26
深い紺色の広大な天蓋が、世界を覆っていた。
プラチナ色の太陽は、一切の夾雑物に歪曲されることのないまっすぐな光をあらゆる場所へとくまなく投げかける。
眼下には、ほつれた金糸、銀糸に縁どられた雲のじゅうたんが敷きつめられていた。
ぼくは初めて見る光景にすっかり心を奪われていた。
へばりついた氷、がぼくの頭からはがれおちる。
アウナの小さな手が、ぼくの体をはたいていた。そばに立って、霜を払い落としてくれていた。
我に返って、ぼくも手足の氷をぬぐう。
「どうしてここだけ、こんなに静かなんだい?」
「しっぽがなくとも、多少の魔法は使えるのじゃ。”受信器”のないおぬしがそこそこ魔法を使うことができるようにの」
静かな声で、アウナは答えた。
ぼくは四角い天井の端に腰を下ろそうとする。
「待て、そこはわしの力が届いてはおらぬ。わしのそばにいるがよい」
アウナはその場に座る。立てた両膝をそろえ、両手で抱えるようにして背中を丸めた。
ぼくもそっと横に座った。アウナを真似ているわけではないけど、体育座りだ。
しばらく、鮮烈な光景に見入る。
太陽は斜めにかしぎ、そろそろ夕刻のようだ。白い雲海もすこしづつ、朱色に染まりつつある。
頭上を仰ぐと、濃さを増す紺色の空に、砂粒のような瞬きがまばらに浮かんでいた。星だった。地球の夜空より、圧倒的に少ない。その背後に、凍りついたあげく、溶解した巨大な稲妻のような光の帯が横たわっていた。
ぼくは光の帯を指さした。
「あれ……この高さだとあんなのが見えるのかい?」
「ふむ、あれは先日の異変以来じゃな」
アウナは答える。
ぼくは何となく気まずくなって、口を閉ざした。ぼくが”虹の門”を破滅に導く片棒を担いでいたことは消えない事実だからだ。
淡々とアウナは話を続ける。
「あの星とあの星、その下の星三つで、おおまかな台形ができるじゃろう。それにあの並んでいる二つの星を加えて、”クロノ・デ・レージョイ”座よ。最大かつ、唯一の星座じゃ」
「クロノって、どういう意味?」
「”諸王の冠”と言う意味じゃ。わしらは皆、互いを尊重して、はっきりした王を決めなんだ。その代り、空の星を王冠に見立てたわけじゃな。わしら全員の頭上に輝くがゆえに……」
物思いにふけっているように真面目な顔つきで、アウナは空を見上げる。
彼女は、かつての仲間たちを偲んでいるのだろうか。
その仲間、プレーテをぼくは手に欠けた。そして、そのほかの”半神”たちも、ぼくは何人かを倒している。言い訳をするつもりはない。確かにぼくは、アウナが今懐かしんでいるであろう人たちの何人かを、殺してきた。
そんなぼくが、アウナのそばにいてもいいのだろうか。
たまらないくらいに気分が沈んできた。
「そろそろ、下に戻るよ。邪魔して悪かったね」
立ち上がろうとするぼくの服を、アウナが掴んだ。
「行くな。もう少し星の話をしてやろう」
アウナは表情に乏しい顔つきで、ぼそぼそとつぶやいた。
ぼくは無言で腰を下ろす。
激しい葛藤がぼくのなかで繰り広げられていた。
ここでアウナの行為に乗っかってしまっていいのだろうか。それともアウナは何らかの意図があってぼくをここにおびき出したのかもしれない。でも……。
そうだ、でも、もういいじゃないか。
今この瞬間だけは、この場所でだけは、ぼくは自分したいことに素直になってもいいのではなかろうか。
はじめぼくはここを天国のようだと思った。
そうさ、ここは天国なんだ。
現実の世界じゃない。だから、ぼくは固く考えなくてもいいんだ。
そして、ぼくがいましたいこと……それはアウナとのんびりこの素晴らしい景色を眺めることだ、世間話でもしながら。
いいよね、そう、誰も悪くない。ぼくだって、間違っちゃいない。
ぼくは自分をなだめつつ、再び腰を下ろした。
ほんの少し、アウナは考えるように黙っていたかと思うと、控えめに咳払いをした。
「……星には、それぞれに名前がついておってな。”半神”の名前をつけておるのじゃ」
「へえ、すごいね。アウナの星はどれ?」
「ないのじゃ。わしらの数に比べて、星は少なくての、いがみ合いが起こったものよ。誰がどの星を取るかでも、争いになった。結局、くじ引きで決めたのじゃ。わしは運がなく選考に漏れてしまったのよ」
悔しそうに言うアウナに、ぼくは親しみを覚える。
「それは、残念だったね」
アウナは、苦笑する。
「……だが、今はもう、争いも起こるまい。わしらの数は、少なくなってしもうたからのう」
突然、アウナは激しくかぶりを振った。
「いや、こんな話をしたいのではない。わしは……そうだ、そなたたちはあの星を何と呼んでおる? 教えてくれぬか」
「ぼくは……ぼくたちは、星に名前を付けたりしてないよ」
「ふむ? 不思議じゃの。夜間に、どこかへ行く際の目印としては利用せぬのか。まあ、おぬしらのような、奇妙ではあるが、おそろしく強力な科学力を全員が享受しておる一族は、わざわざ星など見る必要などないのかもしれんの」
納得顔のアウナに、ぼくは自分の正体を何と説明しようか悩んだ。けど、正直に言うことにする。
「そうじゃないんだ。ぼくたちは、別の世界からここに来たんだ。だから、もとにいた世界の星の名前しか知らないんだ」
アウナの顔に驚きが広がってゆく。
丸く見開いた灰色の目が、まっすぐ僕の顔を見上げた。桃色の唇がわずかに開いている。
こうして黙っているアウナを見ると、どうしても子供にしか見えない。
ぼくは説明を続けた。
「だから、こっちの世界にはちょくちょくいるだけで、しばらくしたら帰るんだよ。元の世界に」
「そうなのか? どこからきておるのじゃ?」
不思議そうにアウナは疑問を口にする。
「結構似ているけど、別の宇宙だよ。この世界の他にも似たところがあって……」
ぼくは今まで自分が知りえたことをアウナにすべて話した。
アウナは真面目に聞いていたが、確信を持った様子で答えた。
「さもありなん。わかるぞ、おぬしらはあまりに唐突に表れたゆえな。それに、この世界にいる者は多かれ少なかれ、そういった不自然なものが多いのじゃ。わしら、”半神”とて、同じよ」
「同じ……つまり、ぼくたちと同じ別の世界から来たってことかな」
アウナはぼくから目をそらした。沈黙に包まれたまま、じっと前方を見据えている。
ぼくも口を閉ざしていた。
だが、少なからず衝撃を受けていたのは、間違いない。
アウナも、実はぼくたちと同じ、別世界からの来訪者だったなんて!
とするとアウナにも中の人がいるのだろうか。そして、その人は今のアウナとは似ても似つかない人物だったりするのだろうか。
……まあ、間違いなくそうだろうな。
当たり前、当たり前のことだよ。ぼくだってそうだし、誰だってそうだ。
今、ぼくたちは操作しているキャラクターに愛着を持ってる。
なら、それが真実だとしてもいいじゃないか。少なくとも、自分がこうありたいという理想は、嘘ではないのだから。
だから、アウナは、アウナなんだ。それ以外の何者でもない。
じっと黙っていたアウナは言った。
「そうじゃ……多分な。だが、わしにはわからんのじゃ」
アウナの声は苦しげだった。
「わしらは……確かにおぬしの言うように別の世界のものが作ったらしいのじゃ。わしにも実はその認識はある。わしは何者かに作られ、そしてその制作者がわしを操作しておったのだと。いや、わしが操作していたのかもしれん。しかし……わしにはなぜか、元の世界の記憶がない」
アウナは重苦しい声でつぶやく。
「わしは、ある日突然、アウナとしてこの世界に生きていたことを知ったのじゃ。ふと気づけばわしは、この世界にたった一人で放り出されておったのよ」




