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支度1

予約当行の順番を間違えたので、話の順番を入れ替えました。

「え、お前も来てたの?」


 意外な人物との再会に、初は頓狂な声を上げた。


「これはこれは、初姫様! この鹿野かの、姫様の一大事とお聞きして駆け付けて参りました!」


 いくらか白くなった肌に、丁寧に梳かされた枯草色の髪。以前とは違い、上等な衣をまとっているせいか、随分こざっぱりとした印象を受ける。


 しかし、相変わらずの痩せぎすな身体に、軽薄そうな笑みのせいで、すべてが台無しだった。


「いやあ、不心得者共が安宅のお館を囲んだと聞いた時は肝を冷やしましたが、ご無事そうでなにより! 他の皆さま方も、お怪我はしておられぬようで」

「うん、まあ。今のところは大丈夫だけど……」


 目の前で、へこへこと頭を下げる鹿野。

 その妙に胡散臭い笑みに、初は自然と半眼になった。


「今のわたくしがあるのも、すべて初姫様のおかげ! 姫様には、どれほど感謝してもし足りぬほどでして」

「うん? 俺、お前に何かしたっけ?」

「何を仰いますやら! 私に石鹸の作り方を教えてくださったのは、初姫様ではございませんかっ!」


 そういえば、そんなこともあった気がする。


 聞けば、初から廃油石鹸の塩析法を指南され、商売のコツを伝授された鹿野は、早速、新たな石鹸づくりを始めた。

 塩析によって綺麗になった石鹸に、松やヒノキなどの間伐材から抽出した香り成分を配合。売り出したところ、飛ぶように売れだしたという。


 間伐材は、竈の焚き付けくらいにしか用途がない。鹿野の石鹸は高値で売っても買い手がいるため、原料が安価で手に入る分、儲けも大きい。

 古参の石鹸業者に目を付けられないよう、販売も少数のお得意様のみに絞った。


 そのおかげで、今ではちょっとした小金持ちになれたと、鹿野は満面の笑みを浮かべる。


「初姫様に受けた御恩。この鹿野、生涯忘れぬ所存でございますれば。初姫様の一大事と聞き、こうして駆け付けてまいった次第でして」

「ああ、うん。それは有り難いんだけど……」


 初は、忠臣ぶってみせる鹿野の背後に目をやった。


「……それ、いったい何やってんだ?」


 筵の上に広げられた数々の商品と、そこに群がる男たち。


 今まさに戦を始めようとしている館内で、なぜこのような光景が繰り広げられているのか──


「初姫様。それが、しがない庶民の楽しみというものでございます。この者たちは、戦となれば真っ先に敵と切り結ぶ身の上。明日をも知れぬ身に最後の楽しみと、なけなしの銭で酒や米を買い、はたまた護符をあがなって、身に着けるのでございます」


 鹿野は、しんみりとした口調で告げた。


「これは、あの者たちなりのけじめ。いわば、今生との別れを惜しむための大切な行いなのです。

 私たち商人あきんどは、そのお助けをするために、たとえ火の中水の中。必ず商品をお届けにまいるわけでして」


 初は、己の不明を恥じた。てっきり戦にかこつけて、あこぎな商売をしているものとばかり思っていた。


(そうだよな。いくら兄上の策があるって言ったって、まったく危険がないわけじゃないもんな……)


 これから初のため、安宅家のため、危険な戦場へと赴いてくれる男たちに、初は黙礼を捧げた。


「──なあ、鹿野。こういうときって、どんなものが売れるんだ?」


 足りないものがあれば、館の蔵から配ってやろう。

 そう思った初が問いかけると、鹿野は嬉々とした表情で懐を探った。


「やはり酒が一番なのですが、それはお武家様が振舞われる場合も多い。なので私は、手当てに使う布や石鹸、腹持ちの良い食物、薬などを持ち込んでおります」


 手巾に包まれた石鹸を手渡され、初は顔を近づける。薄く緑がかった石鹸からは、爽やかな松の香りが立ち昇っていた。


 高値で売買されているというだけあって、見た目にも品質の良さがわかる。

 現代の高級石鹸にも劣らない出来栄えだが、一つだけ初には疑問があった。


「……なあ、鹿野。この石鹸の表面に彫られてるのって」

「それは観音様のお姿ですね。腕のいい彫師に頼んで、あっしの絵を木型にしたんです。石鹸の表面にこの型をつけたところ、売れ行きが見る見る伸びていきまして」

「これ、俺に似てない?」

「観音様でございます」

「この着物の柄とか。俺が昔、着てたものにそっくり、」

「観音様でございます」


 笑みを崩さない鹿野。

 見つめ合う二人の横では、筵に群がった男たちが、次々と商品を手にしていく。


 鹿野が言うとおり、薬や食物も売れているが、一番の売れ筋は小さな紙切れだった。


 現代の葉書ほどの大きさの紙を、男たちが競うように買い求めている。鹿野の商売仲間と思しき少年が、次々と伸ばされる手を前に、必死の形相で客をさばき続けていた。


「みんな何を買ってるんだ? 護符か?」

「ああ、あれは絵でございますよ」

「絵? そんなものまで売れるのか?」

「はい。あそこに並べてあるのは、皆、女《華》の絵でして。男共は、自分の好いた女子おなごに似た絵を買い求め、それを懐に忍ばせて戦場に赴くのでございます」


 昔読んだ本で、似たような話を見た覚えがある。


 いつの時代も、男の考えることは同じなんだなと、初は売り物の絵を一枚、手に取って見た。


「……おい」

「どうです? 見事な女子《華》でございましょう?」


 にこにこと笑う鹿野に、初は詰め寄った。


「お前、これ完全に俺だろ!? なあ!? 俺だよなあ、これ!?」

「ははは、そんなまさか。姫様のお姿を売るなんて、そんな恐れ多いこと」

「いや、どう見たって俺じゃねえか!? しかもなんだ、この写実的なタッチは! この時代の絵はもっとこう、抽象的な感じのはずだろう!?」

「ああ、それですか。実は私、都にいた頃、南蛮から来た絵師に師事していたことがありましてね。なんでも、“いすぱにあ”とかいう国では、こういう感じの筆致が流行りだそうで──あ、その絵はあくまで、あっしが考えた最高の女子《華》でございますから」

「なんでそういう無駄な技術を仕入れてんだよ!? ていうか、どう見たってこれは俺だろう! なあっ!?」


 いくら問い詰めても、鹿野は違うの一点張り。

 そうこうする間にも、初らしき人物の描かれた絵は、瞬く間に男たちの手に渡っていく。

 中には一人で複数枚を買い込む猛者もおり、絵を買えなかった者たちは、代わりにと石鹸を手にしていく。


 男たちの熱情に浮かされた横顔を目撃し、初は思わず「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。


「おい。なんであいつら、どんどん木の陰に入ってくんだ?」

「そりゃあ、一人でじっくりと楽しみたいからでしょうな」


 楽しむってなんだ。この時代に、肖像権は存在しないのか。


 絵を回収したいが、なにやら重苦しい雰囲気を発していて近づき辛い。

 絵を眺めつつ、密やかな笑みを浮かべる男たちには、さすがの初でも声を掛けられなかった。


「お前……ほんと、お前っ!?」

「ははは、いやだなあ姫様。あっしはただ、絵を売っただけでございますよぉ」


 感情が高ぶり過ぎて、上手く言葉が出てこない。

 初は鹿野の襟首を掴み、右に左に振り回すが、ぐねぐねと受け流されるばかりで、いっこうに堪える気配はなかった。


「おお、初姫様。ここにおられましたか」


 とりあえず、今後安宅荘で絵を所持している人間は厳罰に処して、と対応策を考えていた初は、喜多七の声に振り返る。

 その手に例の紙切れが握られているのを見て、初は頬を引きつらせた。


「喜多七、それを今すぐこっちに……」

「いやあ、有り難いことですわい。こうして、初姫様のお姿を懐に抱いて戦えるんじゃ。お味方の勝利は、もはや約束されたようなものでございます」


 紙切れを捧げ持ち、恭しく頭を下げる喜多七。

 初はじろりと流し目をくれるが、鹿野はなんのことやらと、とぼけて見せる。


 あとで菊に引き渡そう。さっきちらっと見えたが、菊の姿絵も初と一緒に売られていた。きっと、素敵なお礼をしてくれるに違いない。


 喜多七の後ろには、鍜治場の工人や職人頭の源右衛門げんえもん。蜘蛛丸との繋がりで仲良くなった杣人や猟師、顔見知りの船頭たちが並んでいる。

 皆、矢作村の者たちから事態を知らされ、急いで駆け付けてくれたのだ。


 居並ぶ面々の中に子墨ずもうの姿を見つけ、初は目を見張った。


『師匠も来てくれたのか!』

『……貴様に死なれては困るからな』


 まだすべての知識を吸収し終えていない。


 仏頂面で告げる子墨に、初はついつい苦笑する。素直じゃないのは、相変わらずだった。


『でも、こっちに来て大丈夫だったのか? 鍜治場は、海生寺の目と鼻の先だぞ』

『だ、大丈夫です! あそこは門さえ閉じれば、ちょっとやそっとで落とされませんから!』


 子墨の隣に立った小睿シャオルイが、緊張しながら言う。


 やはり、はじめての戦に興奮しているのか。先ほど挨拶した幸吉もそうだったが、小睿の顔も赤く火照っている。


 気をつけてな。無理をしなくていいんだぞ、と初が話しかけると、ますます頬に血が上った。


「みんな、集まってくれたのは嬉しいけど、ほんとによかったのか? これから戦になるんだぞ?」


 こんな刻限に、己の身の危険も顧みず集まってくれた皆には、感謝してもしきれない。

 しかし、これから起こることを思うと、初は素直に喜べなかった。


「もし、その……無理なようだったら、このまま館に残ってくれても……」

「姫様。わしらは皆、初姫様に惚れておるのですよ」


 は? と、初は口を開ける。


 しごく真面目な顔で見つめてくる喜多七に、いったい何を言い出すのかと、初はどぎまぎした。

いや、本当に申し訳ない。投稿しておきながら、話の順番を間違えていることに、二日も経ってから気付くという。


本来はこの順番で投稿されるはずだったのです。

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