議論2
投稿の順番を間違えたので、お話の順番を入れ替えてあります。
「先ほども申したとおり、初姫様のお知恵が、我ら民草をどれだけ救ってくださったことか。初姫様がおればこそ、我らは労苦の中でも明日の夢を描き、日々暮らせておるのです。
まさに初姫様こそ、観音菩薩の化身。御仏が我らにお与えくだされた、お慈悲に相違ありませぬ!」
「うん、喜多七。褒めてくれるのは嬉しいけど、それはちょっと言い過ぎな気が……」
「それを、あの糞坊主めがっ! 言うに事欠いて、初姫様を悪鬼羅刹の如く罵りおってからに。あれぞまさしく天に唾するがごとき所業! 必ずや神仏の罰が当たりまする!」
誰も初の言うことを聞いてくれない。
頭から湯気が出そうな勢いで怒り狂った喜多七は、散々青峰を罵った末、息を荒げながら言った。
「あやつらは、初姫様を妬んでおるのです。我ら民草の信心が、坊主共でなく、初姫様に向けられておることが我慢ならぬのです」
「しかし、青峰は海生寺の衆人を動かしておる。となれば此度の強訴には、青涯殿も同意されておるのではないか?」
「それこそ、あの坊主が勝手に申しておるだけのこと。和尚様は、初姫様が作られた数々のからくりを、それはそれは高く評価されておられました。初姫様がおれば、この世に真の楽土を築くことさえできるやもしれぬと仰せだったのです」
青峰は、そんな青涯の態度が気に入らないのだ。
幼い頃から海生寺で修業に励み、学問の才を発揮してきた青峰は、自身以上に青涯から評価される初が妬ましいのだと、喜多七は肩を怒らせた。
「外に集まってきた者たちとて、何も安宅家に歯向かうつもりがあったわけではありませぬ。あやつらは寺の一部の坊主共が徳政だ、世直しだなどと口にするので、ことの真偽を確かめにやって来ただけのこと。その証拠に、儂らが一当てしただけで、すぐに退散していきましたわい。
海生寺の衆人とて、青峰に従っておるのは、ごく一部でございましょう。だからこそあやつらは、堀内家の軍勢を引き入れたのです」
喜多七の訴えに、家臣たちは唸った。
それが本当ならば、まだ海生寺と決定的に対立したわけではない。青涯が強訴に加わっていないのならば、再び関係を結び直すこともできる。
家臣たちが活気づく間で、初は喜多七の言葉を反芻していた。
青涯が、そんなふうに思ってくれていたなんて知らなかった。矢作村での一件以来、完全に仲違いしたと思っていただけに、喜多七の言葉は思わず目頭が熱くなるほど、初の胸を打った。
(先生は、ちゃんと俺のことわかってくれてたんだ……信頼してくれてたんだ……)
それなのに自分は、不用意な知識を広めて、青涯の期待を裏切ってしまった。
青涯が、長い年月をかけて築いてきたものを、台無しにするところだった。
目頭を拭い、初は顔を上げた。難しい顔で考え込む直定に、強い口調で訴えた。
「兄上。海生寺へ行きましょう。青涯和尚と顔を合わせ、きちんと話し合いましょう」
この争いは、まだ収めることができる。犠牲者が出る前に、一刻も早く決着をつけなければならない。
初の嘆願に、直定は一瞬だけ柔らかく微笑むと、広間に集まった者たちの顔を見渡した。
「青峰の言い分は簡単じゃ。我らが不当に海生寺の財を貪り、民草を苦しめている。だから、徳政を行うのだと──しかし、そのために堀内家とまで同心するとは、いささか奇妙な話じゃ。
熊野三山と海生寺の確執を知らぬ者は、ここにはおるまい。様々な利権や縄張りを巡り、長年争ってきた別当家と何故、海生寺は手を結んだのか? そこがわしには疑問であった。だが、その者の話が真ならば」
直定は、ちらりと喜多七に視線を向けた。
「これは、海生寺の意志ではない。いや、正しくは、海生寺全体の総意ではないのではないか?
青峰は、師である青涯和尚を押込め、自ら海生寺の実権を握ろうとしている。そのためには、安宅家と初が邪魔であった。そういう話なのではないか?」
「なるほど、それならば得心がいく」
「青峰めは、己が我欲に目がくらんだというわけか」
「おのれ、あのクソ坊主! 御仏の道などと綺麗ごとをぬかしておきながら、なんと恥知らずな! すべては己が利得のためではないか!?」
畳にこぶしを叩きつけた信俊は、直定の前に進み出た。
「大炊介様! 某に出陣のご許可を! 堀内勢は、まだ陸に上がったばかり。我が郎党と矢作村の衆が合わされば、十分に勝機がっ」
「ならぬ。まだ敵の全容が判明したわけではない。堀内勢に後詰がおれば、我らはたちまち劣勢となろう。海生寺の衆人とて、いつ襲ってくるかわからぬのだぞ」
「ならば、城に籠って迎え撃ちますかな?」
「待て、この館に籠るのはまずい。籠城するならば、八幡山城に移るのが得策じゃ」
安宅館は、平地に造られた平城だ。堀と塀を巡らせてはいるが、安宅家の政庁としての機能のほうが強く、籠城するには向かない。
危急の際には、安宅館の背後に建つ八幡山城が詰めの城となる。
「今から移動していては、堀内勢とかち合う。それに外にはまだ、青峰の手勢が潜んでおるやもしれぬ。暗がりの中で襲われては、我らでも防ぎきれぬぞ」
「ならば援軍を呼ぶか。誰ぞ館から送り出して、周辺の豪族たちのもとへ走らせれば」
「ここいらの者たちは、皆、戦で出払っておる。こちらに寄越せる人手など、残ってはおるまい」
籠城か、打って出るか。
空転しかけた議論を断ち切ったのは、直定った。
「喜多七といったな。お主が集めた援軍は、ここにいる者たちですべてか?」
「い、いえ。村の若い衆を近隣へ走らせておりまする」
猟師や杣人たちにも声を掛け、今頃は山に潜んでいるはずだと喜多七は答えた。
「日置川の船頭衆も、安宅家にお味方すると」
「その者たちは、いつ頃やって来る?」
「合図をいたしますれば、すぐにでも」
ふむ、と直定は考え込んだ。
瞼を閉じ思案する直定の横で、信俊が立ち上がった。
「ならば、今すぐに合図を送れ。我らと援軍が時を合わせて攻め立てれば、敵を蹴散らすのはたやすい」
「お待ちください、兄上! それでは、何も知らぬ領民たちを巻き込みまする!」
「犠牲を恐れていては戦などできぬ! このまま手をこまねいていれば、我らはむざむざと奴らに殺されるのだぞ!? 貴様は、それでも良いのか!?」
「良いはずがないでしょう!? 私たちが殺されるのも、民を戦に巻き込むのも、どちらも防ぐ手立てを考えるべきだと、私は申しているのです!」
「馬鹿者がっ! そんな都合の良い手が、この世にあるかっ!?」
睨み合う初と信俊に、直定は扇子を手のひらに叩きつけた。
直定が放つ無言の迫力に、二人はすごすごと引き下がる。
「──青峰は、初を寄越せと言っておったな?」
「大炊介様。まさか、姫様を差し出されるおつもりでは……?」
疑念の眼差しを向ける喜多七に、直定は首を振った。
「そうではない。どうにも引っかかるのだ。
此度の行いは、初への妬みから発しているのだと、お主は申したな? ならば、なぜ初を手元に置こうとする? 堀内家との婚姻がなれば、初は安宅荘から去るのだぞ。それを、なぜわざわざ……」
「これは、拙者の私見でございますが」
蜘蛛丸は、いかにも恐る恐ると言った口調で、
「青峰殿は、初姫様の才覚を欲しておるのでは?」
「どういう意味じゃ?」
眉根を寄せる直定に、蜘蛛丸は続けた。
「民草の信奉を集める初姫様を害しては、いくら海生寺の衆人といえども、ただではすみませぬ。それに何より、初姫様がお考えになられた品々は、都の商人たちの間でも評判になっております。
青峰殿は、初姫様を手中に収めることで、民草の尊崇と初姫様のお知恵。その両方を手に入れるつもりなのでは?」
初は、ぞっとした。
青峰たちは、初を打ち出の小槌とでも思っているのか? そんな奴らに捕らえられ、言いなりにさせられる姿を想像して、初は身震いする。
そんな未来だけは、死んでもごめんだ。堀内家に嫁がされるのであれば、少なくとも同盟相手として丁重に扱われるだろう。だが、青峰たちにそんな遠慮は存在しない。
きっとどこかの部屋にでも閉じ込めて、毎日、馬車馬のように働かされる。いや、それだけで済めばいいが、もしも──
その先を考えそうになり、初は頭を振った。
地獄だ。そんな場所へ連れて行かれるなんて、絶対に嫌だ。
小さく震え出した初の背に、直定の手が触れた。
よほど不安げな顔をしていたのだろう。直定は「案ずるでない」と、初に優しく語り掛けた。
「奴らなどに、お前を渡しはせん。このわしが、必ずや不心得者どもを追い払ってくれる」
初が落ち着いたのを確認し、直定は表情を引き締めた。
「初。外の者たちと連絡を取り合うことはできぬか?」
「連絡?」
おうむ返しに訊ねた初に、直定は真剣な眼差しを向ける。
「どうじゃ、可能か?」
「まあ、簡単な内容ならできると思いますけど……」
「ならば、すぐに支度してくれ。わしに策がある」
直定の顔には、普段滅多に見せぬ不敵な笑みが浮かんでいた。
お気づきの方もおられると思いますが、予約当行の順番を間違えてました。本来は、こっちの話が先に来るはずだったので、順番を入れ替えてあります。
ほんと申し訳ありませんでした<(_ _)>





