25:狭間を望む
『月長の月』の次の月である、瑪瑙の月の1日。その日、エジャの世界樹広場は、約一ヶ月前のアップデートのイベントの日と同レベルの賑わいを見せていた。
思い思いの武器を手にした多くのプレイヤーたちが、地割れの深淵を望みながらロジバンの合い言葉を唱える。皆、新ダンジョン内ではメニューが開けない可能性が有る事を考慮して、回復薬等はインベントリではなく普通のリュックやポーチに収納していた。
武装していないプレイヤーは、見送りに来た居残り組だ。ダンジョン組は、そんな友人たちと一時の別れを惜しんだりしている。そんな彼らを、アージェンは防御魔法の足場に乗って上空から眺めていた。
一昨日、広場の地上でヘイゼルと話した時も相当混んでいたが、今日はその倍以上混雑していた。ダンジョンに赴く者だけならこうはならなかっただろうが、今は見送りや単なる野次馬等も居るのだ。上空も地上と同様、ごった返している。
「では、往きますぞ! 総員、始めーッ!!」
「.i doi .iugdracil. la .iugdracil.──」
ふと、アージェンの位置から程近い空中にて、ドギツイ緑色の髪の竜人が、数十名程のプレイヤーを引き連れて呪文を唱え始める。秩序立って等間隔に並びを形成する彼らが一斉に唱えると、まるで合唱か何かのようにも感じられた。
間もなく彼らは呪文を唱え終わり、そして一斉に光の帯に浚われ消える。同時に彼らがその場に形成していた足場も、空気に解けて消滅した。
「──.i lo temci cu ca culno .i nau doi pluta ビー……ヴェ……発音間違えマーシタ……」
「Hey Daniel, Do not mistake. You only have delayed」
消えた彼らの向こう側には、何度も発音を間違えているらしい忍者みたいな格好のハーフリングと、その仲間たちが居た。どうやら彼らの多くは外人らしく、ロジバンや日本語の他にも、英語やフランス語、ドイツ語等が飛び交っている。
その内、何度もつっかえていた彼もその仲間たちも呪文を唱え終え、バラバラに消えていった。彼らは防御魔法の足場ではなく、付与魔法による浮遊を行っていた様だったので、足場が消えるエフェクトが発生する事も無かった。
他にも、数多の団体が呪文を唱え、そして消えてゆく。二日前は野良プレイヤーや少数ギルドの出発が多い印象だったが、今日は中規模・大規模ギルドが多い感じだ。
「──.i doi tolspo bratricu .iugdracil. ko fi mi dunda .ei fe lo kampanpi .e lo kamgei──」
アージェンよりも高度の低い所で、ふわふわと風に吹かれて浮かびながら、何かのメロディを付けて謳うように唱えているのは、風雲だった。唱え終える間際、彼はアージェンの視線に気付き、こちらを微笑みながら見返した後、そのまま消えていった。
何処何処からダンジョンに向かう事になったのは、彼だけだった。他にも数名程100レベルのメンバーは居たが、誰も行こうとしなかったのだ。
彼は割と後衛寄りだった筈なのだが、大丈夫だろうか。無事風雲がダンジョン内で良いPTに巡り会える事を祈りながらきょろきょろと辺りを見回していると、ふと一人の少女の姿が目に入った。
「……」
精霊の特徴である、色の無い肌にエルフ耳。それから白目が赤く、逆に瞳の部分が白くなっている目。そしてやや暗いオレンジ色の髪を真っ赤なリボンでポニーテールにしている彼女は、悪名高いギルド・ブラッディリボンのマスター、ジャディスリィだ。
ブラッディリボンに名を連ねる『悪人ロールプレイヤー』には、これまでも時折その悪行に巻き込まれたりもしたから、あまり良い印象は抱いていない。一応何処何処と同じロールプレイヤーギルドという事で、たまに交流を持ったりもしたが、この世界をあたかもサンドバッグのように扱う彼らはどうにも好かなかった。
特にジャディスリィは、その身に纏った『外道ロール』を徹底的に貫くきらいが有る。だから、彼女がヘイゼルや他のギルドと協力するという事を聞いた時には、密かに吃驚仰天した物だ。今回のような非常事態なら別、という事なのだろうか。
そんな風に思案を巡らせながら彼女の姿を見ていると、注がれる視線に気付いたのか、ジャディスリィはくるりとこちらに振り返った。そして、朗らかな微笑みと共にこう問う。
「……どうかしましたか? 何か、わたしに御用でしょうか?」
「あッ、いえ。ごめんなさい、何でもないんです」
挙動不審になったアージェンの受け答えに、ジャディスリィは「そうですか」とお行儀良く言って、そのまま興味を失った様に再び眼下の地割れを見つめ始めた。確か彼女もレベル100に達しているし、ブラッディリボンにはカンストレベルのプレイヤーが多く在籍している筈なのだが、ダンジョンには行かないのだろうか。
やがてジャディスリィは満足したのか、使っていた足場を消した後転移した。一体何を企んでいるのだろうか。ブラッディリボンの毒牙はNPCにも及ぶから、仲間たちが心配だ。
(……その為にも、自治組織頑張らなきゃな)
自治組織の休みがどの程度有るのかは分からないが、真面目に治安を守りつつ、休日にはなるだけNPCの仲間を守れるように行動しよう。そうしながら、ダンジョンに向かったプレイヤーたちの帰りを待てば良い。
「──これより、我々バタフライエフェクト・ダンジョン攻略組は、謎とバグの渦巻く新ダンジョン《狭間の道》へ突入します。皆さん、忘れ物は有りませんか?」
張り上げられたヘイゼルの声が、アージェンの耳に届いた。そちらの方へ振り返れば、巨大な斧を担いだヘイゼルがギルメンを激励している場面が目に入る。
「一度入ったら引き返せませんからね。ポーションは十分揃えましたか、武器や防具の耐久度は万全ですか?
……うん、皆さん、大丈夫なみたいですね。では、呪文を唱えましょう」
彼らは一斉にプリントを取り出し、訥々と合い言葉を読み上げ始める。アージェンにとってそれは、ヘイゼルとの別れが近づく事を知らせる秒読みのようでもあった。
「──.i lo ro mi lo ro kamji'e .e lo ro pruxi do re'e friti──」
真剣な表情でロジバンを読み上げるヘイゼルの声が、何とも不吉な物に聞こえて──アージェンの胸の内がこれでもかとざわめいた。膨れ上がる嫌な予感が、彼女の理性を摩耗させる。そして、衝動のままに行動せよ、と囁く。
「──.i lo temci cu ca culno──」
呪文も終盤だが、今なら間に合う。すぐにでもヘイゼルの詠唱を妨害し、こちらに繋ぎ止めよ──足が一歩前に出たが、何とかそこで押し止めた。彼女が進むと決めた道を邪魔してはならない、と。
「──.i nau doi pluta be lo selpa'a ko co'a kalri .a'ocai!」
次の瞬間、詠唱が終わり、そしてヘイゼルの姿が帯に浚われ消えた。他のバタフライエフェクトのメンバーも次々とダンジョンへと突入してゆくのを視界の端に映しながら、アージェンは呆然とした表情でヘイゼルの居た辺りを見守る。
「……っ」
もう、何処にもヘイゼルの姿は無い。地割れを見下ろしてみても、暗黒の奥底から伸びる光の紐以外には何も無い。
氾濫しそうになる感情を堪えながら、アージェンは首飾りに手を触れる。そして自分自身を宥めるように、ぶつぶつと呟き始めた。
「大丈夫、大丈夫……」
彼女は約束したではないか、必ず帰って来る、と。その言葉を思い浮かべ、アージェンは自らを安心させようとする。
「……う、ううっ、うっうっ……」
けれども、嗚咽と涙が表出するのを止める事は出来なかった。頬を伝った涙の雫が、透明な空中の足場に落ちる。
アージェンはその場で膝から崩れ落ち、両手で顔を覆いながら声を抑えて呻き出す。周囲のプレイヤーの怪訝げな視線が彼女に注がれる中、アージェンは途切れ途切れにメニューへ音声入力をし、何処何処宿舎の自室へと転移した。
そうして多くのプレイヤーが、新ダンジョンの中へと足を踏み入れて行った。ヘイゼルに協力を表明したギルドだけではなく、それ以外のギルドやギルドに所属していない野良プレイヤーたちも、こぞってダンジョンへと突入した。
その数なんて正確には分からないが、優に数百人、もしかしたら四桁の100レベルプレイヤーたちが突入したやもしれないと言われている。そして、取り残されたプレイヤーのうち、三分の一くらいがキーマ率いる自治組織《蓮の糸》のメンバーとなった。
徐々に低下してゆく民度の中、暴走したプレイヤーからヒョの世界を守る為、自分たち自身を守る為、そしてダンジョンに向かった者たちが安心して帰って来れる場所を守る為。完全に潔白で美しい意志を持つ者ばかりではなく、報酬目当ての者も多かったけれど、何がともあれ《蓮の糸》は治安維持に従事した。
そうやって過ぎてゆく日々の中、地上に取り残された者たちはダンジョン組の帰還を待った。待ち続けた。
そして、『瑪瑙の月』の次、琥珀の月の10日。その日──、
──ログアウト不可バグ発生から72日が経過するその日になっても、ダンジョンに向かったプレイヤーは帰って来なかった。




