昔日の記憶 四
◆廣田英臣
オレが七歳の時、新しいおとうさんが家にきたんだ。そして、しばらくしてオレに初めての兄弟が出来た。
お母さんのお腹からあわてて出てきてしまった弟は、とても体が小さくて弱かった。だから弟はずっと病院にいた。
体中にいっぱいホースをつけられ、痛そうでかわいそうだった。
おかあさんは毎日病院に行って弟の看病をしていた。
オレは新しいおとうさんと家で二人っきりになる時間が増えた。
無口な人だったけど、とても優しい人だったのを覚えている。
でも、だんだんとおとうさんは家に帰らない日が増え、いつしか家はオレだけが居る場所になった。
最後におとうさんの姿を見たのは、いつだったか覚えていない。
おかあさんが弟を病院から連れて帰ってきたのは、生まれてから四年がたった頃だった。今日から一緒にくらせるんだ。うれしいな。
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弟は相変わらず体にたくさんの機械をつけて、ずっと寝たままだ。弟のお世話は、昼は病院の人が来てくれるけど、夜はオレとお母さんの仕事だった。弟はまだ立ったり喋ったりはできないけど、目を動かす事ができる。とても可愛いヤツだ。早く一緒にサッカーをしたいと思った。
夜、お母さんが泣いている姿を見かけた。お酒とタバコの匂いで部屋が臭かった。話かけると、たまにぶたれてしまうので、今日はオレが朝まで弟の世話をしよう。
次の日、お母さんに「いつも夜遅くまで仕事してくれてありがとう」と伝えたら抱きしめてくれた。
泣きながら「ごめんね」と「ありがとう」を言われて、なんだかオレも泣けてきた。
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ある日、母さんが家に友達をたくさん連れてきた。
その人達は、神様へ祈りを捧げると弟の体が良くなると教えてくれた。でも、神様へ祈りの声を届けるための道具が必要だといった。
今日の晩ごはんは、小麦粉を固めた団子が入ったお汁だった。少ないから、昨日隣の大家さんからもらった肉じゃがと一緒に食べた。
弟はまだ機械に繋がれたまま体を起こすことは出来ない。弟に絵本を読み聞かせてやると、うー、うー、と返事をしてくれた。可愛くて、俺は頭を撫でてやったんだ。
家に神様への願いを届けるための道具が増えた。
分厚い本。神様の姿を描いた絵。神様を近くに感じる数珠、壺……
どれもとても高価な物だと母さんに聞かされた。その道具を使って母さんはよく家の中で何時間も祈っている。
母さんは友達と一緒に集会へと出かける回数が増えた。
俺は最近新しい服を買ってもらっていない。休みの日でも学生服ですごしている。
中学を卒業してから鉄工所で働くことになった。俺は給料を全部母さんに預けた。母さんは泣いて喜んだ。
これでもっと神様に祈れると……
弟の体はだんだん大きくなってきたが、まだ起き上がれない。話すこともできない。機械に繋がれたままだ。
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テレビのニュースで、母さん達が信じていた神様が逮捕されたのを知った。画面に映った神様は長髪で髭を蓄えた普通のおじさんだった。なんでも信徒から集めたお金で海外に豪邸を建てて優雅に暮らしていたらしい……
それ以来、母さんはずっと家に篭りっぱなしになった。
神様への祈りの道具はいつのまにか家の中から消えていた。母さんのお酒とタバコの量が増えた。弟も同じ部屋にいるのだからタバコをやめろと言ったら殴られた。そしてその後、泣いて謝られた。
英臣、ごめんね……と。
最近弟の体調が良くない。俺は母さんと一緒に何度か弟を病院で診てもらったが、もう長くは生きられないかもしれないと告げられた。来週から入院するための準備を進める。
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その朝、家を出たら大家さんに呼び止められた。
溜まった家賃を払ってくれと言われた。
仕事場を出て、歩いて帰る途中で大きな夕陽を見たんだ。街を染めるオレンジ色の太陽を見ていると、もうじき冬が来るというのに、なぜだか暖かく感じられた。
もっと大きな病院に移れば、弟はよくなるかもしれない。もっと腕のいい医者をさがそう。そのためには俺がガンガン働かなきゃいけない。
スーパーに寄って食材を買って帰った。晩ごはんは母さんの好きなコロッケを作ろうと思っていたんだ……
玄関の前に立った時に気がついた。
室内からピーッピーッと電子音が聞こえることに。
聞き慣れないその音は、俺の背中に覆い被さるように不気味な違和感を与えた。
鍵穴にキーを差し込む手が震える。
なんとか鍵を開け、俺はただいまも言わずにゆっくりドアを開いた……
………………
———俺は、俺が絶望した日のことを、膝まくらの女にすべて話していた。
誰にも言えずに苦しんだ日々のことを。
「俺が悪いんだ。俺が弱かったから……俺に、俺に二人を守る強さがあれば……」
言葉が震えている俺の顔に、冷たいものが落ちた。
見上げると、それは女の目からこぼれ落ちた涙だとわかった。
「なんで、アンタが泣いてんだよ?」
女は俺の頬を、温かい両手でそっと包んだ。まるで俺の心の傷を塞ぐかのように……慈しむように……
「こんなことを言ってしまうと、余計にキミを傷つけてしまうかもしれいけれど、言わせてくれ……」
「……?」
「キミのお母さんは、もう……キミに負担をかけたくなかったんじゃないかな?」
その言葉を聞いた俺は、しゃくりあげるように泣いた。きっとそうだと思っていたからだ。自分の考えていた事を、誰かに言って欲しかったのだ。
「死ぬなら! ……死ぬなら、俺も連れて行ってほしかった……」
女は俺の額に、自分の額をひっつけて泣いてくれた。
女の髪からは小さい頃に母さんが使っていたシャンプーと同じ香りがした。
俺たちは、星空の元、ずっと一緒に泣いたんだ……
*次回、『昔日の記憶 五』




