63:願う呪い
アージェンの身に何か起きたらしいという事は、既にレオロも知る所であった。三日前、『空腹』を満たす為にアージェンを呼び出そうと腕輪を使ったのだが、何時まで経っても彼女の応答が無かったのだ。
これはただ事ではない、と彼はすぐさま仲間たちにそれを知らせた。血の渇きは耐えられるが、しかしこの異常事態は三人で共有すべき事柄である。
命知らずの危ういリーダーは、今度は一体どんな厄介事に首を突っ込んだのか。“使者”関連で有る事は間違いないだろうが……余程酷い目に遭ったのだろう。もしかしたら、もう二度と──。
「アージェンさんがそんな簡単にどうこうなるわけないじゃないですか。すぐにでも、ケロッとした顔してやって来ますよ」
黙りこくったまま腕輪をねめつけるレオロに、フュールがほんわかとした笑いを浮かべながらそう声を掛ける。だが彼は、その台詞に更に眉間の皺を深めた。
今日は蛍石の月20日、チームの四人で合流しいよいよウテウロイ地方に入らんとする予定日。合流地点の場所は、この『ロルクア』の街の人通りの多い広場。だが待ち合わせの時間になっても、それから五分経っても、30分以上経った今になっても、アージェンの姿は現れていない。
いつもなら遅くともレオロが来る頃には来るのに、まだ来ない。約二年前、“使者”界隈がざわつき始めた時に、彼女が半月以上約束をすっぽかした記憶が蘇る。
「うーん……もしかしたら司令官殿は、連絡も出来ないくらいに体調を崩しているのやもしれませんね」
「むぅ……何処に居るのか分かれば、看病にも行けるのでしょうが……アージェンさんが寝起きしてるのって、確かイーアイレアの孤島って言ってましたよね」
「ええ。ここからイーア諸島は遠過ぎるのであります……」
具合を悪くしているならば、恐らく彼女はあの宿舎の自室に居るのだろう。彼らにも“使者”のような力が有れば、すぐにでも駆けつける事が出来るのに。
暫く考えた後、レオロは腕輪に手を当てながら発言をした。
「……俺から連絡を入れてみよう」
「三日前は応答しなかった筈では?」
「今なら分からん。今一度やる価値は有る」
ボタンを押し、変形した腕輪を耳に当てる。鳴り続ける呼び出し音を聞きながら、彼は最後に見たアージェンの姿を思い出していた。
表面上は普段通りの振る舞いに見えたが、所々に綻びが有った。少なくとも以前のアージェンは、地雷を踏んだからといって公衆の面前で泣き出す奴ではなかった。その場では耐えて、後でひっそり泣いてるタイプだと彼は見ていた。
それがそうでなくなったという事は、やはり変化したという事なのだろう。いつか彼女が、『もう変わりたくない』とぼやいていたのを思い出す。
(変わろうがどうなろうが、少なくとも俺は……)
と、そこで、向こうが電話口に出る音がした。口元を隠しつつ、相手に届く程度の声量で話し始める。
「もしもし。アージェン、俺だ」
『……れぇ、おろ……か……』
掠れた弱々しい声が、耳に入る。余程具合が悪いようだ。彼は簡潔に述べる。
「今日は待ち合わせの日だ。もう三人とも集まっている。まだ来てないなんて珍しいが、体調でも崩したのか」
『……ああ……ごめんな、気持ち、悪くて……動けそうに、ない……』
普段の、確とした芯を感じさせる語気は何処にも無い。少しでも力を加えれば折れてバラバラになってしまいそうな儚さが、その声には剥き出しにされていた。
「分かった。なら今日は解散か?」
『そう、しておいてくれ……治ったら、また、連絡をする……』
「了解。……それと」
一瞬、迷う。今の彼女を下手に刺激したら、そこから崩れてしまいそうで。──逡巡の後、彼は言葉を口にする。
「三日前にも連絡をしたんだが、応答が無かった。何が有ったんだ」
相手が息を呑むのが分かった。レオロは沈黙を守り、彼女の返答を待つ。だが次に聞こえて来たのは、笑い飛ばしながら理由を語る声でも、掠れた小さな話し声でもなく、意味の籠らない嗚咽であった。
「お、おい」
『うっ、ぐ、ごめっ、ん……わた、し、もう、ダメ、かも……あぁっ、うっ、いいぅっ、ごめ……っ』
「アージェン、謝らないでくれ、責めてるわけじゃあないんだ。お前の身に何が有ったのか、心配を──」
『あ、ぁう、ごめんなさっ、あああああっ、ごめんなさいごめんなさいわたしがわるいんですいきててごめんなさいあああああああああああああ』
甚く平坦な悲鳴と共に、ブツッ、と通信が途切れた。腕輪の形に戻る通信機を呆然と眺めながら、レオロはフュールと晴嵐の方に視線を移す。
「えーと、アージェンさんは何と?」
どうやら彼女の声は、二人には聞こえていなかったらしい。腕輪を左腕にはめながら、彼は答える。
「体調を崩したから今日は来れない、俺たちは解散しておいてくれ、と。治ったら、また追って連絡するとの事だ」
「三日前の件はどうだったのでありますか?」
「……今よりもっと酷い状態だったのだそうだ。だから出れなかった、と」
彼女が泣き出していた事は伏せ、適当に端折ったり付け足したりして言う。あの様子なら偽りではないだろう、と自分に言い訳をしながら、彼はマフラーを整えた。彼女とて、自身の醜態を言いふらされたくはないだろうし。
「そういう事ならば今日は解散で、大人しく司令官殿からの連絡を待ちましょう。大丈夫ですよね?」
「急ぎで出なければならない用事は無いですし……ええ、大丈夫ですね」
「……仔細無し」
彼女を無視して進むという選択肢は、誰の頭にも無い。アージェンという司令塔無しで街から遠く離れるのは、例え三人で纏まっていてもリスクが高いからだ。
「じゃあ、解散しましょうか。……何して時間潰そうかなぁ」
「皆で近場のモンスターでも潰して、お小遣いを稼ぎましょうか?」
「あ、良いですね、ご一緒します」
「俺はパス。アージェン程じゃないが、体調が万全じゃない」
そう言いながら、レオロは一足先に宿屋へと足を運び始める。チェックアウトをして来てしまったが、すぐに戻れば部屋は空いているだろう。
(……待つ事しか出来ねーってのが、もどかしい)
二年前の時もそうだった。音沙汰も無く約束を破り続けた彼女に、彼らは為す術を持たなかった。今はこちらから連絡を入れる事も出来るが、しかし彼女の元に駆けつける事は出来ない。
(俺も“使者”だったならなぁ……)
“使者”の如き不死性を持っていれば、何時でも彼女の背を守る事が出来たのだろう。“使者”の如き足の速さを持っていれば、彼女が助けを求める時に駆けつける事が出来るのだろう。“使者”でありさえすれば、彼女と肩を並べられたのだろう。
だがしかし、彼は“使者”ではない。デイウォーカーの吸血鬼、という珍しい種族であるし、並の兵士や冒険者なんかよりずうっと強いと自負している。だが彼は、面妖な半透明の便利な板を操る力や、瞬間移動の力なんぞは持ち合わせていなかった。
(ままならんな、本当に)
隣の芝はどこまでも青い。肩を竦めながら、彼は溜め息を吐く。空腹からなるネガティブ思考が、どうにも心地悪かった。
「あ。あ。あ。ごめんなさい。ごめんなさいレオロ。ごめんね。ごめん。ごめんなさい。悪いのはわたし。ごめん。死ぬしかないね。死にます。死のう。死にたい。死にましょう。ごめんね」
発作的な感情の破裂。ボロボロの自室の、滅茶苦茶に引き裂かれた寝台の上で、制御出来ない激情の奔流を、アージェンは頭を抱えてしゃがみ込んでやり過ごそうとしていた。
同じような言葉を繰り返し口にする事で、ヒートアップする絶望と恐怖と自己嫌悪とをゆっくり吐き出してゆく。死ぬ、死にたい、と唱える度に、心は少しずつ凪いでいった。
やがてまともに頭が回る程度に落ち着いた辺りで、彼女はやおらに身を起こした。床の上に転がっている、先ほど衝動のままに投げ捨てた腕輪に視線を移しながら、深い息を繰り返す。
(……やっちまったよぉ)
やはりというべきか、繕いきれない綻びを露にしてしまった。自分が何を言ったか良く覚えていないのだが、酷い事を口走ってしまったような気がする。レオロはただ心配してくれただけなのに。
(愛想、尽かされたよな。もうアージェンは駄目だ、って気付かれちまったよな。……もう、駄目だよな)
自嘲に顔を笑みの形へと歪めながら、彼女は落胆する。最後に残った拠り所さえ、自らの手で突き落としてしまった。
「死にたいよぉ……終わりにしたいよぉ……」
苦しみから逃れたい。死んでしまえれば、もう何も考えなくて良くなるのに。寂しさや悲しさを感じずに済むのに。
だが死ねない。あんな──全身をバラバラに解体されて死んでも、死にさえすれば蘇ってしまう。首を吊って死のうとしても、高所から飛び降りて死のうとしても、頑丈だから中々死ねないし、よしんば死ねても蘇る。
「ヘイゼルさん……あなたの所に行きたいよ……」
親愛なるヘイゼルさえ側に居れば、全ての絶望を飲み下す事だって出来そうなのに。だが彼女は何処にも居ない。
ユガタルファの世界樹広場に赴いて合い言葉を唱え、ヘイゼルが居る筈の新ダンジョンに行こうともした。だが、レベルは既に100に達しているのに、入れなかった。悲しみのあまり地割れに身投げをしたが、普通に死んだだけだった。
恐らくは時間切れとか定員オーバーとか、そんな具合の理由だろう。最初の攻略組が行って以来、誰かが《狭間の道》に行ったという話を聞かないから、薄々勘付いてはいたが。
(逃げ道は、何処にも無い)
記憶を封じ、全部忘れて逃避する事も叶わない。魔法を使えば一時的に記憶を消す事も出来るが、効果時間が終わればすぐに復活してしまう。
眠ったり気絶したりするのも、恐怖の引鉄になる。“あれ”が、意識を失った状態から始まった事に由来するトラウマだろう。少しでも気が遠くなるのが怖くて、アルコールを始めとしたドラッグに手を出す事すら出来なかった。
狂ってしまえればよかった。発狂して、何もかもを無意味にしてしまえれば、今よりずうっと楽だっただろう。だが、なまじ精神力が有る所為で、それすらも不可能であった。
心を壊してしまえる程弱くなく、何もかも乗り越えられる程強くもなく。フラッシュバックに怯えて震え、些細な事から増幅される自己嫌悪に泣きじゃくり。
八方塞がりだ。唯一開いている道は、何とかして立ち直るという茨の道のみ。どうにかして、表面上だけでも正気に戻って復帰する──蘇り続ける恐怖から逃れるには、それしか、無い。
「……なおら、なきゃ。立ち直らなきゃ」
逃げられない事を再確認したアージェンは、呪文の様に唱え始める。自らが正気に戻らなければならない理由たちを。
「わたしがしゃんとしなきゃ、ネリネさんが独りになってしまう。
それに、他のプレイヤーからレオロたちを守れるのは、わたししか居ないじゃないか。
それから、それから……ヘイゼルさんが帰って来た時、わたしが狂人になってたら、あの人はきっと悲しむだろう」
彼女を取り巻く数多の想いが、ギリギリ正気の世界に留まらせる。その絆は、ややもすれば呪いの様でもあった。
「大丈夫。大丈夫だ。大丈夫に、ならな、きゃ……」
囈言の様に繰り返し呟きつつ、転がり落ちるようにベッドから降りる。そして投げ捨ててしまった通信腕輪を、拾って装備し直した。
そうこうしている間にも、彼女を取り巻く世界は流れ動き続ける。何もせず閉じ籠ってばかりでは、その流れに取り残されてしまう。その所為で不利益を被るのは御免だし、これ以上傷付かない為にも、復活しなければ。
色々有った所為で、何処何処のギルド維持費を賄うのが難しくなった。それを解決するため、同様に経営難に陥っていたバタフライエフェクトと合併したという。
この際、ロールプレイヤーだのゲームプレイヤーだのといった垣根は無視し、利害が一致した事やキュリオスが居る事、メンバー同士の気もそれなりに合いそうだという事で手を組んだのだそうだ。
それから、ルシフェル。彼はギルドマスターを辞し、その権限をネリネに託して、アージェン以上に深く塞ぎ込んでいるらしい。
まぁ、彼の身に降り掛かった事を考えれば、無理もない。本当に取り返しのつかない事になってしまったのだから。
「そう、わたしは大丈夫。まだマシな状態。傷付いたのはわたしの心だけ、取り返しのつかないモノは壊されていない……」
繰り返しそう言い聞かせ、彼女は精神の安定を図る。だがいくら補強工事を繰り返しても、心は危うくぐらつき続けるばかりだった。




