迷い子たち
◆英◆
戦火が消えかけた都の路上。大の字で息絶えた槐の側に紫雲英はしゃがみ込んだ。頸動脈にそっと手を当て、死亡を確認するとイヤホンマイクで通信を始める。
話し声は聞き取れなかったが、会話はすぐに終わり、紫雲英は緋衣に、槐を連れて現実世界に戻るように指示をした。
緋衣は去り際に、俺に向かって無言で一羽の折り鶴を投げつけてきた。わかりやすい挑発だ。それを片手で撃ち落としてやると、奴は俺に中指を立てる仕草を向けて睨んだ。そして光に包まれて槐の亡き骸とともにこの異世界から姿を消した。
「さて、私は手術が終わるまでこの世界に残るつもりだが、君達は帰らないのか? とくに英は腕が千切れかけているが……」
紫雲英は俺の右腕に視線を向けてそう訊ねた。骨が折れ、肉も断絶された右腕の痛みは麻痺している。その手を左手で支えて答えた。
「帰るわけないだろう……アンタらのくだらない企みのせいで、俺達の班から死人が出たんだ。どう責任を取るつもりなんだ?」
紫雲英を睨みつけるが、平然とした態度をしている。
「それは違うな、落ち着け、英。鉄線を殺したのは合歓だ。そして事件の首謀者は槐……これが真実なんだよ」
そう言われて奥歯を噛み締める。
槐に全ての罪を被せるつもりなのか? 紫雲英がその気になれば、もっと早くに槐を止めることが出来たはずだ。もうこれ以上好き勝手させる訳にはいかない。
「なぁ、千代草。悪いがハンカチで俺の腕をぐるぐる巻きにしてくれないか」
千代草視線を落として俺の右腕にそっと触れた。
「鉄線さん……死んだの?」
「そう……だが、それは……」
鉄線さんの死が、自身の囮作戦のせいだと思っているのだろうか。
「千代草、お前が気に病むことはない。私達はいつ死ぬか分からない仕事をしているんだ。アイツも覚悟していたさ……後で一緒に別れを告げよう」
俺が声を掛ける前に、九鬼班長は優しい口調でそう言うと、俯いたままの千代草は、小さくこくんと頷いた。
千代草に腕を固めてもらい、なんとか自力で立ち上がると、紫雲英は言葉を発することなく片倉の屋敷の方向へと歩きはじめた。俺達も後を追う。
「英、紫雲英班と何があったのか、帰った時に教えてくれ」
九鬼班長にそう言われ、俺は歩きながら「はい」とだけ返事した。
──────
戦いの爪痕を色濃く残した片倉の屋敷の入り口には、原型を留めていない死体が幾つも放置されていた。すべて九鬼班長がやったものだろう。その中を通り抜け、再び敷地内に辿り着く。
薄暗く、冷たい病院に改装された酒蔵に戻った俺達が目にしたのは、救済課のジャケットを羽織ったロングスカートの女と、その女の前で、裸に近い姿で正座をしている鳶尾だった。床には引き裂かれた服が散乱している。
女は俺達に気づくとギザギザの歯を見せて笑った。
「遅かったじゃねぇかよ、紫雲英班長様と、九鬼班長様とそのオマケ様達」
千代草が鳶尾の元へと駆けて行き、ギザ歯の女をドンと突き飛ばす。
「いってぇ!」
千代草はジャケットの上に着ていたカーディガンを脱ぐと、ソレで鳶尾を包んだ。
「鳶尾さん! 大丈夫!?」
千代草は正座を崩させる。鳶尾の顔は腫れて、鼻と口から血が流れていた。
「おい、クソ女様よぉ……このアタイ様を突き飛ばすなんて随分と酷い事しやがるじゃねぇか、ああん?」
女がそう言って千代草を睨みつけると、千代草も、鳶尾を庇いながら女を睨み返した。
「アナタ、なんの権限があってこんな酷い事をするんですかッ!?」
「あぁ? このブス様は子供を連れ去る極悪人だ。アタイ様が私刑して何が悪い……邪魔するならお前様も……」
突然ギザ歯の女が体を硬直させた。そして、ゆっくりと俺達の方へ首を回す。なぜそうなったのかすぐに理解できた。俺の隣りにいる九鬼班長が、女に向けて、髪が逆立つ程の殺気を放っているからだ。
隣に並んでいる俺は、皮膚がチリチリするような強烈なプレッシャーを受ける。
ギザ歯の女は、蛇に睨まれた蛙のように動けずに、脂汗を流している。そして強がるように無理やり口角を上げた。
「おいおい、九鬼様よぉ……ここでアタイ様とヤリてぇのかよ?」
九鬼班長は、ギザ歯の女を刺すような視線で睨み据えると、そのまま紫雲英に向かって冷たく言い放つ。
「紫雲英班長、さっきの奴もそうだが、部下の教育ができていませんね……不愉快です」
九鬼班長の静かな怒りが辺りを支配する。
「麝香、九鬼班長がお怒りだ。謝っておけ」
「はぁ? なんでアタイ様が、同期の九鬼様に謝まんなきゃ……」
「麝香……」
低い声で威圧する紫雲英に、麝香は舌打ちをして肩をすくめた。
「わぁ〜ったよ。はいはい、ごめんごめん」
九鬼班長が放つ“気”が、引き潮のように去ると、俺は、いつの間にか止めていた息を吐き出した。千代草に抱きつかれている鳶尾が呟く。
「…班長は? ……槐班長は、どうなったネ?」
「ごめなさい……槐さんは、もう……」
そう言われ、鳶尾は俯くと、「うっうっ」と呻いた。
暫くすると、硬く閉ざされていた手術室の扉が開いた。中から青い手術衣を着た数人の医師たちが現れる。先頭の男の顔に見覚えがあった。心臓外科医の四十雀だ。彼らは俺達を見て驚き、立ち止まった。
四十雀は鳶尾に問いかける。
「い、鳶尾さん、これは一体? 」
鳶尾は、力無く首を横に振った。
「私たちのプランは潰えてしまったネ……サキはどうなった?」
四十雀は俺達一人一人の顔を見て、慎重に答える。
「予想していたより時間は掛かりましたが、手術は無事に終えました。後は前回のように、心臓が消えなければ成功と判断できます」
「そうですか。それはご苦労様でしたね、四十雀先生。それとチームの皆さん……まずは、サキさんを含む全員をこの異世界から排除します」
そう言ってから紫雲英はイヤホンで指示をすると、すぐに紫雲英班の数人がこの異世界にやって来た。
四十雀達は抵抗せず、大人しく連行されて行く。手術室の奥からはベッドの上で眠っている福永サキが運び出された。そこへ鳶尾が近づく。
鳶尾は眠るサキを、慈しむような顔つきで見つめると、口に手を当てて涙を流して呟いた。
「栄次郎さん……サキは、たすかったネ……」
紫雲英班のメンバーが四十雀達とサキを連れて現実世界へと帰還するのを見送ると、麝香は俺達からプイと背を向けた。
「あぁ〜あ、シラケちまったなぁ、アタイ様は先にかえるぜぇ」
両手を後ろ頭に組み、さっさと帰還する麝香を、千代草は消えるまで睨み続けた。
「さて、鳶尾さん。我々も行きましょうか」
紫雲英は鳶尾の肩に触れる。
「では、九鬼班の皆さん……また会おう」
二人が光に包まれる間際、鳶尾の口元が、ありがとうと動いた気がした。
酒蔵には俺達九鬼班の三人だけが残された。暫くの静寂の後、班長が口を開いた。
「私達も戻ろう。鉄線が待っている」
──────
片倉が創造した異世界から、俺達三人は帰還した。瞼を閉じて数秒後、人工的な光を感じて目を開く。投光器を設置して明るくなったポイントRの夜の山中には、異世界へと出発する前より数台のワゴン車が増えていた。医療班が来てくれていた。その中の一台の黒いワゴン車のバックドアが開いており、仲間たちが集まっていた。
その中からひとりが慌てた様子で俺に駆け寄ってきた。桔梗だ。
「このバカッ! アンタ、その腕は!? ……千切れかけてるじゃない!」
桔梗は俺の右腕に回復魔法を施す。桔梗の手から発せられた温かな薄緑の淡い光が俺の右腕を包んだ。程なくして顔をしかめるほどの激痛が走る。
「いっ! いってぇ! あぁッ!!」
戦いを終えてアドレナリンが切れたのか、俺はあまりの痛みに身をよじった。その姿を見て千代草が俺の体を抑える。
「回復魔法と修復魔法を同時につかってる! 神経が繋がりはじめたの! 我慢しな!」
九鬼班長は施覆花さん達がいる黒いワゴン車の中に乗り込んだ。それを見て桔梗に訊ねる。
「桔梗……鉄線さんはあの車の中か?」
桔梗は何も言わず、口を引き結んだまま治療に集中している。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「あああぁぁぁぁ……!」
ワゴン車の中から泣き声が聞こえてきた。九鬼班長が、泣いている。
桔梗の魔法の光が消えると、班長の悲痛な泣き声に促されるように、俺と千代草はワゴン車の方へ歩き出した。
車の中には施覆花さん、苧環、南天が居た。
白い顔で眠る鉄線さんに覆い被さり、頬を合わせて泣き続ける九鬼班長を、三人はただ見守っていた。
「すまない……鉄線……私が未熟なばかりに! すまない……」
千代草も側に座り込み、鉄線さんの手を取って額に当てる。空っぽの魔力で魔法を発動させている。
もちろん蘇生魔法の効果は見込めない。
「私が異世界から持ち帰った力は、悪用されただけ……必要な時に役に立たないなら、はじめからこんな力いらなかった……なにが希少種よ」
そう呟いた千代草を、背後から桔梗が抱きしめた。
夜の山に不釣り合いな人工的な灯りの中で、俺達はそれ以上言葉を発することはなかった。ただ仲間を失った悲しみに暮れた。
一人の女性が悲運に見舞われ、そこから連鎖するように生まれた理不尽が槐を変えてしまった。異世界の魅力に取り憑かれてしまったアイツもまた、救出対象者だったのだろうか……
──────
一月後……
異世界で心臓を移植された福永サキの経過は良好だと聞かされた。俺達九鬼班は、鉄線さんが居なくなった事以外は、なんら変わらない日々を送っている。千代草も元気を取り戻しているが、時折り悲しげな顔を見せる時がある……
──────
それは初めての事だった。俺に丸一日休暇が与えられた。この数年間、一日も休む事なく働きつづけていた体に『今日は休みだから、羽目を外そう』と脳が命じても言うことを聞かない。明日からの仕事の内容で頭がいっぱいだった。
これではいけないと近所のコンビニに出かけ、アイスコーヒーを買って公園のベンチに腰かけた。
空を見上げると、分厚い灰色の雲が、都会の澱んだ空気が上空に逃げるのを塞ぐかのようにひろがっている。
「なんて顔してやがる。休日ってモノはなぁ、体と心を仕事から解放する日なんだぜぇ」
聞いたことのある声が隣から聞こえた。そっちを見るのがバカらしいと思い、はぁ〜、とわざと大きなため息を吐いてやる。
「そんな素晴らしいアドバイスを伝えるために、わざわざ休日に会いにきてくださるなんて、上司の鏡ですね? 課長は」
「ほんと、お前は面白いヤツだなぁ。で、右腕はどうだ? 治ったか?」
「見た目は戻ってますが、指がほとんど動かせません……穢悪の力で体が鬼になっていたせいだと思います。でも、アンタの声を聞いたら強く拳を握れそうですよ」
蒲公英課長が俺の隣に大股を広げて座り、自分の太ももを叩いて笑った。
正直、課長に対しては吾亦紅の件でかなり頭に来ていたが、終わった今ではすっかり冷めてしまっている。
「英ぁ……お前は俺の予想以上の働きをしてくれた。それに免じて懲罰は無しだ」
「そんな事を伝えるために来たんですか?」
手に持ったコーヒーをストローで吸い上げる。安物だが挽きたての豆の香りが口に広がった。
「そんなわけないっしょぉ〜♪ 本命はコレ」
一通の封筒を俺の横に置いた。それに目をやる。
「アンタから紙の類いが送られると嫌な気分になりますよ」
嫌味ではなく本心だ。自分でも顔が引き攣っているのがわかる。
課長は立ち上がった。
「それは辞令だ。秋からお前は班長になる」
それを聞いて初めて課長の顔を見る。俺と戦った時に見せた真剣な顔が、辞令が冗談ではない事を物語っていた。
「来週、班長会議を開く。詳細はその封筒の中だ。ちゃんと読んどけよ」
右手を軽くあげてこの場から去ろうとする課長を引き止める。
「ちょ! 待ってください! なんで俺が……」
「上の連中はお前に期待している。お前はお前が思っている以上に人気者なんだぜぇ……まぁその分敵も増えるがな。じゃあな」
課長はニヤリと口角を上げると、サングラスをかけて公園から出て行った。
ベンチに座り続ける俺は封筒を拾い上げる。肩を落とすと今度は自然にため息が出てしまった。湿気を含んだ風が公園の中を通り抜ける。もうすぐ雨が降るだろう。
『ピッ……』
「苧環か どうした?」
『休んでいるところすまない、だがどうしてもお前に知らせておきたい事がある』
「なんだ?」
『実は……槐捕獲作戦から帰還したあの日、次元の歪みから微弱ながら追跡者の信号をキャッチしていたんだ』
「ん? あの時、追跡者は来なかったはずだが……」
『その通りなんだが、先日、機材のメンテナンスをしていた時に気づいた。信号が微弱すぎてあの時は気づかなかったが、計器に残されたログは確かに信号をキャッチしていた』
「姿の見えない追跡者が、異世界から来ていたのか!?」
『その可能性も否定できないが……その信号は、ある人が放つ生体信号と酷似していたんだ』
「ある人? 誰のことだ?」
『…………九鬼さんだ』
「な?! それは機材の故障じゃないのか? ありえないだろ! 今までそんな事はなかったぞ」
『あぁ、そう……だよな? その可能性は否定できないよな』
「ふうー……」
『それと……』
「まだあるのか?」
『実は、九鬼さんの事で、先日千代草から相談を受けていたんだ……』
「……どんな事を?」
『九鬼さんが、槐の爆弾花火兵の爆弾で倒れた時、千代草は桔梗の回復魔法を凝縮したパウチを開いた。すると意識の無い九鬼さんが、異世界の言語を呟いた。と…』
「な、なんだそれ……」
『そして、意識が戻り、目を開いた一瞬だけ、九鬼さんの目が紫色になっていたらしい』
「千代草の見間違いじゃないのか!?」
『それも否定できない……突然こんな話をしてすまなかった。でもこの事は頭の隅にでも置いてくれ』
「あぁ……わかったよ、ありがとう……」
…………
千代草が見た、紫の瞳は……見間違いじゃないかもしれない。
ほんの一瞬だか俺も見た気がする……片倉の屋敷の前で再会した九鬼班長に、肩越しに睨まれたあの時の瞳は、異世界の者が暴走した時に見せる紫に近かったんだ……
ロストチルドレン編 終




