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鐚銭

 この時代の銭は、銅銭を使っている。


 文献によれば、かつては国内で製造していたこともあるらしいが、現在流通しているのは、ほとんどが中国で作られた銭だ。


 中国銭は出来が良く、品質が高いため、取引で盛んに使用されているという。


「ですが、ここ数年、明国より銭が入らなくなりましてな」


 明では、銅銭の使用が禁止されている。代わりに宝鈔ほうしょうという紙幣や、銀が通貨として使われていた。


 国内で使用できない銅銭は、もっぱら輸出専用となり、大量の銅銭が日本国内にもたらされた。しかし、銅銭の輸出も、ある時期を境に、禁じられてしまった。


「どうやら明国では、銅の産出量が減っておるようなのです。明の商人は、我らの求めに応えるため、銅銭の密造を行っておりました。しかし、明の貿易商たちの元締めだった王直おうちょくという男が、明の官憲に処刑されましてな。大船団を率いておった貿易商たちも、散り散りに……」


 以来、日本には、まともな銭が入ってこなくなった。


 銅銭は使用するうちに、だんだんと磨り減り、摩耗する。新しい銭が入ってこないということは、どんどん劣化した銭が増えていくことを意味する。


 誰だって、目減りした銭を使いたいとは思わない。商売人であればなおさらで、取引においては精銭せいせん(欠けたり割れたりしていない綺麗な銭)を使うよう求めて、トラブルになることも増えていると、宗陽は言った。


「お武家様への年貢も、銭で払いますからな。精銭の需要は高まりこそすれ、減ることはありませぬ。近頃は、状態の良い銭が、なかなか手に入らなくなっておりまして」

「そうか……いつかは起こると思っておったが、まさかこれほど早いとは」


 安宅荘へやってくる明の商人からも、そうした話は聞いている。光定も、いずれ問題になるだろうと考えていたが、事態は予想よりも早く進展していた。


「……あの。自分たちで、銭を造るわけにはいかないんですか?」


 初は、おずおずと訊ねた。


 貨幣の偽造なんて、現代なら大問題だ。しかし、ここは戦国時代である。誰も作ってくれず、輸入もできないなら、自前で用意するしかない。


 良心の疼きに耐える初に、宗陽は難しい顔をした。


「……まあ、造っている者もおりますが」


 宗陽は立ち上がると、戸棚に手を掛けた。


 中から取り出した巾着袋を開き、逆さまにする。畳の上に、ばらばらと幾枚もの銭が転がった。


「こちらは、薩摩で造られておる加治木かじき銭。これは、近江の坂本で造られた銭ですな。こちらは、関東のいずこから流れてきたもので──」


 でるわでるわ、形も大きさも材質も様々な銭を、宗陽は一枚ずつ手に取って見せる。表面の文字の形がおかしい程度なら可愛いもので、中には鉄や鉛で出来た銭まで混じっていた。


「そしてこちらが、堺で造られた銭でして」


 宗陽は、どこか申し訳なさそうに手のひらを差し出した。


「なんじゃ、これは。のっぺらぼうではないか」


 銭を手にした光定が吠える。

 初も銭を手に取って、確かめた。表にも裏にも何も描かれていない、それはただの穴の開いた円盤だった。


「これ、銭として使えるんですか?」

「ええ。さすがに精銭ほど価値はありませんが」


 それでも需要は多く、徐々に市中へ出回っていると、宗陽は言った。


 無論、こういった粗悪な銭を取り締まろうという動きもある。市中で使える銭を精銭に限ったこともあるが、精銭の数が圧倒的に足りないため、むしろ市場が混乱してしまった。


 現在では、宗陽が見せてくれたような鐚銭びたせん(質の悪い銭、あるいは偽物の銭)を精銭に混ぜて使用するのが、当たり前になっているという。


「安宅様に、このような鐚銭をお渡しするわけにはまいりません。されど、手持ちの精銭だけでは、どうにも数が足りず」


 それで支払いを待ってほしいと言い出したわけだ。


「叔父上、金や銀ではダメなんですかね?」


 初は、首を傾げながら言った。


 銀は、日本から輸出される主力商品だ。これも青涯から聞いた話だが、この時代に世界で流通している銀のうち、半分近くが日本産だという。


 それだけ大量に採れる銀を使えば、銅銭の不足問題は解決するのではと思ったが、


「金は、量が少ないでな。銅銭の代わりにはならん。銀も同じじゃ」


 いくら日本が世界有数の銀産出国といっても、国内で行われるすべての取引を賄えるほど、銀の量は多くない。銅銭が優れているのは、金や銀に比べてはるかに量が多く、取引の融通が利くからだ。


 それに、銀は秤量貨幣──取引のたびに、品位や量目を検査して使用する代物だ。銭に加工しなければならない銅銭に比べ、流通させやすいが、品位の低い粗悪品が出回ることも多く、これまた問題を引き起こすと、光定は言った。


「そもそも、なんでそんな中途半端な銭を造るんです?」


 どうせ造るなら、ちゃんとした銭にすればいい。それなら、問題も起こらないだろうと、初は言った。


「職人によりますと、錫の量が足りないらしく」


 銅銭を鋳造するとき、少量の錫を混ぜると青銅になる。青銅は鋳物に適した素材で、これで銭を作ると、文字が鮮明に浮き出た良質なものが出来上がる。


 だが日本国内では、まとまった量の出る錫鉱山が見つかっていないと、宗陽は首を振った。


「銅だけで銭を造ると、どうしても文字が不鮮明になりまする。かといって、錫を異国から買い付ければ、その分だけ銭を造るのに掛かる値段が上がります。それでは、我らに利益が出ませんので」

「ふむ……それならいっそ、古い銭を鋳熔かして、新しい銭に造り替えてみては? これなら、それほど元手はかかりませんし、古い銭も再利用できます」

「それも考えたのですが……」


 鐚銭でも、銭は銭だ。額面よりも低い価値しか持たないが、使えないわけではない。だが、鐚銭を鋳潰してしまえば、それは銭ではなくなる。


 貨幣の偽造が横行しているせいで、新しい銭は、それだけで模造銭と疑われる。たとえ鐚銭をもとに新しい銭を作ったとしても、それが市中で価値を持たなければ、何の意味もない。作り直す手間をかけた分だけ、損害を被ることになるというのが、宗陽の言い分だった。


「それに、鐚銭が作られるのには、他にも理由がありましてな──民部大輔みつさだ様は、昨年、尾張と三河の国境で起こった戦をご存じで?」

「ああ。たしか尾張の織田家と、駿河の今川家の戦じゃったな?」


(織田と今川──)


 初の脳裏に、引っかかるものがあった。


 たしか、有名な戦いがあったはず。むりむりと脳を回転させた初は、一つの歴史的事件を思い出した。


「あっ! 織田信長と今川義元! 桶狭間の戦い!」

 この時代の貨幣の歴史を調べてみると、面白いです。はじめは取引で嫌われていた鐚銭が、だんだんと精銭に何割という形で混ぜてもOKになり、もう少し時代が進むと、今度は鐚銭が基準貨幣に。

 この問題は、江戸時代が始まってからしばらくたつまで続きます。


次回の更新は、6月2日です。


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