議論1
ちょっと短め。
物陰に隠れていたウヌカルだが、即行で小夜に捕まった。
「まあまあまあまあっ! 初ったら、こんな可愛い子を隠してたなんて。どうしてすぐに教えてくれなかったの?」
あんたが危険だからだよ、とはさすがに言えない。
わたわたと逃げようとするウヌカルを腕の中に捕らえた小夜は、すでに新たな玩具にご執心である。
ウヌカルの全身を舐めるように手探りながら、「あらあら、まあまあっ!」と、らんらんと目を輝かせている。
これはしばらく夢中だな。
初は、心の中でウヌカルに手を合わせると、素早くその場を離れた。
ウヌカルには悪いが、今はそちらに構っている余裕はない。
館の庭には、援軍に駆け付けてくれた矢作村の男たちの他、大勢がたむろしている。
これだけ大勢の人間が武装して集まると、それだけで異様な雰囲気が醸し出される。
いつも通りがかりに声を掛けてくれる漁師や農民、商店の女たちまでもが、なんだか別人のようだった。
「おおっ、初姫様じゃ!」
「初姫様! ご安心くだされ。わしらが付いておりますぞ!」
「この身に代えましても、初姫様は必ずお守りいたします故!」
領民たちの声に手を振り、初は大広間へ急いだ。
「堀内家の手勢は、関船が二艘、小早が十艘。水主を除いたとして、兵の数は百人ほどかと」
直定たちは、蜘蛛丸から詳しい状況を聞いている。
日置浦の沖合に現れた堀内家の軍勢は、そのまま桟橋が並ぶ湊に突入。陸続と兵を揚陸させていると、蜘蛛丸は告げた。
「いったい、どうなっておるのじゃ? なぜ堀内家が、安宅荘へ軍勢を差し向ける?」
「決まっておろう。奴らめ、殿の留守を狙い、我らを攻め潰す腹よ!」
「しかし、此度の畠山家の戦には、堀内家とて兵を出しておる。何より、初姫様との縁談がまとまったばかりなのだぞ? それをご破算にするような真似を、なぜ?」
「四郎の言うとおりじゃ。今は、三好家との戦のさなか。味方の領地を攻めるなど考えられぬ。そのような真似をすれば、尾州様(畠山家当主)だけではない。熊野衆すべての恨みを買うことになるぞ」
あまりにも常識離れした事態に、皆、困惑している。
補給に寄っただけではないか? 夜の航行は危険と判断したのやも。はたまた、関船のどちらが損傷したのでは? などと、議論だけが空回りしていく。
「そもそも、なぜ海生寺が堀内家と手を組んでおるのだ? 奴ら、今までさんざん海生寺の衆人共とは、揉めて来たではないか?」
その言葉は、ここにいる全員の気持ちを代弁していた。
堀内家は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社のいわゆる熊野三山を統括する、別当家の末裔だと自称している。
もともとは由緒ある家柄の別当家だが、幾度かの戦乱や時代を経るごとに衰退。南北朝の争いの頃には、一度、名前が消えている。
もはや有名無実と化して久しい別当家だが、近年は少し事情が変わってきた。
別当家の末裔を名乗る堀内家は、本拠地である熊野新宮(熊野速玉大社のこと)の宗教的権威と、熊野詣に由来する経済力を有していた。この二つの力を巧みに取り込み、勢力を伸長したのが堀内家の現当主、堀内氏虎である。
氏虎は若い頃より戦、内政共に手腕を発揮し、近隣の土豪たちを併呑。新宮の地より徐々に、影響力を拡大しつつあった。
このまま熊野全域を飲み込むかと思われた氏虎だが、その道を阻んだのが海生寺である。
青涯和尚が安宅荘に居を構えて以降、海生寺は瞬く間に信者の数を増やしていった。中には、土地を寄進したいと申し出てくる村もあり、この二十年で海生寺の名は畿内、西国にも轟いている。
当然、海生寺の影響力は熊野三山にも及んでいた。それまで熊野の寺社に帰依していた者たちが、雪崩を打つように海生寺へとなびいたのだ。
熊野別当を称する堀内氏虎は、この事態を看過しなかった。ことあるごとに海生寺へ難癖をつけ、無理難題を吹っ掛けてきたという。
争いを望まぬ青涯和尚は、その度に頭を下げ、金品を支払い、ことを収めてきた。
海生寺にとって、堀内家は不倶戴天の敵である。それがなぜ、互いに手を取り合うことになったのか──
「やはり、初姫様の御転婆が過ぎたのではないか?」
家臣の一人が漏らした呟きに、初は顔を上げた。
直定の補佐を務める石山兵庫は、濃い髭面に重苦しい表情を浮かべながら、一同を見渡した。
「初姫様がお作りになられた品々は、たしかに便利なものばかりであった。螺旋水車などは、我が家の者たちも籾殻を突くために、よう利用しておる。
しかし、それが青涯殿の怒りに触れたということはあるまいか? 初姫様のなされたことが、青涯殿のお心に適わなかったということも……」
「何を馬鹿なことを」
苛立ちを含んだ声に、広間の面々は振り返った。
部屋の隅に控えていた喜多七は、怒りの形相で兵庫を睨みつけた。
畳の上に、どっかとあぐらをかいた痩身からは、並々ならぬ怒りの感情が溢れ出している。
「控えよ。今は軍議中ぞ。地下の者が口を挟むような……」
「いいや、言わせていただきまする! あのような愚か者の言葉を真に受けるなど愚の骨頂! 人倫にもとるとは、このとですわい」
喜多七の皺にまみれた顔が、居並ぶ家臣たちを見回した。
次回の更新は、10月19日です。
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