61:奔流の先導者
蛍石の月12日。その日和は、まっこと、天帝にでも祝福されたような晴れやかな空であった。
からっと乾いた風が、心地よく吹く。雲一つ無い青空に、しかしうららかで柔らかな日差し。その蒼天の雄々しさたるや、まさに彼女がこれから成そうとする事を表しているかのようであった。
「本当に……絶好の革命日和ですね」
シミ一つない白い軍服でめかしこんだジャディスリィは、空を見上げてそう呟く。服と揃いの軍帽を被り、髪は首の後ろ辺りで一つ縛り。彩度の低い橙色の髪と、それを纏め結ぶ真っ赤な飾り帯が、ふわりふわり、と風に靡いている。
これまでの準備は、全て恙無く行われた。ゾグシェーノ周辺での根回しも、プレイヤー側の切り崩しも。
彼女が蒔いた種は無事萌えて、アージェンやルシフェルを壊す事に成功したらしい。その過程で多くのエルフたちが犠牲になってしまったようだが、しかし彼らの無力化と引き換えならば致し方有るまい。
(心は痛みますけれど、今は前に進まなくては)
胸に手を当て、ジャディスリィは決意を再確認する。その犠牲を無駄にしない為にも、この革命は必ず成功させなくては。
決起の宣言として、まず彼女は異種族レジスタンスの人々を率い、ゾグシェーノ首都の中央広場を占拠した。催し物が有る時の舞台としてよく利用されるこの広場は、今まさにこの国の改革劇の舞台となった。それに抵抗した者は、ヒューマンなら即殺され、人外であれば催眠魔法で無力化された。
とはいえ、一般市民は彼女の端末たちが睨みを利かせてるから出て来ないし、現れたのは殆ど兵隊だけだった。その兵隊も彼女の魔法の一撫でで殺されてしまうとなれば、最早体制側に為す術は無い。
十数人の兵士の屍が転がされた辺りで、抵抗も止んだ。無駄死にを避けるだけの脳は、相手側にもまだ有るらしい。
(さて、と)
彼女と、黒い軍服に身を包んだ彼女の端末たちと、ゾグシェーノに潜んでいたレジスタンス組織のメンバーのうち有る程度自衛力を持つ者たち。総勢100名を越える軍団が広場を埋め尽くしたのを見計らい、ジャディスリィはふわっと自身の身長分程浮かび上がった。
「皆さん」
そして、いつも通りの良く通る声を発する。すると、端末でないレジスタンスたちがビシリと気を引き締め、彼女に注目を向けた。端末たちは自然体のままだが、これは最初から彼女に注目しているから動かないのだ。
数多の感情が籠った、無数の視線が向けられる。それに対し、ジャディスリィは強固な信念を宿した瞳で以て応えた。
「……このゾグシェーノ、いえ、ケヴルーアという大地に住まう人々は、常にヒューマンどもによる弾圧に脅かされて来ましたね。
或る者は、家畜扱い。また或る者は、奴隷扱い。そしてまた或る者は、魔物扱い。
──酷い話です。この世で最も優秀な種族たちである皆さんが、よりにもよって劣等種のヒューマンどもに、そんな扱いをされていただなんて」
苦しげに、悲しげに、ジャディスリィは滔々と語る。そこに籠められた感情は、ゾグシェーノにおける人外種族の扱いを知った彼女の、偽りの無い本当の心であった。
「ですが辛い雌伏の時は、今日この日に終わりを告げます。もう皆さんが嘆く必要は無いのです。
何故ならば、世界樹の“使者”たるこのジャディスリィが、この大地を──この世界を正すからです。
さぁ、皆さん! あの国旗をご覧なさい!」
先ほどまでの悲愴な語り口から一転し、彼女は力強く号令をかける。その手が指差す先には、緑地に紋章の描かれたゾグシェーノの国旗が棚引いていた。
「zi'e'ai .iacai zo'oi. 赤き御旗を掲げましょう .zoi!」
演出の為の分かりやすい呪文を、彼女は高らかに詠唱する。瞬間、百年余もの間この地を支配していたゾグシェーノの象徴は、爆発的な炎に飲まれて灰となった。
そして一瞬の間も無く、その灰は魔法によって変換され、彼女の髪を飾るリボンと似たような意匠の旗となる。国旗が燃えたかと思ったらその姿が書き換えられていた、という事実に、レジスタンスたちは感嘆の声を、緊張しながら流れを見守るヒューマンたちは恐怖の声を漏らす。
「わたしは精霊。わたしは“使者”。世界樹に招かれし異界よりの“使者”は、浮世に奇跡を齎します。
これはまだまだほんの序の口。あなたたちが忠誠を誓うのならば、わたしは奇跡の加護を与えましょう。
愚かで脆弱なヒューマンどもを、表舞台から永遠に放逐しましょう。そしてわたしたち人外による、本当の理想郷を実現させるのです」
続く彼女の演説に、見え難い所で潜んでいる兵士たちの緊張が更に高まるのを感じる。まぁ、レベル50にも満たない雑魚兵士なぞ、端末だけでもちょちょいのちょいだが。
「この革命は、その下準備に過ぎません。いずれわたしたちはケヴルーアの全てのヒューマンを下し、他大陸にも足を伸ばします。
それは、果てしなく長い闘いとなるでしょう。多くの犠牲も出る事でしょう。今わたしの前に居る皆さんが生きている間に終わるとも限りません。
ですが、寧ろそれ故に、わたしはあなたたちの力が欲しい。あなたたちが必要なんです。
どうか付いて来てくださいな。見返りに、わたしは必ずや世界の改革を成し遂げましょう。完全無欠のハッピーエンドを、この手に掴み取ってみせましょう!」
強めた語気と共に、彼女は右手を天高く突き上げてみせる。すると、暫しの沈黙の後、まるで示し合わせでもしたかのように歓声が上がり始めた。
「お、おおっ、ウオオオオオオオオオ!!」
「やるぜやるぜめっちゃやるぜ! やってやろうぜ!!」
「ジャディスリィ! ジャディスリィ! ジャディスリィ!」
「散々辛酸を舐めさせられてきたんです、ヒューマン許すまじ!」
「あの素敵なおみ足に踏んづけられたい」
「ヒューマンをぶっ殺せ! ヒューマンは殲滅だ!!」
「ジャディスリィ様に栄光あれ!」
好き勝手に叫ぶレジスタンスたちを見下ろし、ジャディスリィは愉悦たっぷりの笑みを浮かべる。そしてその表情の裏で、彼女は尚冷静さを保つ思考を展開する。
(これならとりあえず、人心掌握は成功……と、言えるでしょうか)
ここで言う『人心』に、ヒューマンのモノは含まれていない。ヒューマンは後々全部魔法で洗脳して奴隷にする予定だし、人外種族の心さえ掴めればそれで良いのだ。
ゾグシェーノの人外のヒューマンに対する鬱憤は、溜まりに溜まっている。ヒューマンを甚く冷遇する事に異を唱える者が出ないとは限らないが、しかしマジョリティはジャディスリィの味方をするだろう。
「……皆さん、ご声援、ありがとうございます。あなたがたの正しい想いが、わたしを突き動かす力となります。
はてさて、それでは次の奇跡を起こしてみせましょう。名付けて“一騎当千の奇跡”──とくと、ご覧あれ」
そう語りながら、ジャディスリィは舞踊じみた動きと共に、一振りの剣を装備し、構える。そしてそれを宙に向けて振りかざし、同時に数多のメニュー画面を開いた。
──瞬間、この中央広場から程近い、ゾグシェーノの中枢たる王城の方から、巨大な魔力の槍が彼女の頭目がけて飛んで来た。その気配に、ジャディスリィはそちらを振り向く。
「ジャ、ジャディスリィ殿!」
レジスタンスサブリーダーのエルフの女性が、青い顔で悲鳴じみた声を上げる。あの魔法は、ゾグシェーノの宮廷魔導師の必殺技だ。いくら彼女が“使者”なのだとしても、そんな代物をモロに喰らったら──そんな感情の籠った声だった。
その場に居る端末以外の誰もが、彼女の頭が弾ける光景を想像し、確信する。だが次の瞬間繰り広げられたのは、血と肉と骨の雨ではなく、魔力の槍を彼女が片手で払い除け、消し去るという光景であった。
「あら……ちょっと焦げましたね。“英雄級”が居るのでしょうか」
手袋の甲がほんの少し黒く焦げ付き、煙を上げている。呆気にとられる人々を見下ろしながら、彼女はマップ画面から術者と思しき存在のステータスを呼び出した。レベル87、種族はエルフ──ぴく、と彼女は眉根を動かす。
(これは……)
推測が幾つか走り、それに呼応して感情も揺らぐ。だが彼女はそれを一先ず裏側に仕舞い込み、演説を再開する事にした。
「……と、邪魔が入りましたね。まぁ、良いでしょう」
件の魔法使いは、ゾグシェーノが保有する最大戦力だと聞く。そいつの全力攻撃を軽くいなして微笑むジャディスリィに、レジスタンスの熱狂は最高潮を迎え、同時に兵士たちの絶望も頂点に達した。
「さて、奇跡の続きと致しましょう。今からわたしはあの城に乗り込み、暗愚の王を捕まえて来ます。
皆さんは見ていてくださいな。……“使者”を味方に付けるとは、こういう事だという事を」
ちらりと端末たちに目配せをした後、そのまま彼女は城に向かって飛び出す。空路にて全速力で先ほどの強力な魔法使いの反応の元に向かい、そいつが居る部屋のステンドグラスを体当たりで割って突入した。
そこは、円卓の有る大きな部屋だった。何十個もの席がぐるりと並んでいるが、しかし中に居るのはたった一人──深い紺色のローブに身を包み、そのフードで顔すらも隠した、上背の有る長い黒髪の魔導師。
「……一人、ですか。あなたの主は?」
「私が逃がした。あの方は、我々にとって必要な人である故」
武器を持つ相手に対し、一人で魔法で対処するのは難しいと判断したのか、彼──声からして男性だ──は柄の長いモーニングスターをローブの中から取り出し、構えた。同時に指が鳴らされ、部屋の外から無数のゴーレムが雪崩れ込んで来る。
「それで、命がけで反乱軍を迎え撃ち、ですか。良くヒューマンの王なんかを守ろうと思えますね」
「──貴様と無駄話をしてる暇は無いッ!」
ゴーレムたちがジャディスリィへと殺到し、魔導師も円卓の上を駆けて彼女の元へと向かう。だが質の悪いゴーレムは軽く撫でるだけで潰れるし、男の振り下ろした鎚も片手で受け止めてしまえた。
「ッ……!!」
「まぁまぁ、話し合いをしましょうよ。案外、落とし所が見つかるやもしれませんよ?」
可憐に笑いかけながら、ジャディスリィは彼のフードを剣の切っ先でめくってみせる。すると、憎悪に歪められた青い目の青年の顔が露になった。耳は──見ると、削がれてしまっている。
「あら、あなた、耳はどうしたんですか?」
「……幼い頃、病気で駄目になったから切り落としたのだそうだ。それがどうした」
「へぇ、ふむ、成る程……ええ、大体分かりました」
ゴーレムを大人しくさせて武器を降ろし、一応は話し合いに応じる姿勢を見せた彼に、ジャディスリィは余裕たっぷりの所作でこくこくと頷く。そして彼女は青年の間合いの中に無防備なまま飛び込み、言葉を紡ぎ始めた。
「突然ですが、あなたの種族は?」
「見れば分かるだろう。ヒューマンだ」
「そうですか、そういう事ですか……本当、ゾグシェーノも惨い事をしますね。
──ma'u'ei mi do fo le jetnu cu ctuca .i .uu mi .i'i fi le kamcro cu jimpe ma'u'oi
zi'e'ai doi laldo velxai ko canci」
「何を……ッ!?」
魔法が発動する。削ぎ落とされた彼の耳を、本来有るべき姿に再生する魔法だ。彼の耳穴の辺りを一瞬炎が撫でると、そこから欠けていた耳が復活し──彼の本来の種族たる、エルフの耳が露になる。
「い、一体、私に何を……」
「古い傷を治しただけです。はい、こちら手鏡です、お貸ししますよ。それから、これがあなたのステータスです」
インベントリから可愛らしい手鏡を取り出し、青年に手渡す。同時に彼のステータス画面を開示設定にし、拡大して見せる。
彼は少しの間、鏡とステータスとに交互に視線を移し続け、やがてゆっくりと、自分の頭の横に手をやった。そしてそこに有るのが間違いなくエルフ耳である事を理解すると、彼は溢れ出した狂乱のままに叫び始めた。
「あ、ああ、あああ……ああああああああ──」
強力な魔法使いを得る為に、才能の有るエルフの幼子を攫って来て、耳を削いでヒューマンとして英才教育を施した──思い浮かぶ筋書きは、こんな所だ。そして、それは恐らく当たっているのだろう。
ジャディスリィは更に彼に接近し、両腕を広げて青年を抱擁した。震える彼を、たっぷりの慈愛を込めて抱き締めながら、彼女は優しく言い聞かせる。
「大丈夫ですよ。わたしが居ますから」
「……大丈夫……?」
「はい、安心してくださいな。そうだ、荒れ狂うあなたの心に、名前を付けてあげましょう。
あなたを今駆り立てているのは、ヒューマンに対する憎悪です。このわたし、ジャディスリィに対する忠誠です。分かりますか?」
ゆっくりと、穏やかに、摺り込むように言葉を紡ぐ。すると、やがて彼の叫びは止み、身体の震えも収まっていた。ジャディスリィは彼を抱き締めたまま、その背を撫でて問いかける。
「さて……あなたの“元”主は何処ですか?」
「あそこの石像を回すと、隠し通路の扉が開く。王はそこを通って行った。だが荷物も多いし足も遅いから、まだそう遠くには行ってない筈」
「分かりました。ありがとうございますね」
すっかり素直になった彼に、ジャディスリィは満悦の笑みを浮かべる。その辺で彼から離れながら、彼女は侵入口となった窓の方に声を掛けた。
「1さん、来てください」
「ここに」
呼ばわれた端末筆頭の1が、窓から部屋の中に飛び込んで来る。外壁をよじ登って来たのだ。無表情のまま息を整える彼に、少女は素早く指示を出す。
「このエルフは新しい端末候補です、保護をお願いします。わたしは王様と鬼ごっこをしてきますので」
「御意。──後顧の憂いは有りませぬ故、どうぞ、存分に」
「ええ」
やや惚け気味のエルフの青年を1に託し、ジャディスリィは指示された石像を動かして隠し通路を露にさせる。そして暗い回廊の中に飛び込み、マップを見ながら迷う事無く進み始めた。
ゾグシェーノの異種族レジスタンス組織の一つの元リーダー、現革命団のサブリーダーのエルフの女性・レニノは、憎きゾグシェーノ王の身柄を捕らえて戻って来た現リーダー・ジャディスリィの姿を見上げ、険しい表情を露にしていた。
(……重畳かつ順調、ね。怖いくらいに)
レニノは同胞を愛し、その未来を憂いていた。だからこそ彼女はレジスタンスを立ち上げ、革命を実現する為の力を引っ提げて来たジャディスリィと手を組んだ。
レニノだけでは、これを実行に移す事は出来なかっただろう。他の愚痴り合うだけの名ばかりレジスタンスと同様の道を、レニノの組織も辿っただろう。
ジャディスリィのお陰で、悲願は無事に叶った。抑圧されてた人外種族たちも、これで良い暮らしが送れるようになるだろう。逆にヒューマンが弾圧される事に何も思わないわけではないが、それに異を唱えようと思える程の聖人でもない。
(けど、何だか、イヤな予感がするのよね……)
ジャディスリィは有能な指導者だ。革命の才能も施政の心得も具えている。その上彼女は不死身たる世界樹の“使者”、死せども蘇る無敵最強の王ともなれば、それらの才能はカリスマを纏って一層光り輝くだろう。
だけれども──発起の直前、ゾグシェーノを騒がせていた連続エルフ少女行方不明事件。一見無関係に見えるその事件だが、それにより人外保護の風潮──動物を保護するような具合で、そういうブームや団体も存在していた──が高まり、レジスタンスが動きやすくなった、という背景も存在している。
(もし、関係が有るのだとしたら……)
この決起を成功させる為に、彼女はエルフを犠牲にした、少なくともそれを容認した、という事になる。レニノにとって、それは許せる事ではない。
(……私たちは、彼女に付いて行って良いの?)
分からない。今ジャディスリィを何とか追い落とせたとして、レニノに新しいゾグシェーノを治めるだけの力量は無い。だがこのままジャディスリィに服従していたら、いつしかレニノやレニノの大切なものも切り捨てられてしまうやもしれない。
「ウッヒョホホーゥア!」
「ジャディスリィ様ー!!」
「新時代の幕開けだァーッ!!」
人々の熱狂は収まりそうにない。冷静なのは、レニノと──それから、騒ぎの中心たるジャディスリィと、その直属の部下たちだけであるようだった。




