46:アルカディア・シンドローム
何処何処のギルドハウスは閑散としていた。特に企画も無い時にはこのくらいの静けさが当たり前なのだが、それでもメンバーの減少が響いているような、そんな気がした。
数名だけ屯していたメンバーに軽く挨拶しつつ、アージェンはレオロにまずギルドハウス内を案内する。何らかの集まりが有る時に使われるカフェスペースや、近頃使用される頻度が高くなったという厨房、建物の近くに有る幾つかの絶景ポイント等々。
もし迷子になったら通信機で呼んで欲しい事、無駄な諍いは起こさないで欲しい事等の決まり事も伝えつつ、最後に彼女たちは宿舎に向かう。すたすたと廊下を進み階段を上るアージェンとは対照的に、レオロはちょくちょく足を止めたり、何か言いかけたりしていた。
彼が恥ずかしがっているのには、気付かない体をしておいた方が面白そうなので、足を止める度に無邪気を装い「どうかした?」と問うたりしておく。そうして相手が眉根を寄せて唸ったり顔を逸らしたりするのに、彼女は心の中で腹を抱えて笑い転げた。
(我ながら性格悪いなぁ……)
それを咎める自分も何処かに居たが、色々苦労しているのだからこれくらいは、と彼女は自身に言い訳をする。やがて自分の部屋の前に辿り着いた所で、アージェンは扉を開け友人を招き入れた。
「さぁ、どうぞ。何も無い部屋だけど、ゆっくりしていってくれ」
「お、お邪魔します……」
土産物やら何やらで彩られているのみの部屋に入り、そして念のため鍵を閉めた。アポイトメントも無しに誰かが訪ねて来る可能性は低いが、リストカットの現場を見られるのは面倒くさい。それに、転移のクールタイムはもう終了しているから、無いだろうがもしレオロに妙な気を起こされてもすぐ逃げられる。
ちゃぶ台の元に座布団を敷き、彼に座る様促す。自分の分の座布団も置き、二人とも座った所で、短く呪文を唱え防御魔法でコップを作り出した。
「アージェン」
「何だ?」
「……ここ最近、お前は本当に変わったよな。前の──“使者”のいざござが始まる前のアージェンだったら、俺をここに連れて来たりはしなかっただろう」
彼女が一部の装備を外し、ナイフを取り出した所で、レオロがマフラーを解きながらそんな事を言い出した。そのままさっさと傷を付けようとしていたのを一旦止め、彼女は返答を優先する。
「変わった、ってーのは否定しないが、あんたを連れて来たのは、ギルドの方で『連れて来ても良い』って明文化されたからでもあるんだよ」
「今までは駄目だったのか?」
「禁止するルールは無かったけど、許可するルールも無かったな」
そこまで言って、アージェンは歯を食いしばり、刃を手首に沈み込まさせた。ざっくりと深く傷を刻めば、びりりと鋭い痛みが神経を焼き始める。流れ出る血をコップに受け止めさせながら、レオロが唾を呑む音を聞いた。
痛みには耐性が高い方だ。ヒョでのタンク歴も長いし、酷い怪我や死に方をした経験も有る。しかし痛いものは痛い。痛みを和らげる魔法も有るが、この程度で使うのは面倒なので使っていない。
「っちー……」
噛んだ歯の間から声を漏らしながら、アージェンはザクザクと傷口を抉って広げる。やがて十分な量の血を注ぎ終えたので、回復魔法で傷を塞ぎつつ器をレオロの方に差し出す。
「はい、出来たよ」
「……頂く」
コップを受け取った彼がその中身を飲み始める傍ら、アージェンは流れた脂汗をぐしぐしと拭き、ナイフを仕舞ったり装備を戻したり等の後始末をする。
「しっかし、良く飲めるよな、血液なんて。味覚とか違うのか?」
「……多分、吸血鬼になった時に変わったのだと思う。説明は難しいが、今の俺には美味く感じる」
「へぇ、そういうものなんだ」
まぁ、生肉の食べられないライオンなんて居ないのだから、当たり前なのかもしれないが。空になったコップを消しながら、ステータス的には何ともないが多少貧血になったような気がする頭を抱える。
「具合でも悪いのか」
「多少な。心配は要らない、ちょっと静かにしてれば治る」
案じるレオロの言葉に、彼女はそう返して目を閉じ、「あ~……」とか間の抜けた声を漏らす。そうしていると、彼がばつ悪そうに肩を竦める気配がした。
「ねぇ、レオロ」
目を閉じたままちゃぶ台に突っ伏し、アージェンは籠った声を相手に掛ける。
「これはわたしの独りよがりな善意なんだ。ボランティアの結果疲れたり、具合が悪くなったのだとしても、全部自業自得。だから他人のあんたが気にする必要は無い、良いね?」
「えっ、あ、ああ」
「それにな、わたしはあんたにも長生きして欲しい。多少の苦痛であんたが元気になるんなら、献血くらいいくらでもしてやる」
──だから、わたしを置いていかないで。
漏れそうになった弱さの本音を、ギィッと噛み殺す。顔を上げないままの彼女に、やや有って彼の「分かった」という了承の言葉が掛けられた。
「……やはり、アージェンは変わった」
「知ってる。……周囲が変われば、否応にも変わらざるを得ないのさ」
顔を上げながら、アージェンは自嘲する。自分を取り巻く環境は変わった。現実世界が消え、ヘイゼルと風雲が消え、ラインハルトが消えた。どん詰まりの現状に、プレイヤーたちの間に漂う雰囲気は澱み続けている。
打開策は無く、どんどんと狭まりいずれ行き止まりになる暗い道を、そうと分かっていても進み続ける他無い。そんな状況に晒されているのだ、変化だってするだろう。
「あぁ、嫌だなぁ……もう変わりたくないな……」
他動的に変えられてしまうような状況から脱したいという、儚い願い。自分自身の能動的な選択によって変わるならともかく、それが許されないのは息が詰まるようで苦しい。
意志の力が弱くなったような気がする。いつか決定的な崩壊が引き起こされそうで怖い。少しばかりの恐怖を誤摩化すように、彼女は肩を落として溜め息を吐いた。そこにレオロが言う。
「変わったからといって、別にそれでも良いと思うが」
「じゃあわたしがなよなよした、それこそ貴族のご令嬢みたいな、とてもリーダーとは言えない程泣き虫で優柔不断で、だのに傲慢さだけは据え置きのクソになったらどうするんだい?」
「……それは流石にやだな」
「だろ?」
変化を受け入れ続けたら、何時しか『理想の親分』の仮面も剥げて、本当に駄目人間になってしまうかもしれない。そうなったら彼らを率い続ける事は出来なくなる。同情くらいはしてくれるだろうが、立ち直らないと分かったら見捨てるだろう。
「ま……精々足掻くさ。なるだけ、理想を守れるように」
幸福の夢に取り憑かれた、理想郷症候群患者。フュールの言葉が蘇り、アージェンは嘲笑を浮かべる。アルファルドのエルフたちを笑えないな、と。
廃墟のような暗闇の中、彼女は何かに追われるように走っていた。恐怖と憔悴に上がる息の苦しみが、いやに生々しく感じられる。
ひたすらに異形の右腕を振るい、自身の中に巣食う弱さを潰す。“五条あけみ”という、今や唾棄すべき存在を。
そうしなければ弱さが膨れる。膨れた弱さは脆弱性を生む。どんなに城壁を堅く固めても、脆い所を突かれれば簡単に壊れてしまう。
壁が壊れたら悪意に負けてしまう。心が挫かれてしまう。そして、そして──。
(……あれ?)
はて、何から守る為に壁を作っているのだろう。現実の悪意の源は遠ざけている。アージェンに敵意を持つ者が居ないわけではないだろうが、そういう奴には近づかないし、近づけさせないようにしている。
一体自分は何と戦っているのだろう。己の弱さだろうか、それとも外界の何者かなのか。
いや、悪意はずっと彼女と共に在る。それこそ、この世界にて“アージェン”が爆誕したその時から。彼女を滅ぼし食い物にしようとしている、ずっと近くから見つめてきているその悪意の正体、それは。
『────』
先日倒した“魔神”の声が蘇る。腐った卵のような酷い臭いが漂い出す。
いつの間にか周囲の闇が液状となり、彼女を溺れさせていた。足掻けば足掻く程闇は粘性と剛性を増し、彼女を閉じ込めようとする。闇に姿が溶けてゆく。
息が出来ない。苦しい。早く弱さを潰して、この闇を払わねば──。
「……う」
眠っていた様だった。あの後レオロをイーアイレアに送り、そして戻って来た所で、一休みをしようとベッドで横になったのだが、どうやらそのまま睡魔に負けてしまっていたらしい。
また、息の詰まるような夢を見た気がする。今日は“アージェン”側の視点だった、ような覚えが有る。この変化は良いものなのか、それとも悪いものなのか。
意識の表面に残っている夢の断片を何となく繋ぎ合わせて、それ以上思い出せない事を確認した所で、アージェンは身を起こす。殆ど装備を外さず──というか、普段着のまま寝入ってしまった為か、身体が凝ってしまっていた。
一旦半裸になって、二度寝を敢行してやろうか。横になって休むだけで、本当に眠るわけではないが。と、そこまで考えた所で、先ほどの夢の登場人物が彼女自身だけであった事を思い出した。
「……マジかよ」
夢にすらヘイゼルが出なくなった。首飾りの喪失が、こんな形で響いてきたのか。気を紛らわす為ヘイゼルとの思い出を想起しようとしたが、それすらもノイズに塗れていて、愕然とする。
印象的な台詞や動作、思い出のあらすじくらいは何とか出て来るのだが、声や表情、細かい所作等が殆ど思い出せない。手がひとりでに胸元に向かったが、そんな事をしても指はただ宙を掻くのみだった。
「っう、うー……マジかよぉ……」
嗚咽が漏れる。狂おしいまでの寂寞に、息が苦しくなってきた。頭が痛くなって、彼女はばたりと布団の上に倒れ込む。
仰向けに倒れて、こめかみを伝う涙の感覚に、ああまだ涙は枯れていないのだな、とそんな事を思った。悲しくて泣けるならまだ正気だ。まだ狂ってはいない。
「う、クぅーっ……はァー……」
けれども、疲れてしまった。彼女は、悲しみの感情に疲弊を覚えるようになって来ていた。泣けば疲れるのは当たり前だが、今は感情自体にくたびれてしまったのだ。
ヘイゼルに会いたい。ヘイゼルと話したい。……けれども、そう願うのに心から疲れ切ってしまった。
出涸らしの悲嘆の中、彼女は未来を見る。涙すらも流れなくなり、ヘイゼルに対して何も感じなくなる可能性を。
(……そうは、なりたくない、な)
例え手の届かない、最早報われる事の無い想いだとしても、ヘイゼルとの友情はきらきらと輝く宝物だ。唯一無二の絆なのだ。それを自分から投げ捨てる真似なぞ、例え金を積まれてもやりたくない。




