第九一話 お気に入りの相手
母である千夏から飛び出してきた発言はどこまでも突拍子が無いもので、この場の空気を一変させるに足りすぎるもの。
…まさか、向こうがここまで常識を踏み飛ばしていく発言をしてくるとは思いもしていなかっただけに驚愕の度合いも大きい。
語られてきた内容が親としてそれはどうなんだと思うようなものだったことも大いに関係はしているが。
しかし当の本人は……千夏は自分が口にしたことの重大さを理解しているのかしていないのか。
その点の判別すらも曖昧にするかの如く、先ほどからこちらを見つめて悪戯心を彷彿とさせる笑みだけを浮かべて一気に顔を赤くしてしまった美穂を楽しそうに眺めていた。
「え、えと…そのぉ……い、今のはどういう意味でしょうか…?」
「ふっふっふ~…別に、本当に私たちの子供になってほしいって意味ではないわよ? ただそうね、もう少し分かりやすく言うなら…義理の娘になるのはどうってお話よ」
「む、むしゅめ!?」
「…母さん! そういうデリカシーの無いことは止めろって…美穂も困って──」
「はいはい、蓮は少し黙る。…これはあくまで私から見た印象になっちゃうけど、美穂ちゃんって勘違いじゃ無ければ…うちの息子のこと、ただの友達としては見てないんじゃないかしら? あ、嫌がるのを無理に聞きたいわけじゃないからそれなら言ってね?」
「そ、それはぁ…」
やはり、千夏が言わんとしていたことは残念ながらこちらの予想とズレてくれることもなかったらしい。
流石にそれは深入りしすぎだと思い、途中で何とか止めようと蓮が横槍を入れようとするも…そこは軽くあしらわれて終わってしまう。
だとしてもこれはやり過ぎだろうと、一度は口をつぐんだ蓮も美穂へ馬鹿正直にこんなことを答える必要は無いと助言を送ろうとした。
──ただし、そのアドバイスは惜しいことに一瞬間に合わず。
「これでもデザイナーとして、今まで沢山のモデルを見てきたから人を見る目は相応にあると思っているのよ。…それで、美穂ちゃんから見て蓮はどんな感じかしら? 我が息子ながら、パッと見は地味で野暮ったいかもしれないけど…よくよく見れば素材は悪くないと思うわよ?」
「………何でここに来て母さんから貶されなけりゃならないんだ」
「そ…そうですね。私からしたら蓮くんは、素直に言えば……素敵な男の子だと思っています」
「…っ!」
「あらそう! …ふふふ、まさか蓮にこんな可愛い子がねぇ……もしやとは思っていたけど、本当にそうだとは正直予想外だったわ」
蓮が言葉を掛けようとしたタイミングに被せるようにして放たれた一言は、紛れもない美穂が抱えていた彼への好意を明確に表したもの。
それを彼の母、千夏に対して明かすことは普段蓮に恥ずかしげもなくアプローチを仕掛けてくる彼女であっても羞恥心を刺激されるのか微かに視線を逸らしてしまっていたが。
また、自身の中で予想していたらしい推測が的中したことに瞳を輝かせ、気のせいか蓮の方を面白いネタを見つけたように顔を向けてくる千夏の態度に彼も若干気まずさを感じる。
「それでそれで? 具体的にはどこが良いと思ったのかしら!」
「母さん…そろそろいい加減に──…!」
「静かに、蓮。こんな可愛くて着飾り甲斐のある子から、こんな面白……ゴホン、気になることは聞かないわけにもいかないでしょ!」
「今本音が漏れてたからな? 誤魔化そうとしても無駄だからな?」
「細かいこと気にしないの。…で、美穂ちゃん。蓮のどの辺りが良いと思ったの?」
「他には…やっぱり、いざという時には私のことを最優先に考えてくれること、ですかね。私としては蓮くんにもちゃんと自分のことを優先してほしいと思うんですけど、それ以上に当たり前みたいに私のことを気遣ってくれて優しいのが…格好いいです!」
「ふんふん……蓮、あんたったら…私がいない間に随分気の利いた事やってたみたいじゃない?」
「………………」
…一体これは何なのか。
どうして自分の母親と、自分の友人という本来出会うはずもなかった二人が対面して彼の良さを熱弁している場面など目の当たりにしなければいけないのか。
それに美穂も、さっきまでは千夏の勢いに圧倒されてしどろもどろになっていたはずなのに今や蓮の話題に移ってきたためかいつの間にか声に熱がこもり始めている。
自分の良さを親の前で熱弁されるという、長い人生で見てもそうはないだろうと確信させられる景色が目の前で展開されていることに頭が痛くなりそうだった。
「あとは、普段は少しぶっきらぼうなところもあるんですけど…たまに見せてくれる柔らかい表情なんかが可愛くて! …そういうところもすっごい良いなって思いますね」
「ふんふん……なるほどねぇ~?」
「……頼むから、もう勘弁してくれ」
されど結局、一度語り始めてしまった美穂の勢いは千夏の時と同様蓮一人で止められるわけもなく。
ひたすらに彼の羞恥心だけがいたずらに刺激されていく居心地の悪い時間を、最初から最後までみっちりと味わわされることとなった。
「いやー…これは良いことが聞けたわ! 蓮ったら昔から女の子と仲良くなる気配すら無かったのに、少し目を離したらこんな可愛い子と距離を縮めてたとはねえ…」
「えへへ……千夏さんにお話するのは少し恥ずかしかったですけど、私は蓮くんの傍を離れるつもりはないので安心してください!」
「うんうん、それが聞けただけでも良かったわ。この子も不愛想だから分かりづらいけど…多分内心では美穂ちゃんのことかなり意識してるはずだから、押していけば陥落すると思うわよ?」
「本当ですか千夏さん!!」
「……もうこれ以上は止めてくれ。というか一体何だったんだよこの時間は…母さんも、うちの子になれとかいきなり言い出したのは結局何がしたかったんだ」
「あぁ、その話?」
いつ終わるのかと内心辟易としつつ、同時に精神をひどく摩耗させられながらも大人しく無我の境地で終わりの時が早く来てくれと祈り続けていた蓮。
そんな彼の内心が通じたのか、幸いにもこの情報交換は長時間続けられることはなくある程度の時が経ったら区切りを迎えてくれたらしい。
まぁ、たとえそれだけでも彼の削られたメンタルが多大なものであったことにも変わりはないのだがそこは良いとしておく。
既に消耗してしまった事柄に目を向けても意味はない。
ならば少しでも、未だ不明瞭なままとなっている点に意識を向けた方が建設的だ。
ゆえに蓮も、今にも擦り切れてしまいそうな己のメンタルは一旦隅に追いやってこの現状……そもそも千夏が何故美穂に対しあのようなことを言ってきたのかを問う。
しかしながら返されてきた答えは、何とも呆気なく拍子抜けしてしまうものであった。
「だってさっきも言ったでしょう? 蓮のお友達ならモデルにお誘いするのは諦めるけど、それはそれとしても美穂ちゃんほどの逸材を着飾ってあげることを諦めたわけじゃないもの! ならいっそのこと、うちの娘になって身内になっちゃえば思う存分構っても問題なくなるじゃない?」
「……そんな理屈であんなこと言うなよ! 美穂まで巻き込んで…何考えてるんだ」
「えー? だってこんな可愛い子を放っておくなんて無理に決まってるでしょ! それに、二人ともお互いを見る目が単なる友達の枠に収まらないことは最初から見て分かり切ってたもの」
「そ、そう言われると少し恥ずかしいですけど……でも蓮くんと一緒に居る覚悟は私も変わりませんので!」
「…ほんと、美穂ちゃん良い子よねぇ。蓮、あんたこんな子に絶対見限られるようなことするんじゃないわよ? 私のためにも、それと蓮自身のためにもね」
「分かってるよ…それくらいは」
最初、美穂の理想的な容姿に一目惚れをしたことで己のモデルを担当してほしいなどと頼み込んできた千夏の思惑はというと。
簡単に要約してしまえばモデルなどという枠組みに無理やり収めずとも、自分の身内となってしまえばその後でいくらでも好きなだけ着飾ることは出来る…との魂胆らしい。
肝心の美穂本人の意思が完璧に無視されていることは否めないのだが、そこは流石デザイナーを務めているだけはあるということか。
仕事柄鍛えられてきたという母の人を見る目からすれば、彼らの間にある感情がただの親愛に留まるようなものではないととっくに見透かされてたようだ。
…とりあえず言いたいことは山のように残っているし、反論したいことも数えきれないほどある。
けれどもここでそれを伝えたところでこの母には意味がないことを蓮は一番よく分かっているため、もうこうなってしまった以上は諦めて千夏の言葉を適当に流すしかないと最終的に判断した。
見た限り、千夏も美穂のことはその容姿だけでなく話している内に彼女の人柄もいたく気に入ったようであるし…その点はまぁ良かったと言えるだろう。
……今後、その気に入った相手に対して千夏が仕掛けてくるだろう行動の数々を想像してしまうと溜め息もこぼれそうになるが、今はひとまず考えないように蓮も努めておくこととした。




