プロローグ 死んだ俺と、のじゃロリ女神
死んだ、と気づいたのは、ずいぶん経ってからだった。
最後に覚えているのは、書きかけの原稿と、冷めきったコーヒーの匂い。締め切りはとうに過ぎていて、それでも指は止められなかった。あと少しで、あの三つの物語に決着をつけられる。そう思っていた。
——思っていた、のに。
「ふむ。これはまた、ずいぶんと曇った魂じゃのう」
声がした。鈴を転がすような、それでいてどこか芝居がかった、幼い声。
目を開けると、白い空間に、一人の少女が立っていた。
膝丈までもある銀の髪。陽だまりのような金色の瞳。背丈は俺の胸ほどしかないのに、その立ち姿には、不思議と侵しがたい威厳があった。手には、自分の身の丈ほどもある古びた天秤を提げている。
なぜだろう。初めて見る顔のはずなのに、その容姿も、その声色も、まるで——昔から知っていたみたいに、しっくりと胸に馴染んだ。
「気分はどうじゃ。死にたてホヤホヤというのは、なかなかに堪えるじゃろう」
「……ここは」
「審判の間、とでも言っておこうかの」少女は天秤を、とん、と床に突いた。「儂はここで、死んだ者の魂が、天国行きか地獄行きかを選り分けておる。ま、平たく言えば——お主の行き先を決める女神じゃ」
女神。
普通なら、笑い飛ばしていたかもしれない。けれど、自分が死んだという感覚はあまりにも確かで、そして目の前の少女からは、人ならざる「何か」がたしかに漂っていた。
天秤の皿の片方が、ゆっくりと、下へ傾いていく。
地獄の側へ。
「……地獄、ですか」思わず、声が掠れた。「俺は、そんなに悪いことを」
「悪いことの自覚すらないか。重症じゃのう」
女神は呆れたように肩をすくめ、けれどその金の瞳は、じっと俺を見据えていた。
「お主の罪状を読み上げてやろう。——あまりにも現実に即さぬ物語をもって、数多の人間を煩悩の果てへと導いた罪。早い話が、嘘で人を腑抜けにした罪じゃ」
「……っ」
その言葉は、なぜか、ひどく深いところに突き刺さった。
嘘で、人を腑抜けにした。
——本当に、そうだったんだろうか。
俺が書いてきたものは、ただの、誰かを堕落させるだけの、害毒だったんだろうか。
「身に覚えがある、という顔じゃの」女神は天秤を、ぐい、と地獄の側へ傾けた。「ならば話は早い。お主は地獄行き。異論はあるまい?」
異論なら、あった。
胸の奥が、焼けるように熱くなる。気づけば、俺は震える唇を開いていた。
「……俺の物語は、嘘じゃない」
「ほう?」
「たしかに、現実にはありえない話ばかり書いてきました。ご都合主義だって言われても、否定できない」
一度言葉を切り、それでも俺は、まっすぐに女神を見返した。
「でも俺は——誰かを救いたくて、書いたんだ」
なぜ、こんなに必死になっているのか、自分でもわからなかった。
ただ、これだけは。これだけは、認めるわけにはいかなかった。
「世界に絶望して、明日なんて来なければいいと思ってる誰かが。物語の中でだけでも、ほんの一瞬でも、もう少しだけ生きてみたいって——そう思えるように。そのために、書いたんだ。それの、いったい何が罪なんですか」
しん、と、静寂が落ちた。
女神は、しばらく黙っていた。
天秤を持つ手は止まったまま、陽だまりのような金の瞳が、まばたきもせず俺を見つめている。その瞳の奥で、何かが——ほんの小さな火が、揺れた気がした。
やがて、彼女は、ふっと息を漏らすように笑った。
「……地獄行きを言い渡されて、なお、神の裁定に盾突くか」
「——」
「しかも、その理由が、己の保身ではなく。顔も知らぬ、どこかの誰かのため、ときた」
女神は、くるりと天秤を手の中で回した。その横顔に、先ほど感じていた冷たさは、もうなかった。
「……いいじゃろう。その度胸、買ってやる」
「え?」
「一つ、チャンスをやる」
女神の声が、低く、けれど挑むように響いた。
「お主が創ってきた、あのバカげた世界を——身一つで、救うてみせよ」
「救う……?」
「あれが、お主の言うように"現実に即した物語"であったと——その身をもって、証明してみせるのじゃ」
そうして女神が突きつけた条件は、こうだった。
俺が遺した、三つの未完の物語。その世界に、俺自身が主人公として入り込み、それぞれの結末まで導き切ること。三つすべてを救い切れたなら——地獄行きは、撤回する、と。
「……三つ、全部?」
「不満か?」
不満も何も、無茶だった。
俺の三作品は、ジャンルも世界観も、何もかもがバラバラだ。そして何より——どの世界も、放っておけばいずれ滅ぶ。そういう物語として、俺が書いたのだから。
加えて、致命的な問題があった。
それぞれの主人公には、規格外の能力・才能が備わっている。が、ここにいるのは、ただの——元・小説家の俺だ。剣も振れなければ、魔法も使えない。神の血も引いていない。
無理だ。どう考えても、無理に決まっている。
「まぁ、お主がそのまま挑んだところで、即座に死ぬのは目に見えておるからの」
俺の絶望を見透かしたように、女神はくすりと笑った。
「少しだけ、力を貸してやろう」
そう言って、彼女は俺に向かって、すっと手をかざす。
掌から、柔らかな光がこぼれ落ちた。
「一つ目。——『プロット・ワープ』」
頭の中に、直接、ルールが流れ込んでくる。
三つの物語を、章ごとに渡り歩く力。ある作品の章をクリアすれば、別の作品の章へ。持ち物も、力も、引き継いだまま。ただし——章を遡ることはできず、飛ばすこともできない。同じ作品を続けて選ぶこともできない。
「二つ目。——『セーブ&ロード』」
「ロード……戻れる、ってことですか」
「左様。あらかじめ決めた一点へ、戻ることができる」
女神は、ぴ、と人差し指を立てた。
「ただし、戻れる地点は常に一つきり。そして——己の意思でロードはできぬ。発動するのは、お主が、死んだ時だけじゃ」
死んだ時、だけ。
つまり、失敗とは、死を意味する。やり直すには、一度、死ぬしかない。
「……鬼ですか、あなた」
「カッカッカ! 鬼で結構!」
女神は、心底愉快そうに笑った。けれど——再度、その金の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、別の色が揺れた気がした。
「ただし、一つだけ忠告じゃ」
笑いを収め、女神は声を落とした。
「お主が、その世界の住人ではない——よそ者であると露見した時。あるいは、その物語が定めた筋書きを、達成できなくなった時。その瞬間、お主は容赦なく死ぬ。そして、戻される」
「……好き勝手は、できないってことですね」
「物分かりが良いのは結構なことじゃ」
女神は、ふわりと一歩、退いた。
「儂はここから、お主を見物させてもらう。精々、無様に足掻いてみせよ。——そうじゃな、もしこれらを為し遂げたなら、それはまさしく、偉業と呼ぶにふさわしかろう」
そして、最後に。
ほんの少しだけ、その口調が和らいだ。
「……お主の言葉。"誰かを救うために書いた"という、あの言葉。——儂は、まことであると思う。こうしてまた一つ、救われたわけじゃからな」
「——え」
その意味を問い返す間もなく、足元から光が立ち昇った。
世界が、白く溶けていく。
遠ざかる意識の中で、最後に見えたのは、天秤を抱いたまま、こちらを見つめる女神の姿だった。
その表情は、なぜだろう。
裁定者の冷たさなんて、どこにもなくて。
——まるで、大切な誰かを送り出すような。そんな、顔をしていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
白い空間にいる。
——セーブしますか?
頭の中に、無機質な機械音が響く。セーブ....?
「セーブ....は、したほうがいいよな」
——セーブが完了しました。
——開始する章を選んでください。
・A『星界クロニクル!』A-1
・B『神様アポカリプス』B-1
・C『レイライン・オブ・アビス』C-1
選択肢が頭に浮かび上がる。たしかに、全部俺の作品だな....。
「星界クロニクルがいいかな....ギャルゲだし」
——A-1を開始します。
ふたたび、視界が光に包まれた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
目を覚ますと、見覚えのある天井があった。
いや、見覚えがあるのは当然だ。なにせ——ここは、俺がシナリオを担当していたノベルゲームの、主人公の部屋なのだから。
散らかった本棚。窓から差し込む朝の光。安っぽい目覚まし時計。すべて、原稿に描写した通りだった。たった一つ、違うのは——本来この部屋にいるはずの「主人公」が、どこにも見当たらないこと。
代わりに、ここにいるのは、俺だ。
一縷の望みを懸けて、姿見に体を映すと——やはりそこには、紛れもなく"俺"がいた。カッコいいとはどう足掻いても言えない、平凡な男の姿だ。
「……やれってことか。本当に」
ベッドから身を起こし、深く、息を吐く。
無茶だ。無謀だ。成功する可能性なんて、これっぽっちもない。
それでも——やるしかない。失敗すれば、地獄に堕ちるのは、ほかの誰でもない、俺自身なのだから。
そして、心のどこかで。
ほんの少しだけ。
あの女神の、最後の言葉が。「救われた」という一言が——なぜだか、胸に残っていた。
「……まずは、現状確認だな。えーっと.....?唱えればいいのか。——『プロット・ワープ』」
俺がそう唱えると、目の前に半透明の板が現れた。
章チャートのようなものが3つ、横並びになっている。
それぞれのタイトルは、ノベルゲームであるこの『A世界』、バトル小説の『B世界』、アクションRPGの『C世界』だ。
なるほど、どれも見覚えがある。俺が未完で終わらせてしまった3作品というのは本当らしいな。
それぞれ、A-1、A-2というように、章チャートと、各章のタイトルが書かれていた。
現在地点であるA-1が、青い光点で示されている。章タイトルは『ヒロイン全員と顔合わせ』 どうやらクリア条件は、ヒロイン全員と顔合わせすることらしい。
しかし、一章以降の章タイトルは『???』となっている。なるほど、大方、直前の章をクリアしないと確認できないといったところだろう。
そこでふと、『セーブ&ロード』の能力を思い出し、確認すると、どうやらこの板を発動しているとき、任意でセーブできるようだ。
確認してみると、現在のセーブ地点を示す光点はA-1より上にあり、失敗した場合はまたA、B、Cから選び直すのだろう。
ま、確認事項としてはこんなところか。
しかし——本当にやれるのか?この世界、俺みたいな冴えない男が主人公を張れるほどイージーじゃないぞ?
こうして——俺の、あまりにも無茶な物語が、幕を開けた。




