつまみ食いした時のお母さんは本当に怖かった! 頭が固すぎるんだよ!』
お父さんお母さん、という言葉に思い出すのは、かつての記憶。
……ロアの両親は『現人神計画』の責任者だった。それを彼女は知っていたし、実際計画が成功すれば戦争を優位に進められるとわかっていたから、手も貸していた。
今から二年前。
ゴーシュが記憶を無くす一年前、ふと両親に連れられて一人の少女が現れた。
名はイーリア。
白髪にアメジストの瞳を持つ、ゴーシュによく似た少女。
今、ロアがその魂を宿す肉体の、本当の持ち主である。
彼女は『現人神計画』の根幹で、常識を得るためにランぺルージュ家で過ごすこととなったのだ。
……私と兄さんは、両手を上げて彼女を向かい入れた。
話しには聞いていたし、父と母の受精卵からできた彼女は血の繋がった兄妹。
急速な成長により、一年でその肉体は十六と当時のロアよりも高かったが、それでもロアは彼女を妹として――いや、それは表向き。実際は友人として接し面倒を見た。
それはゴーシュも同じで、当時は彼も率先して家事を行うなどの姿勢を見せていた。
だから、ロアは現在のゴーシュに絶望していたのだ。
しかし、とにかくイーリアが家にやって来てからの一年はロアにとっても、ゴーシュにとっても最も楽しい時間だったと言う事は確かだろう。
いつも仕事ばかりで家に居なかった両親も、イーリアの観察の為に常に家にいる。
新しい妹も増えた。幸せに満ちた、最高の一年だったのだ。
……でも、それは終わりを迎える。
『天の地』と呼ばれる場所から、天使が一人、『神聖兵器』を手にしながらこの国を攻めに来た。
そして、乱戦の中で色々とあり……現在訳あって、現人神イーリアの肉体の中にロア・ランペルージュの意識が共生している。
現在、体の主権はロアにあり、イーリアは意識のみの存在となっていた。――が、これはロアが望んだことではない。
イーリアから言いだしたことだった。
ロアは、意識のイーリアに向けて言葉をかける。
「頭固いとか言われても……わからないですよ」
『わからないって、とにかく謝っちゃえばいいんだよ!』
「なッ!? 私より謝るのは兄さんのはずです!」
『でも、お兄さんもロアと同じで頭が固いからね。それに記憶も失くしてるし、ちょっと酷じゃない?』
「し、知りません! 悪いのは兄さんです! ご飯を作らないし、洗濯もしない。そのくせ子供みたいに好奇心旺盛で扱いが面倒くさい」
つぎつぎと思い浮かぶゴーシュのダメなところを羅列するロア。
「よく考えてみれば、流転神イーリア様に祈りこそすれど、感謝は一切していないじゃないですか! せっかくイーリアが魔法で助けてくれたと言うのに……もっと感謝を伝えてほしいです!」
『それは恥ずかしいって! 私は確かに流転神イーリア様の一部であるのかもしれないけど、それでも神としての自覚なんてないし……それにお兄さんに感謝されるなんて、恥ずかしい……』
意識だけ、声だけだと言うのに顔を真っ赤にしながら照れている姿を思い浮かべてしまい、ロアは思わず口元を綻ばせた。
「あー、そう言えばイーリアは兄さんのことが好きなんでしたっけ?」
『あうっ……。だ、だってお兄さん優しいし、顔は悪くないし、むしろいい方だし……。兄妹ってわかってるけど、何と言うか……』
だんだんとか細くなっていく声に、思わずロアは口元が緩む。
「ま、私も近親相姦を勧めるわけではないので、いずれすべてが片いたら気持ちを伝えるなりしてみては? ――でも、ここ一年のあの堕落ぶりを見て、よく呆れませんんね」
『あれはロアが甘やかしすぎなんだよ! ロアも大概ブラコンなんだから、時たま心配になる時があるんだよ? よもや私の身体で一線を越えてしまうのではないか? って』
「そ、そそそ、そんなことあるはずないでしょう!?」
『そう? だったら一つ疑問なんだけど……記憶を無くしたお兄さんと出会ったあの日、ギルドに行こうと言われてロアは一線を越えることを一度許容したよね? あれはどういう事だったの?』
「え!? そ、そんなことありましたっけ?」
『意識はあるんだから目が泳いでるの丸わかりだよっ! ぐぅ、やっぱりロアもお兄さんを……っ!』
「違う! 違う違う! 絶対ないですから! 今までしっかりしていた兄さんが、私が居ないと生きていけないくらい大変で、めちゃくちゃ頼ってくれていることに歓喜した何てこと、全っ然! ありませんから!」
ロアの必死の弁明は、夜の教会をこだまする。
そして、静寂が訪れて、最初に声を出したのはイーリアだった。
『ロア、わかりやす過ぎ……』
言われて、恥ずかしそうに頬を染めて俯くしかなくなるロア。
「うぅ……わかりました。認めますよ。確かに兄さんのことは好きですが……でもっ、本当に兄妹として! です。あの時はいろんなことが連続して疲れていたんですよ」
――気の迷いですから、忘れてください。
思い出したくない痴態を掘り返され、さらに自らドが付くブラコンだと暴露したことにより、ロアは真っ赤になった顔を両手で覆った。
『わかってるって! でも、そう言えばこの生活が始まってから明日でちょうど一年だね』
「明日って、あと三十分もないですよ。……ん!? 明日が五月の三日!?」
『そうだけど?』
「よりにもよって兄さんの誕生日じゃないですか……。はぁ、去年は祝ってあげられなかったからサプライズで祝おうと思っていたのに喧嘩とか……。はぁ」
自分の情けなさに深い溜息を吐く。
『だ、大丈夫だって! まだ行ける行ける!』
「と言ってもプレゼントも何もないですし……。お金は街中に散乱しているのでいくらでもありますが、店の方が開いていないですよ」
『プレゼントに大切なのは値段じゃないよ! 渡す側の気持ちだよ!』
「と言いましても、私にはそんなにパッと思いつくような脳はありませんし……何か兄さんが喜ぶものをイーリアは知りませんか?」
『お兄さんが喜ぶもの? うーん、エッチな本とか?』
「……イーリアは何か知りませんか?」
『ご、ごめん! 冗談だから流すのは止めてっ! 寂しいから! ……あ! 栞なんてどうかな!? お兄さん最近は読書が趣味になっているようだし!』
「栞? でも、栞なんてもらっても嬉しくないでしょう? 本屋に行けば沢山落ちていますし」
『もー、考えが及ばないなぁ! 押し花だよ、押し花!』
「押し花、と言いますと花を栞などにするあの……? 私はやり方を知らないですし、それに何の花を使えばいいか……」
『やり方は私が知ってるからさ! それに良い花があるじゃん!』
――良い花? と聞き返すとロアは教会の外へ行くように指示され、そして一輪の花を見つける。雪の降った日、教会前で見つけた真っ白な花――ロア。
『お兄さんと一緒の色合いで、名前はロアと一緒。これは運命だよ!』
やけにはしゃいだ声で笑うイーリアに、ロアは小さく、
「私たちと一緒。ええ、そうです。そうですね……。て、なんか恥ずかしいですね」
たはは……と笑いながらロアはその一輪の花を見つめる。
「本当に……綺麗」
『うん』
しばらく眺めた後、イーリアが『じゃあそろそろ戻って作り始めよっか!』と言ったのでロアの花を手にして教会へと戻った――
それから数時間後、押し花が概ね成功と呼べるほどまで完成に近づいた、まさにその時だった。
『いけない――っ!』
イーリアが声を上げたのと同時、外から物凄い光が差し込んでくる。
慌てて出てみると、それは何か光線のようなもので、遥か上空へと突き抜けて行った。
「あれは……?」
訳が分からないと呟くロアに対し、イーリアは冷静だ。
『……いつまでも、この生活が出来ないってことだよ』
「それって」
『私たちは今、一つの都市丸ごと防御魔法で侵入不可領域にしている。だから、いずれは防御魔法を破壊しようとする人も出て来るってことだよ』
それはわかっていたことだ。ロアだって頭は固いが馬鹿ではない。自分たちのやっていることが、どれほど身勝手な行為なのかはわかっているつもりだった。
……私は、私たちは、ただ一人の少年を救う為だけにこの防御魔法の中で生活をしているんだ。
私の為であり、イーリアの為であり、そして兄さんの為。この魔法は私たち兄妹の為の物。
だが、その生活があまりにも楽しくて、夢のようで。だから忘却していた。
「……守るよ、イーリア」
『うん、ロア』
二人は覚悟を決める。
「兄さんを救う為に――」
『お兄さんを救う為に――』
防御魔法は、世界からこの地を隔絶させて、ゴーシュを守る為に用意されたもの。
現人神イーリアの力によって生み出された殻だった。




