狂気
華と談笑していたら、思いのほか時間をとってしまった。
大急ぎで準備を整えた初は、今朝も仕事場へ向かおうと、庭を駆け出す。
「姫様! どちらに行かれるので!?」
「海生寺! 昼までには、戻ってくるから!」
門を出ようとしたところで、大八に見つかった。
ついて来ようとするので、武家屋敷の間へ逃げ込む。
顔見知りの家臣に苦笑されながら、屋敷の中を通り抜け、安宅湊へ。
ちょうど荷を下ろし終えた舟を見つけて、初は飛び乗った。
「鍜治場まで! 大至急!」
「へぇい、いつものやつですな」
船頭も心得たもので、舟はすぐさま岸を離れた。
艫(舟の後部)を前にして後進。川の中程に出たところで切り返し、舳先を立てて川をさかのぼっていく。
「いやあ、このすくりゅーってのは、便利なものですなぁ。漕ぎ方を前後逆にするだけで、前に進むも、後ろに下がるも、自由自在だぁ」
感嘆の声を上げた船頭は、舟の艫に設置された足漕ぎスクリューを、嬉々として漕いでいる。
自転車を参考に、ペダルの動きを革ベルトを介して、スクリューに伝えている。舟比べでの失敗を教訓にして、幾度も改良を施した品だ。
本当はチェーン駆動にしたかったのだが、木で作ると壊れやすいし、鉄で作ると重くなる。子墨たちと相談しながら、いろいろと試しているが、今は革ベルトが一番無難という結論に落ち着いていた。
(こいつも、そのうち完成させないとな)
船頭に使い心地やら、問題点やらを聞きながら、初は日置川をさかのぼった。
海生寺へ近づくにつれ、野太い声が聞こえてきた。
河岸に目をやった初は、男たちが槍を振り上げる様を目撃した。
「あれって、海生寺の僧衆(いわゆる僧兵のこと)か?」
「へえ、義房様の練兵でございましょう」
十代後半から、四十代ほどまで。十人一組になった男たちは、ふんどし一丁の姿で、川の中に入っていく。男たちの手には、二間半(約4.5メートル)の長柄槍が握られていた。
腰まで川の水に浸かった男たちは、太鼓の音に合わせて、槍を振り上げた。
長柄槍の先が川面を叩き、盛大な水飛沫が飛び跳ねる。
日置川沿いの集落でも、たびたび行われている槍組の調練だ。何の変哲もない百姓や町民たちが、こうして軍事訓練を行っている姿は、やはり戦国時代なのだなと思わせる。
全身を真っ赤にしながら、槍を叩き伏せる男たちを横目に、初は鍜治場近くの岸へと乗り付けた。
「代金な」
厨からくすねてきた鮎の干物を、船頭たちに投げ渡す。
銭を渡しても受け取ってくれないので、ここら辺の船頭たちには、現物支給が基本だった。
入り口の警衛に割符を見せ、鍜治場の門をくぐった初は、奥の工房に直行した。
『小睿、師匠は!?』
鍛冶仕事の音に負けぬよう、大声で呼ばわった初に、小睿は工房の隣を指さした。
『酸素の存在を確かめるって、昨夜から作業場に!』
「あのじじいっ」
急いで作業場に飛び込んだ初が見たのは、小さな甕を頭に被って、ぐったりしている男の姿だった。
「馬っ鹿、何やってんだ、あんた!?」
大急ぎで甕を外そうとするが、取れない。
見れば、首と甕の隙間に布を詰めて、がっちりと固定している。
小睿と協力して布を引き剥がし、頭から甕を引き抜く。
すぽん、と外れた甕の下からは、酸欠で青くなった子墨の顔が現れた。
『死ぬ気か、あんた!? こんなことしたら、息ができなくなるに決まってんだろ!』
『な、なぜ……言い切れる?』
小睿の介抱を受けながら、子墨は息も絶え絶えに言った。
『お前の言う……酸素が……本当に、存在するのか……確かめる、必要が……あった……』
明らかに酸素の足りない目で、虚空を見上げる。
『お前の、話が……確かなら。生鉄(鋳鉄のこと)を、掻き混ぜることで……熟鉄(錬鉄のこと)になる、理屈も……説明が、できる……風を送りながら、鉄を叩くと、鋼になる理屈も……それは、わしらにとって、重要な発見だ』
『だからって、自分で試すことないだろ?』
初は、子墨の頭部を覆っていた甕を持ち上げた。
肉厚で、ずっしりとした甕だ。これでは、ちょっとやそっと叩いたくらいでは、割れないだろう。
もし発見が遅れていたら、どうなっていたか。
ぜえぜえと喘ぐ子墨の姿に、初は罪悪感を覚えた。
(やっぱ、俺のせいだよなぁ、これって……)
鍜治場に出入りするようになってから、初は工人たち相手に、科学の授業をするようになった。
はじめは、中学校の理科の実験程度から始めて、最近は鉄の性質や温度による組織の変化について教えている。
初も、専門家というわけではないが、大学で習った知識でも、工人たちにとっては刺激があったらしい。それまで、長年の経験と勘の蓄積で行われていた作業に、知識の裏打ちができたわけだから、工人たちの反応は大きかった。
とりわけ、子墨は強く関心を示した。
それまでも、化学式の意味についてや、電気や磁気の仕組み、物質の化学変化について、しつこいくらい質問を浴びせられていた。初が作成を依頼した現代の品物についても、いちいち細かい部分にまで興味を示したりと、前兆はあった。
だが、まさか酸素の存在を証明するために、自分の身を犠牲にするところまで来るとは。
子墨は、介抱しようとする小睿の手を払いのけ『水の中で、息ができぬのと同じ理屈か。しかし、酸素が鉄を鍛えるというのは……』と、ぶつぶつ呟いている。
これは何か、マズいスイッチを押してしまったかもしれない。
子墨の瞳に宿った狂気の色に、初は戦慄した。
集まってきた弟子たちに子墨の世話を任せ、初は鍜治場の中を見回った。
「やっぱり、刺激が強すぎたかなぁ? もっとこう、簡単なところから教えるべきだったか……」
悩みながらも、目的の人物を見つけて、初は声をかけた。
「源右衛門さん、旋盤の具合はどうです?」
「ああ、姫様。本日も、ご機嫌麗しゅう」
頭を下げたのは、木下源右衛門。鍜治場で、日本人の職人たちを取りまとめている男だ。
鍜治場の中では、明の工人と、日本の職人が、それぞれ固まって作業をしている。
この作業場では、源右衛門を筆頭とした日本の職人たちによって、旋盤の製作が行われていた。
次回の更新は、4月24日です。
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