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ぼくはキャラを操ってるだけなんだ。”虹の門”でキャラが死んでも、家で目が覚めるだけだ。それはここがどこかの惑星だろうが、ゲームだろうが同じことだ。
しかし、アウナはここの住民だ。死んだらそれまでなんだ。
だから、ぼくは自らの身を投げ出した。
そして、今にも自分の肉体に食い込む武器の感触を想像し、怖気を振るった。
ぼくの最期まであとわずかだろう時、けたたましい悲鳴が聞こえた。
「やめてーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
常軌を逸した叫喚が、電撃のようにぼくの体を貫通する。それほどまでに悲痛な声だった。
声は、ヴェルメーリにとっても同様の感想を与えたようだ。
見えない障害にぶつかったように、”絶対燃度”の動きが停止した。
その隙を縫って、ぼくはアウナを抱きかかえる。
無様にこけつまろびつ、どうにかヴェルメーリから距離を取った。
「ふたりともやめなさい! プレイヤー間の私闘は禁止されています。PK罪で”組合”に訴えますよ!」
声の主は、ラランニャだった。
開いた扉から、ラランニャの他に、エンカラとカナが乱入する。
エンカラが吠えた。
「軍団長! なんなんすかその調子のってる奴は? おれがぶった斬ってやりますよ!」
カナが憎々しげに言う。
「あんな小っちゃい子、殺そうとするなんてサイテー! いくら”モンスター”だからってやり過ぎぃ!」
ラランニャは手で二人を制した。
「みなさんやめてください! わたしたちが戦うことは禁止されています」
ヴェルメーリはラランニャへ兜の正面を向けた。
「なんでこんなところにいるんだ? しかもまともに武器も持たないでよ」
どうやら二人は知り合いらしい。まあ、”組合”から派遣されてきたラランニャと、運営でエンジニアやってるヴェルメーリは、いわば、”知ってる側”なんだから、当然かもしれない。
ラランニャは蒼白になっていた。眉を逆立て、唇が八の字に引き締まっていた。大きく見開いた瞳が涙で潤んでいる。
激しい怒りのためか、声が震えていた。
「今は戦時下です! ”組合”の審査なしに犯罪者を排除することだって許されているのですよ! だから二人とも落ち着いてください」
「やめるったって、そりゃ無理ってもんだろ。俺だって面倒なことは避けたいんだが、そのおネーちゃんがどうしても塔の閉鎖をやめろっていうもんだからさ」
ふてくされたように、ヴェルメーリが言う。
ラランニャはぼくを睨み付けた。こんな怒っているラランニャはめったに見られるもんじゃない。しかも、ぼくに対して怒りを向けるなんて、初めてのことだ。
だがぼくは、ここであっさりと引く気はさらさらない。
ついさっきは、自分の弱さに流されそうになってしまった。
だが今は、腕の中にアウナがいる。
こんなに身近に暖かな命を感じているぼくには、雑念が入るはずもない。
ラランニャはほとんど泣きながら、ぼくを詰問した。
「アーツェル様、なぜですか? なぜ危険を冒そうとするのです、そんな”モンスター”のために!」
ぼくはずいぶんと世話になっているラランニャに抵抗する罪悪感に耐えながら、なんとか言い訳する。
「だって、塔を閉鎖するのは、この世界を滅ぼすためだって聞いたんだ! アウナの言うことは真実だった、”組合”も運営も、それが目的だったんだよ。だけど世界が消えるってことは、”モンスター”だけじゃない、ぼくたちのキャラだってなくなるんだ。それに、”モンスター”はただのプログラムじゃない、本物の生き物だって言う話なんだよ? だったらなおさらだ」
「わたしはアーツェル様の意見に従います。あなたが塔を閉鎖することをやめるべきだというなら、そうすべきだと思います……でも、仲間同士で戦うなんて……」
ラランニャはしゃくりあげる。
ヴェルメーリが驚いたような声を上げた。
「おいおい! ”組合”はずいぶんといい加減なんだな。”最終戦争”の目的を放棄するのか?」
苦しげに、ラランニャは言う。
「止むを得ません。もう少し、時間を空けることはできませんか? 少しだけでいいですので……」
「ばかばかしいなあ。時間をおいてどうする? 何の解決にもならないことは、お前だってわかっているはずだろ。突然、方針を変えるなんて、どうかしてるよ、全く」
ラランニャは答えない。
ぼくはヴェルメーリに提案する。
「ラランニャの言うとおり、少しだけ猶予をくれないか?」
「バカ言うなよ。俺たちがのんきにディベートしている間に、また地球で災害が起こっているかもしれないんだぞ? おまえがかばっている”半神”がいるようじゃ、ますますその危険は高くなるだろうが。一刻の猶予も許されてないんだ」
ヴェルメーリは不意に、ぼくとアウナ目がけて一撃を繰り出してきた。
「要は、アウナを殺してしまえば、おまえやラランニャが躊躇する理由はないってことだ! それに、いずれ”虹の門”とともにおれたちは全員消える。遅いか早いかの違いでしかないなら、今ここで”青ざめた死”を倒しても問題ねーぜ!」
足元の石畳が熱を持った。赤く焼けた石が幅広の円となって、ぼくとアウナを取り囲んでいた。
「下手に動こうとすると、足が床にくっついちまうぜ!」
ヴェルメーリは、巧妙にぼくを一か所にくぎ付けする小細工を弄していた。
それまで床を熱していた剣先が、ぼくとアウナを指す。
「おぬしは逃げるがいい! ここはわしがなんとかする」
言いながら、アウナはなぜか、胸元の内ポケットに手を突っ込んでいた。もう片方の手で、小さな小刀を握っている。
こんな小さな武器でぼくたちの間に割って入ったのか。
その無謀さにあきれると同時に、奇妙な切なさを覚える。
ぼくは、間髪を入れずに”超臨界速”を開始した。同時に、”警報空間”へと足を踏み入れる。
ヴェルメーリがもたげる剣尖がまっすぐこちらへ方向を合わせるまでの、わずかの時間が、引き伸ばされてゆく。
ぼくはベルトを引き抜いた。
下半身を覆う衣服を脱ぎ、ひも状に引き裂く。
剣の根元にひもをくくりつけると、赤く輝く床へと投げつけた。剣先が石をえぐり、魔剣は墓標のように床に立つ。
ひもの端を握りしめ、突き立った剣目がけて、跳躍した。
剣の柄へ着地する。
ぼくの体重を支え切れなくなった剣が、ぐらりとかしいだ。
もう、自分でも重々承知しているが、やってることが場当たり過ぎるし、メチャクチャだ。だが、こんな手だてしかもう、思いつかないんだ。
とっさに、熱くなった床の外へ向かって、剣を踏み台にしてジャンプする。
ぎりぎり赤い環の外まで到達した。ふらついた体をたてなおす。
ひもを引き、床から抜けた剣を手繰り寄せた。
鋼鉄のこすれる音がする。
ヴェルメーリの兜が、こちらを見た。
「お前のほうが、”警報空間”に入るのが早かったみたいだな。だが、そのせいか、すでに世界時間を遅延させることができなくなってきているだろう。おれたちプレイヤーキャラの魔法能力は限られてるから、長時間は使えない」
ヴェルメーリの言葉通り、夕焼けのような景色が、急速に夜へと変貌するかのように、色を失ってゆく。
「で、いままで同等に渡り合ってきたってことは、おれたちの高速化は同じくらいの速さだってことだ。とすると、攻撃する準備動作の短いほうが勝つ。つまり、おれは剣でお前を指せばそれで終わり。対するお前は、おれのそばまで出張してこなきゃならない。その差は何秒だ? 五秒か、十秒か? わずかの時間だが、勝敗を決するには、それで十分ってことだ」
ぼくはひたすらヴェルメーリに肉薄することのみを念頭に置いていた。
相手の言葉を完全に聞き流し、動作に専念する。
もっと無駄なく、流れるように動くんだ。
そして、わずかでもヴェルメーリに匹敵できるよう、”警報空間”に留まろうと努力するんだ。
わずかにしか残存しない、朱の陰りを踏みしめる。
今にも消えるかと思われた”時間遅延”は、まだ続いていた。
届く。まだ届く。
渾身の一撃を、ぼくは振り下ろした。
ヴェルメーリは驚愕の声とともに、背後に飛びのいた。
「おまえ、魔法時間に制限はないのか?」
当然あるよ。ぼくは力尽き、転倒してしまう。
ヴェルメーリは不思議そうに自分の腕を見た。
”絶対燃度”を握り、水平に伸ばしていた鎧の小手に、流れるような曲線が刻まれている。
”死の種子”が切り裂いた傷だった。
が、ヴェルメーリは勝ち誇ったように歓声を上げた。
「悪いな、おネーちゃんよ。ばんそうこうを貼っときゃ治るレベルの切り傷しかついてないぜ。あいにくだが、おれを止めることはできないようだ」




