1#Calm Conflict
BAR『gimlet』の店内は、重苦しいまでの静寂に支配されていた。JINの周囲には、誰の気配もない。カウンターに鎮座したノートパソコンが、Web会議の通信による負荷のせいか、かすかにファンを回す音だけが、不気味なほど鮮明に室内に響き渡っていた。
かつてはここに、任務の合間やあるいはただの暇つぶしのためにシンヤの姿が多々見えることがあった。しかし、今の関東支部はかつてないほどの激務に追われている。
シンヤは各地の落神討伐のため、文字通り関東を飛び回る日々を送り、顔を見せることは極端に減っていた。
レイラもまた同様だった。組織の要として奔走する彼女が、このBARで報告を受ける時間ですら今は失われている。
JINは開かれたノートパソコンの画面を凝視したまま、グラスの中の氷を小さく鳴らした。
PCのスピーカーから、乾いた電子音と共に声が響き渡った。
「さて、始めましょうか。皆さんもお忙しいでしょうし」
画面の一角に映し出された東北支部の支部長が、神経質そうに眼鏡の位置を正す。サラリーマンのように実直で真面目な雰囲気を漂わせるその姿は、この血なまぐさい落神討伐の当事者たちの中で、異質なほど浮いて見えた。その滑稽な対比に、JINはわずかに眉をひそめる。
しかし、会議は和やかな空気とは無縁だった。
「そんなことより、ロキさんが死んだってのは本当なのですか?」
怒号に近い声を上げたのは、赤髪の男だった。場を支配する沈黙を突き破るような直球の問いかけに、JINは内心で冷笑する。この話題を避けられないことは理解していたが、会議の冒頭でいきなりそこに切り込んでくるとは思わなかったからだ。
JINは感情を殺した瞳で画面を見つめ、静かに、だが揺るぎない声で言い放った。
「ああ、本当だ」
その事実が確定事項として告げられると、赤髪の男は信じられないといった様子で「マジかよ」と短く呟き、深く視線を落とした。
中部支部の支部長、その赤髪の男は底知れぬ気配を纏っていた。彼が過去数年で「落神の魔都」と畏怖された北陸地区の騒乱を鎮静化させた実績は、組織内でも抜きん出た評価を受けている。彼の真意は誰にも読み取れず、その沈黙はしばしば周囲に重圧を与えた。
その静寂を切り裂いたのは、画面越しに現れた近畿支部支部長の不敵な笑みだった。顔に刻まれた数多の古傷が、彼が数多の死線を越えてきた修羅であることを雄弁に物語っている。
「関東は大変だな。なんだったら少し受け持ってやろうか」
その言葉には、憐憫よりも遥かに鋭い、領土を貪るような欲が混じっていた。
始まった。JINは内心で深くため息を吐く。権益の均衡が崩れた今、関東という空白地帯を虎視眈々と狙う輩が牙を剥き始めたのだ。
JINは感情を一切排した声色で、画面の向こう側の男を一瞥もせずに切り捨てた。
「いらん。間に合っている」
近畿支部支部長の不敵な申し出に、JINが冷淡な拒絶を返したその直後、画面の端から幼い声が割り込んできた。
「そんなことより早く本題に入りましょうよ。あたしだって暇じゃないんだから」
不満げにため息をついたのは、金髪の少女だった。画面越しでも伝わるその尊大な態度は、彼女がこの会議の空気にすら飽き飽きしていることを物語っていた。
その言葉に呼応するように、東北支部の支部長が「中四国支部の言う通りです、進めましょう」と真面目な顔で調停を図る。
しかし、その何気ない呼称が少女の逆鱗に触れた。
「あたしらの事を中四国と呼ぶな。アストと呼べ」
少女は不機嫌さを隠そうともせず、鋭い視線を画面の向こうへ飛ばす。
「次中四国と呼んだら、もうお前らに手は貸さないからな」
その宣告の重さに、それまで冷静さを保っていた東北支部支部長もわずかに狼狽し、「……これは失礼しました」と慌てて言葉を濁した。形式上の上下関係や組織の呼称よりも、彼女自身が定義する「アスト」という部隊名が、この会議室以上に絶対的な重みを持っていることを、その場にいる全員が再認識させられた瞬間だった。
「本題に入ろうぜ」
傷だらけの顔をした近畿支部支部長が、野卑な笑みを浮かべて切り出した。
「落神を惹き付けるあの少女の話へとよ」
その言葉が持つ意味を、JINは痛いほど理解していた。心春の持つ「神の寵愛」という性質が、彼らにとってはただの資源、あるいは利用すべき特異点として映っているのだ。
東北支部の支部長が、眼鏡の位置を直しながら追い打ちをかける。
「ロキという『盾』を失った関東支部が抱えるには、あの心春という少女はあまりに危うい。今の関東支部さんには、少し荷が重くありませんか?」
それは懸念を装った、関東支部の管理能力に対する露骨な糾弾だった。彼らは心春を保護すべき対象ではなく、管理不全に陥った関東支部から剥ぎ取るべき「戦利品」として見定めていた。JINは冷徹な視線を画面越しに突き返し、静かに言葉を紡ぐ準備を始めた。
「こちらも間に合っている」
JINは感情を微塵も滲ませない、事務的で丁寧な拒絶を返した。
「ロキの代わりに、今はレイラが管理している」
その言葉を聞いた近畿支部支部長は、薄汚れた笑みを深めると、痛々しい古傷の走る頬を無造作にさすった。
「あの小娘では不十分だろ」
彼の声には、侮蔑というよりも、獲物を狙う獣のような剥き出しの欲があった。
「俺らが管理する」
会議の空気が一気に張り詰めた。近畿の支部長が放ったのは、議論の余地など残さない直球の恫喝だった。画面の向こうで他の支部すら息を呑む中、JINは一切動じず、氷のように冷徹な眼差しでその男を射抜いた。
「悪いが、こちらにはこちらの考えがある。おたくらの方針を咎める気は無いが、こちらもこの件に関して引く気はない」
静かな断言だった。JINの意志は、組織内の力関係や各支部の思惑よりも遥かに重く、その一言によって、関東支部という空白地帯を巡る火種が、いよいよ燃え上がったことを誰もが確信した。
「あたしら『アスト』も関東支部をサポートする。今回はこれで引いちゃくれないかね?」
金髪の少女が冷ややかに割って入る。その言葉に呼応するように、中部支部の赤髪の男が「アストのサポートもあれば安心でしょ」と大げさに肩をすくめ、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
JINは内心で静かな驚きを覚えていた。中四国支部ーーアストが交渉の介入を見せることは予測の範囲内だったが、中部支部の支部長までもが援護に回ってくれるとは計算外だった。
この予期せぬ「助け舟」が、関東支部の立場を補強する強力な防波堤となる。JINは、この有難い誤算を確かな手応えとして掴み、口元をわずかに引き締めた。
「そういうことだから、心配は無用だ」
JINは画面越しの面々を見渡し、有無を言わせぬ調子で告げた。
「すまんな。有難い提案を、謹んで辞退するよ」
その拒絶の言葉は、関東支部の主権を改めて宣言するものだった。画面の向こう、近畿支部の支部長は、その言葉を飲み込みながら、苦々しい表情を隠そうともせずに葉巻に火を灯す。くゆらせた煙の向こう側で、男の瞳が獲物への執着を鈍く光らせていた。会議室の緊張感は、かつてないほどに高まっていた。
「まぁ、今回はここまでにしておきましょうか」
東北支部の眼鏡の男が事態の収拾を図るように呟くと、近畿支部の支部長は、不快な感情を隠そうともせずに葉巻の煙を吐き出した。
「いつ泣きついてきてもいいように準備しておくよ」
そう言い捨てると、傷だらけの男は通信を切って退出した。続く眼鏡の男も「では、また次回」と淡々と言い残して画面から消える。赤髪の男に至っては、何かを言いそびれたかのように無言のまま、あっさりと通信を遮断した。
空虚な画面には、金髪の少女とJINの二人の顔だけが取り残されていた。
「助け舟、ありがとうな、キャシー」
JINが静かに感謝を伝えると、キャサリンは少女らしい快活さでカラカラと笑ってみせた。
「あたしとあんたの付き合いでしょ。気にしなさんな」
彼女は画面の向こうで悪戯っぽく肩をすくめると、少しだけ表情を和らげて続けた。
「またあんたのとこに遊びに行くよ。その時は心春ちゃんにも会わせておくれ」
少女が通信を切ると、ついに画面は完全に闇に包まれた。JINは溜め息混じりにゆっくりと立ち上がり、重厚なデスクの上で冷めきった珈琲のグラスを指先でなぞった。
静寂が戻ったBAR『gimlet』で、JINはノートパソコンを静かに閉じた。その閉じられた蓋の音は、これから関東支部が直面するであろう嵐の予兆のように、店内に小さく、しかし重く響いた。
「やっぱりこの都市伝説は実在するのよ! 地図にも載っていない場所へ迷い込んだ話、あれはただの錯覚じゃないわ」
眼鏡をかけた少女が目を輝かせながら力説するのに対し、心春はぼーっとその様子を眺めていた。隣では、クラスメイトの女の子が「本当ですね、最近の目撃談を聞くと真実味を帯びてきました!」と、相槌を打って熱を上げている。
無事に進級し、高校二年生となった春。心春の周囲には、少しだけ新しい風が吹いていた。
春の陽気と共に半ば押し切られる形で入部することになった『オカルト研究部』。別に怪奇現象に興味津々だったわけではない。部活動として存続するためには最低三人の部員が必要で、数合わせのために泣きつかれたからだ。
新しいクラスメイトである、本庄香織は持ち前の活発さで校内の至る所に声をかけて回ったらしい。しかし、オカルトという特殊なジャンルゆえか、誰もいい返事をくれなかったそうだ。放課後の予定がだいたい空いていた心春は、「人助けだと思って」と軽い気持ちで承諾した。
蓋を開けてみれば、二人――眼鏡の女の子と香織、そして自分という構成で、部室の空気は常にどこか浮き足立っている。だが、こうして彼女たちの突拍子もない仮説や情熱を聞いているのは、意外にも悪くない時間だった。日常の中に見つけた、穏やかな放課後の風景。
心春は少しだけ口角を上げ、彼女たちの賑やかな議論に耳を傾けていた。
「歩いていくのが正解じゃない可能性があるわ……。何か移動手段を検討すべきね。キックボードとか用意しておく?」
眼鏡をかけた3年生の牧田さんが、難しい顔をして考え込んでいる。彼女が熱弁を振るうその様子を、オカルト研究部の面々はそれぞれ違った反応で見守っていた。
「キックボードなら、うちにありますよ、部長!」
香織が目を輝かせて即座に手を挙げると、牧田さんは苦笑しながら香織の肩を軽く叩いた。
「もう! 部長はやめてって言ったでしょ! まきまきって呼んで!」
本名、牧田 真希。最初は戸惑い、律儀に「牧田先輩」と呼んでいた心春だったが、そのたびに訂正されるやり取りを何度も体験してきた。今ではすっかり慣れたもので、心春は香織と同じように「まきまき」と呼ぶことを心がけている。
こうして放課後の部室で、現実味のない都市伝説の検証方法について真剣に話し合う。そんな何気ない日常の会話の中に、今の自分が求めているささやかな安らぎを感じていた。
放課後の部室で荷物をまとめながら、牧田先輩...じゃない、まきまきがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、例の踏切の話、聞いた?」
その問いかけに、香織が即座に反応する。
「聞きましたよ! 夜中に誰もいないのに警笛が鳴るやつですよね? あれ、絶対呪われてますよね……」
廊下を歩きながら続く二人の会話を、心春は少し後ろから聞き流していた。話題にのぼった踏切。心春はぼんやりと地図を脳内で描き出す。あの場所は、探偵事務所『BlueMonday』から歩いてすぐの距離だ。日常の何気ない移動の際、意識せずとも何度か通った道だった。
校門の前で、三人は立ち止まる。
「それじゃ、また明日ね!」
香織が元気よく手を振り、まきまきもそれに続く。二人はそのまま街の方角へと歩いていき、反対に心春は駅を目指した。電車通学である心春とは、校門までがいつもの別れ際だ。
二人の後ろ姿が夕陽に溶け込むのを見送ってから、心春は独り、駅へと向かう道を歩き出した。
今日も……楽しかった。
特別なことは何もなかった。都市伝説の検証なんて、大人から見ればただの子供の遊びかもしれない。けれど、この笑い合える時間は、何にも代えがたい宝物のように思えた。柔らかな風が頬を撫で、私の胸には穏やかな満足感が広がっていた。
「美味しい!」
スプーンで掬い上げたオムライスを頬張り、思わず声を漏らした。喫茶店『三葉』の店内は、外の喧騒が嘘のように静まり返っている。レコードから流れるジャズの調べだけが、穏やかな空気の中に溶け込んでいた。
客は心春一人。カウンターの中では、店主の荒波が手際よく片付けを済ませている。
カラン、と氷の音が涼しげに響いた。荒波が心春のテーブルに、透き通るようなアイスコーヒーを静かに置く。
「心春様は、三日に一度はオムライスでございますね」
喫茶店のマスターである荒波はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、心春に語りかけた。その言葉の端々には、彼女を気遣うような温かさが滲んでいる。
「荒波さんのオムライスは世界一だからね!」
笑顔でそう伝えると、荒波は深く、しかし仰々しくなりすぎない美しい所作で頭を下げた。
「お褒めに預かり光栄でございます」
丁寧な礼を返すその所作は、まるで老練な執事のようでもある。一口、コーヒーを口にする。そのほろ苦さが、また明日への活力を静かに運んでくるような気がした。
「早くロキ様もお戻りになればいいですね」
荒波の何気ない言葉が、心春の胸を鋭く刺した。心春は思わず視線をアイスコーヒーのグラスに落とす。
荒波さんには、ロキさんが神戸岩で命を落としたという真実を告げることができなかった。もし口に出してしまえば、自分の中でようやく整えようとしている「ロキの死」という現実が、取り返しのつかない形で決定事項になってしまいそうで、ずっと喉に詰まっていたのだ。
ロキさんは仕事で遠くへ行っている――そう嘘をつき続けている。
「……ほんと、早く帰ってきてほしいです」
アイスコーヒーを飲み干しながら、心春はそう小さく漏らした。それは、嘘の中に隠した、偽りのない本心だった。
荒波は深く一礼すると、何も追及することなく静かにキッチンへと下がっていった。店内にジャズの音色だけが響く中、心春は一人、残ったオムライスを静かに口へ運ぶ。
一人での食事には、もう随分と慣れた。けれど、どれだけ時間が過ぎようと、ロキの気配を思い出さない日は一日たりともない。咀嚼するたびに、卵の優しい風味が口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
小さく呟いたその言葉に、返事はなかった。ただジャズの旋律だけが、心春の孤独を優しく包むように店内に流れていた。
探偵事務所兼我が家『BlueMonday』の静寂の中に帰還した。いつもと変わらぬ我が家の灯りが、外の世界で張り詰めていた神経をわずかに解いてくれる。
学校の鞄をデスクに放り投げ、安楽椅子に深く身を沈めた。今日という一日の疲れが、重力となって心春の肩にのしかかる。
普段であれば、ここから銭湯へ向かい、一日の穢れを洗い流してから眠りにつくのが彼女の変わらぬルーティンだった。しかし、今日の夜は、その予定調和を許さない空気が漂っていた。
立ち上がり、制服を脱ぎ捨てると、戦闘服へと袖を通す。肌に馴染むその感触が、彼女をもう一つの日常へと切り替えていく。
カバンの中にあったグロックを手に取り、慣れた手つきでホルスターへと収めた。
ジャケットを羽織り、その下に銃の膨らみを完璧に隠す。扉を開け、再び夜の新宿へと踏み出す。
足取りは、記憶にあるあの踏切へと向かっていた。
少し歩くと、夜の闇に沈む踏切がその姿を現す。昼間、オカルト研究部の面々が「呪われている」と語っていたその場所は、夜の帳の中で異様なまでの静寂を漂わせていた。香織とまきまきが興奮気味に、どこかおどろおどろしい雰囲気で話していた記憶が脳裏をよぎり、心春はそれが先入観によるものか、あるいはこの場に澱む何かによるものなのかを測りかねていた。
周囲に人影がないことを確認し、心春は警戒しながら踏切の至近まで歩み寄る。感覚を研ぎ澄まし、この場所の残り香を鋭敏に探った。
そこには微かに、だが確かに邪悪なエネルギーの残滓が漂っていた。追っているものとは異なるエネルギー。その事実を確認した瞬間、わずかな落胆が胸をかすめた。
ただ落ち込んでいる時間はなかった。
踏切の領域に足を踏み入れた直後から、自身の感覚は、「何か」が、ゆっくりと、しかし確実にこの場所へ向かってきていることを捉え始めていた。
踏切の警報機が鳴り出すことはない。だが、闇の向こうから忍び寄るそのエネルギーの波動は、先ほど検知した残滓よりも遥かに強く、そして鮮明に近づいてきていた。
暗闇を切り裂くようにして、黒髪の女が現れた。コートを羽織ったその姿は、線路沿いの風景と重なり、一見すればどこか幻想的な絵画のように美しい。しかし、彼女が右手に握りしめた鎌の鈍い光だけが、その光景から致命的なほど浮き上がっていた。
女は獲物を前にした獣のような笑みを浮かべると、一言「寵愛者」と呟いた。その瞬きの間に距離を詰めてきた。凄まじい加速力。その喉から発せられたのは人の声とは到底思えない、警笛にも似た甲高い叫び声だった。
思考は、その瞬間、極限まで研ぎ澄まされる。
流れるような動作でジャケットの下からグロックを抜き放つと、迷いなく女の眉間を狙ってトリガーを引いた。乾いた銃声が夜の静寂を打ち破る。銃弾は正確に女の額を捉えたが、勢いそのものを殺すには至らない。
即座に横方向へと体を滑らせ、死線から身を退けた。
通り過ぎようとする女の横顔を、心春は冷徹な眼差しで見据える。
「しっかり挨拶くらいしなさい、社会人」
すれ違いざま、心春は女の脳天に向けて追加の弾丸を叩き込んだ。衝撃をまともに受けた女の体は、慣性の法則に従って大きくグラりと揺らぐ。均衡を失ったその体は、凄まじい勢いのまま地面へと叩きつけられ、土煙を上げた。
倒れた女の後頭部へ、三発の銃弾を叩き込んだ。血に染まったその様を見下ろしながら、心春は乱れた自身のジャケットと衣服を整える。
女の肉体は、地面に飛び散った鮮血と共に、まるで最初から存在しなかったかのような不可解な現象を起こし始めた。それらは瞬く間に灰へと姿を変え、夜風に乗って夜空へと消えていく。やがて女が纏っていた呪いが霧散したのか、その中心から淡く輝く丸い光が這い出てきた。
その光が静かに、そしてまっすぐに天へと昇っていく様を見届ける。ようやく周囲の空気が本来の静寂を取り戻したことを確認し、慣れた手つきでグロックをホルスターへと収めた。
これで警笛が鳴ることはもうない。
彼女はただ、何事もなかったかのように夜道へと歩き出し、家路へと就いた。明日の朝にはまた、つまらない授業を受けたり、オカルト研究部の面々と部室で顔を合わせる日常が待っている。その二重生活の重みを背負いながら、心春の姿は闇の中に溶け込んでいった。




