第一話 天使が舞い降りた
ねぇーーミツキ。貴女が助けてくれたから、今のあたしが居るのよーー。だから今度はあたしが貴女を助けてあげる......。
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あるビルの屋上の少し浮いた場所に黒い穴が空いている。全てを飲み込むような、深い闇の中から、銀糸を靡かせ、闇色のセーラー服を纏い、身長よりも大きな剣を背負った少女が舞い降りた。それは、日常の終わりの始まりだった。
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う〜ん、前髪ちょっと変じゃないかな〜?
鏡の前で整えながら、ため息が漏れる。さっきから何回目だろうか?少しボリュームが足りない気がしていて、櫛で持ち上げてみるけど、結局戻しては別の角度から眺めてみる。
……別に友達と買い物に、行くだけなんだけどね。
今日は、いつもの街で、ぶらぶら歩いて服でも見て回って甘いものでも飲んで……。
ーーこんなもんかな。
眉の上で、少しだけラインを整えて、両脇の髪をヘアピンで押さえる。今日はお気に入りの猫のヘアピンで揃えれば、少しだけ幸せな気分になれた。
ーーうん。大丈夫。
鏡越しの自分と一瞬だけ目が合う。微笑みかけたら、いつものあたしだ。
机の上に置きっ放しだったバッグを引き寄せる。中身は変わってない。財布と定期、イヤホン。指先を遊ばせて確認したら、スマホも入れて。ふと手が止まる。
あ、そうだ。
引き出しを開けて、ケースごと眼鏡を取り出す。細いフレームの左側に小さな猫がぶら下がっていて可愛い。普段はコンタクトレンズだから使わないけど、ないとちょっと不安になる。
前にコンタクトレンズを落として、辛かったんだよね〜。
バッグの内ポケットに滑り込ませて、ファスナーを閉じる。
ーーこれでよし。
部屋をでて階段を降りると、リビングからテレビの音が流れてきた。お母さん、またテレビをつけたまま寝てるのかな。他人には、つけっぱなしにするな〜、とかいうくせに。
「ーー都内の研究施設でーー損壊ーーはげしーーまだーー」
聞き流しながら、靴を選ぶ。今日、一緒に遊ぶ莉奈は小さくて可愛いんだよね。あたしは平均身長だけど、厚い底だと一緒にいてバランス悪くなる。一瞬だけ悩んで、スニーカーを履く。
「遅くなるなら、連絡ぐらいしなさいよー」
お母さん、起きてたんだ。こういうタイミングだけ起きてんだよね。
「分かってるよ。行ってきま〜す。」
返事を待たずに、ドアを閉めて外に出る。春の風が桜の花びらを届けてくれた。
ほんの少し。ほんの少しだけ足取りが軽くなる。
駅までの道を歩きながら、スマホを取り出す。通知は特にきていない。莉奈からの連絡もまだ着ていないみたい。
ちょっと早すぎたかな?
でも、遅れるよりはいいよね?
改札を抜けて、ホームに降りる。一瞬、強い風が通り抜けていく。スマホを鏡代わりに髪を少し直す。それから電車が来るまでの数分。ぼんやりと人の流れに目を向ける。
立ったままスマホを見ている人。イヤホンで何かを聞いている人。少し離れたところに、杖をついたおじいさんが立っていた。
電車が滑り込んできて、また風が髪を揺らす。
電車は混んでいる時間では無いけど、座れるほどの余裕もなかった。少し離れたところで、ホームと同じように杖をついて立っている。右に左に体を揺らしながら。
誰か代わってあげないのかな?スマホいじったり、寝てたり誰も前なんて見ていない。
ーーこういう時に、ちゃんと動けたら良いんだけどな。あたしってずるい。
あ。代わってあげてる。偉いなぁ。
窓の中につり革を掴む、あたしが映ってる。少しだけ歪んで見えた。
……やっぱり、前髪崩れてる……。
指で触れようとして、やめる。
小さく息を吐いて、目を閉じた。
電車を降りると、空気が少し違った。
いつも来てるのに、人が多く感じる。音の重なり。アナウンスの声、足音、話し声。全部が近く感じる。衣擦れの音さえ近くて、少し息苦しい。
足早に改札を抜けて、外に出る。
見上げた空は狭くて、あたしに蓋をする。それでもビルの隙間から流れる風が呼吸を楽にしてくれた。
……やっぱり早かったかな?
スマホを確認すると、待ち合わせの時間まで20分ぐらいはある。
どうしようかな?
とりあえず、駅前の広場の端に寄って立ち止まる。人の流れから外れるだけで少しだけ落ち着く。
スマホのカメラを起動して、前髪を指でなぞる。
……うん。
さっきよりは少しマシ、かな。
まっすぐに整えて、ヘアピンで押さえ直す。左側が少しゆるい気がしてたんだ。
画面を消して、ぼんやりと周りを眺める。
みんな楽しそうにしていているなぁ。笑ってる人たちの手には買い物袋が下がっていて、男の子同士でふざけあってたりする。仕事で歩いている人たちも、どこか前を向いているように感じる。
……なんか、良いなぁ。
この街にいる人たちは、みんな生き生きとしている様に見える。
何が、ってわけでも無いんだけど。
ただ、何となくだけど、そう思う。
遠くのビジョンから、ニュースの音声が聞こえてくる。さっきと同じニュースだ。
「ーー本日未明、都内にある民間研究施設にて大規模な爆発を伴う事故が発生しーー」
ちらっと目を向ける。
映像には、どこかの建物と、黒い煙。
「ーー現在、原因は不明とされておりーー」
なんか最近、こういうの多くない?
なんだか胸の奥がざわついて、視線を外した。
スマホから着信音が鳴って画面を確認する。莉奈からだ。
「もしもし莉奈〜。どうしたの?」
「つむぎ。ごめん!ちょっと遅れそ〜」
え〜。時間を確認すると待ち合わせの五分前だ。もう少し早く連絡してくれたらよかったのにと思う。
あたしが何か言おうとした時。
ーードン!
大きな音がどこかで鳴り響いた。
ーー見いつけたーー
妙にはっきりと、耳元で聞こえた。
足元に振動を感じる。さらにドン、と大きな音が響く。
周りからざわめきが広がる。遠くに黒煙が立ち上り悲鳴が聞こえてくる。
「いまの何?」
「地震?」
明らかに地震によるものではない。人々の間の動揺が大きくなっていく。この場を離れようとする人も居るがスマホを掲げて撮影をするものも多い。
ビルが崩れたのか、さらに大きな音がして黒煙が増える。
なに?なにが起きているの?
逃げたい。
空気が震える。
「ちょっと、つむぎ?どうしたの?すごい音がしてるけど?」
「り、莉奈?ねぇ、なんか爆発みたいなのが起きてんだけど……」
言葉が詰まる。喉が痛いくらいに乾く。
ーーその瞬間。
ビルの向こうから、何かが“飛んで“来た。
黒い塊。
それが車だと理解したのは、地面に叩きつけられて、潰れた後だった。
遅れて、音がくる。
金属が歪む音。ガラスが割れる音。そして爆発音。
潰れた車が炎上する。
連鎖する悲鳴がパニックを引き起こす。逃げ出そうと走る人と、現実が理解出来ていないのか、それでも撮影を止めないもの。
ーー思考が、止まる。
事故でもない。
そんなレベルじゃない。
その時、視界の奥で“それ“が現れた。
大きい。
あり得ないくらいに。
建物の高さと重なって、煙の中から輪郭が現れる。
蛙のような頭を持ち、二本の足で立っている。体は拘束具のようなものが巻かれており、顔には巨大なゴーグルのようなものが付いている。それがビルに手をつき、こちらを見ている。
本能的に恐怖が体を支配する。
呼吸が浅くなる。
「ねぇ!つむぎ!紬!聞こえてるの?大丈夫?」
莉奈の声に、はっとする。
「莉奈!来ちゃだめ!」
とっさに通話を切る。
足が動かない。視線が刺さる。“それ“は確かに、あたしを見ている。
その怪物は、ゴーグルのようなもので視線は遮られているはずなのに、目が合った気がした。怪物は、ゆっくりとした動きで、足元にある車を掴む。鈍い音が響く。そして怪物は口を歪ませると、自然な動きで車を放り投げた。
空中を回りながら舞う、車から目が離せなかった。身体が震えて、動けない。
ーーしぬ?
唐突に、身体が弾き飛ばされる。
あたしがいた、その場所を鉄の塊が人を巻き込みながら、通り過ぎていく。どうやら逃げ出そうとした人たちに、突き飛ばされたため助かったようだ。
周囲は地獄絵図と化していた。泣き叫ぶ人や恐怖に立ち尽くす人。燃え上がる炎と血の匂いが充満している。
そこには確かに、死があった。
ーーに、逃げなきゃ。
巨大な怪物が、一歩踏み出す度に地面が震える。
あたしは、走り出していた。怪物はの一歩は大きく、一気に距離を詰めてくる。それと同時に後ろで風を切る音がして、直後に激しい衝撃音が響いた。
怪物は巨大な金属の棒のような塊を手にしており。あたしの近くを殴りつけていた。怪物の金棒は、ビルを巻き込んでいた為、あたしから逸れて近くの地面を抉っていた。
「み、みんな逃げろー!」
男性警察官が、甲高い声で悲鳴のように叫んだ。
怪物の前に、3人の警察官が立ち塞がって銃を構える。直後に乾いた破裂音が鳴り響く。パニックになった人たちが再び、悲鳴が上がる。
警察官が打ち込んだ弾丸は、怪物の拘束具を避けて身体に穴を開けた。血しぶきが舞い、数人から歓声が上がる。
ーー助かったの?
だが、怪物は意に返さないように更に一歩踏み込む。再び弾丸は発射され、怪物の体をえぐる。
ーーお願い。止まって。
怪物は、無造作に金棒を振るうと地面を抉りながら警察官を弾き飛ばした。
一振り。
二振り。
ーー絶望。
圧倒的な暴力は、小さな希望も許さなかった。怪物が、また口を歪ませて、ゴーグルの明かりをこちらに向ける。
怪物は、今度はしっかりと、大きく金棒を振り上げた。
ーーあぁ。あたしはこんな所で死んじゃうんだなぁ。
空気を切り裂くように、金棒が振り下ろされる。
あたしは恐怖に体を縮こませて、目をつぶる。
直後に、激しくぶつかり合うような金属音が響く。
ーーあれ?死んでない?
ゆっくりと、目を開けると、そこには一人の少女が立っていた。背丈の倍はあるのではなかろうかという、黒い剣で、その何倍もの大きさの金棒を受け止めていた。
あたしよりもずっと小柄な少女で、長い銀髪が光を反射してキラキラと輝いて見えた。中学生ぐらいだろうか、黒い学生服に身を包んでいる。
ーー綺麗。
今、死が目の前を通り過ぎようという時にあたしは、そんな事を考えていた。
そして春の季節に、冬から取り残された妖精のような少女に目を奪われたまま動けなくなっていた。
「……山田 紬さんですね?」
「え?はい?なに?」
なんで名前を知ってるんだろう?咄嗟に返事をしてしまった迂闊さにも気付かないまま眺めていた。
彼女は、息を吐くと金棒を弾くと、返す刃で怪物に斬りつけた。たまらずに、タタラを踏む怪物に、跳び上がりながらさらに斬りつけた。怪物から血しぶきが上がる。
怪物の動きが止まったのを確認すると、近くまで戻ってきた。
「私はミツキ。貴方を守るために未来からやってきました。」
ーーあたしに天使が舞い降りたみたい……。




