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 さんざん罵り合った挙句、ぜいぜいと息を荒げたエンカラが命令する。

 「何やってんだよ! とっととあのババア殺せって!」

 完全に自分の意のままに応えるだろうとの確信に満ちた声音に、ぼくの発作的な怒りが爆発した。

 「いやだ! 君の言うことはもう聞く気はない!」

 これまで、少なくとも”虹の門”に来てからは一度たりとも、誰にも投げつけたことのない感情をほとばしらせるままに、エンカラを真っ向から見据えた。

 エンカラは戸惑っているようだった。

 「何言ってんだ? お前、もうオレのこと嫌いになったのかよ? あの愛の日々は」

 「黙れ!」

 からかい半分でまくしたてるエンカラの言葉を、憎しみをこめた一喝でさえぎる。

 怒りで紅潮した顔をゆがませ、エンカラは恨み言を述べる。

 「なんだと……テメー、ぶっ壊れかけてたのを助けてやったのは、俺じゃねーかよ、命の恩人を裏切るのか?」

 しつこいな、こいつは本当にクズ野郎以外の何物でもない。

 「知ったことか! 君なんかが誰に恩を与えてみたところで、たとえ相手が犬だとしたって、感謝されることなんかあり得ないだろうよ! その性根が腐ってる限りはね」

 「偉そうに、何様のつもりだ? オメーが俺より少しでも上等だと思ってんのか? アウナを捨てたくせに、そのせいであいつ食われたんだろ? バカの一つ覚えみたいに自分で繰り返してたくせに、もう忘れちまったのかよ?」

 頭が灼熱した。

 もはや我慢できない。

 ぼくはこれまで決して振るおうとしなかった”死の種子”を、今や自らの意志、いや、一時の激情に流された果てに、他人へと向けようとしていた。

 愚かだ。なんて薄っぺらい行為だろう。

 口先の挑発に乗っかって、暴力を振るうなんて、動物以下だ。動物が殺しあうのは、自分たちが生きるためなのに、ぼくは自分の傷ついた虚栄心のために殺し合いをしようとしている。

 いや、虚栄心を守ろうとするのも、生きるためなのか? うぬぼれがなければ、自分を保つことは困難だ。特に、今のような逆境では。

 だが、理屈はもうどうでもいい。

 窮鼠が猫を噛もうとするごとく、ぼくは武器をもたげた。

 エンカラの目が、大きく開いた。驚愕に顔がこわばっている。だが、それは決して恐怖ではない。まさか己に刃向うとは思ってもみなかったぼくの反乱に、ただ驚いただけだ。

 なぜなら、その次の瞬間には、エンカラの顔を勝ち誇った笑顔が飾ったからだ。

 「後悔するぜ? 今の生意気な態度は」

 むき出した歯の間から押し出すように、エンカラは言う。背中の長剣を抜き放った。

 両手で構え、ぼくに向かって突進する。

 いや、ぼくだけではない。

 事態を静観していたラランニャとその部下にも、同時にエンカラは突っ込んでいった。

 一瞬のうちに、エンカラは十数人に増えていた。

 驚く暇もなく、ぼくはエンカラと渡り合う。

 相手は両手使いの長剣、こちらは隻腕の上に短い剣では不利だ!

 自分の時間軸を世界の時間軸に対して折りたたむ。

 二人のぼくが同時に出現した。

 くそ、人数が足りない。不意を突かれて心の準備ができてなかったからだ。

 それでもなんとか一人のエンカラを相手取り、二人のぼくは数度の攻撃をしのいだ。

 だがやはり、間合いの差はいかんともしがたい。ハッキリ言って、ぼくがエンカラを倒す光景が全く思い浮かばない。

 これが剣の達人だったらいくら剣が短くても、相手のふところに飛び込む、とかやりようはあるんだろうけど、素人のぼくではとても無理な話だ。

 しかし、手がないわけでもない。

 前後で挟み撃ちにすれば、いくら武器の長さで劣っているとはいえ、かすり傷くらいは負わせることができるだろう。そうなったらこっちの勝ちだ。”死の種子”に、わずかでも傷をつけられた生物は、全身を腐敗させて死ぬことになる。

 エンカラが、長い刀身を真横に薙ぎ払った。

 大きく後方へ退いたつもりが、切っ先が触れんばかりの距離に近づいていた。意外にエンカラは剣の使い方に長けている。危ないところだった。

 が、もうひとりのぼくは、剣を振るうことに夢中になっているようすのエンカラの背後へと回り込んでいた。

 エンカラの背中へ傷を負わせる好機だった。素早く接近する。

 勢いよく突き出した切っ先が触れようとした瞬間、強烈な打撃が剣を横から弾き飛ばした。

 ”死の種子”が床に落ちる。予想外の痛撃に手がしびれていた。

 いつのまにか、エンカラが新たに出現していた。

 奴はいったん自分の並列化した時間軸をさらに折りたたんだようだ。

 つまり、十数人に増えていたエンカラは、さらにその倍にまで膨れ上がった。

 こんなことができるのか! ぼくさえ想像もしていなかったやり方だ。確かに、時間軸は紐のようなものと想定すれば、長さが許す限りは幾度でも並列化することができる。

 でも、普通に時間軸を並列化するときにも難しいのが、どれだけの時間分を折り返すのか、という部分だ。短すぎても戦いが終わらないうちに一人に戻ってしまうし、長くしようとしても時間軸を引きずりあげることは困難を極める。

 自由にできるのは、最大、数分程度の時間だけだ。

 だから、エンカラのように並列化を連続で行うのは、相当な計算や度胸が必要だ。わずかな瞬間で完全に勝負を決するという確信があるのだろう。

 そして、今回ばかりはエンカラの手にまんまとはまってしまったようだ。

 こちらの攻撃を命中させようとあせっていたぼくは、不用意に間合いを詰め過ぎてしまっていた。エンカラは満を持して剣を振り上げていた。

 やられる。

 これまでに何度も遭遇したことのある瞬間、死が垣間見える刹那……しかしぼくはこれまでと違って安堵を覚えていたのではないだろうか?

 優美な弧を描く銀色の刃が、白鳥が空に置き忘れた羽であるかのごとく、ゆっくりとぼくへと舞い降りてくる。

 忘却へと導く慈悲の刃が白光を弾き、ぼくの頭上で虹を描いた。

 ぼくが死の到来を祈念した時、エンカラの体が爆散した。

 突然、取り残されたような気分で、ぼくは足元に崩れ落ちたエンカラを見下ろした。

 上半身だけは残っているものの、下半身は原形をとどめないほどに破壊されている。すさまじい光景に、ぼくは吐き気を催した。

 エンカラは自分の身に起きたことが信じられないように、目を見開いていた。薄い唇からうめき声が漏れる。

 「なんなんだ、体が動かない……?」

 周囲に居並んでいたエンカラも次々と倒れてゆく。

 立っているのはぼくと、ラランニャだけだった。

 ラランニャの体が、燐光で瞬いている。

 時間軸を並列化した分身の効力が切れたエンカラは一人に戻った。ラランニャのそばに捨てられたように転がっている。

 「なんでだよ……おれの攻撃が早かったはずだ。どんな技を使ったんだよ……?」

 完全にエンカラを黙殺したラランニャはぼくに声をかける。

 「行きましょう、アーツェル様。このクズは片付けました。罪状は、わたしの部下を殺害したこと。PK罪です」

 ぼくはエンカラから目が離せなかった。

 確かにこいつはクズだ。自分の目的のためにぼくを道具にしようとした。しかし、死に瀕しながら、生きようとあがく姿からは、それが誰であろうと目をそむけることができない。

 ぼんやりと霞がかかったような目つきのエンカラと目があった。

 「なんでおれが……」

 ほどなく、エンカラは物言わぬ存在へと変わっていった。

 しばらくぼくの様子を慎重な態度で観察していたラランニャが、ひそやかに口を開いた。

 「もう行きましょう。この塔を占拠してしまえば、”最終戦争”は終わりです。あとは崩壊したプレーテの塔から”龍脈”を掘り出して封印するだけ。すべて終わったら、一緒に元の世界へ帰りましょう」

 沈痛な思いにふけっていたぼくは、いきなり叩き起こされたような気がした。

 「帰るだって? どこにだい?」

 「地球です。もうここはなくなってしまうんですよ。ですから一緒に帰りましょう」

 子供に教え諭すように、穏やかだが断固たる口調でラランニャは答えた。

 「でもぼくは……」

 断ろうとするぼくを、ラランニャは聞こえていないかのごとくさえぎる。

 「わたしは残務処理がありますから、すぐに帰投は難しいですが、あなたは先に帰ってもいいんですよ。きっといろいろあってお疲れでしょうから」

 ありがちな理由を決めつけてくるラランニャに反発を覚える。

 「違うんだ、ラランニャ、ぼくはここにずっといたい。”虹の門”に留まりたいんだ」

 あらかじめ想定していた誤答を待ち受けていた、とでもいうようにラランニャは苦笑した。

 「ここにいなくても、あなたの欲しいモノは地球でも手に入りますよ。あなたは現実から隠れる場所が欲しかったのでしょう? そのためにゲームに没頭していた。それも、ユーザーがほとんどいないオンラインゲームに。確かにここはなくなります。でも、あなたがかつてプレイしていたゲームはありますよ。ご期待ください」

 全くぼくの意見をラランニャは考えようともしない。ぼくは苛立ちを抑えきれなくなった。

 「欲しいのはゲームじゃない! この世界は現実なんだ!」

 ぼくの必死の抵抗にも動じることなく、ラランニャはむしろ悲しげに表情を曇らせた。

 「物理的に存在する、ということを現実だというなら、ここは確かに現実です。でも、はじめはゲームをしていただけじゃないですか。ここが現実であろうとなかろうと、私たちにとってここはゲームの世界なんです。だいたい、違法ギリギリのVRデバイスを使用しているのですから、もはやわたしたちの持つ感覚では、現実か偽情報かなんか、すでに区別がつかないんです。だからこそのVRゲームなのに、そんなに本気になってしまってどうするのですか? ハッキリ言って、おかしいですよ? ゲームのNPCを好きになって、それが死んだの、挙句の果てにゲームの世界を守るだなんて……そんなこと、第三者が見たら、全く狂っているとしか見えませんよ。それでいいのですか?」

 ラランニャの言うことが、実にまっとうだということはぼくだってわかる。しかし、それを認めてしまうことはぼく自身を否定することだ。

 「他人なんか知ったこっちゃないよ。ゲームと現実の区別がつかないというなら、自分が大事に思えるほうを選べばいいじゃないか。どちらにしても、ぼくには現実も幻想もその区別がつかないんだから」

 「勘違いしないでください。現実というのは自分の好きな世界だとか、感覚が印象的だったとかではなく、自分が生きていかなければならない環境そのもののことを言うのですよ。あなたは現実を、つまり自分の人生を自ら放棄しています。それが緩慢な自死でなくていったい何なのですか?」

 ぼくの反駁もむなしく、ラランニャに何らかの感銘を与えた様子はみじんもうかがうことはできない。

 しょせん、こんなものか。

 たまに必死になってみても、ぼくの脆弱さはどうにも隠しようがないのか。

 なら、説得なんかするものか。

 好きにすればいいんだ、誰もかれもが自分の言いたいことを言って、やりたいことをやればいいんだ。

 「そうかもしれない。ぼくは自殺しようとしているのかもな!……でも、これがぼくなんだ。ぼくは限りなくぼくでしかありえないし、どうしようもなくぼくでしかない。どうにもできないんだよ、どうにも……狂ってる、壊れてるのかもしれない」

 「でも、そのままでは、確実に命を失いますよ。少なくともここからは離れなければ」

 「死ななきゃならないなら、そうなるしかないな。でも、ぼくは自分の好きにするし、その代償が死ならば潔く受け入れるさ。ぼくは狂っている、キミはそう思うんだろう?」

 「あなたはそれでいいかもしれない、でもほかの人は? ここが計画通りに消えないと、困る人がたくさんいるのです。エネルギー問題は深刻なんです。きっとこのままでは今地球に住む人類は近いうちに半減しかねないのです」

 「死ねばいいんだ。どうして他の世界の生き物を殺してまでも、生き残らなければならないんだ? 殺さなければ生きられないなら、いっそ殺さずに死ねばいいじゃないか! 生きたいってのは生物的本能だろ? でも本能を抑え込む理性があってこそ、人類ってのは飛躍的に進化したんじゃないのかい? だったら理性の言うことに全面的に従って何が悪い」

 「詭弁ですね。初めに本能があったからこそ、過酷な環境に対応するために理性が発達したのではないですか。生きようという本能には逆らえません。それを除くと、生物は存在すらできないでしょうに……ですが、わたしはそんな地に足のついていない議論のための議論をしているのではありません。ただ、あなたに生きていてほしいから……」

 不意に、ラランニャは口ごもる。

 弱気を見せるラランニャを、ぼくは突き放した。

 「よしてくれよ。邪魔をしないでほしいな、ぼくをそんなに大事に思ってくれるなら」

 「冷たいのですね。これまで、さんざんあなたのために尽くしてきたのに……」

 「どうして、ぼくにこだわるんだ? キミはさっき、この世界をゲームだと言ったよね。でも、ぼくとキミはゲームの中でしか付き合いがないじゃないか。ゲーム内で仲良くなったって、しょせんそれもゲーム、つまり現実じゃないってことなんじゃないのかい? キミの理屈だとさ」

 ラランニャは困ったようにうつむいた。ためらうように視線を左右に走らせている。

 ぼくは余計なことを言ってしまったかと、後悔した。

 何か声をかけようかと迷っているうちに、ラランニャのほうがつぶやく。

 「違います……。違う、それは、違うよ、”フニちゃん”」

 突然、敬語をやめた以上に、ラランニャの口にした単語はぼくを絶句させた。

 何かを振り捨てたように、ラランニャは顔を上げた。

 大きな両目に涙をいっぱいためている。

 熱のこもった声で、ぼくに訴えかけた。

 「ゲームで初めて知り合ったんじゃない。わたしはもっとずっと前からあなたのことを知ってるんだから……”フニちゃん”、覚えてるよね? わたし、”めりんた”だよ!」

 ……驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ラランニャは……いや、”めりんた”は……ぼくの近所に住んでた女の子のあだ名だった。

 

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