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縁談

「初姫様、その格好はいかがされた?」


 部屋に入るなり、冷やりとした声音が、初を出迎える。

 思わずその場で立ち止まった初は、恐る恐る顔を上げる。

 案の定、初がこの世で、一番会いたくない相手が、安定の隣に座っていた。


 瓜実顔に無表情を貼り付けた周参見左近太郎氏長すさみさこんたろううじながは、初の格好を目にして、こめかみを引き攣らせた。


「安宅家の姫が、そのような粗末な格好を……まさか、まだいかがわしい場所へ出入りされているのか」

「べ、別に、いかがわしいなんてことはありませんよ。私は、海生寺で仏道に励んでいるだけで」

「工人共に混じって、鍛冶仕事に精を出すのが、仏道か? 拙者は、各地で坊主共の説法を聞いて参ったが、そのような話、とんと耳にした覚えがない」


 嫌みったらしい物言いに、初は口を閉ざした。


 氏長には、口で勝てた覚えがない。下手に弁解すると余計、火に油を注ぐことになる。


「まあまあ、氏長。良いではないか。少しくらい御転婆なほうが、武家の娘らしいだろうて」


 叔父の安宅民部大輔光定あたぎみんぶたいふみつさだが、とりなすように声を上げた。


「前にも言うたが、初の知恵は、海生寺で大いに役立っておるのだ。ほれ、先年も、初の提案をもとにして、船を造ったであろう? あの船は、まこと良い船でな。ちょっとやそっとの波ではびくともせんし、船足も、今までの船より、ずっと速い……」

「そのように甘やかすから、姫が余計につけあがる」


 斬りつけるような氏長の声。


 安定、光定、氏長──顔はあまりに似ていないが、三人は兄弟である。


 安定が長男で、現安宅家当主。光定が次男、氏長が三男。氏長だけ苗字が違うのは、周参見すさみ家へ養子に入ったからだ。


 氏長の眼光に、光定は一瞬で腰が引けた。


 いかにも武辺者といった見た目の光定だが、意外に気が弱い。氏長との力関係も、末弟ながら財務関係に強く、安宅家、周参見家の金蔵を預かる氏長には、頭が上がらない。


 氏長は、神経質そうな目で初を睨み据えると、


「地下の娘ならばいざ知らず、安宅家の姫ともあろう者が、市井の者と親しく交わるなど言語道断。安宅家の体面に関わりまする」


 氏長のこごとに、初は唇を噛んだ。


 何かにつけて意見してくる氏長が、初は苦手だった。いつもふんぞり返って、高圧的な態度をとってくる姿が、取引先の銀行を思い出すからかもしれない。

 口を開けば、安宅家の姫としてどうこうと。まるで自分の人格を無視されているような気がして、初は余計に腹が立った。


「殿も、もっと厳しく姫をしつけしていただかねば困ります。このままでは、周囲への示しがつきませぬ故」


 上座に佇む安定は、目線で初に座るよう促した。隣では、小夜がおかしそうに成り行きを見守っている。

 この空間に入っていくのは、非常に嫌だったが、かと言って逃げるわけにもいかない。


 覚悟を決めた初は、氏長に目を付けられないよう、ことさらに所作に気を付けながら、安定の前に腰を下ろした。


「初、稽古は休まず積んでおるか?」

「はい。その、多少遅刻することはありますが……でもっ、稽古の間は、しっかりと集中しております!」

「海生寺では、どうだ? 青涯和尚のために、様々な品を作っておると聞く。近頃は、お前の考案した水車が、領内で広まっているらしいが」

「螺旋型水車のことですね。あれは、良いものですよ。小さな水路にも簡単に設置できて、皆、便利だと褒めてくれます」


 無言のまま視線を寄越される。

 初は、じんわりと汗をかいた。


「そ、それに! 漁船を使って、海に水車を浮かべる試みも行っております。川の水だけをあてにすると、夏に困りますからね。その点、海ならば、いつでも潮が流れている。上り潮(黒潮のこと)の近くまで舟を出し、錨で舟を固定して、水車を海中に沈めるのです。今は漁船ですが、もっと大きな船ならば、鍛冶仕事をする場所を確保できる。海上は風も吹きますから、風車を一緒に設置してもよい。鍜治場の工人たちから、場所が足りないと不満が出ておりますが、この方法ならば、それを解決してっ……」

「下らん」


 氏長は、吐き捨てるように言った。


「海の上に、鍜治場を作ろうというのですか? そんなことをすれば、海が時化るだけで、大事になりまする。野分(台風)が来れば、船が丸ごと沈みますぞ」

「そ、それはたしかに、そうですが……でもっ、山の上に風見を置くとか、こう、転覆しても大丈夫な船を造るとか、対処のしようはいくらでも、」

「そのような馬鹿げた思い付きのために、貴重な工人たちを犠牲にせよと申すか。姫は、領民の命を、何だと思っておられる!」


 氏長の叱責に、初は臍を噛んだ。


 そんなことは、自分だってわかっている。


 これは、あくまで実験だ。発電機やモーター、蒸気機関が実現できないうちは、水力と風力に頼るしかない。その中で、最大限の効率を追求した結果が、海上水車だ。


 危険な海の上でも、安全に作業する方法はないか? 船の構造を工夫すれば、何とかなるのではないか?


 そういう実験の繰り返しが、人々に発展をもたらすのだ。


 たとえ、この試みがうまく行かずとも、得るものは大きい。そう判断したからこその実験だというのに……


「そのような戯言に、うつつを抜かす暇があるならば、安宅家の姫として他にやることが」

「もうよい、氏長」

「ですが、殿っ」

「よい、と言うておる」


 安定の眼差しを受けて、氏長は黙り込んだ。

 驚く初に、安定は微かに口元を緩めながら、


「お前の行いは、領民のためを思ってのことか?」

「は、はい……それはもちろん」

「ならばよい。これからも、民草のために励みなさい。お前の行いについて、わしは何も言わぬ。氏長も、それでよいな?」


 安定に念を押され、氏長は背筋を伸ばした。


 居住まいを正したように見えるが、瞼は震え、口元は忌々しげに引き結ばれている。安定には見えぬ位置で握られた拳が、氏長の不満のありようを表していた。


「殿、拙者はっ」


 口を開きかけた氏長が、唐突に、その場から飛び退いた。


「何を為されるか、姉上!?」


 首筋を抑えた氏長が、真っ赤な顔をして吠えかかる。


 くすくすと笑う小夜は「あら、ごめんなさい」と、桜色をした指先を、口元に添えた。


「なんだか、身体が強張っているようだったから。少し揉み解してあげようと思ったのだけれど」

「お気遣いは無用です!」


 瞬く間に壁際まで退避した氏長は、そのまま壁伝いに、部屋の入口まで移動する。


「せ、拙者は仕事がありますので、これにて失礼を」

「あら、でしたら、お見送りしないと」

「結構です! 拙者は、周参見家の人間。安宅家の奥方が、気を使う必要などありませぬ!」

「そういえば、氏長殿のために、巾着を作ったのですよ。吝嗇家のあなたに似合うよう、なるべく粗末な布地を集めて拵えたので、ぜひ受け取っていただきたいわ」

「結構です! いや、巾着はあとで、小者に取りに来させます。だから、立たないで!」


 柱にぶつかり、壺を蹴倒し。


 氏長は、取るものも取り敢えず、ほとんど逃げ出すようにして、部屋から去っていった。


「まあ、素っ気ないこと。せっかく、殿のご舎弟と、友誼を深めようと思ったのに」


 獲物を逃がした小夜は、残念そうに小指の爪を噛む。


 その視線が自分に向けられて、初は緩めていた身体を緊張させた。


「ねえ、初?」

「ダメですよ」

「あら、まだ何も言ってないわよ?」

「言わなくてもわかります。ダメったら、ダメですから」


 捕まったら、終わる。何が終わるのかは、初自身にもわからないが、ともかく何かが終わる気がする。


 腰を浮かせて、いつでも逃げられる体勢を確保しながら、初は小夜と向き合った。


「やるなら、光定叔父上にしてください」

「嫌よ。この人、美味しそうじゃないんだもの」


 この魔獣にも、ちょっかいをかける相手には、基準があるらしい。


「兄上、そろそろ」

「ん? ああ、そうであったな」


 無言の応酬を続ける二人を、安定の視線が、現実に引き戻した。


「小夜、初に例の話を」

「これは当主である、殿のお仕事ですよ?」

「う、うむ。そうか……そうだな」


 珍しいことに、安定は逡巡する様子を見せた。

 普段は、腹の底を見せない安定が、今は随分と狼狽して見える。


 訝しがる初に、安定は散々、迷いを見せてから、


「初、お前も今年で、十二になる。そろそろ、年頃だ」

「はあ……まあ、そうですね?」


 要領を得ない初に、安定は一度、息を吸い込んでから、


「お前に、縁談の話が来ている」

「……は?」


 意味が分からず、初は呆気にとられた。

次回の更新は4月28日です。


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