堺
堺、到着!
順風が吹き続けたおかげで、昼過ぎには目的地が見えてきた。
白い航跡を引きながら走る船の中、初は気不味い思いで、隣に立つ亀次郎を見上げた。
「……ごめんね、亀次郎」
「いえ、気にしてませんから」
「ほんと、ごめんね?」
着替えた亀次郎は、達観した笑みを浮かべた。どこか煤けて見える表情に、亀次郎の苦労が偲ばれる。
舵を切った船は、大きく舳先を回頭させる。
倒れないように踏ん張る初の背を、大八が支えた。手のひらで庇を作り、陽光に目を細めながら、目的地の姿を透かし見る。
「あれが、堺」
「どうじゃ、初。立派な街だろう」
船内から出てきた光定が、まるで我がことのように喜色をあらわす。
堺は、大阪湾に面した一大貿易都市だ。その商圏は日本のみならず、遠く朝鮮や明、琉球、東南アジアにまで及ぶ。
各地から集まる産物を求めて、周辺の海には、大小さまざまな舟が行き交っていた。
「見よ、初。明の交易船じゃ」
隣を走る大型船に、初は目を見張った。
全長は、五十メートルほどだろうか。現代には、もっと大きな船がいくらでもあるが、これだけ間近で見るとさすがに迫力がある。しかも、このサイズの木造船は、現代では逆に見られない代物だ。
赤と青の極彩色で塗り分けられ、舳先に目玉模様を描いた交易船は、悠々と海上を進んでいた。まるで王者のごとく海を走る交易船に、周囲の船は次々と道を開けていく。
「あれは苦労するの」と、光定はぽつり呟いた。
「苦労?」
「堺は、湊の底が浅い。ああいう大きな船は、沖で伝馬船や艀に、荷を載せ替えねばならん」
明からの交易船、それもあれだけの大型船となれば、積み荷も莫大な量になる。それをいちいち別の舟に積み替え、湊と交易船の間を往復するとなれば、相当な労力が必要になる。
光定の言う通り、沖合で停泊した交易船の横をすり抜け、初たちは堺の湊へと入っていった。
湊からは、幾本もの浮桟橋が伸びていた。
これは青涯の意見を基に、安宅家が設置したものが始まりだという。その利便性に目を付けた堺の商人たちによって、今では大阪湾一帯の湊に広まっている。
見事な操船で、船は浮桟橋の一つに横付けした。
舷梯が設置されるやいなや、初は真っ先に船を降りた。桟橋に足を付け、大きく息を吸い込む。
「は~、やっとつえろろろろろろろ──」
「姫様、ここはまだ揺れますから」
菊に手を引かれながら、浮桟橋を進む。
ようやく湊にたどり着いた初は、その場に蹲った。
「地面だ……地面があるぞ、菊」
「そうですね、姫様。地面ですね」
「揺れない地面が、こんなに素晴らしいものだったなんて」
思わず頬ずりしそうになって、菊に止められる。
猫のように襟首を掴まれた初は、ふと周囲の景色に目を向けた。
虫垂れの隙間から、ゆっくりと堺の街を眺めまわす。
湊には、海岸に沿って、ずらっと蔵が並んでいた。浮桟橋は無数の人と荷物が行き交い、そこかしこから威勢のいい掛け声が聞こえる。海に向かって幾本もの運河が開き、大量の荷を載せた艀や小舟が、堺の街中へ流れ込み、吐き出されていく。
石畳で舗装された大道を駆け抜けていく荷車の群れに、初は目を見張った。
「どうじゃ、初。これが堺の湊よ」
光定は、胸を張った。初は、船酔いも忘れて瞳を輝かせる。
「立派なもんですねぇ。蔵があんなに」
「ここは湊の中心部だからの。北は、陸奥から出羽、蝦夷。南は琉球から高山国、呂宋とあらゆる産物が集まってくる。あの蔵は、その荷を収めるためのものよ」
初は、改めて湊を見渡した。
現代の堺は、多くの企業が軒を連ねる一大産業都市だ。港には巨大な埠頭が設けられ、大規模な石油コンビナートを有する工業地帯でもある。
現代の景色と、目の前の堺が、初の中で重なった。
この時代には、高層ビルも大型工場も存在しない。巨大なコンテナ船や、ガントリークレーンは、姿形もない。だが、行き交う人々の活気は、いつの時代も同じである。
日置湊とは比べ物にならぬ賑わいに、亀次郎たちも目を丸くしている。
郷愁に誘われるまま湊のあちこちに目をやっていた初は、一つの舟に目を付けた。
桟橋に着けられたその舟は、周囲のものとかなり毛色が違う。
船首に施された独特の紋様と飾り付け。船体は、周囲と比べて大きくはないが、細くスマートで、すばしっこそうな外観をしている。
茣蓙らしき素材で出来た帆にも、独特の紋様が描かれているが、初の目を引いたのは、その構造だった。
「……あれ、縄だよな」
「ええ、縄ですね」
「縄ですなぁ」
初の疑問に、菊と亀次郎が同意する。
その舟は、船体を構成する板を、縄で固定しているようだった。
気になった初は、その舟に歩み寄った。
近くで見ても、やはり縄である。
不思議な紋様の描かれた舟は、船底に丸木舟を使っていた。一本の木をくり抜いて作った丸木舟を舟敷に、両側の縁に板材を二段、三段と綴じ付けて舷を高くしてある。
「それは、蝦夷人が用いる舟ですな」
背後から聞こえた声に、初は驚いて振り返る。ぼろぼろの袈裟を着けた老人が、にやにや笑いながら立っていた。
「蝦夷人?」
「アイヌ、とも申すらしいですな。遠く渡島(現在の北海道南西部、渡島半島を指す)より参った者どもの舟で、いたおまちぷ、とか、ういまむちぷ、と呼ぶそうな」
すっかり歯の抜けた老人は、どことなく安宅荘の聖を連想させる。
アイヌと聞いて、踵を返そうとした初の袖を、老人は引いた。
「これも功徳を積むためですじゃ。どうか、お恵みを」
差し出された両手に、初は首を傾げる。
後ろからどかどかとやってきた大八が、老人を睨み据えた。凶相の大八を見上げても、老人に恐れる気配はない。それどころか、にやりと笑みを浮かべて見せる。
眉をひそめた大八が銭を渡すと、老人は垢で真っ黒になった顔を笑み崩し、去っていった。
「姫様、勝手に歩き回ってはなりませぬぞ!」
大八の喝に、周囲の荷役夫たちが跳び上がる。
怯える荷役夫たちに謝りながら、初はどうどうと大八を宥めた。
「歩き回るって、船から二十間(約36メートル)も離れてないじゃないか」
「なりませぬぞ、姫様! ここには、ああいう物乞いが、うろうろしておるのですからっ!」
堺には、寺が多い。豪商たちの寄付によって、いくつもの寺院が立ち並び、街中を多くの僧侶が歩いている。
そこで食い詰め者たちが、僧侶の振りをして、物乞いをしていることが多いと大八は語った。
「中には、畜生道に落ちた者もおりまする! 姫様とて、油断していれば、いつかどわかされるか!?」
つい現代と重ねてしまったが、ここは戦国時代である。人の倫理観も順法意識も、現代とは比べ物にならない。
「菊に、亀次郎殿も! 其の方らは、姫様が失態をしでかさぬよう、見張るのが仕事のはず! それを一緒になって浮かれるとは、何事か!?」
なんだか、酷いことを言われている気がする。
そのまま説教に突入しそうな気配を察知して、初は素早く身を翻した。
「あっ、姫様! 話はまだ終わって……!」
「後で聞くから! それよりも、大事な用がある!」
初は安宅家の船に駆け寄ると、目的の人物を探し回った。
「ウヌカル! ウヌカルはいるか!?」
荷運びの手伝いをしていたウヌカルが、何事かと顔を覗かせる。
初は、驚くウヌカルの手を握り、アイヌの交易船のもとへと引っ張った。
「見ろ、ウヌカル。これ、お前の故郷から来た舟じゃないか?」
交易船を見たウヌカルは、青い目を見張った。
舟があるということは、アイヌがこの近くにいる可能性も高い。
探しに行こうと提案した初に、ウヌカルは力なく首を振った。
「どうして? せっかく、同郷人と会える機会なのに」
ウヌカルは、どこか寂しそうに微笑むだけで、何も話そうとしない。
亀次郎と菊からも止められ、仕方なく初は、ウヌカルの手を離した。
湊に集まった荷を見物していると、大道の向こうから、騒ぎ声が聞こえてきた。
「なんだ、喧嘩か?」
「姫様、お下がりください」
菊に袖を引かれながら、初は首を伸ばした。
久々の旅行で、テンションが上がっていたのだろう。うっかり騒ぎを見物しようとした初の前に、人込みを掻き分けて、童の集団が現れた。
皆、幼い。せいぜい初と同い歳か、中には、まだ十歳にも満たなそうな者まで混じっている。
十五、六人ほどの童たちの先頭を走るのは、痩せこけた顔に、ぼさぼさの髪をした少年だった。
十四、五ほどの少年は、ぎょろぎょろと良く動く目を左右に振った。その視線が初を捉え、次いでまだ荷下ろしをしている安宅家の船に向けられた。
「あれじゃっ!」
少年の一言で、童の集団は向きを変えた。
「え? おい、ちょっと!」
困惑する初の前を、童たちは通り過ぎていく。
物取りの類と判断したのか、水主たちは童の集団の前に立ちはだかった。次々と童たちが捕らえられていく中、先頭を走る少年は、見事な切り返しで水主たちを翻弄する。
そのまま舷梯を駆け上り、船内へと飛び込んだ少年は、船縁から身を乗り出すなり、叫んだ。
「お憑み申す!」
少年の声を聞いた瞬間、水主たちは動きを止めた。
次回の更新は、5月21日です。
面白かったら、ブックマークとポイント評価お願いします!





