22
塔の最深部であるこの大広間の扉が開け放たれている。
薄いカーテンのように視界に常にまとわりついていた薄闇が、瞬く間に取り払われる。
燃える光芒の中心に、小さな影がゆらめいていた。アウナだった。
まっすぐぼくとヴェルメーリのほうへ駆けてくる。
そのためらいのないようすに、ぼくは困惑した。
アウナは、すでに”受信器”であるしっぽを切断されて、魔法は一切使えなかったはず。この戦いが始まる前も同様だったのに、今はもう回復してしまったのだろうか?
目の前に、赤い光条がよぎった。
まずい!
ヴェルメーリの攻撃だ。
魔法の庇護を持たないアウナが発火能力をまともに浴びたら……!
空虚に食い荒らされつつあったぼくの心に、強烈な力が閃光のごとく蘇った。
さんざん拘泥していたこれまでの鬱屈を、ぼくは一瞬で投げ捨てていた。
ヴェルメーリの行動を妨げようと、決死の体当たりを敢行する。
銀色の鎧は高熱を持っており、ぼくの肌が音をたてて焼けた。
赤い夕焼けのように、ぼくの周囲が朱色に染まる。
異様な光景がぼくの眼前に広がった。
赤と紫に閉ざされた景色の中は、あたかも水の底にいるかのようだった。
そこでは、自分の色彩だけが通常で、赤みを帯びた自分以外の物体が、緩慢に動いている。走っているアウナは、片足立ちしているように見えた。
ぼくが異変に気を取られた刹那、全身が電撃を浴びたような強烈な衝撃によって硬直した。
手足が自由に動かない。その場にうずくまる。
肩から腰まで、ななめに傷が走っていた。サブウィンドウに乱舞する数値から推測するに、ほぼ致命傷だった。しかし、幸いなことに傷の深さにもかかわらず、出血はほとんどない。
おそるおそる見れば、傷の上に、火傷で膨れ上がった皮膚が覆いかぶさっている。”絶対燃度”の発火能力によって、傷が即座に焼灼された結果、止血されたということのようだ。
「お ま え 、 見 え て る ん だ ろ」
間延びしたヴェルメーリの声が頭上から降ってくる。
ぼくは斬られたショックでわななく体をなんとかなだめ、あとじさった。
ヴェルメーリは繰り返した。
「見 え る ん だ な ? 今 の 世 界 が」
ヴェルメーリに合わせ、ぼくはゆっくりと答えた。どうにも間の抜けた感じはぬぐえない。
「見ーえーるーってー、どーーゆーー意ー味ーだー?」
「赤 い 世 界 さ。お 前 は 自 分 の 意 志 で、こ の 世 界 に 入 っ て き た な」
ぼくはふらつく足をなんとか激励し、立ち上がった。剣を構え、ヴェルメーリから二度と不意打ちを受けないように警戒する。
高速化を解除した。どうも話しづらくっていけない。ヴェルメーリの話に興味があった。
「自分の意志? そんなこと知らないね。ただ、キミに追いつこうと必死になっただけだ」
「ふん、そうか。本能だって言うことか。たいしたやつだ。高速を操るだけはあるな。カンがいいよ」
何となくぼくにも見当がついてきた。
ヴェルメーリとぼくの能力は同じだと言われてきた。超高速で動くことができる能力だと。
しかし、ヴェルメーリのそれは、自分以外のものも同じく高速化させる。そこがぼくとは全く違っていた。
効果は同じだが、やっていることが全く異なる。それは、どういうことか。
ヴェルメーリは自らが高速化するのではなく、自分以外のすべて、おそらく世界中を低速化することができるのだ。
そして、低速化を免除する相手を自由に決めることができるに違いない。
多数の軍勢が一瞬にして、この塔を包囲できたのも、ぼくがプレーテと戦っているときに体験した高速化をさらに上回る超高速もそうだったのだろう。
そして、短距離を瞬間的に移動しているように思えたのは、低速化されたぼくの感覚では、全くヴェルメーリの動きを追いきれなかったせいだと思う。自分が早く動けなくても、五感は働いていて、周囲の状況だけは見えているということはある。だけど、その感覚自体が遅くなっているのだから、そもそも知覚すらできなかったというわけだ。
そして、ヴェルメーリが低速化させないようにする方法は、実に簡単、単純なやり方だったようだ。
体が接触すればいい。
ぼくは身を挺してヴェルメーリの動きを妨げようとした。
そのために、ヴェルメーリは不本意にもぼくを低速化能力の影響から逃してしまったのだろう。
ヴェルメーリは舌打ちした。
「どうも、お前に一度、”時間遅延”を見せたのがまずかったようだ」
剣を振り上げる。ぼくは傷をかばいながら、かろうじてかわした。
焦げ臭いにおいがぼくの体から立ち昇る。
発火能力の有効範囲を避け、ぼくは反撃の機会をうかがった。
「きっとお前は、”警報空間”を見て、その現象が自分の感覚にもたらす刺激を覚えていたのだろう。だからこそ、おれの警報空間へ飛び込むタイミングを計ることができたってわけだ」
ヴェルメーリの指摘はことごとく外れている。ぼくが今こうして”警報空間”にいるのは、ただの偶然だ。
ぼくはヴェルメーリの動きを追うだけで精いっぱいだった。傷をかばって、剣を打ち合わせることすらためらわれる。
「どんな能力を使うにしても、まず必要なのは知覚だ。その能力によって操作する何かを知覚できなくては、どうしようもない。見えないものを使おうったって無理だ。それをお前は、今使える可能性があるまでには、知覚できるようになったってことだな」
不意に、ヴェルメーリは笑い声をあげた。煮詰まった殺し合いの場にそぐわない、妙に爽快な笑いだった。
「まあ、これでお前とおれは同じ立場に立ったことになる。いや、正直、おれの能力なんてのは、別に自分で会得したものではなくて、”組合”から教えてもらったものに過ぎないんだよ、”虹の門”ではこういうことができますってな。一種のズルなわけだ。これはおれだけでなく、”組合”が援助している有力なプレイヤーの上位、数人はみんな知ってる技術だ。だが、好んで使ってるのはおれだけのようだな。そりゃそうだ。こんな技、あきらかにズル丸出しだからな」
「まだほかに使える奴がいるのか?」
「まーな。でも安心しろ。”四戦士”の残り二人さ。あいつらは当然のようにもっとすごい魔法を使うぞ?」
ぼくは愕然とした。
世界の時間を操作するなんて大それた魔法を使うものが何人もいるなんて、それじゃあさらに上の能力はどれほどまでにとんでもないんだよ?
「とはいえ、おれたちプレイヤーキャラクターじゃ、こんな小細工まがいのケチな魔法が限界さ。思えばプレーテだの、アウナだの、”半神”クラスの”モンスター”は大したもんだよ。すでに自分たち一人一人が天災そのものなんだからな」
「ズルしかできないから、嫉妬かい?」
「なに、個人で持つ影響力の大きさにあこがれているのさ。まあ、それはともかく、俺はズルをすることになんにも疑問や慚愧を覚えちゃいない。こんなのはただの仕事なんでね」
ヴェルメーリは横に手を伸ばした。
ぼくの体から血の気が引いた。
ヴェルメーリの手が、アウナの肩をつかんでいたのだ。
ぼくは逆上した。
血を吐くような絶叫をあげて、ヴェルメーリにとびかかる。
すんでのところで、アウナはヴェルメーリの手から逃れた。アウナとて、もとは”半神”だ。魔法は使えずとも、こうした戦闘にはぼくなんかよりよっぽど長けているみたいだ。
鉄製の鍋を医師にたたきつけられるような、甲高い騒音がぼくの鼓膜を不快に揺さぶった。
ヴェルメーリが石畳にあおむけになっている。
剣を振り上げた腕に、アウナがとびかかった。
全身でヴェルメーリの腕に絡みつき、剣を奪い取ろうと奮闘している。
足をばたつかせ、ヴェルメーリは起き上がろうとした。
その上へ、ぼくは身を投げる。
「下賤のものが気安くわしに触れおって! 直々に仕置きしてくれるわ!」
「ちょっと待て! どけよ、立てねーだろ!」
「危ない、無茶はやめろ!」
三人でくんずほぐれつ、床を転がる。
やがてヴェルメーリは力ずくでアウナを弾き飛ばした。
同時に、ぼくも真正面から蹴りを食らった。情けないほどに簡単に、ひっくり返ってしまう。床を数回ほども転がって、ようやく体が止まった。
立ち上がったヴェルメーリは剣を構えた。
「こいつが死んだなら、お前はどうするかな? おれと戦う理由もなくなるんじゃないのか?」
床を這うアウナに、剣を振り下ろす。
ぼくはすぐさま”超臨界速”に突入、しかしそれでも間に合わない。
アウナとぼくの距離が、離れすぎている。ヴェルメーリの剣が、アウナに近すぎる。
どうしても、今、できなきゃならない。
ぼくはヴェルメーリの”時間遅延”が起こった時の記憶を必死に探った。
あの時は、赤い何かが視界をよぎる。
ぼくは赤い兆しらしきものを全力で探った。目を皿のようにし、神経を針のようにとがらせる。
風の揺らぎが見せるわずかな輪郭のまたたきのような、かすかな”兆し”が垣間見えた。
そこか!
ぼくは今にも消えようとしている、塵埃にも似た紅の手掛かりに頭から突っ込んでいった。
途端に、目の前に赤色が氾濫する。
目に不快な、心をざわつかせる異質な世界を、ぼくは見回した。
やった! これが”警報空間”なのか!
だが、ぼくに快哉を叫ぶ暇などない。
アウナの白い背中に、”絶対燃度”の切っ先が迫っている。
ぼくは、アウナの体に覆いかぶさった。




