第九二話 暴走列車にはご注意を
「それにしても…見れば見るほど色んなお洋服が似合いそうよね、美穂ちゃん。普段からお洒落にも興味があるのかしら?」
「う~ん…そうですね。どちらかというと、そこまで興味はないかもです。もちろん最低限の身だしなみは気にしますけど、それも言ってしまったら蓮くんに褒めてもらえたら私は満足なので──」
「そんなの駄目よ! こんなに可愛いお顔と綺麗な肌をしてるんだから、女の子ならもっとたくさんお洒落しないと!」
「う、うえぇっ!?」
一通りの混乱も次第に鎮まる気配を見せ始めたことで少しずつ落ち着いてきたわけだが、それはそれとしても千夏はまだ美穂への執着を消したわけではないようだ。
現在も何気ない質問から彼女の同行を探っていたらしい母が唐突に彼女の両手を強く握りしめ、何故か強く熱弁している様を蓮も横で目撃しているものの…どうしてここまで熱くなるのか今一つよく分からない。
「これは由々しき事態ね…そうだわ美穂ちゃん! 今度、私と一緒にウィンドウショッピングに行ってみない? 少し遠くまで行けば似合う服も見つかると思うし、きっと楽しいわよ! もちろんお金の心配はしなくていいからね!」
「も、もちろん千夏さんとならお買い物も構いませんが……あ、あのぉ…ちょっと、手の力が強──…!」
「昔から私も夢だったのよ…うちは蓮の一人息子で積極的に外に出る性格でも無かったから、一度でも女の子とこういうショッピングにも行ってみたかったの! どうかしら!」
「そ、それはお断りする理由もないんですけど…その、お願いですから掌だけはな──」
「本当!? なら決まりね! そしたらどうにか仕事時間に隙間を作って、それから……ぐふっ!?」
「………いつも言ってただろ、母さん。そうやって相手の話を聞かずに暴走する癖を止めて美穂の手を放してやれ。あと、こっちの言い分も聞かずにどんどん話を進めるな」
が、そうして千夏のテンションが話題の進んでいくにつれて上がっていくと…気が付いた頃には、どうしてか美穂と千夏の間で外出の予定が組み立てられてしまっている。
…これも、この母の悪い癖の一つだ。
昔から一度ハイテンションに振り切れると相手の都合をお構いなしに進めてしまい、最低限の返答だけ切り取って思考を処理してしまう。
まぁそんな対応をするのは千夏自身が余程気に入った相手に対してのみだったりするので、こうした景色を見るのも稀ではあるが…それは逆に言ってしまえば、美穂が千夏にとってそれだけ気に入られたということ。
いつもは蓮を圧倒してくる勢いで攻め込んでくる彼女の姿勢も、それを上回る勢いで呑みこもうとしてくる千夏相手では分が悪くなるらしかった。
…なので、ここはどうしたらよいのか分からずされるがままに押されていた美穂に代わって蓮が収拾を付けに行く。
とはいっても手法は単純明快そのもので、単に母の頭に渾身の手刀を叩き落とすだけなのだが。
解決法が物理的な暴力過ぎると言うことなかれ。
いかに蓮も家族相手とはいえ、むやみやたらに暴力を振るうわけでは無い。
……しかし、この母相手では言葉での解決など一切望めないと遥か昔に悟った経験を持ち合わせていることからこの解決法が最も確実で最短の手段だと理解させられただけだ。
よって微塵の容赦もない物理的なストッパーこそが今回も最適だと判断し、全力で実行した結果。
狙い通り千夏の暴走は初期段階で止めることに成功した。
その後に叩き落としてから再浮上してきた母の顔からは恨みがましい表情を向けられてしまったが…そんなのは知った事ではない。
対面した相手の感情を考慮しようともせず、ひたすらに自分の欲望を優先させて美穂を困らせようとしたのだから当然の結果だ。
「それに母さん、他の話に意識引っ張られて言うの忘れてたけどこっちに帰ってくるなら連絡くらいしてくれよ。急に来られるとこっちとしても困るんだが」
「あら、ここは私の家でもあるのに帰ってきたら駄目って言うの? 生意気なこと言うようになったもんね、蓮も」
「いや、そこまでは言ってないんだが…報告をしてくれって話だ。…大体今日だって、近所にまで戻って来てたんなら帰ってくるつもりだったんだろ?」
ただしその一方で、蓮としても今回の一見は色々と苦言を呈したいところが多々ある。
千夏と美穂が出会ってしまったことはもういい。
…この自由気まますぎる母と彼女を鉢合わせてしまえばどうなるかを予想していた段階では諸々の騒ぎが起こることを確信していたので避けたいところではあったものの、こうなってしまったからには諦めるしかない。
であれば今気にするべきところはそこに付随していた箇所の方である。
大前提、今日はどんな運命の悪戯かこの二人の対面が叶ってしまったわけであるが…それだってよく考えていくとおかしいのだ。
それも全て千夏に関連した点にはなれど、そもそもこの母は今までもそうだったが自宅に帰ってくることなど皆無と言い切ってしまっても良いほどに無い。
仕事柄全国あちこちを飛び回っていることは蓮も以前から知らされていることであって彼も納得していることなために今更文句も何もないが、ゆえにこそ千夏が帰宅することは稀なのだ。
だというのに、今回に限ってはこの家に近隣で…それもちょうど美穂が家を出ていて戻ってくるタイミングに合わせて待機していたなど怪しすぎるにも程がある。
彼女の情報が彼らも把握していないところから漏れたとは到底思えないが、ここまで状況が整ってしまうと何かしらの裏があったのではと疑いたくなるレベルだ。
…だが、それについても千夏は全く動揺せず向こうの経緯を淡々と説明してきた。
「いいえ? 今日はちょうどこっちの方で仕事の打ち合わせがあったから戻ってきただけよ? まぁそのついでに、久しぶりだから蓮の顔を見ておこうと思って戻ったけど…この後は普通に仕事だからすぐに出ないといけないのよね」
「は? じゃあその後はどうするんだよ」
「明日はまた別の場所でスケジュールを組んでいるから、こっちが終わったらすぐに移動するわよ。だからまたしばらくは空けると思うわ」
「……マジかよ。別に今までと変わらないから良いけどさ…せめてもっとこう、事前の連絡ってものを…」
…何と驚くべきことに、千夏はそれまでの奔放な様子からは想像も出来なかったがこの後に仕事を控えていたとのこと。
しかもそれが終わればここに戻ってくるのかと思いきや、明日には別の仕事があるために再び家には帰ってこないなどと告げてきた。
まさかここに来てまでそんな連絡をされるとは微塵も思っておらず、なおかつ当たり前のようにまた長期の出張じみたことを報告されたのだから脱力せざるを得ない。
……これが千夏という母親の平常運転でもあるがゆえに怒りもしないが、もう少し事前の報連相を徹底してくれればとどうしても思ってしまう。
ただそこで少し意外だったのは、この発言を聞いてここに居る彼以外の者──美穂のリアクションが少々予想外のものだったことか。
「え……千夏さん、もう帰られるんですか?」
「うん? そうね。あと少ししたら予定の時間だから、少し惜しいけど出ることにするわ。何かあった?」
「…いえ、その。せっかくこうしてお会いできたのに…こんなすぐお別れするとは思っていなかったので、寂しいなと思っちゃって……」
「…………ほう?」
「へ、ち、千夏さん? あの、どうして少しずつこっちに近づいて…?」
千夏からもうすぐここを出ると言われた瞬間から、心なしか表情を暗くしてしまっていた美穂の変化に勘付いたらしい母直々に問われれば、彼女の答えは…何ともいじらしい。
彼女の立場からすれば普通は千夏の過剰に近い距離感など鬱陶しく感じていて当然であるはずなのに、むしろそんな接し方をしてきた相手であっても別れを惜しむ態度を露わにしていたのだ。
…すると、それを真正面から受け止めて千夏はというと。
一瞬驚いたように目を見開いたかと思うと、何故かその直後に意味深な囁きを残して立ち上がり……ふらふらと、おぼつかない足取りで美穂へと近寄る。
「──あぁもう! どうしてそんな可愛いことを言ってくれるの! …美穂ちゃんからそこまでいじらしいこと言われたら、お仕事にも行けなくなっちゃうわよ!」
「もご…っ!? …ち、ちなつさ──…! い、息が苦し……っ!!」
「はあぁ…! 見た目だけでも私の好みど真ん中なのに、性格まで優しいなんて…もう可愛がるしかないじゃない!」
「……~~っ!?!?」
そうして突然の挙動に困惑する美穂の傍までやってきた千夏は、これまた急に彼女を力強く自身の胸元へと抱きしめた。
どうやら今の美穂の言葉が相当嬉しかったらしく、さっきから彼女への気に入り方も相当なものなことは見て取れたがそれもさらに跳ね上がったようだ。
もう絶対に離さないと言わんばかりに全力で抱きしめ、その圧迫感もあって美穂が窒息しかけてしまっているがこの様子ではそれにも気が付いていない程夢中になってしまっているのだろう。
これも千夏なりの愛情表現と言えば聞こえは悪くないかもしれないが…まぁやられる方としてはたまったものではない。
…もちろんこの後、蓮の手によってきっちりと物理的制裁が下されたのは言うまでもない。




