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つまり、アウナには中の人はいない、そういうことか。
じゃあ、ぼくがアウナの命を懸けて自分の仲間と戦ったりしたことも、結局、誤りではなかったんだな。結果論だけど……。
ゲームのキャラクターかと思ってたら、この世界はゲームじゃなくて、原住生物かとみなしていたら、それも違った。ぼくたちと同じ、ロボットだったとは……しかし、自分の意志を持った、いや、自分の意志しかない、ロボットだ。
ぼくが満足感に浸っていたのも、わずかな時間だった。
アウナはたった一人でこの世界に生きていると言う。それは、実はとてもさみしいことではないだろうか。
仲間はいるが、家族のように濃密な仲ではなく、いざとなればすぐに見捨てるような浅い交友でしかない。それに、過去が存在しないなら、未来に対して、こうしよう、ああしようなどという目的を持てるだろうか?
だって、たいていの人は、何も考えずにその場しのぎの本能だけで生きているわけではない。そして、なにがしかの思考をするにあたっては、過去の経験に基づいて、物事を判断したり部分は非常に大きいはずだ。食べ物の好みひとつにしても、過去に食べたことがあるかどうかで決まると言っても過言ではないし、そもそも自分とはいったいどういうことを好んで、何を避け、どう暮らしていくのか、といった基本的な行動原理そのものが経験によって培われていくのではないか?
それが全く存在しないとなると、何か一つするのにも、葛藤が生じるのではないのだろうか? それは自分がやりたいことなのか、それとも違うのか? だとか。
いや、逆に楽しいのかもしれない。好き嫌いがないのなら、機械のように無感情にこなすだけだしね。それに、”半神”たちになにかやらねばならない義務などがあるのかも疑問だな。もっとも、この世界に生きている生物だということだから、衣食住を調達する必要はあるだろうけど、そんなの”半神”の持つ強大な魔法力を使えば、ごく簡単なはず。
でももしそうだったなら、逆にここ最近の展開は、アウナにとって非常な負担になっただろう。
いまや小楽園からひきずりだされ、仲間にも見捨てられているんだから。
突然、嬉しそうなアウナの顔がぼくのほうへ向いた。
「わしもおぬしの世界に一緒に行ってもよいか?」
ぼくは困惑した。そんなことができるのだろうか。だが、ヴェルメーリの話だと、輸送コストの問題だということだった。やろうと思えばできないことではない。
「いいけど、お金がすごくかかるかもしれない」
「そうか、お金がかかるというか。しかし、この世界では通貨など流通しておらぬ。基本的に物々交換程度レベルの経済しかないゆえ、一工夫必要じゃな。ここの資源で何かできるかもしれん」
「結構、いろいろ知ってるんだなあ。学校行かなくてもいいかも」
「学校とな。なんじゃそれは。興味が沸いたぞ」
「集団で勉強をするところさ。半日くらい、だいたい同じ年の子供が集まって、先生の話を聞く」
「そうか、わしは集団でなにかをしたことがあんまりない。せいぜい、仲間同士で集まって、会議をするくらいだな。それだけでもずいぶん言い争いになったりしたのに、ずいぶんと過酷なことじゃ」
「でも、気が合う友達ができれば楽しいよ」
そうさ、一緒に離したりできる友達がいれば……早く帰りたいなあ、なんだかぐったり疲れた。ホームシックってやつか。
「そうか。友達は何人くらいできるものなのじゃ?」
「人それぞれだね。ぼくはあんまり多いほうじゃないけど、四人くらいは仲良いのがいる」
「四人! それは大人数じゃの。それだけ多いと、なかなかまとまる話もまとまるまい」
「無理にまとめなくてもいいんだけどね。それに、学校の一クラスはもっと多いよ」
「そうなのか! それは大変なことになりそうじゃ。すぐに物別れになりそうじゃな」
「キミたちって、実はみんなものすごくわがままなんじゃないかな」
「かもしれん。しかし、それゆえに、学校とやらに行ってみたいものじゃ。おぬしと一緒に、勉強なるものにいそしむのも、なかなか乙なものかもしれん」
うっ。
そ、それは、アウナにぼくの正体をさらさねばならないということではないですか。
無理だよな、絶対……。ぼくだってアウナに中の人がいるかもって想像しただけでかなり動揺してしまったわけだし、アウナはぼくの本当の姿を受け入れてくれるのだろうか?
いやいや、絶対ありえないでしょ。
「どうなんだろう。学力とか年齢とかを考慮すると、同じクラスにはならないとは思うけど……どうなんだろう」
ぼくは困惑のあまり冷や汗をかいていた。
アウナは不服そうに言う。
「一緒にいてはくれんのか? わしはおぬしの世界は全く知らんのじゃ! 誰か案内してくれるものが必要なのじゃ!」
「そうか、そうだよね。わかるんだけど、ぼくはちょっと……」
ぼくの顔色を見て、アウナは何かを察したようだった。
「ほう。なにか思うに任せぬ事情でもあるのか?」
「いや、そういうわけでは……ううん、確かに、ちょっと事情はある」
「ふん。元の世界にはすでに”配偶者”がおるのじゃろう。社会的な契約によって運命共同体になることを認めた、つまり公的な”婚姻関係”を結んだ相手がの。そしてわしは、おぬしの”現地妻”と言うわけじゃ。だから”地元”には連れて行きたくない。”単身赴任”の”サラリーマン”にはよくあることじゃ」
おかしな方向に豊富なアウナのボキャブラリに、ぼくは呆れた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそんなこと知ってるのさ」
「知らいでか。わしとて多少の情報収集は行っておる。おぬしらの仲間から、話を聞いたことはなんどもあるのじゃ。そのうちの一例をあげたまでよ」
「いったい誰だよ、どろどろだな……ところで、意味わかってるのかい?」
「おおむね理解はできるぞ。わしの知識はこれでけっこう広範囲なのじゃ。見直したか?」
「さすがだね。でもぼくが困っているのは、そんなある意味、人としてまっとうな理由じゃなくて」
ぼくはしどろもどろになる。
どう説明すればいいのか、正直、見当もつかない。
だが、嘘を言うわけには、もっといかない。
「わかっておるよ。別の世界では姿かたちが違うと言うのであろ?」
にっこりとアウナは天使のように微笑む。
確信をあっさりと指摘され、緊張していた全身に張り巡らされていた針金のようなこわばりが抜けたような気がした。同時に、弱みを握られて、すっかり抵抗できないような気分にもなった。
安堵と卑屈によって気の抜けた笑い声が、唇から洩れた。
「そういうこと。ぼくは、元の世界ではこの姿じゃないんだ。正直、かなり違うあたり、恥ずかしいというかなんというか……」
声高くアウナは爽快に笑った。
「何を臆する必要がある? おぬしはおぬしではないか、たとえ姿かたちが変わろうともな。わしはおぬしの心意気が好きなのであって、見た目はさほど気にはせぬぞ」
ぼくは思わず、まじまじとアウナの顔を見た。
それは、表情を装っているだとか、嘘をついているだとかを疑ったからだ。
しかし、アウナは全く素直な顔つきで、楽しげに微笑んでいる。
姿が変わってもぼくはぼく……そう言ってくれるのか。
まるで蜜のような甘い液体が心臓に注射されたようだ。胸から全身に、歓喜とも戦慄ともつかない異様な昂ぶりが広がってゆく。初めての奇妙な感覚だった。
ふとぼくは、二人で机を並べているアウナとぼくを想像し、吹き出してしまった。
不思議そうにアウナはぼくに尋ねる。
「何がおかしい? わしの言ったことが、何か妙だったかの?」
「ごめん。そうじゃなくて、君と一緒に学校に行ったらおかしいだろうな、って思ったんだ。だって、同じクラスに高校生と子供が一緒にいるのはどうも変だよ」
「そんなにおかしなものなのか。どうやらおぬしの世界には、こちらでは想像もつかぬ、独特の社会システムが存在するようじゃの。ますます興味が沸いたわ。きっと一緒に連れて行ってくれ」
「わかったよ。いろんなところを案内する」
「頼むぞ」
いつしか日はいっそう傾き、雲海に飲み込まれつつあった。
横から差し込む金色の光線が、広がる分厚い雲の敷物を輝かせる。波頭のような隆起の間に影が伸び、夕焼けと空の青を吸収して複雑な形を描く。金と朱が燃え、紺と紫が徐々に面積を増してゆく。
上空は深く色づき、濃紺はやがて黒へと変貌していった。つややかに輝いているかのごとく、ジグザグに曲がりくねった光の軌道と、まばらだがそれぞれに淡く色づいた星が燦然と輝きを増す。
この世ならぬ色彩の競演に、ぼくはすっかり魅了されていた。
「きれいだね……」
ため息とともにつぶやく。
沈黙していたアウナもささやいた。
「そうよ。ここのこの時刻は、この世で最も美しい。これを見てもらいたかったのじゃ」
「ありがとう。最高だよ、この景色、一生の思い出だ」
ふわりと腕に重みを感じる。
アウナの体が、ぼくに寄りかかっていた。温かいアウナの感触が、ぼくの腕にじんわりとしみこんでくる。
ぼくたちは、じっと寄り添いながら、儚く移ろいゆく景色に見入った。
やがて雲海は燃え尽き、鮮やかな紅から吸い込まれるような群青へと沈んでゆく。
それに代わって、天頂の星々は光を増し、震えるように瞬いていた。
「そういえばあの一番明るい星さ」
ぼくはひときわ明るい白い光を放つ星を指さした。
「何て名前なんだい?」
アウナは少し考えたのち、答える。
「ふむ……あれこそ、皆が取り合いになって、結局誰のものにもならなんだ星よ。その名も、”トラヴィデブレーツォ(見えない物)”と言う。自分のものにならぬことよりも、他人のものになることが許せなんだのだな」
鼻でアウナは笑う。きっとそのやりとりを目の当たりにしたこともあるのだろう。
ぼくは、多少取り乱した声でアウナに語りかけた。
「じゃあさ、あの星には君の名をつければいい」
「というと?」
穏やかにアウナは相槌を打った。
さらに、ぼくは動揺のあまり舌を噛みそうになりつつも、話を続ける。
「ぼくはあの星を、君の名前で呼ぶつもりさ……だって、さっき、せっかく素晴らしい光景を君は見せてくれたのに、ぼくにはなにもお返しできるものがない。だからせめて、君に星をプレゼントしようと思って」
「なんと! すばらしいぞ! そんなこと考えもせなんだわ、このわしの名が、星に与えられようとは!」
アウナは感激したように、声を震わせた。
「おぬしは、実に独特な、そして抜きんでた発想をするのじゃな! ますます……いや、まあそれはともかく、気に入った! ぜひともあの星を名づけようではないか!」
喜んでくれてよかった!
羞恥心に打ち勝った以上の結果が得られてぼくは満足だ。冷静に対処されたり、拒否されたりしたらどれほどのいたたまれなさにさいなまれたことだろう、勇気を出してよかった……。
「じゃあ、アウナの星ということで……」
「いや、そうではあるまいよ」
アウナは得意げに言った。
「どうして? 嫌なのかい?」
「そんなことあるわけがなかろう。しかしわしもおぬしといたこの瞬間を記念したいのじゃ。そして、未来永劫、その思いを残しておきたい。ゆえに、あの星の名は、”アーツェルとアウナ”にしよう。異論はないな?」
「え! でも、いいのかな、ぼくの名前が入っても……」
「構うまい。あの星は、星を仰ぐすべての者の所有物でもあるのじゃよ。それゆえ、わしらの名を冠してもわしらがそう望むのだから、何ら問題はあるまい」
「そっか。じゃあ、そうしよう。あの星はぼくたちの星だ」
「ああ。やっとわしにも何やら、自分の中にしっかりとした芯と言うか、柱のようなものができたような気がするのう」
寄りかかるアウナの体に、ぼくはそっと腕を回す。抵抗するどころか、アウナの体柔らかさを増して、ぼくにぴったりと添った。
かすれた声で、アウナはささやく。
「うれしいぞ、アーツェル……ずっと一緒にいてくれ」
苦しくならないように気を遣いながら力を込め、ぼくはアウナをしっかりと抱き寄せた。




