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 しまった!

 うなじの周辺が水にぬれたように冷たくなる。

 ぼくは朝、夢の中から叩きだされたかのような気分だった。

 それまで分厚くからめ捕られていた自分の感情が吹き払われ、不意に、ぴったり外界と触れ合った。

 すがるように僕を見上げていたアウナの顔が、まるでいきなりなぐられたような驚愕と悲憤の色に染まっていた。

 後悔がぼくの胸を深く貫く。

 どうしてそんな心無いことを言ってしまうんだ、ぼくがヴェルメーリを倒して気分が悪いのはアウナのせいじゃないのに……。

 傷つけられたままなすすべもなく、呆然と立ち尽くすアウナは、ぼくのいびつな精神構造を糾弾するように、身を切るような悲痛をぼくに喚起させる。

 ぼくとアウナは、つかの間、無言で互いを見つめあった。

 二人ともお互いを慰藉しようとそれだけを念頭に置きつつ、むしろ真逆の結果をもたらしたことをどうにもできないまま、相手をうかがうしかなかった。

 その時、無神経な声がぼくたちの間に割り込んだ。

 「ばっかじゃないのぉ。自分でやるって決めたくせに、イヤになったら人のせいにしちゃうんだぁ」

 ぼくの頬が熱くなった。

 羞恥のあまり、ぼくは視線を足元に落とす。

 きっと指摘したカナは批判するように、怒った顔でぼくを見ていることだろう。ぼくはこの場から逃げ出したかった。しかし、逆にはっきりとぼくの過ちを言われたことで、安心したような気もしていた。

 ぼくは、謝らなければいけない。

 進退窮まったこの状況で、唯一、呪縛を解放してくれるのはそれだけだ。

 「ごめん……悪かったよ」

 ばかばかしいことだけど、これだけの謝罪を言うのに、ハッキリ言って、ぼくは相当な決意と勇気を振り絞った。

 しかも、ぼくはさらにました恥ずかしさで顔を上げることなんか不可能だった。滝のような汗が、全身から流れ出る。

 「痴れ者が!」

 アウナの鋭い叫びとともに、ぼくは後ろ向きにひっくりかえった。

 「ちょっと! やめてください!」

 ラランニャの悲鳴が聞こえる。

 ぼくは一瞬何が起こったのか全然わからないまま、目を開けた。

 体の上に、アウナが馬乗りになっていた。どうやら、ぼくはアウナの頭突きを食らってしまったらしい。アウナの身長はぼくの半分ほどしかないが、助走をつけてジャンプしたようだ。

 アウナの動きにつれてうねる金色の長い髪が放つ光が、ぼくの目を射た。 

 傲然とぼくを見下ろすアウナからは、すでについさっきの悲しげな表情は陰すら残っていない。

 高飛車に言い放つ。

 「おぬしの無礼な言葉は、許しがたい犯罪じゃ。本来ならば、しかるべき罰を与えて心から悔悟させてやるのが支配者の務めではあるが、今は非常時ゆえ、これで水に流してやろう。わしの慈悲に感謝するがよい」

 ふわりとアウナの体が宙に舞う。

 立ち上がり、後ろも見ずにすたすたと歩み去った。

 ラランニャは心配顔でぼくとアウナをかわるがわる見た。

 「これはひどいですね、早く手当をしないと。でもなんて乱暴なんでしょう、けが人に暴力を振るったりして」

 「マジであのガキなんなんすか? 俺がシメますよ! 生意気過ぎんだろ」

 エンカラはいらだったように言う。カナが冷笑気味にささやいた。

 「そりゃしょうがないでしょ。自分をダシにされたら、誰だって怒るよ」

 「TPOをわきまえろっつんだよ! 軍団長はな、今ケガしてんだよ。やさしくしろよ」

 長身を折り曲げ、エンカラがぼくのからだを抱き上げようとする。

 そこへ、ラランニャが割り込んだ。

 「とりあえず、ひどい恰好ですよ。これを着けてください」

 巻きスカートのように、ラランニャはぼくの腰に布を巻きつける。そういえば、ヴェルメーリと戦ってるときに下は脱いだんだった。下着をさらしていることをすっかり忘れてた。

 「しゃしゃり出てくんじゃねえよ、ブサイク」

 エンカラは舌打ちする。

 完全に無視して、ラランニャはてきぱきと僕の面倒を見始めた。

 「……ありがとう」

 何となく僕は救われたような気分で、アウナの後ろ姿を眺めていた。

 

 

 

 ”龍脈”の上にそびえたつ塔は、頂上までおよそ10キロ程度の高さがある。

 もともと、”龍脈”の上に立つ塔は、いわゆる”モンスター”たちが建設した簡素な施設だった。

 しかし、”龍脈”を調査するために占拠したプレイヤーキャラたちが次々と設備を増設し、さらに幾度となく”モンスター”に奪還されるたびに要塞化されるに至って、現在のような巨大な建造物に変貌したというわけだった。

 何度も主を変えた結果、塔はプレイヤーキャラ、つまり地球人類と、隣接宇宙からやってきた異星人(?……なんていえばいいんだろうね? 隣接しているから、パラレルワールド並みに地球人と共通点があるらしいけど、だったら向こうも地球なのかな)たちの技術が入り乱れ、扱えない巨大な設備がいくつも存在するというのだ。

 これはラランニャから聞いた塔の裏話だった。

 ちなみに、この塔のエレベータもぼくたちには使用できない施設とのことだった。

 が、アウナはどうやら使えるらしい。

 二つ並んだ扉が、片方だけ開いていたのだ。

 ぼくは、ラランニャの治療を受けてから、どこかへ行ったアウナを探している最中だった。

 まるで誘うように口を開けている大きな両開きの扉に、ぼくはふと不安を感じたことは否定できない。植物を模したような異様な装飾が表面を覆っている。外見からして異様な機械に身をゆだねるのは利口じゃない。どんなことが起こるかわかったものじゃないし、第一、上空一万メートルまで昇りたい気持ちも全くない。

 だが、アウナがいるというなら、行かねばならない。

 ぼくはアウナを傷つけてしまったことを、ひどく気にかけているのだ。

 不安を強いて押さえつけ、思い切ってエレベータに飛び乗る。扉が自動的に閉じた。自宅の部屋くらいの空間に、丸いテーブルとイスが備え付けてある。

 低い唸りをあげ、空間は徐々に上昇し始める。見えない手に押さえつけられるような感覚がしばらく続いた。

 てもちぶさたと、不安によっていらいらと貧乏ゆすりしながら、30分近くも待った。

 ようやく扉が開いたころには、ぼくは椅子でうとうとと居眠りしそうになっていた。

 風船が空気を吹き出すような音とともに、小部屋から空気が放散する。

 同時に、殴りつけるような強烈な風がぼくに吹き付けてきた。

 そして、恐ろしい寒さ。

 床に伏して、匍匐前進しようとするが、息が詰まる。

 のどをひきつらせながら、ぼくは必死に叫んだ。

 「アウナ! いるのかい?」

 答えはない。

 醒めたような光が漂っている塔の屋上は、さほど広い場所ではない。

 エレベータの昇降口となる建物を中心として、テニスコートくらいの床が広がっている程度だった。

 床の端には、腰までの高さで装飾的な彫刻を施された分厚い壁が立っている。

 建物の壁にしがみつき、一通り屋上を見渡すが、アウナの姿はない。

 床一面に白く凍りついた霜が降りているばかりで、生物がいた様子さえない。

 ……いや。

 よく見ると、小さな足跡が霜の上に残っている。

 それは、エレベータから建物の壁面へ向かい、壁際で消えていた。

 ぼくはとっさに上を向いた。

 小さな顔が、ぼくを見下ろしている。

 アウナは、握った両手を頬にあてて、しゃがんでいる。無表情に、ぼくを見つめていた。

 どうやってこんなところ登ったんだ?

 ぼくは建物の壁を手で探った。すると、何かが手のひらに当たる。小さな石のようなものが、壁から突き出ているのだ。どうやらこれを伝って登ると言うことらしい。

 とにかく突起に手をかけた。体を壁に寄せ、試行錯誤でのぼり始める。烈風にふきとばされそうになり、ぞっと冷や汗をかいた。

 苦闘するぼくを、アウナはそっけない様子で、ただ見ているだけだ。

 くそ、何なんだいったい。なんであんな奴のために、ぼくはこんな苦労してんだ?

 疑問がわくが、今更後の祭りだ。

 のぼり始めるのはまだしも、降りるのはさらに技量が必要だった。足先で、とっかかりを探らなければいけないのだが、それが非常に難しいのだ。少し試みたが、壁からずり落ちそうになって、あわててやめた。

 体中から噴き出た汗が、身も凍るような大気の圧力によって、たちまち凍結してゆく。

 外気に露出した皮膚に、がさがさする霜がへばりついた。

 そして、体に力がはいらなくなってゆく。

 呼吸がまともにできないのだ。いくら息を吸っても、全く吸った気にならない。指先どころか、全身の感覚が麻痺に覆われてゆく。

 数分の地獄のような格闘の末、ぼくは無事に建物の屋根に到達した。

 そこは、無風で温かく、酸素もふんだんにある天国のような場所だった。

 大気中の塵芥に汚染されていない正常な太陽光の中で、アウナはほほ笑んだ。

 

 「やっと来おったの。わしはずっと待っておったのに」


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