Act.5 モノクロ・レクイエム
「そうよ、カトリシア」
見遣った姉が泣きそうな顔をしている。
「あの日、あの事故で私は貴女に庇われた。庇ってもらった私は一命を取り留めた。けれど、私の衝撃も引き受けた貴女は代わりに帰らぬ人となった」
貴女が亡くなった次の日の夜。メイドが窓辺に佇む貴女を見た。最初は気のせいだと思った。寂しい自分が見せた幻影だろうと。
その次の日、今度は貴女を私たちの部屋の前で見た。
そのまた次の日、キッチンで。
そのまたまた次の日には、玄関で。
貴女は屋敷の中を彷徨っていた。
メイドは恐くなってお母様に話した。そしてお母様も視た。
お母様の枕元でぼんやりと見下ろす貴女を。
その日は貴女の葬儀が済んだ日だった。
てっきりお別れに来たのだと思ったそうよ。
でも貴女は消えなかった。葬儀の次の日もその次の日も屋敷に現れた。きまって、真夜中になる1時間程前くらいに。
そうしてこの1週間。貴女は私の元へ来るようになった。病院で入院している私の枕元に夜な夜な立つの。悲しそうな目で私を見て。
「私に言うのよ、“パトリシア、どうして?”って」
ぱたりと姉の頬を滴が滑る。
にわかには信じがたかった。今まで自分が信じていたものとは真逆のことが、真逆の真実がつまびらかになっている。これで、「はい、そうですか」とは頷けない。
「カトリシアさん」
「…はい」
「貴女が信じられないとは思いますので、私が疑問に感じたことをお教えしましょうか」
「はい…?」
アカシが胸元に手を入れる。出てきたのは、昼間カトリシアを伴った時にかけていた眼鏡だった。
「それは…」
「貴女に尋ねられた時には私は言いました。“視え過ぎるのも困りものだ”と」
小さく首肯すれば、アカシは眼鏡を軽く振る。
「私の眼は、この世ならざるものもこの世のものも等しく映します。これが生来のものかどうかは忘れましたが、そうです。ですが私に視えているものが他者もそうかといえば、限らない。それを防ぐためのものです。これをかけると、私の眼は生あるものはより一層鮮やかに、生なきものはより一層くすんだものとして映します。これで視ると、貴女はモノクロに映ります。反対に貴女のご両親やメイド、今いらっしゃるパトリシアさんは鮮やかに視えるのです」
でも、貴女と私は同じ視界を共有しているわけではありませんので、判断材料としては弱いですね、と小首を傾げたアカシが言う。
「次に疑問に感じた時は貴女のお屋敷に入った時です。扉は貴女が開けてくださいました。その後メイドが走ってこられた。そうでしたね」
「…はい」
「あの時メイドは玄関に立つ私に“わたくしとしたことがチャイムが聞こえなかったようで”と弁明しました。おかしいですよね。私を招いたのは貴女なのだからチャイムなど鳴らしていません。そして、メイドは私の隣に立つ貴女に挨拶をしていません。メイドは貴女たちの乳母でもあった。可愛がっているお嬢様が帰ってきて挨拶一つしないことなどいくら慌てていてもあり得ることではない。相当慌てていたとしても、私の隣に貴女がいれば貴女が誘ったのだとわかるでしょう? しかし、彼女は“チャイムが聞こえなかった”と言ったのですよ」
「あ…」
「その次はゲストルームにご当主がいらっしゃった時です。あの時、ご当主は私にのみ声をかけています、娘には何一つ話しかけてはいません。まず、カトリシアさんから依頼を受けたと伝えた時も横に座っていた貴女に聞けばよかったのに私に聞いた。ご当主も貴女には気づいていなかった。目に入れても痛くないほど可愛がっていた娘の貴女になぜ気づかないのでしょうか? 更にあの時メイドがゲストルームで出した紅茶のカップ。通常、ご当主、娘の貴女、私と3脚になるはずですが。何の疑問もなくでてきたカップは2脚でした。ご当主も何も言わずカップを手に取った。そこで至った結論がやはり、貴女の姿はメイドにもご当主にも視えていない、ということです」
静かに紡がれる言葉にカトリシアの肩が揺れる。そうだ、言われて見ればすべて。
「また、貴女が気づいたかはわかりませんが、私は貴女のご家族の前では一切貴女と会話していません」
そう、アカシにカトリシアは頼んだ。“姉を神の御許へ”と。アカシは一瞥して首肯しただけだ。同時に父・アルベルトもアカシに頼んでいた。アルベルトからすれば、アカシが己の言葉に頷いたようにしか見えないだろう。
「臥せられている奥方様にお目通りした際、奥方様に尋ねたのはメイドが話したという恐ろしい出来事についてです。奥方様は私に“メイドが亡くなったカトリシアの姿を屋敷で夜中に見かける”と仰いました。現れる時間は真夜中の凡そ1時間程前。しばらくすると消えてしまうのだと。また、こうも仰っていました。私と貴女がお屋敷に行ったとき、窓際で奥方様は見ていたのだそうです。私が1人で屋敷に入るのを」
カトリシアは何も言えなかった。
「ヤシロに調べさせていたのは貴女方姉妹が事故にあった日の新聞と収容されたであろう病院周りです。2週間前の不運な姉妹の事故は新聞に載っていました。新聞には亡くなったのは双子の妹であると記載されています。病院周りは記憶に新しいのでしょう、看護婦が沈痛な面持ちで語ってくれたそうです、亡くなった双子の妹さんが療養している姉のパトリシアさんの側に佇むのを夜間見回っていた看護婦の数名が目撃していると。よほど心配でまだ天に昇れていないのだろうと。パトリシアさんも本来はまだ療養が必要なのですが、ヤシロが事情を説明させていただいたところ、ご協力いただけることになりました」
その言葉にヤシロを見上げれば、困ったような顔でヤシロが「ごめんねレディ」と謝る。
「…ヤシロさんに話を聞いたとき、思ったの。私を庇った貴女が何故今もこの世に留まるのか。私が憎いのだと、思ったわ。貴女は亡くなってしまったのに私1人のうのうと生きている、それが許せないんだって思った」
「違う!」
パトリシアの声にカトリシアは顔を上げた。驚いたパトリシアの瞳を見つめる。双子の姉の双眸に映るのは、自分ではなく、自分の背後にいるヤシロだけだった。
そのことに気付いて苦く笑う。
「違うわ、パトリシア。貴女が憎いわけじゃない。 …だって、貴女が大事だから私、庇ったんだもの」
自慢の姉だった、大好きな姉だった。己に似てるけれど違う片割れ。生まれてからもずっと一緒のもう1人の自分。
自慢だった反面、羨ましく思うこともあったし、時には妬ましく思ったこともあった。でも、それでもカトリシアはパトリシアを嫌いになれなかった。
幼い2人、一緒の読み物を読んでメイドに隠れて夜更かしし語り合った。
偉大なる魔法使いがお座すエメラルドに輝く都。そこへ旅する彼女の想い、増える案山子やブリキ、ライオン。出逢った魔法使いの真実。
結末を知ってもなお想像はやまなかった。そうして思った。
その都へと旅するのが自分たち姉妹ならと。
そう語り合って気づいたら眠りに落ちて。
後でメイドに見つかって一緒になって叱られた。謝りながらふと横を見れば悪戯っぽく笑う姉がいた。
それを見て笑ってまた叱られてしまった。そう、2人なら。
―――2人はいつまでも一緒で、2人ならどこまでも行けるのだと信じていたのだ。
事故にあった日、双子は手を繋いで走っていた。通りを渡る際、道は確認した。急いで渡ろうとカトリシアが姉の手を引いた。
あと少しで渡りきれるというところで悲鳴を聞いた。くん、と引いていた手が止まる。見れば、パトリシアの目の前に迫る黒い物。咄嗟に手を強く引いて、恐怖に固まる姉を抱え込んだ。
瞬間、全身に衝撃が走った。
衝撃のあと、あちこちが火がついたように熱くて、次には激痛がきた。痛すぎてどこが痛いのかわからないほど。
宙を舞ったのだと思う。驚愕に満ちた人々の顔を見た気がした。
固い石畳に叩きつけられて、下になった手がぼきりと厭な音を立てた。うつろな視界に曲がらない方向に曲がった腕と、力の入らない、それでいてなにか赤く濡れた白いものが突き出た足が映った。
パトリシアは?
必死に抱えたはずの姉を探す。視線を泳がせれば姉の固く閉じられた瞳と見慣れた茶髪が見えた。額から赤いものが流れ出ている。でも、自分に比べたら少しはマシに見えた。
「……よかった、って思ったの。パトリシアが無事で、よかったって。そう思ったの、私」
震える声で言えば、姉の頬をいくつもの筋が滑り落ちる。
「ごめんね、パトリシア、思い出したよ全部。私、わかんなくなって、それで私に似た貴女を見て、私が生きてて、貴女が死んでしまったんだって思った。庇った私が生きてるのに貴女が死んだから、私を恨んでるんだって思ったの」
でも違った。カトリシアとパトリシアの立ち位置は逆だったのだ。
「…ヤシロさんが私を迎えに来た時間が真夜中より少し前だったのは、理由があったんですね」
「そう。君の姿が最もはっきりとするのがあの時間だったんだ。アカシも僕も、教会のシスターも、オーベルジーヌも君の姿は昼間でも捉えられるけど、他の人はそうでもないから。一番君の姿が視えるだろう時間にした」
ヤシロやアカシがカトリシアに触れられたのは視える力あってのことだろう。
「カトリシア、ごめんなさい、貴女だけが死んでしまった…。私を庇って、本当は私も」
「いいえ。私はうれしかった。思い出した今、貴女が生きててくれて本当に嬉しかった」
いつも守ってくれた、いつも迷惑をかけていた。でも、最期に姉を助けることができたから。だから、これでいいのだ。
カトリシアは肩に置かれたヤシロの手を外す。
そして泣く姉に笑いかけ、アカシの側に寄った。正しくはアカシの横の墓標に。
アカシがランタンの灯りを向けてくれる。
雲間から指す月光があるからあまり困りはしないけれど、彼なりの優しさが嬉しかった。
屈みこんで指先を墓標に伸ばす。気付いてみれば自分の指先は透けていた。思い込みとは全くすごいものだと思いながら刻まれた文字をなぞる。
勿論、夜気でひんやりしているだろう墓標は指先に触れることはなかった。
彫刻された十字架とその近くにはばたく鳩、鳩が嘴に咥えた薔薇。薔薇は棘のある茎の部分で折れていた。
その下に刻まれた己の名前と生没年。
嗚呼、私は死んだのだとそう素直に思えた。
ふわりと辺りが明るくなる。
見渡せば、周囲はいつしかいくつもの燭台に灯された蝋燭の炎で満ちていた。アカシの横にいつの間にかヤシロが立っていて、少し離れた場所には喪服の修道女が立っていた。あの葬儀屋にいた修道女だと気づく。
「御嬢さん」
涼やかな声がして修道女の影から少女が出てくる。“魔女の葬儀屋”の代表。自分と変わらない見た目なのに本人曰く倍は生きているという“魔女”。
「…お迎えにあがりました、カトリシア・レーメ様」
丁寧に礼をする2人の青年と修道女にカトリシアも立ち上がって礼に応える。
「貴女のご依頼を改めてお伺いしましょう」
ゴシックドレスに身を包んだ彼女が艶やかに笑った。
「……私を、神の御許へ導いてくださいますか」
「かしこまりました」
恭しく頭を垂れたヴァレリが頭を上げる。
ぶわりと昼間のような光が足元から満ちていく。
暖かい、赤色。そして目映い白。
「アカシ、ヤシロ」
控えていた青年たちが進み出る。
対照的な2人の青年。どちらもとても美しく見えた。
「アカシさん、ヤシロさん…ありがとうございました…」
「いいえ、それが私たちの仕事ですから」
「レディ、お元気で。きっと、幸せになるよ」
静かに首を振るアカシと最初のように指先に口づけたヤシロと。淑女の扱いをしてくれた青年たちがカトリシアには最期の餞にも思えて。
「ふふ…」
嬉しいのに。なのにこの頬を落ちていく水は止まらないのだ。もう身体は無い。冷たい土の中で眠っている。実体のないこの姿なのに、何故か目頭は熱く、滑る水滴の感覚もあるのだ。
「貴方たちに見送ってもらえて、よかった…」
本当はあの日に両親もメイドも、親類や友人も送ってくれたけれど。でも視えないカトリシアを見つめてくれたのは彼らで。本当に消え逝く時を見てもらえるから。
アカシとヤシロの手が同じタイミングで上がる。カトリシアの頭の位置位に。
刹那2つの手から閃光が放たれる。
周囲を囲むように広がる2つの環、渦巻く風と光と熱。足元には美しく燐光を放ち散らす魔法陣が現れていた。
カトリシアの足元から上がる小さめの魔法陣とほんのりとした熱に唇が自然あがった。
「カトリシア!」
姉の声が聞こえた。
ゆるりと見れば泣き濡れる双子の姉。
「パトリシア、どうか…」
―――どうか、幸せになってね。
するり、きっと最後だろう涙滴が落ちた。
「…おやすみなさい」
アカシとヤシロの声が重なる。青年たちの手はカトリシアの姿が融けまろい珠となったと同時に天に上げられた。光が爆発し、燭台に灯された炎が舞う。
少女を導く送り火が夜闇を昇っていく。
そして、再び暗闇に包まれた。
2つの手は静かに下り、垂れる。
残ったのは、カトリシアの立っていたであろう場所に落ちていた、白い薔薇。
ふらふらとパトリシアが歩み寄り拾い上げた薔薇は花弁が仄かに濡れていた。夜露がぽつりと落ちる。
「……あら、雨が降ってきたわね」
「そう…ですね…ッ…」
少女の声に賛同すれば、ずっと控えていた修道女の手が触れた。見上げれば月明かりの下優しい微笑が浮かべられている。
「大丈夫。雨の降っている今ならば誰もわかりませんわ」
「…う…ふ、…っ、うあああああああああああああああ」
ぽたぽたと落ちる雨が止まない。空は月明かりが見えるのに。この霧深い街では珍しいくらいに雲が切れているのに。何故か雨は止んでくれない。
優しく寄り添うたおやかな手にすがって、少女は雨の中慟哭をあげた。胸には仄かに光を放つ白薔薇を抱えて。
◇ ◇ ◇
「ヴァレリ」
「なぁに、アカシ」
声をかけられて窓の外からヴァレリは視線を室内に移した。近くに佇む東洋の青年はヴァレリを見つめている。
「……ヴァレリ宛に届け物です」
「私に?」
アカシから受け取ったのは、グレーの包み紙に包まれた箱。
巻かれた麻紐には茶封筒が挟まれている。
白い指で抜き取り、アカシからすかさず渡されたレターナイフで開封する。
中には便箋が一枚、謝辞が綴られていた。
「…これは私宛ではなくて貴方とヤシロ宛ね」
「いえ、」
「いいえ。そうよ。こちらもそう。2人で召し上がりなさいな」
手紙と小包をアカシの手に戻す。何か言いたげなアカシの憮然とした表情にくすりとする。
「アカシとヤシロへのお礼よ。素直に受け取りなさい。本当に素直じゃないのだから」
「……手紙は受け取ります。が、こちらは今日のお茶菓子にします。もう少しでティータイムですから」
アカシの手が包み紙を開き、箱の蓋を開けた。中には敷き詰められるように入ったクッキー。少々歪なのもあるのは手作りだからだろう。
「好きになさい」
「好きにします」
アカシが身を翻す。かつりとした靴音と教会の方にいるであろう修道女と相方を呼ぶ声に魔女は愉しげに笑った。
「本当に、不器用ね」
でもそこがいいのだ、我が眷属は。
少しして漂う紅茶の香りと共に近づく喧噪にヴァレリは瞳を閉じた。
見送った彼女にあの夜、讃美歌も鎮魂歌もなかったけれど。
霧の向こうの日差しに、どうか安らかにと思わないではいられなかった。
【モノクロ・レクイエム―了―】




