前段
バシッ!
「余計なことをしないでよッ!」
今回の任務で救出した女の子から、突然横っつらを叩かれた。
小雨が降る深夜二時、郊外から少し離れたこの場所には、数年前に廃校となった小学校が手付かずのまま残っている。そのグラウンドの真ん中で、傘を持たない俺たち二人は今、シトシトと振る雨に濡れている。
彼女はもう一度俺を叩こうと腕を振り上げたが、自らその手を制し、濡れたグラウンドに崩れ落ちて声をあげて泣いた。
この仕事に就いてから、こんな風に恨まれる事は幾度も経験している。
助け出した救出対象者の行動パターンはだいたいこうだ……
罵声を浴びせてくる。
暴力を振るう。
ただ延々と泣く。
気力を失って自死しようとする…
今回はビンタ、暴力を振るう。だ。
座り込んだ彼女は、突然顔をあげた。
大きな瞳から涙を流し、俺を強烈に睨みつけながらフーフーと荒い呼吸をしている。
剥き出しの敵意を、視線を使って遠慮なく俺にぶつけてくる。憎悪のこもった目…彼女が次に取る行動を、俺は容易に予測できた。
異世界帰りの膂力無き少女が、俺に一矢報いるための手段……彼女は俺に掌を向ける。
「火の精霊達に命ずる!我が手の中に集い!紅蓮の焔となりて、目の前の敵を焼き尽くせ!」
……
彼女の手から、その紅蓮の焔とやらは出ない。出るわけがない。
ん!ん!と、何度も俺に手を伸ばして向けるが焔どころか煙すらでない。
ゲームやアニメのキャラクターのように本気の口調で詠唱してから、手から炎を出さんと努めるその姿は、傍目から見ればかなり滑稽に見えるだろう。
ここが彼女の居た異世界なら、俺は丸焦げになっているかもしれない。
「落ち着け、ここはお前がさっきまで居た世界とは違う。お前、あっちでは魔法使いだったのか?残念だけど、この現世で魔法は使えない」
「うあぁぁぁぁ〜!!」
俺にビンタ以上の攻撃を与えられないと理解した彼女は、再び両手を地につけてむせび泣いた。
やれやれ、こうなったら長いんだよな…
この女は、とある違法な手段で異世界転生していた。その手段とは、某国が開発した転生アプリ『ネペンテス』を使用したものだ。
俺たち異世界転生救済課では、そのアプリの事を食虫植物である『靫蔓』とも呼んでいる。
このアプリをスマートフォンに落とし込み、自分好みの設定を入力すれば簡単に異世界へ行けてしまう。
ドラッグ並に厄介な代物だ。
近年増え続ける行方不明者、失踪者の数は年間約10万人を超える。その内の0.5〜2%ほどの人間が靫蔓を使ってコイツの様に異世界転生を果たしていると政府は予想している。
現代に生きる価値を見い出せない者が、自分で作り出した甘ったるい世界に閉じこもってしまっているのだ。言わば、新手の『引きこもり』
この事態を重く考えた政府は、デジタル庁の内部に非公表の組織を結成。その活動内容は、別の世界へ足を踏み入れた転生者、または転移者を強制的に現世に連れ戻すことである。
これ以上若者が減って国力が削がれるのを防ぐために。
俺は耳に装着したイヤホンマイクで上司に報告する。
『ピッ』
「っかれっス…ポイントRにて『現世に還す』完了……えぇ、例に漏れず泣いてますね……女性なんで。……了解です」
周辺を警戒している仲間からの報告では、俺達を殺すために追ってくる追跡者の出現は、現時点で歪みからは確認されていない。だが油断は禁物だ。
さて、どうしようか……
雨に打たれて泣いてる女の子を、いつまでも夜中の廃校に置いておくのは流石に俺でも忍びない。
それにしてもよく降る雨だ。梅雨の時期だから当たり前か…
傘くらい持ってくればよかったか。ちょっと寒くなってきた。
そんなとりとめのない考えをしていると、自分のズボンの裾が掴まれいること気づいた。
いまだ俯き、打ちひしがれている彼女が掴んでいるのだ。
「……なんでよ?」
それは彼女が懸命に絞り出した震える声だ。
「なんで私を連れ戻したのよ?」
彼女はさらに強く裾を掴む。
『魔王を討伐したあとの異世界で、恋人と楽しいスローライフを過ごしていたら、突然黒スーツの男がやってきて問答無用で元の世界に戻されました……』
まぁ、そんな事されたら誰でも怒るよな……実際俺もそうだったし。
「お前が国の認可が降りていない違法な転送アプリを使って異世界に移ったからだ。それと、お前の両親から捜索依頼も出ている」
「イヤよ……私をあっちの世界にもどしてよ……お願い」
彼女は首を横に振って、俺を見上げて懇願する。
「悪いが、お前は今日からまたこの世界で生きてくれ」
諦めの悪い奴だ……
俺はわざと冷たくあしらう。
「あっちの世界に恋人がいるの!友達も!あたしだけの家も!頑張って作った牧場も!ペットのシロも!こっちの世界か嫌だったから転生したのに!」
声を荒げながら俺の足を掴んで這い上がってくる彼女の顔から狂気を感じた。
歪みの有無を確認するまで待機してなきゃダメなんだが、こうも絡まれると厄介だ。
そう思って、一度彼女を黙らせようと少しだけ能力を解放しようとした瞬間、背後から声をかけられた。
「もう少し気の利いた言葉は掛けられんのか?英。救出対象者の心情に寄り添えと教えたはずだが…」
振り返るとそこには、俺と同じ黒のスーツに身を包んだ長身の女性が傘をさし、タバコを咥えて立って居た。
その人は、容姿端麗……その言葉にふさわしい条件の見目を持ち合わせている。だが、両の頬に大きな切創が目立つ。
ポニーテールで束ねた金髪の先端は、少し痛んでいる様に見えた。
「九鬼班長…」
「歪みは発見したが、そこから湧き出てきたのは危険度レベル2の思念体だった。
私じゃなくても対処可能と判断したので、処置は鉄線と施覆花に任せてきた」
九鬼班長は俺達にゆっくり近づいてきた。
「サボりたいだけでしょ?」
「はは、心外だな、私は部下に成長の機会を与えたんだよ」
「それよりお嬢さん、まずはこの男の非礼を詫びよう。突然のことで理解が追いついていないのに説明すらせずに、申し訳ない」
九鬼班長は濡れた地面に片膝をついて彼女を傘の中に入れた。
「班長、タバコ……彼女も俺も未成年ですよ」
「あぁ…そうか、だが英は18になっただろう?」
「タバコと酒は二十歳から。それと副流煙のことも気にしてくださいよ」
まったく、この人は一般的な常識が備わってないな。
九鬼班長は胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコを口から落としてその中に収めた。
「一体なんなんですか?あなた達は…」
彼女は九鬼班長から後退り、傘の下から出るかたちになった。
彼女からしてみれば、もう一人得体の知れない人物増えた訳だ。
「菊田雫さん…自己紹介が遅れましたね。私は九鬼と申します。こっちの男は英。
我々はあなたのような異世界転移者を現世に連れ戻す事を生業としている者です。非公表ではありますが、政府の組織に属しています」
九鬼班長は彼女を落ち着かせるために、ゆっくりと、優しい口調で素性を明かした。
正直、ここまで親切に正体を明かす必要などない。この後彼女を施設に送り、転生前から今日までの記憶をすべて改竄する予定なのだから。
今日俺たちと出会った事と、あちらの世界で楽しく過ごした日々の記憶を、まるごと消去してしまうのだ。
「菊田さんはこれから我々と一緒に落ち着ける場所に来ていただきます。そこで再びこの世界で生活するための学習と準備を……」
「私は!……私はそんなこと望んでない、なんで今更!……今更ッ!」
班長は再び菊田に近づき、泣いている彼女がこれ以上雨に濡れないように傘の下に入れた。
流石にめんどくさいと思った。体が雨で濡れて不快だ。早く施設に入れて強制学習すればいいのに、班長は優しすぎる。
常日頃から救出対象者の心情に寄り添えと言っているが、優しくしたところで最終的にみんな記憶を消すんだ。異世界での生活と俺たちの事を。
ピピッ!ピピッ!
緊急要件を告げる二連二拍のアラームが耳の奥に届くと体が一瞬強張った。九鬼班長も耳のイヤホンを押さえている。
『こちら|鉄線!歪みから高レベルの追跡者出現!こいつは…ど、竜種です!』
「鉄線!そいつをポイントRへ転送しろ!ここを客間にする!施覆花!戦闘は禁止だ!」
九鬼班長の指示する内容は、そのドラゴンをここへ転送させて、この廃校のグラウンドを戦地とするものだ。
俺はすぐに菊田を抱え上げ、班長をその場に残して校舎側まで駆け出した。
「イヤだ!離して!」
菊田は俺の腕の中で暴れる。鬱陶しい。
校舎の庇の下に彼女を乱暴に放る「ぎゃん!」と言う声が聞こえたが構わず、俺はすぐに九鬼班長を注視する。
班長はすでに傘を捨て、何処からともなく取り出した大きな戦斧を両手で持って構えていた。
ィィィィイーーーーーン!!
空間が捩れる不快な音が鳴り響き、中空に黒点が現れたかと思うと、その点はすぐにグラウンドいっぱいに広がる。
中から小型のダンプカー程の大きさの白いドラゴンが降って現れた。
ドスーーーーン!
ドラゴンが巨躰を地面に叩きつけるやついなや、九鬼班長は隔離結界『うつしよとのわかれ』を発動。
これによりこのグラウンド内の空間と外の空間は切り離された。外での時間は停止し、この結界の内側の時間だけがすすむ。
落ちてきたドラゴンのすぐ近くに二人の人影が見えた。俺たちと同じ身姿の鉄線さんと施覆花さんだ。
「現状報告!」
班長はドラゴンを見据えたまま二人に要求すると、鉄線さんが即座に答える。
「はッ!私と施覆花が思念体三体を倒した四分後、白い幼体の竜種が歪みより出現!暴走状態を示す紫色の瞳だった為、戦闘回避は困難と見極め、即時ドラゴンを歪みへ送り返す作戦を敢行!
その最中、施覆花が左腕を欠損しました!現在、歪みは消失!いずれも九鬼班長がタバコ休憩と称して現場を離れた後です!」
「すんません班長!左腕、いわされました!」
施覆花さんの左腕は、肩から先が無かった。
ドラゴンを見ると鋭い牙の間に施覆花さんのソレが挟まっている。
「戦闘禁止と言ったはずだが……いや、現場を離れた私の判断ミスだ。あのドラゴンの目の傷はお前たちがつけた傷か!?」
「いえ、あの傷は最初からついてました!オレらの攻撃ではかすり傷すらつかへんかったです!」
「ドラゴンへの斬撃、銃火器、効果無し!」
「そうか、鉄線と施覆花は本部へ帰還!桔梗に傷を直してもらえ!ここは私と英が引き継ぐ!」
「了解!」
鉄線さんと施覆花さんは直ぐに現場を去った。その際、施覆花さんが俺に向けて「頑張りや、ルーキー」とだけ言い残して煙のように消えた。
まだ幼いとはいえ、暴走状態のドラゴンだ。危険度はレベル7といったところか……
ドラゴンはグルルルと喉を鳴らしながら九鬼班長の前に立ちはだかったままだ。
「あの目の傷……シロ?」
菊田がそう呟くと、ふらふらとした足取りでドラゴンに近づいていく。
「シロ!シロだよね!私よ!雫だよ!」
ドラゴンは俺達の方に振り向き、グルルと喉を鳴らしながら首を傾げている。瞳の色は依然として暴走を意味する紫色のままだ。
「おい、下がれ!」
俺は菊田の腕を掴んでドラゴンに近づくのを止めた。
さて、状況分析した結果、言わずもがな俺の役目は班長のサポート……なのだが、菊田を抑えておかなきゃならないな。
相手が危険度の高い竜種だが、あの人ひとりで充分こと足りるだろう。なんならサポートなんていらないくらいだ。
「……英!コイツの相手をしろ!」
はい?
「私のタバコ一本のせいで部下の腕を一本取られてしまった。本来なら私が責任を取るべきなんだが、お前のあの力をもう一度見たい」
九鬼班長は巨大な戦斧を瞬時に消し、両手をあげてドラゴンからゆっくり距離を取った。
「英、一番スマートなやり方で逝かせてやれ」九鬼班長はニヤリと笑った。
こんにちは、ねずただひまと申します。
この度は読んででいただき、ありがとうございます。
このお話しは以前短編で書いたものを連載用に改稿したものです。
これから皆さんにこのお話しを楽しんでいただけますように、何より自分自身も楽しんで書けるように努めてまいります。
少しでも応援して頂ければ幸いです。
*次回、『序幕 後段』




