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海賊の姫 ──熊野海賊興亡記──  作者: うつみ いっ筆
第二章

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騒乱7

 門を飛び出した初は、素早く周囲を見回した。


 館周辺に異常はない。武家屋敷に住み暮らす家臣の妻たちは、すでに武装を整え、表の様子をうかがっているが、それだけだ。


「姫様! これは何の騒ぎです!?」


 長刀なぎなたを手にした婦人が問いかけてくるが、初は無視した。ともかく矢代村の状況を確認するのが先だと、わき目も振らずに走り出す。


 幸い、安宅館から日置浦へと続く通りは、しっかりと整備されている。明の工人たちによって基礎が固められ、砕石で舗装された道は、重い荷車が通ってもびくともしない。初の幼い足でも、苦労することなく駆け抜けられる。


 山道を駆ける間、初は周囲の景色に目を凝らし続けた。


 何か異変はないか? どこかで人が倒れてはいないか? 最悪、武器を持った相手と出会う可能性だってある。


 稼働を続けている揚水風車に安堵しつつ、初は最悪を想定して、慎重に歩を進めた。

 やがて、山の中腹辺りまで登ってきた初は、きらりと光る物体を見つけた。


 急いで、近くの茂みに隠れる。そっと茂みの間から様子をうかがった初は、粗末な胴鎧をまとった男たちを目にした。


 槍を手にした男たちは、四人一組となって、辺りに鋭い視線を向けている。

 その中の一人。自分とそれほど年の変わらない男子おのこの姿に、初は「あっ」と声を上げた。


「幸吉! そんな格好で、何してる!?」


 ぶかぶかの鎧を身に着けた幸吉は、初が声を掛けると、小さく跳び上がった。きょろきょろと周囲を見回し、初の姿を見つけて、駆け寄ってくる。


「ひ、姫様。なんで、こんなところに……」

「村の近くで爆発があっただろ。何が起こったんだ?」


 なぜか目線を合わせようとしない幸吉に、初は苛立った。ぼそぼそと聞き取りづらい声に、初は幸吉へと掴みかかる。


「ごにょごにょ言ってないで、はっきりしゃべれ! いったい、何が起こったんだ? 村は無事なのか? 喜多七たちは!?」

「おおっ、初姫様ではございませんか!」


 幸吉を問い詰めていた初は、頭上から聞こえた声に、顔を跳ね上げる。

 全身を具足で包んだ喜多七は、とても老人とは思えぬ足取りで、山道を駆け降りてくる。その後ろには、同じく鎧姿の男たちが数人、続いていた。


 初は、顔を真っ赤にした幸吉を放り捨てると、駆けてくる喜多七たちのもとに急いだ。


「いやあ、姫様のお顔を拝見するのは、いつぶりですかな? 近頃、とんとお姿をお見せになられず。村の者たちも寂しがっておりましたぞ」

「何があったんだ、喜多七? あの爆発は、何事だ?」


 初の来訪に、顔をほころばせていた喜多七は、すぐに表情を引き締めた。

 錆びた鉄兜の下で、日に焼けた皺深い顔が、怒りに染まる。その深甚なる怒りの気迫を、初は正面から浴びせられた。


「隣村の連中が、襲ってきよったのです。あやつらめ、あろうことか、姫様がこしらえになった風車に、火を放とうとしよった」


 息を呑む初に、喜多七は「ご安心くだされ」と、力強くうなずく。


「やつらめ、こそこそと物陰に隠れておりましたがな。それで誤魔化されるほど、わしの目は耄碌しておりませぬ。姫様の風車に悪さをしようとしたところを、村の者共で袋叩きにしてやりましたわい」

「その折、うっかりと一人、逃してしまいましてな。どうやら、そやつが火薬を持っておったらしく。村の経堂のそばで、火をつけおったのですじゃ」


 先ほどの爆発は、その火薬によるものだと、喜多七と共にやってきた男が告げる。黒煙は、爆発で火のついた経堂から、上がったものらしい。


「それで、火事はどうなったんだ? 他に燃えた家は?」

「いやいや、御心配には及びませぬ。火がついたと言っても、ぼや程度のこと。わしの小便ひとつで、消えてしまいましたわい」

「おいおい、爺さん。大法螺も、たいがいにせいよ」

「そうじゃそうじゃ。観音様が燃えてしまうと、みっともないくらい、慌てふためいておったくせに」

「小便どころか。逸物が縮み上がって、まるで役に立たんかったのは、どこの誰だったかのう?」

「こ、これ、お前ら! 姫様の前で、なんということを!?」


 げらげらと笑う男たちに、喜多七は動揺する。

 非常事態だというのに、喜多七たちの態度は、あっけらかんとしたものだった。隣村の行いに怒りはしても、焦るそぶりすら微塵も見せない。


 これが戦国の世を生きる者たちの姿か──小さく感心すると同時に、初の心は深く打ち沈んでいた。


「……私のせいか」


 声に悔恨が滲む。

 初はうつむき、こぶしを握り締めた。


「私が、あんなものを作ったから、お前たちは争いに巻き込まれて……」

「それは違いまするぞ、初姫様」


 喜多七は、常ならぬ真剣さで初に訴えかけた。


「姫様が、風車とぽんぷをお作りになられたのは、わしら民草を慈しんでのこと。決して、よこしまな想いからではありませぬ。姫様は、ただ民を幸福にしようとなさっただけのこと。それのどこが悪いことでございましょうか」


 うつむく初に、喜多七は語り掛ける。初が答えられないでいると、喜多七はさらに柔らかな声音で話し続けた。


「青涯和尚様が、この安宅にお越しになられてから、わしらの暮らしは良くなりもうした。田の作り方、稲の植え方。生薬や山芋の作り方など、和尚様が教えてくださったことは、まことに素晴らしいお知恵ばかり。

 しかしですな。それでもわしらの暮らしは、豊かとは言えませなんだ。和尚様のお知恵が、どれほど優れていようと、この村が水に恵まれぬことに変わりはありませぬ。わしらは、日に一握りの麦と水を口にするのが、精一杯でございました。それも、遠く離れた小川から、山の上まで水を運び、やっとそれだけの量を口にできるのです。

 しかし、姫様が来られてからは、違いました」


 喜多七の口調は、熱を帯びた。


「あの風車とぽんぷを使うようになり、わしらの村は、水の不便から解放されましたのじゃ。今では、すべての田になみなみと水を注ぎ、日に二度の食事をたらふく食える。もう夏の日照りを恐れる必要もなくなりもうした。米などは、以前では考えられぬほどの豊作続き。おかげで村の者共の腹は、肥えるばかりでして」


 自らの腹を叩いて見せた喜多七に、初はくすりと笑う。それに気を良くした喜多七は、周囲の男たちにも腹を叩かせる。

 幸吉まで一緒になった腹鼓に、初は口を押えて笑った。


「姫様のお知恵と慈悲のおかげで、わしらは以前よりも、ずっと良い暮らしができるのです。人を幸福にすることの、どこが悪いことですか。もし姫様に罪があると仰られるなら、この世に生きる人間は皆、罪人だらけということになりまする。姫様は、わしらが地獄送りになっても、よろしいので?」


 おどけた顔をする喜多七に、初は首を振った。

 笑いすぎた目尻を拭う。両肩に圧し掛かっていた重圧が、すっと消えていくのを初は感じた。


 そうだ。別に、間違ったことをしたわけじゃない。水の不足に苦しむ矢代村を手助けしたのは、決して悪意からではなかった。

 隣村の訴えは、予想外だった。水不足に日照り続きと、不幸な出来事が重なったせいで、問題が拗れただけだ。決して解決できない話ではない。


(そうだ。何か手があるはずだ。どこかで井戸を掘るか、もしくは海水を濾過して使えれば、問題は解決する)


 自分の知識は役に立つ。多くの人を救える。

 初は、確信を強めた。


「それに、隣村との水争いは、今に始まったことではございませぬ。あやつら、折に触れては、わしらに難癖をつけてきおって」


 顔をしかめた喜多七は、山頂を見上げた。その視線は、山向こうに広がる、隣村を睨んでいるようだった。


「そもそも、わしらが使っておる水は、山中を流れる小川から汲み上げたもの。隣村の連中には、何の関係もない代物でございます」

「そう、なのか?」


 疑問する初に、喜多七は勢い込んでうなずいた。


「今回の訴えは、隣村の連中がわしらを僻んでのこと。奴らめ、矢代村だけが豊かになったので、やっかんでおるに違いありませぬ」

「そもそも連中は、一向宗の門徒なのでございます。わしら海生寺の信徒を邪法の徒と呼び、日ごろから蔑んでおる」

「奴らとは、いずれ一戦交えねばと思うておったところ。この騒ぎは、良い機会ですわい」


 男たちの訴えに、喜多七は同意する。

 老いた身体に激しい怒気を宿らせ、喜多七は槍の石突で地面を突いた。


「わしも腰さえ痛めねば、満寿寺の焼き討ちに加われたものを。まったく、口惜しゅうてならんわい」

「やめとけやめとけ。爺さんが行ったところで、身体が保たんわい」

「そうじゃそうじゃ。戦う前に、すっころんで怪我をするのが、目に見えとる」

「何を言うか! わしゃあ若い頃から、数々の戦場で槍を振るってきたんじゃ。今でもその気になれば、ほれ! このとおり!」


 槍を振り回す喜多七に、男たちが飛び退く。

「やめろ爺さん!」「わしらを殺す気か!?」と憤激する男たちに、喜多七は大笑した。


「わしらは、いつでも姫様にお味方いたしますゆえ。姫様も、何かお困りのことがあれば、遠慮のうわしらを頼ってくだされ」


 喜多七は、初の両手を握った。皺深い顔が鼻先に迫り、とび色をした瞳が初の顔を覗き込んだ。


「堀内家や一向門徒共との諍いは、我らも聞き及んでおりまする。わしらは、姫様から大恩を受けた身。必ずや、村の総力を挙げて合力いたしまする」


(なんだ、これ?)


 初は、腹の底で蠢く感情に戸惑った。


 なんだ、これは? いったい、何が起きてる?


 胸の下で渦巻く何かが、初の手足を冷やしていく。何か、ひどく不気味なものが迫って来るのに、その正体がわからない。


 喜多七たちは、戦だ、合力だと吠え立てた。知恵を、恵みを授けた初を称え、その力になることは当然だと訴えた。


「よいですな、姫様。必ずや、必ずやわしらにも、お声がけをくだされ。この老骨にできることでしたら、何でも致しますゆえ」


 固く手のひらを握り締めてくる喜多七を、初はただ見返すことしかできなかった。

ちょっと遅めの夏休みをいただきまして。田舎に帰ったりといろいろあるので、次回の更新は一週間後になります。

なにとぞご容赦のほどを<(_ _)>


次回の更新は、8月28日予定。


〉すみません。諸事情により、更新が遅れることになりました。誠に申し訳ありません。


今週の金曜日、8月30日には、なんとか、たぶん更新できますので、それまでお待ちを。

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