11:あなたと見た空
「──いやぁ、あの時殴られて押し倒された時には本当、胆が冷えたね。やばいやばいーってなってさ、んで《魔性開放》使ってさー」
「ふんふん、それでそれで?」
「もう、仲間のエルフの奴がね、ウボァーッとか叫んでわたしにフレンドリーファイアして来たのさ。文字通りファイアだったし。火傷って重度だと痛みも無いんだね、初めて知ったよ」
その日、アージェンはヘイゼルに連れられ、とある獣道を歩いていた。惑星ウィナンシェ最大の大洋『サーザリア洋』の片隅にある、小さな島の一角だ。位置が悪く海は見えないが、濃厚な潮の香りが漂って来る。
何でもレベルがカンストし、最後の種族固有スキル《完全竜化》を手に入れたので、そのお披露目をするべくヘイゼルはアージェンを呼びつけたらしい。アージェンとしても、彼女の誘いを断る理由は無かったし、竜人の最終スキルとは如何なる物かという興味も有ったので、こうしてホイホイ付いて来たのだ。
アージェンとヘイゼルはレベルが違いすぎる。ヘイゼルはもうlv100だが、アージェンはまだ70にやっと届いた所だ。それ故に、二人はゲーム内では、チャットを交わしたりする事はあれど、パーティーを組んで遊ぶ事は殆どない。
けれども、外部のSNSなんかで頻繁に会話をしているし、ゲームでもどちらかが呼べばすぐに推参する。アージェンはこれまで幾度となくヘイゼルの力や知恵を借りていたし、その逆もまた然りであった。
「──でー、そんな具合になんやかんやして、無事そのデイウォーカーを仲間に出来たのです」
「はぁー……凄いねぇ、アージェンさん。この前も、絶滅種族を仲間にしたって言ってなかった?」
「II型ドロイドね。何と言うか、人外運が来てる気がする。確実に、こちらの方に」
「良いなぁ、人外。私は私で、ギルメンが色々個性有るから楽しいけど、NPCも楽しそうよねぇ……」
ヘイゼルに乞われて話していた、以前レオロを仲間にした時の顛末を語り終える。遠い目をしてそう言う彼女がマスターを務めるギルド『バタフライエフェクト』は、今や列強ギルドの筆頭だ。
彼女はとても魅力的な人物だ。頭が良ければ人望も有り、そんな彼女の元に多くの人々が集まるのは必然とも言える。それ故の苦労も絶えないようだが、それでも彼女はギルドを投げ出す事無くやって来ている。
「ヘイゼルさんの方はどう? 調子は?」
「ん、ぼちぼちね。リアルも忙しくって大変だけど、友人たちに恵まれてるから」
「そっかー……」
そんな会話を交わしているうちに、目的地に到着した様で、ヘイゼルは足を止めた。アージェンも、彼女の隣まで歩いた所で立ち止まる。
そこは、大海原を望む名も無き岬であった。丁度黄昏時で、空の夕焼けが海に反射し、溜め息を吐きたくなる程の絶景を形作っている。二人は一時、その美しさに囚われた。
「……良い景色だ」
「……本当、ね」
暫しの無言。心地の良い静寂だ。余計な言葉は要らない。ただ、二人でこの空を見ている、『美しい』と思う気持ちを共有している、その事実だけが在る。
「……さて、と! そろそろ私のドラゴンフォームをお披露目しちゃいましょうかね!」
「おおっ」
不意にヘイゼルが沈黙を破った。笑顔でこちらに振り向く彼女に、パチパチパチ、とアージェンは拍手する。ヘイゼルはストストと足を進め、岬の崖っぷちに立って言葉を紡いだ。
「──《完全竜化》」
その言葉と共に、スキルが発動した。目には見えないが、彼女の周囲が異様な雰囲気に包まれる。
まず、全ての装備が外れた。露になる彼女の裸体に目を見開く間も無く、その輪郭が崩れ、そして膨張し始める。人型の輪郭は完全に見る影も無くなり、やがて巨大化した彼女は爬虫類の輪郭を取り始めた。
翼を含めた竜の輪郭が完成した所で、鱗が赤銅色に色づき、榛色の瞳に光が宿る。尻尾も含めれば10mは有りそうな程に巨大な竜に、アージェンの喉からひとりでに感嘆の声が飛び出していった。
「……すっげぇ」
かっこいい。それが率直な感想であった。
無駄の無い、完成し切ったフォルム。口から覗く牙は白く、鋭い。四肢の爪もまた鋭く、地面を握って食い込んでいる。そして、広げれば自身の体長と同程度の幅にまでなる二対の翼をはためかせれば、周囲に烈風が巻き起こった。
「と、と……何だか不思議な感覚ね。これだけ元の姿とかけ離れてるのに、産まれた時からずっと竜だったみたいに馴染むわ」
厳つさの中に何処か愛嬌の残る顔が、アージェンに近づけられる。どんな姿になってもヘイゼルはヘイゼルなのだな、とアージェンは感心した。
《完全竜化》。竜人という種族が最大レベルになる事で習得出来る、能動発動する種族固有スキルだ。文字通り人の姿を捨て、完全に竜の姿になるスキルである。
半魔の《魔性開放》のように、HPとMPが回復したりステータスが上がったりはしないが、こうして巨大な姿になり、竜の身体を手に入れられる。竜の鱗はどんな鎧よりも高性能な防具で、竜の爪は如何なる剣よりも強い武器だ。ただでさえ素でぶっ飛んだ数値になる竜人のステータスと組み合わされば、まさに無敵としか言い様の無い戦闘マシンが完成する。
「さて、折角竜の姿になったのだし、飛びましょうか。アージェンさん、背中に乗って」
「あ……良いの?」
「どうせなら、アージェンさんと一緒に飛びたいのよ」
そう言いながら、ヘイゼルは身を低めた。アージェンは戸惑いながらも、竜の背に乗って空を飛べるという魅力には逆らえず、恐る恐る彼女の前肢辺りから手足を掛け、よじ上る。
アージェンが無事背に乗り、安定した体勢を取れた事を確かめた所で、ヘイゼルは身を起こす。そして数歩後ろに下がると、一気に空中へと駆け出した。
「ほっ」
「うひゃっ!?」
浮遊感。海面が近づき、落ちる、と思うや否や、ヘイゼルの両翼が力強く羽ばたき浮力を生んだ。何度かばさばさとはためき、やがて飛行が安定する。
「……はぁー、本当に飛んでる。しかも速い」
ヘイゼルの暢気な呟きが聞こえた。その通り、飛行船よりもずっと速い。空気が猛烈な風となり、アージェンの身体を叩きつける。吹き飛ばされない様にヘイゼルの背に密着して抱き着き、帽子を片手で押さえるのに精一杯で、目を開ける事も何か言う事も出来なかった。
「あ、アージェンさん、大丈夫?」
「ヘイゼルさ……ちょっと、ゆっくり……」
もう少し速度を落としてほしいと懇願すると、ヘイゼルは軽くこちらに目を向けて「分かったわ」と答えた。そしてぐるりと大きく旋回した後、先ほどより随分と緩んだスピードでのんびりと飛行し始める。
相変わらず吹き付ける風は激しいが、まともに目を開けて話せるので問題はもう無い。身を起こし、深呼吸をした後言葉を紡ぐ。
「ふぅっ……さっきのが最高速度なのかな」
「んー、感覚だけど、もうちょっと速く飛べそうだったわ」
「えっなにそれこわい」
また機会が有った時には、最高速度で飛んでも大丈夫なように、後でゴーグル等を買い求めよう、とアージェンは決意する。そして竜の背から望む世界に、彼女は歓声を上げる事すら忘れて見入った。
日は既に半分以上沈み、空を染める色も夕の朱より夜の紺の方が勝っている。この時間帯にしか見れないグラデーションだ。東の方には、既に一番星が煌めき始めている。
存分に空の景色を堪能した後、今度は海の方に目を落とす。徐々に深い色になってゆく海の中には、きらきらと青白く輝く物が揺れていた。遠いのでその正体はよく分からないが、その揺れ方からすると海草の類いだろうか。
「……やー、本当に、素晴らしい……」
「本当、そうね……」
綺麗な世界だ。現実ではまず有り得ないような体験に、感慨深く声を上げる。ヘイゼルの背に乗ってこんなに広い海の上の空を飛ぶだなんて、リアルでは絶対に出来ない。
数多の人外、楽しい魔法、濃密な世界観。それらが織りなす異世界を描いたゲーム《HYO》は、紛う事無き神ゲーである、とアージェンは思う。
これからも楽しく遊んで、レベルがヘイゼルに追いついたなら、一緒に組んで戦って。そう考えると胸が躍る。NPCの仲間や何処何処のメンバーたちとあれこれするのも楽しいし、後半年は飽きずに遊べるだろう。
「……私たちの付き合いも、結構長いわよね」
「ん、そうだね。えーっと……知り合ったばかりの頃も含めれば、もう三年くらいか」
「ネットの付き合いで三年続くのは、とても貴重だわ。これからもよろしくね、レイスさん」
「お、こちらこそ末永くよろしく、ヘイゼルさん」
コキコキと首を鳴らしつつ、アージェンは空を見上げる。沈みゆく紅の西日が、ヘイゼルの鱗を朱く鮮やかに照り輝かさせていた。
(あなたと見た空を、この景色を……)
焼き付ける。目蓋に、眼窩に、胸の内に。何時しかこの夢からも醒めなければならないけれど、思い出は色褪せないから。
《HYO》の正式サービス開始から約10ヶ月が経過しようとしていたその時、運営はとある発表をした。
『次回の定期メンテナンスの際に、大型アップデートをします。それに伴い、新ダンジョンが実装されます。メンテナンス終了後の午後9時から、それに伴うイベントを開催する予定です。
イベントの際には同時に、《HYO》の今後に関わる重大発表をする予定です。皆さんどうぞ、お楽しみに待っていてください』
一見、何の変哲も無いアナウンスに見える。実際、これがヒョで無ければ、誰もが「ああそうか」程度の反応で流していただろう。
だがしかし、ヒョは今まで一度も新ダンジョンや新マップの追加をした事が無かったのだ。初の新規マップという事で、ヒョのプレイヤーたちは大いに沸いた。
更にゲーム内でイベントを催すというのも初めてで、一体どんな事をやるのか、重大発表とは何か、と様々な考察や推測が飛び交った。オープニングで流れる謎めいた文章の真意の断片が明かされるのではないだろうか、等と、すっかりヒョにドハマりした人々は胸をときめかせた。
そして、発表から丁度一週間後。多くの期待と注目を集めながら定期メンテナンスが終了し、そしてその日の午後8時となった。仕事から帰って来て、十分に栄養を摂り、トイレに行って仮眠をしたりして体調を整え終えた五条あけみは、膨らむ期待を抑えないままVRマシンを装着し、そしてヒョにログインした。
ここまでが序章。
おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/0d84c18e-ba7a-47c6-9452-37c647c36728/fe1665814d37a49749f3ce2f714a668f




