39
驚きの目で、目覚めたぼくは迎えられた。
ラランニャはあわてた様子で、ぼくの腕に手を添えた。
「大丈夫ですか? 無理をしないでください、早く横になって休んで」
心配そうにぼくを見つめるラランニャに、後ろ暗い行為を発見されたときのような焦りの色が隠されていたと感じるのは、ぼくの思い込みだろうか?
ぼくはあまり力の入らない手で、ラランニャをそっとおしのけた。
エンカラが愉快そうにぼくたちの顔を眺め、笑い声をあげた。
「ヤバいときにおきちゃいましたね~、この女子たちの怖さはガチ」
眉間にしわを寄せたラランニャが、エンカラをじろりと睨み付けた。エンカラは視線を空中へそらし、口をつぐむ。
ぼくはかすれた声をどうにか口から放り出すことに成功した。
「アウナ……」
おびえたように立ちすくんでいたアウナの細い姿が震えた。ぼくを見る双眸に、光がともる。淡い桃色の唇が抑えきれないように笑みの形にたわんだ。
「アーツェル。おぬし、起き上がっても平気なのか? 無理をせず、ゆっくり養生するがよかろう」
必死の努力で言葉を紡ぐ。どうにも体に力が入らなくて、何か言うのも大変だ。
「どこにもいかないでくれ。アウナ」
アウナの表情が、花咲くように明るくなる。感極まったうるんだ声をあげた。
「おぬし……それはまことか? わしはおぬしのそばにいてもよいと?」
「当たり前じゃないか。君がいなくなったら、ぼくは……」
ふとアウナの顔に影が差した。唇を噛み、恐るおそる告げる。
「しかし、わしは……”半神”じゃぞ。おぬしは知らなんだろうが、わしは……わしはおぬしを……殺した……かもしれぬのじゃ」
おびえたようすで、アウナは上目づかいにぼくを見上げた。
さっきの会話は、幻聴じゃなかったのか。
君がぼくを殺したなんて、信じない。それは不可抗力じゃないのか? 知らなかったんなら、ぼくは許すよ。
息が苦しくなってきた。もう、体力の限界なのか? ハッキリと言葉を発することが困難だ。
上目づかいにこちらをうかがうアウナの様子に、胸が痛んだ。
一刻も早くアウナを安心させてやらないと。
苦労して息を吸い込み、話そうとした時、激しい声音がぼくの動きを止めた。
「アーツェル様! そろそろ戯言はやめにしてください!」
誰の声か、わからなかった。
仰天して振り向くと、声の主はラランニャだった。
いつも乾いた細い声が理知的なイメージに合致していたラランニャだったが、いまの叫びは、普段と打って変わって熱を持った愁いを帯び、生々しくからみついてくるかのようだった。
ひりつくのどを酷使し、ぼくは言った。
「なんのことだい?」
ラランニャの凶獰な視線が、ぼくを射すくめた。自然、ぼくの表情もまるで敵を見るように固くなる。その変化を察したのか、ラランニャの双眸が燃やす狂おしい光も、いっそう激しさを増したように思えた。
「わからないのですね? 無理もありません。いろいろなことがありすぎましたし、あなたはすぐに自分で悩みを背負い込みがちですもの。すこし判断力が衰えたって仕方のないことですよね」
早口でまくしたてるラランニャに、ぼくは圧倒された。
いつも謙虚で控えめだが、ゲームのサポートでは積極的でマジメ、細部まで目配りを怠らず、冷静に選択された適切な処置をしてくれる……そんな印象は皆無だった。今のラランニャは、むしろ現実に戻りたいと懇願していたカナのようだ。取り乱した感情をむき出しにして迫ってくる。
「でも、よく考え直してみてください! わたしたちはここへ何をしに来たのでしょうか? ゲームですよ? 遊びに来たんです。わたしたちにとって、この世界は遊び場なんですよ! それなのに守るだの、”モンスター”と一緒に生活するだのと、おかしいです! 普通じゃないですよ! でも仕方がない、わたしには理解できますよ、アーツェル様! だって、急にゲームだと思ってたのが、実は本当の現実だと知らされたら、誰だって動揺しますよね、当たり前です、わたしだってそうです。でも落ち着いてみれば、あなたの考えはきっと間違っていたとわかるはず。ゲームの世界を本物の地球と天秤にかけること自体があり得ないじゃないですか! だから、アーツェル様! あなたは考え直さなくてはいけません!」
二の腕に鈍い痛みが走る。ラランニャの爪が食い込んでいた。
ラランニャの発散する異様な雰囲気にあてられ、ぼくは次第に不安に取りつかれる。
ぼくが間違っているのか? ラランニャがこれほど真剣に訴えるということは、ぼくは自分の気付かない決定的な誤謬を犯しているのだろうか?
と、そこへ鋭い声が割り込んだ。アウナだった。
「待て、”虹の門”だとておぬしらの言う現実と変わらぬのじゃぞ! ただ感覚の身を頼りに、おぬしらにここと地球を明確に区別することができるというのか? 自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたものが現実か否かわからぬというならば、それも現実としてもよいではないか! なぜこの世界が、元住んでいた場所と異なるからといって、切り捨てなければならんのか、わしにはわからん!」
怒りもあらわに、ラランニャがアウナに言い返す。
「それはあなたがここの出身だからでしょう? 私たちの故郷はあくまで地球なのです。どちらかを選べと言われれば、当然地球を選択するのが当然なのですよ!」
ぼくは声を振り絞る。とはいえ、のどを鳴らす呼吸音に混じった雑音のようでしかない。
「どちらも、ぼくは選びたい。それがかなわないなら、とは考えたくない。今の状況でしか判断していないから、極論になってしまうんだ、きっと。でも、もう少しぼくたちが努力するなりすれば、共存は決して不可能じゃないと思う」
ラランニャがしかりつけるようにぼくに問う。
「机上の空論と現実は違うんです! なら、アーツェル様は地球よりこちらをとると断言できるとでもおっしゃるのですか?」
ぼくは必死に反論する。
「それが極論だと言ってるんだよ。それをしたくないから、状況そのものを変えるべきなんだ。でも……もしどちらかをとれと言われれば、ぼくは……」
どうするんだ? ここで断言できればどれほどこの感情が煮えたぎったような場所をすっきりさせることができるだろう?
しかしながら、それが、どちらかを捨てるということが、ぼくにはどうしてもできない。ぼくはよくばりなのだろうか? 自分勝手なのだろうか? 自らがかかわるすべてに平安を望むのは許されないことか?
息をのんでラランニャとアウナがぼくを見つめている。
ぼくは力なくうなだれた。
その時、嘲笑が耳に飛び込んできた。
「てか、結局、こーなっちゃうのかよ! それじゃ、やっぱりどっちも満足させられねーわな」
エンカラだった。何の責任も感じてなさそうな、軽快な口調ではやし立てる。
ぼくばかりか、ラランニャとアウナがエンカラのほうを見る。
エンカラは広い肩をすくめ、すくみ上った。
「や、でも、俺は好きっすよ、そーゆー軍団長……」
ながながとラランニャがため息をついた。顔色は血の気を失い、目の下にはくまができていた。影に覆われたような目の周りの黒い縁取りの中心で、瞳だけが禍々しくぎらついている。
「仕方がありませんね……アーツェル様、あなたが見逃している現実を、教えてあげましょう」
言いながら、ラランニャは手のひらで額をなでる。左右に引き締まり、紫色に褪色した唇を細く開いた。
「あなたが、ここを生き延びるにはいったい、だれが必要なのか……わかりますよね? それは”モンスター”ではありませんよ。このわたしです。わたしがいなければ、あなたは、アーツェル様は一体どうやってそのけがを治すというのです? どうやって地球に帰るというのですか? みんなわたし頼みじゃないですか! わたしがいなければ生きることもままならないというのに、わたしよりその”モンスター”を取るというのですか!」
悲痛な叫びが、ぼくの心を引き裂いた。
嫌悪感がラランニャの手からしみ出し、ぼくの体内を毒のように侵食しているようだった。
……だが、確かにラランニャの言うことは正しいんだ。
ぼくは彼女がいなければ地球に生還するどころか、今生き延びることもできない。
いや、それは前からそうだった。
ぼくは軍団長とは名ばかりで、せいぜいプレイ中に軍団の前で剣を振ったり、スタンドプレーで敵将を先行して倒したりする程度のことしかしていない。実質的に軍団を運営していたのはすべて、ラランニャの手腕だ。
いままで、ぼくはラランニャに生かされてきたも同然なんだ。
そんなぼくが、ラランニャに見捨てられたらどうなる?
それは、考えるだに恐ろしいことだった。
なおもラランニャはぼくを追いつめる。痛烈な言葉が、叩きつけてきた。
「あなたには、わたししかいないんです、アーツェル様。そうでしょう? でもわたしは何を考えているかわからない”モンスター”に振り回されるのはうんざりです。それに、異世界に執着する第一の原因はこの”モンスター”でしょ? アウナと決別することが、あなたが正常な判断力を取り戻した、という証明にもなります。だから、今すぐ、その”モンスター”に別れを告げてください! さあ、早く!」
アウナが抗議の声を上げた。
「けが人相手にそのような無理を強いるでない! もっと考える時間を与えるがよい! さもなくば、傷が治ってからにするがよかろうが! おぬしの物言いは、人の命を盾にして自分の言い分を通そうとしておるだけじゃ、卑怯ぞ!」
飛び交う声に翻弄されつつ、ぼくはただ押し黙っていた。
いや……違う……。
ぼくは、恐怖によって固まっていたんだ。
なぜなら、ぼくは、一人困惑したふりをしながら、無意識のうちに計算していた。もしここで本当にラランニャに放り出されてしまったら、ぼくは本当に死んでしまうんだな……って。
たちどころに、鎧の中で腐り果てて行ったヴェルメーリや、自らの剣に貫かれて死んでいったノトゥの姿が目に浮かんだ。
いやだ! まだ死にたくない、だってぼくは、まだ高校生だよ? これからまだまだ長い人生があるはずなのに、こんなところで一人さびしく消えてしまいたくない!
でも、それが嫌なら……アウナと別れなければならないんだ。それができるのか?
逡巡するぼくに、ラランニャが言う。
「ああ、わたしの言い方がきっとまずかったのですね、アーツェル様。申し訳ありません。でも、きっとあなたもどうしようもなくて悩んでいるんでしょう? あまりにも優しすぎるあなたのことだから……だから、誰も見捨てることができない。わかりますよ、わたしはあなたのことを、”モンスター”よりもずっと前から知ってますもの。だからこそ、悩んでいる……でも、その迷いは、どちらかを決めかねて、ためらっているのではないのですよね。もう、心半ばは決着している、でも、その意思を告げることができないだけなはずです!」
高らかに宣言するラランニャは、まるで自分の勝利を確信しているようだった。ついさっきまでは蒼白だった顔は、興奮によって紅潮し、喜色に輝いている。
「でもね、アーツェル様。人には何かを犠牲にして、前に進まなければならない時が必ずあるんです。そして今がそのときなんですよ! だから、ハッキリおっしゃってください。わたしか、”モンスター”、いいえ、アウナのどちらを取るかを」
ぼくはからみつくようなラランニャの声をはねのけるように頭を振った。だが、優しげな声音がさらにまとわりついてくる。
「いいんですよ、悩んでも。当たり前じゃないですか、あなたはただ優しすぎるだけ。それは何一つ悪くない。悪いのは、それに付け込んであなたを利用しようとするモノたちですよ。そう、アウナはあなたを利用しているだけです。覚えていますか? 初めてあのモノにあった時、あなたは殺されそうになった。なのに、あなたが助けてやると見るや、犬猫のようにくっついてきて、自分の安全を確保したのですよ。どうです? 心当たりがあるでしょう?」
そうなのか? いや、そうでないと信じたい、アウナがぼくを利用していたなんて……。
でも、言われてみればそうかもしれない。アウナは”モンスター”だ。だから、表向き人間の反応に酷似していようと、本当に何を考えているかは、わからないのかもしれない……。
どうなんだ? なあ、アウナ、君は何を考えている?
お願いだから、何かぼくに言ってくれ!
しかし、アウナは驚きと怒り、そして悲嘆に可憐な顔をくもらせたまま、口をつぐんでいる。
何かをじっと待っているように、ぼくを見つめている。
ああ、でも、アウナ!
ぼくを買いかぶらないでくれ、ぼくは弱い、ただただ弱いだけだ! ぼくの言葉を待たないでくれ、必要ならぼくを力づくでもぎ取ってくれ!
君と一緒に破滅するなら、構わない。でも、君かラランニャを、どちらかを選択することが、自分の意志を貫き通すことだけがぼくにはどうしてもできない!
頼 む か ら、 ぼ く を 思 い や ら な い で ほ し い ん だ !
……しかし、アウナは結局、自己弁護も、ぼくの気を引くようなことも、何も言わなかった。
呪詛のように続くラランニャの言葉だけが延々と続いた。
「それに、もしあなたがアウナに、”モンスター”に情けをかけてやりたいなら、けがが治ってからでもできるでしょう? 再び無敵の勇者へ返り咲き、異郷の生き物を戦利品として獲得する……それは誰も文句は言いませんよ。いろいろ問題はあったけれど、結局はあなたの活躍によって、”虹の門”は平定され、地球のためにエネルギーへと変換され……そして、あなたは私たちの世界を救った英雄として凱旋する。ね、そうしましょう。ほんの一時、別れるだけでも私は構いません。でも、今だけは……あなたが瀕死の重傷を負っているデリケートな現在だけは、寸分の危険さえも遠ざけるべきです。アウナ、すなわち”モンスター”でさえも。そう、今だけ、けがが治るほんの少しの時間だけですよ。そのあとなら、あなたの好きにしてもいいのですから」
ぼくは、むしろアウナの無言にいらだちすら感じながら、抵抗を放棄した。
そうすると、あれほど体に巣食っていた重苦しいよどみが押し流され、清流に入れ替わったような爽快な気分に満ちてきた。
そうだ……これで、もう終わりにしよう。
「わかったよ……ぼくは、キミと一緒にいよう、ラランニャ」
その時、アウナは丸く目を見開いてぼくを見た。
割れた氷のかけらのように光った目には、言いようのない苦悶が映っているようだった。
一瞬、ほんの一瞬だけ見せたアウナの悲しみが、ぼくの胸に抜けないトゲのように突き刺さった。
不意に、アウナはくしゃみのような音を立てて顔だけをがっくり伏せた。
手のひらで顔を覆っている。
肩が震えていた。
ぼくは恐怖すら感じながら、アウナのただならぬ姿を見守った。
が、アウナの反応は全くの予想外だった。
アウナは顔を上げた。唇の両端がつりあがっている。不遜な笑みを浮かべていた。
子供のようにきらきらと輝く双眸が、じっとぼくを見る。
「どうやら、少しは悩んだようじゃな……それでわしは十分じゃ」
天を仰いで、爽快な笑い声を放った。
身をよじり、けたたましく笑い続ける。
自分の思い通りにぼくを誘導した喜びからか、会心の笑みを浮かべていたラランニャの顔が不快げにこわばった。
ようやく笑い終えたアウナは指先で目元を軽く拭う。
「やれやれ、つまらぬ茶番劇を特等席で楽しませてもらったわ。もとより、わしは少しでも道中が楽になればと思っておぬしらと行動を共にしておっただけよ。わしはこの世界で生きるモノゆえ、たとえ力を無くしたとしてもおぬしらの世界なぞ行くつもりなどなかったわ。まあ、護衛ご苦労様じゃったな。役目を免じてやるゆえ、好きにするがよいわ、お人よしども」
踵を返し、歩み去ってゆく。
呆然と見つめるぼくたちに、振り返り、小さく手を振った。
「……元気でな、アーツェル」
声にこそ出さなかったが、わずかに動いた口の動きで、アウナが何を言ったかぼくには理解できた。
黙ってうしろ姿を見送るぼくに、ラランニャがささやく。
「英断です。アーツェル様。さあ、傷を治して早く故郷へ帰りましょう」
ぼくは何も答えなかった。ただ、最後まで見逃すまいとアウナの背中をにらみ付けていた。
アウナは荒野の向こうへ消えてしまった。




