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 ”虹のかなた”の優位は揺るがなかった。

 ぼくの体は、修復が間に合わないほどにずたずたに切り刻まれてゆく。

 だが、ぼくは目先の闘争に没入することに歓喜していた。

 この瞬間だけは、常に肩にのしかかる重苦しい後悔や、いつも胸を引き裂く悲愴からも無縁だ。

 かつてぼくのことなど歯牙にもかけていなかった”虹のかなた”は、今はぼくを嫌悪している様子だった。

 「あんたはつくづくバカな奴だな! どうしてあの”モンスター”を捨ててきた?」

 剣による攻撃だけでなく、奴は言葉でもプレッシャーをかけてくる。あわよくば、ぼくの闘争心を萎えさせようとしているのだろう。

 「捨てたんじゃない、ぼくが殺した」

 「なんでそうなるんだよ?」

 「彼女の望みだ」

 「”モンスター”の言うことを素直に聞いちまったのか?」

 「彼女の意思を尊重したんだ」

 「ガキの潔癖症なんかほっときゃよかったのに」

 「死のうとまで思い詰めたのを、病気呼ばわりか?」

 「死にたいなんて、病気だよ! 分からないあんたも、ガキだ」

 「お前なんか、ぼくの子供だろ、生物学的には!」

 「生きた時間は短いが、人生経験は豊富だ。あんたとエンカラ、異星人たちのの記憶がある」

 気に障る奴だ。こいつには記憶はあるのかもしれないが、思い出によって想起される感情がない。だから、まるで本でも読むように他人の記憶を眺めて、まるで神様きどりで、人生を評価するんだ。そういう態度こそガキなんだよ!

 「ガキはお前だ! 頭でっかちの」

 「くそ、様子がおかしい」

 ”虹のかなた”は面持ちを固くして、周囲を見回した。

 奴とぼくの戦いが続く一方、”龍脈”の姿は一変しつつあった。

 ”龍脈”を覆う壁が消滅し、操作用の端末も掻き消えた。

 地面に横たわる巨大な光の円となり、じりじりとその位置を変えてゆく。

 彼方の地平線から、”龍脈”と思しき光が暗い宙に穴をうがち、その傷跡を刻み付けていた。

 ”龍脈”は徐々に接近しているようだ。これは”虹の門”が発生する瞬間に、いよいよ近づきつつあるのかもしれない。

 不安げに”虹のかなた”は表情を曇らせる。

 「このままだと、おれたちは宇宙の創生期までさかのぼっちまうぞ」

 それって、どうなるんだ? ビッグバンとかでぼくたちは吹き飛ばされるとか?

 怒りに眉を吊り上げ、”虹のかなた”はぼくを睨み付けた。

 「こんな過去まで戻ったことないぞ、あんたのせいで余計な手間だ」

 「こっちだってそうだ。もう元の世界だとか、異世界なんかどうだってよかったのに」

  血まみれになりながら、なおも立っているぼくに、”虹のかなた”は腑に落ちない様子で言った。

 「あのさ、だいたいなんでお前が俺の動きについてこれんの? ”龍脈”七つの力を受けたおれは、今最強なんだぞ?」

 「お前の脳内設定に従ってないからって、ぼくに文句つけるなよ。ぼく自身、不思議だけどさ」

 確かに奴の疑問はもっともだ。

 本来なら、ぼくがこれほどまでに奴の攻撃に耐えられるのはおかしい。

 時間をさかのぼる速度だって、本当なら、奴が圧倒的に上でもおかしくない。というより、ぼくは時間が経つごとに、自らの力が増しているような気がしていた。

 ぼくと、”虹のかなた”との明らかなスペック差を埋めるモノは何だ?

 ”虹のかなた”は”龍脈”の力を受けることで圧倒的な力を得る。その能力は”虹の門”の時間を自在に操ることだ。”龍脈”の強弱に影響を受けるということは、つまり”虹のかなた”の本質は、おそらく高性能の”受信器”なのだろう。

 つまりぼくにも同様に優れた”受信器”が備わっていることになる。

 だが、それがぼく自身にもともとあったとは考え難い。なぜなら、自分の性能が上がったのは、この戦闘が始まってからで、元から能力があるなら、こんな急に変化するとは考え難いからだ。

 何かがぼくに、少しずつ力を貸している。

 そして、ぼくには心当たりがあった。

 アウナのしっぽだ。

 今、アウナのしっぽは、理由あってぼくの体内にある。

 彼女が死の間際にぼくに渡した”受信器”が、ぼくを助けてくれているんだ!

 そうか、アウナが……。

 これまで、凍っていた心が少し溶けたような気がした。

 難しい顔で、”虹のかなた”は首を振る。

 「もう、ここから先は時間のない世界だ。つまり、おれたちがさかのぼれるのもここまで」

 「ここまでって、どういうことだよ? ぼくはまだまだ戦えるぞ」

 「戦えないとは言ってない。でもよー、あとは、普通の生身で殺し合いってことになるな。格好つかねーが……」

 おいおい、今のお前は最強じゃなかったのかよ……ずいぶんと尻すぼみだな……。

 ぼくは無駄と知りつつも一つ提案する。

 「じゃあ、もう戦いは終わりってことでいいじゃないか。ここまで来て、できることなんて一つだろ。”虹の門”は壊すよ」

 当然、”虹のかなた”は腹を立てた。

 「テキトーなこと言ってんじゃねー! まだここをつぶすとか、そんな幼稚なこと言ってんのか? 本当に救いようがないな、結局、あのババアが言ってた通りになっちまってさ」

 ラランニャが……って、ダメだ。思わずその言葉を思い出そうと、うわの空になりそうだった。相手の思い通りになってるじゃないか。あいつはぼくをかく乱しようとしてるんだぞ?

 ぼくは話を打ち切ろうと、反論する。

 「お前が知ってるわけないだろ、いつまで近くにいたんだ?」

 「最後までだよ。たしかに、その場にはいなかったけど、過去に戻るときに出くわしたんで、たまたま聞いちまった。結局、あんたはどこにも行きつけなくなったな」

 「そんなことはない。ここにまでやってきたじゃないか」

 「ここから先は、時間の果てだよ。それに、もうあんたが寵愛していた”モンスター”はいない。二人では来れなかったってことだ。で、それがあんたの必然だったってこったな」

 ぼくは初めて答えることができなくなった。

 そして、やり場のない怒りが膨れ上がった。

 「ラランニャの言うことがなんでも正しいってわけじゃない! 彼女なりの考えなんだろうけど、それは真実とは違う。だって、彼女は自分がぼくと似ていると言ったけど、そんなことは絶対にない。ぼくは彼女みたいなまともな人間じゃない」

 「ババアがまとも? んなわけねーよ、あいつは子供の頃に好きだったお前に、異常にこだわってたじゃねーか。まともなら、大人になってからお前みたいな人間失格見たら、さっさと見限るよね。重いし、受け身だし、反社会的だし。俺からしてみりゃ、あんたらよく似てるよ。ババアは適当に外と合わせるだけの知恵があったみたいだけど、本質はあんたと一緒だろ。その証拠に、ババアは昔、ちょっとだけ仲良くなったあんたをまるで自分の主人のように、丁重に扱っていたね、とことん無能なあんたをさ。なんか自分のスイッチをオンにした相手を、本質と虚像の差に気付かずに、あがめたてまつるってやり方は、そっくりじゃないか?」

 「ぼくは違う。ぼくとアウナは互いに理解しあっていたはずだ」

 「それが虚像だという可能性はシャットアウトかよ? 人間じゃない相手を好きになるのに、どれだけの妄想が必要なんだ? あんたが好きなのは、本当に真実のアウナかな?」

 「でも、ぼくはラランニャのように、無理やり相手を自分の好きにしようとは思わなかったぞ。アウナを殺したのだって、彼女の考えを何より大事にしたかったからだ」

 「やっぱりババアの言ってることをわかってないよね。ババアはあんたのキレイっぽいけど、現実では通用しない行動パターンを、危惧してたんだと思うけど? 少なくとも、ババアは自分がトチ狂ってるってことはうすうすわかってたし、だから昔は似た者同士ってことで仲良くなったあんたを、強引にでも今の自分のレベルまで引っ張り上げようとしたんじゃないかな。だから、あんたが昔好きだった人物から変わってしまっても、ババアを好きだという形だけでも残ってりゃOKと腹をくくったんだと思うね。要は、今のあんたみたいに、過去や現在にこだわるのはやめて、未来を見ろってことでしょ」

 「でも、ぼくはラランニャの言うような、ゆるい悲劇になんか浸っちゃいない。ずっと後悔してる」

 「そうかね? おれは慧眼だと思ったけどな、”フニちゃん”さんよ。だって、ババアの言うとおりになったことは事実だろ? だったら、あんたは不幸を楽しんでるんだよ」

 「楽しんじゃいない。それをぼくが喜んで選んだとでも思うのか? 確かに、アウナを殺してしまった……でも、ほかにどうすればよかったんだよ!」

 ”虹のかなた”は取り乱すぼくを、せせら笑った。

 「どうにでもなるじゃねーか。無理にさらってくればよかったんだよ。そうすれば、気の強い”モンスター”だって、新しい状況に適応するだろ。あくまで、あんたが殺したくなかった場合だが」

 「アウナを消そうとする願望がぼくにあったってことか? いいかげんなことを……」

 「あっただろ、ウソつくなよ。あんたは自分が変化することを恐れていたね。で、似たような性向の”モンスター”なんぞと意気投合した。そんな後ろ向きなのがつるんだら、きっと両方共が悪いほうに、不毛な方向に互いにアクセルかけて突進するだけだ。あんたらが、一緒に見てたのは過去だ、未来じゃなくて。んで、より破局へと仕向けたのはあんたじゃないか? しょせんまともな人付き合いなんかしたこともないバカな”モンスター”を自分のゆがんだ思想に取り込んだんだよ。エンカラだって同じさ。あんたは、他人を破滅に追い立てるんだ。で、二人で未来へ進むことを拒否する。でもおれたちは、どうしたって、時間の流れを止めることはできないからね、過去なんかに必要以上にこだわったって、詰むだけじゃね?」

 「アウナはそんなネガティブじゃない。ぼくは陰キャラかもしれないけど……。それに、いま世界の時間を逆走しているだろ」

 「人間関係なんて、互いに影響されるもんだろ。あんたが、”ネガティブじゃないアウナ”とやらを、捻じ曲げたんだよ。で、オレたちが時間を遡行していることがなんになるってんだ? 俺たち自身の時間は一方向に流れてるじゃねーかよ。ただ時間軸の進行方向が違ってるだけだ。この先、過去が改変されて、”あんたのアウナ”がいなくなっても、あんた自身の記憶が消えるわけじゃない」

 「ぼくたちの時間は、元に戻らないのか?」

 「戻りたけりゃできるけどね。ケガを治しているのはその方法を利用しているわけだし。でも、長い時間を後戻りしたとしても、その間の記憶が消えるんだから、同じことをするだけだ。それに、すでに身についた知識や技術を捨てるのはかなりハイリスクだろ。あんたが、ここでそれをやってみな。即死だよ」

 「それもいいな。でもまだやることが残ってるんだ」

 「なんだかんだでしぶといな。なんであんたが死ななかったか自分でわかるか? あんたが生き残ったのは、かたわれの”モンスター”が死んでやったからさ。あんたは”モンスター”の死を踏み台にして、生きる理由を自分の中でねつ造したんだよ。だいたい、あんたは”死んだアウナ”が好きなんじゃないのか? 生きてる相手を本当に好きだったのかねえ?」

 何を言うんだ? こいつは何を好き勝手なことを言ってるんだ?

 まるでぼくがアウナを犠牲にして生き残っているかのように……ぼくがアウナを踏み台にしただと……そんなこと、ありうるはずがない、ぼくはアウナにそんなことをさせた覚えなんかない……けど。

 でも、ぼくはもしかして、自分自身をさえ欺いているのかもしれない。

 以前、自分の経歴を無意識のうちにねつ造していたぼくだ。自分の感情をごまかすことくらい、簡単なんじゃないのか。

 もし、奴の言う通りなら、ぼくは一体何のために……生きてるんだ?

 自分の役に立つ相手を利用して、いい気分で憐憫に浸って……。

 奴の言葉は真実なのかもしれない……ぼくはラランニャに見捨てられるのが怖くて、アウナを捨てた……それがすべての原因なんだ……ぼくは、自分で自分を不幸に追い込んでいる……でもそれこそを、ぼくが望んでいるとしたら?

 ラランニャは言った。ぼくは自分の耐えられる程度のゆるい不幸に浸っているだけだ、と。

 今がそうじゃない根拠がどこにある?

 ぼくは……ぼくは……アウナを……利用したのか。自己満足のためだけに、殺したのか。

 だからぼくは……やすやすとアウナに手をかけることができたということなのか?

 得意げな様子で、”虹のかなた”が断言する。

 「あんたは、羊の皮をかぶった狼だよ。優しげに近づいて……油断した相手を食っちまう、たちの悪い人食いだ」

 人食い……ぼくはその言葉の真の意味で”モンスター”なのか。

 ぼくこそ、生きていてはいけない、邪悪な存在だったのか……。

 

 

 

 その瞬間、ぼくの頭の中に、すさまじい量の情報が爆発した。

 あらゆる感覚が、脳裏から噴出するめくるめく無数の景色、音、記憶というイメージの洪水に飲み込まれ、外部からの情報の大半が遮断された。

 ぼくはきっと、奇怪な声を上げ、破損した機械のごとく異様な動きでのたうちまわっていたに違いない。

 混乱した神経を、思い通りに操ることができない。

 ただ、滝を透かしてわずかに見える光景のように、今の自分を感じ取ることができるだけだ。

 ”虹のかなた”が高らかに声を上げた。

 「時間切れだ! 微小機械が臨界に達したようだな。これであんたもオレたちの仲間、異星人ってわけだ」

 かすかな奴の声を聴きながら、ついに時が来たことに戦慄した。

 異星の知識と自分が異星人だという自覚をもたらす微小機械、以前からぼくが感染していた悪疫が、ついに発病したのだ。

 自分が未知の存在へと、無理やりに変貌させられるという恐怖が、濡れた衣服のようにぼくをからめとる。

 最後に、ぼくは懸命に悲鳴を上げたような気がする。

 

 





 

 

 まんまと時間稼ぎに引っ掛かってしまった……いままでのぼく、アーツェルが消えてゆく……。

 

 










 

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