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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第七章:ほつれた楽園
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62:拉げたうてな


「あばばべべぶぶー……」


 ゾグシェーノにて、あのジャディスリィ主導の革命が勃発し、無事成功したという報せを受けて、ネリネは疲れきった顔と声で呟いた。

 アトリエの様子は相変わらずだ。進行中の調合作業が一切無いという事以外は、全く普段通りの空気が漂っている。下界の混沌とは完全に切り離された、どこか異世界じみた雰囲気が。


「もう駄目だぁーっ……って言ってても、本当に手遅れになるだけだし……考えなきゃ……」


 薪ストーブの前にて安楽椅子に腰掛け、ちびちびとホットミルクを啜りながら、彼女は思索に耽っていた。ここから先の身の振り方を、しっかりと定めておかねばならない。

 まずは今回の反省から。挙げるとすれば、功を焦り過ぎた事か。ディーネイの新鮮な死体を確保するのに躍起になって、事前偵察を怠ったのがいけなかったかもしれない。

 千里眼の魔法だとかで、突入する前に現場の惨状を確認出来ていれば、少なくともアージェンの発狂は避けられただろう。ルシフェルの方は、ディーネイを誘拐された時点でもう詰んでいたから、どうしようもなかっただろうが。


(……まぁ、あたしも詰みと隣り合わせっぽいけど)


 同じゾグシェーノ王国近辺で起きた、エルフ少女惨殺事件とジャディスリィのクーデター。この二つに何の関係も無いと思える程、ネリネは楽観的ではない。

 ジャディスリィはキーマたちを用い、件の惨劇を引き起こさせた。その混乱を利用し、彼女は革命の成功を盤石とさせた──結びつければ、こんな具合の背景が薄らと見えてくる。

 とはいえ、惨殺の犯人の方は動きが雑過ぎた。もしジャディスリィが有る程度直接的に操っていたのだとしたら、もっと巧妙にやらせるだろう。この事から考えるに、精々『息が掛かっていた』程度なのやもしれない。

 だが、だとすればこそ、ジャディスリィは既にネリネたちという介入者の存在に気付いている筈だ。まだ敵に回っているかまでは分からないが、もう『その他大勢』扱いはされていないだろう。


(あいつに敵視されてる可能性まで有る中、何か企てようと思える程、あたしは無謀じゃないわ……)


 残っているプレイヤーたちを纏め、ジャディスリィに対抗する勢力を生み出そう、なんて考えもちょっとは有ったが、もうそれは永遠にお蔵入りさせるべき代物だ。下手にジャディスリィを刺激して、自分の寿命を縮めたくなんかない。


(けど、バタエフェとの合併は必要不可欠よね。メンバー減ったからギルド維持資金がキツイし、キュリオスさんも居るし。んん~、でも、ヘイト集めそうなのよねぇ……こっそりやれば良いのかしら……。

 ──って、そも、あたしがあれこれ指示出したら、あたしがリーダーみたいになっちゃうじゃない。止めとこ止めとこ。キーマさんの二の舞はごめんよ)


 彼女が指示しなかった所為で何もかもが潰れてしまっても、最悪アトリエに引き蘢ってしまう事も出来る。背負わなくていいモノ、背負えやしないモノを無理に背負って、キーマのように壊れてしまうのは真っ平御免だった。

 何処何処のメンバーたちが、新たなマスターにネリネを望んでいるのは、嫌でも伝わって来る。だがしかし、彼女には出来ない。彼女はその器を持っていない。

 ジャディスリィを相手取っての政争ゲームなぞ、生き残れる未来が全く見えない。例えキュリオスの協力が有っても、胃の壁を削り合う世界に飛び込みたくなんかないし。


「……他の奴を守る義理なんてないわ。あたしは、あたしだけを守れば良い……」


 心が揺るがぬ様、彼女は自身に言い聞かせる。知らず知らずの内に重荷を押し付けられてしまわぬ様、良心の囁きに屈さぬ様。

 アージェンは最早乗りかかった船であるから、完全な発狂か復帰かをするまでは面倒を見るが、それだけだ。ルシフェルくらいなら、向こうから助けを求められたら手を取るくらいはしてやるが、その他なぞ知った事ではない。


(……そうだ、ジェンさんの様子でも見に行きましょ。最近はあまり暴れなくなったし、もしかすると、快復するのかもしれないわ……)


 そう思って、ネリネはホットミルクを飲み干し、椅子から立ち上がる。そしてコノハズクに追随を命じつつ、彼女はアージェンの居る部屋に向かって歩き始めた。




 曖昧な意識の中、自分を殺して食べようとする影に恐怖し、ずっと暴れていたり叫んでいたりした、気がする。

 縛られた身体を捩って悲鳴を上げて、疲れきって気絶するように眠り、目が覚めたらまた怯えて暴れて──それを何度繰り返したか。不意に、鮮明な覚醒が訪れた。


「……ぁ」


 アージェンは腫れぼったい目を開ける。知らない天井だ、と呟こうとしたが、喉ががらがらに嗄れてしまっていた上、布の猿轡を噛ませられていた所為で、掠れた小さな声しか出て来なかった。

 それを外す為、手を動かそうとする。が、それも縛り付けられていて動かない。どうやら、寝かされているベッドに固定されているようだった。


「目が覚めたみたいね」


 危機感が増大するより前に、聞き慣れた声がした。唯一自由に動く首を回し、彼女はそちらに目を向ける。すると、枕元に何かのマスコットのような着ぐるみを着た奴が、二人佇んでいるのが認められた。


「ぁ……は、ぅ……」

「あたしよ、ネリネよ。こっちはコノハズク」


 何故自分は拘束されているのか、その着ぐるみは何なのか、等といった疑問をぶつけたいが、声が上手く出ない。何か言いたげにうーうー唸っていると、ネリネが状況説明を開始した。


「ジェンさんを縛ってるのは、ずっと暴れてて危なかったから。猿轡は自殺防止。……けど、今は正気みたいだし、コノハズク、外したげて」


 そう声を掛けると、コノハズクが着ぐるみの中でぶつぶつと魔法を唱えた。そして魔法の気配がしたかと思うと、アージェンの拘束が次々と外れていった。

 身体に自由が戻った所で、彼女は少し身じろぎをした後、のっそりと起き上がる。物心を失う前の最後の記憶では全裸だった筈だが、今は簡素な寝間着を着せられていた。それと、角と右手の紋章を隠すように、包帯がぐるぐる巻きにされている。


「怪我とかじゃないんだけど、万が一無作為な転移で街中に出てしまっても大丈夫な様に、ね。

 着ぐるみを着てるのは、人型のモノを見るとジェンさんが酷く怯えたからよ。コノハズクでも駄目だったから、こうしてマスコットに扮してるわけね」


 話を聞くに、どうやら随分と迷惑をかけてしまったらしい。差し出された水をがぶ飲みした後、深呼吸をしつつ頭を下げる。


「……ありがとう、ネリネさん……」


 思う存分激情を吐き散らした結果か、自分でも驚く程思考は平静だった。少しでも揺さぶられれば危ういだろうが、能動的に“あれ”を思い出さなければ正気は保てそうだ。


「ま、どういたしまして。落ち着くくらいまでは、ここに居ても良いわよ。

 それから、宿舎の部屋が酷い有様になってたから、別の空き部屋をルシさんと掛け合って使えるようにしてもらったわ。これがその鍵ね。

 あと、装備とか。ちょっと壊されちゃったのも有ったけど、粗方回収出来たわ。あそこの箱に纏めて置いてあるから」


 小さな飾り気の無い鍵を、器用に着ぐるみの手先に乗せて渡しつつ、ネリネは大きな木箱を指し示す。アージェンは鍵を自身のインベントリにぶち込みながら、こくりと頷いた。


「ん。なら、あたしはそろそろ行くわ。用が有ったらチャットで」

「分かった」


 ネリネはくるりと踵を返し、両腕を広げてバランスを取りながら、短い着ぐるみの脚でてちてちとドアの方へ歩いて行く。だが丸っこいシルエットの着ぐるみは、人一人通る事のみ想定されたドアに、ガッと引っ掛かってしまった。


「……入る時はどうしたの?」

「入ってから着たの。……ねぇ、着ぐるみ脱いでも大丈夫かしら?」

「んー……気になりはするし、一応縛ってからやってみて」

「オーケー。じゃ、手を後ろに回して」


 指示に従って、とりあえず四肢を縛ってもらった後、アージェンは神妙にネリネの方に視線を移す。やがてチャックが開く音がして、着ぐるみの背中からネリネの姿が露になる。同時に、コノハズクの方も着ぐるみを脱ぎ捨てた。


「ぐ……」


 緊張。自分が理性を失っていた間の事は、記憶は有れど実感が伴わないのだが、しかし『人型をしたモノ』が恐怖の引鉄になり得るのは事実だ。静かに佇む主従の姿を、アージェンはこれでもかと目を見開き凝視する。

 ふと、彼女を苛む幻が、二人の姿と重なった。脚が二本に腕が二本、それに頭が一つある、二足歩行の生き物──たったそれだけの合致だけで、常規を逸した彼女のトラウマは刺激される。

 身体の末端が凍える程に冷たくなって、頭だけが焼けるように熱い。汗か涙か分からないが、何かの液体が頬を伝う。舌がちりちりと痛む。

 心が、魂が、全力で叫んでいる。怖い、怖い、怖い、と。消せ、無くせ、壊してしまえ、と。

 嫌悪と拒絶が全身に巡る。目の前の奴らを確実に殺す手段を、何処か冷えた思考回路が組み立ててゆく。


「ジェンさん」


 声。親しき友だけが使うその愛称に、アージェンの目に映っていた幻は雲散霧消した。声の主、ネリネは続ける。


「……ねぇ、あたしを置いて行かないでよ。風雲さんも、ラインハルトさんも、ルシさんも駄目になっちゃって……信頼出来る、友達、は、もう……ジェンさんしか……!!」


 縋るように、彼女は言葉を絞り出す。その言葉を聞き、アージェンは思った。彼女もまた、恐れているのだ。

 彼女はまだ学生だったという。対するアージェン──五条あけみは、立派な社会人だ。友人として、大人として──ネリネという、年下の友人を支えてやらねばなるまい。


「……大丈夫。大丈夫だ、ネリネさん」


 恐怖は完全には消えない。けれども、その台詞をひねり出すだけの余裕は保たれた。ネリネを元気づけるための、実の伴わない一言を。

 そうすると、ネリネはぱっと表情を明るくさせた。着ぐるみを回収し、アージェンの拘束を解きながらこう言う。


「そ、それなら良いのよ。──快復したみたいで良かったわ。じゃ、今度こそ行くから」

「うん」


 笑顔を形作り、アージェンはネリネたちを見送る。そうして二人が居なくなった所で、アージェンは徐に立ち上がり、装備が入っているという木箱の方に歩み寄った。

 蓋を開け、まず機能装備の鎧や兜やらを回収し、インベントリに入れる。次にアバター装備のあれこれや、雑多な小物類。それからメイスや盾──最後に、仲間たちとの通信腕輪。

 機械的にそれらを回収してゆく。装備しようかとも迷ったが、その作業をこなす気力は無かった。先ほど笑顔と共に嘯いたのに、全ての力を振り絞ってしまったのだ。


「……死にたい、なぁ……」


 日常茶飯事を呟くように、彼女はぼやく。全てから逃れる為に、黄泉の国へと逃げ込んでしまえればいいのに。

 三つの腕輪を手に取り、暫しそれらを眺める。仲間たちとの連絡手段だけは、何時でも使える状態にしておくべきだろうか。木箱の前で正座したまま、彼女は思考を空回りさせ続ける。

 ──と、不意に腕輪が振動し始めた。アージェンは驚き、腕輪を取り落としてしまう。鳴っているのはパステルレッド、レオロと繋がっている物だ。

 何か用事だろうか。早く出てやらねば──そう思って腕輪を拾い上げようとするが、ふと手が止まる。今彼らに対し、『アージェン』の仮面を被り続ける余裕は有るのか、と。


(……無理だ)


 彼女は俯いた。絶対に破れかぶれになる。少なくとも、親分らしい振る舞いなぞ出来まい。止まった手が震え出す。


「……ご、めん」


 アージェンを呼び出す為の音を発し続ける腕輪に、触れる事が出来なかった。やがて相手が諦め、腕輪が静かになるまで、彼女は虚ろに震え続けていた。

第七章はここまで。

おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/6bcb1429-90ae-436a-addb-55d244b8362d/bf2a25ecc21949e315580f45cac582f8

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