第1話 彼女は正しさではなく、快楽を追い求めている。
この世に生を受けてからずっと他人に興味がなかった。
まるで僕が厨二病のように見えるかもしれないけれど、心の底からそう思っている。
思えば、幼い頃からずっと孤独であった。
物心つく前に母親を亡くし、男手一つで父親は僕を育ててくれている。何か不自由を感じたことなんて殆どないし、十分愛情を注いでくれているとさえ思う。
ただ、家族三人で暮らすはずだった広い家に一人でいるのは嫌に寂しかった記憶がある。それも慣れて日常になる頃には、他人に対して何も思わなくなってしまった。
だから僕——桜庭 昴は好き嫌いなんてものはない。
——そう思っていたのだが。
高校生に上がって2ヶ月が経過した頃。
クラス内でのグループが固まってきて、平穏な日常が流れていく。そんな状況とは裏腹に僕の心情に大きな変化が起きていた。
心の底から軽蔑する。そんな大嫌いな人間が出来たのだ。
そんな奴の聞きたくもないような声が、僕の耳に入ってきてしまう。
どうやらそいつ——佐伯 光は他の男子クラスメイトと話をしているようだった。
「明日が締め切りの課題貴方だけが出ていません! 早く出してください!」
クラス全体に響く声で喚きながら、男子クラスメイトの前に立ち、机をドンと叩く。
「別に後から俺が出しに行けばいいんだろ。ほっといてくれ」
渋々対応している彼は、心底面倒だという態度をしている。それも無理はない。
どんな些細な課題でさえも、佐伯はクラス全体の提出状況を把握して、毎回毎回締め切りを待たずして、催促するのだ。
そんなこと誰一人として望んではいないのに。
「貴方のためを思って言ってるんですよ!」
出た。『貴方のためを思って』——そんなことただの偽善の押し付けでしかないのに。
クラス全体が静まり返っているのを見かねてか、男子クラスメイトは折れたようだった。
「分かった分かった! 今からやればいいんだろやれば!」
「最初からそうしておけばいいんですよ」
そう言い残して佐伯は教室を後にした。
最後の捨て台詞から何もかも、生理的に受け付けない。
今の一連の流れからだけでも、僕があいつを嫌いたる所以が浮き彫りになっていると思う。
向こうが教室を出る直前で、目が合ったような気がする。最悪だ。
あいつがいなくなった教室は、こそこそと陰口で充満していき、僕は残ったクラスメイト達と愚痴を垂れた。
正しさを追い求めるが故に、周りから忌み嫌われるなんてとんだ皮肉だな、なんてことを思った。
◇
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、脱力する。
帰りのホームルームが終わり、帰る準備を進める。
部活には何も入っていない。クラスメイトから色々な部活に誘われこそしたが、どれも興味を惹くものではなかった。
「桜庭。また明日な」
「うん。また明日」
クラスメイトへ軽い挨拶を済ませる。
他人に興味がないと云えど、不愛想に振舞えば反感を買うことくらいは分かっている。
なるべく愛嬌を振りまくようにしてはいる。いじめの対象なんかにされるは御免だ。
少しぼーっとしていたからか、教室に残っている生徒は少なくなっていた。
僕もそろそろ帰るかと廊下を出る。
まだ過ごしやすい気温で、このままずっといればいいのにな。なんて思っていたら、僕の目の前に急に人が現れる。
「桜庭さん。今お話しいいですか?」
そう言ってわざとらしく首を傾げながら話かけてくる人間は僕の大嫌いな人間——佐伯 光だった。
「無理だよ。急いでるんだ」
別に予定なんてないけれど。
ただ、こいつに愛嬌を振りまけるほど、僕の心は広くないようだった。
彼女の脇から抜けて無視して通過しようとすると、彼女は壁に手をついて僕の進行の邪魔をする。
「何がしたいの? 課題はちゃんと出してるつもりだけど」
何か話しかけられるような心当たりはない。
こいつが執着してくる理由が分からなくて、困惑と同時に苛立ちを覚える。
「お話聞いてくれるだけでいいんです! そんな時間は頂かないですから!」
「今日は無理だから。また別の日にして」
そういって彼女の手をどかして無理やり帰ることにした。
窓越しに映る彼女の頬は赤く染まっていて、俯いていた。
少し体が震えているような気がして、やりすぎたかも。なんて思ったけれど、わざわざ戻ってまで何かする気は起きなくて放置して帰宅することにした。
◇
翌日。
教室へ向かう廊下で、また奴に引き留められた。
「桜庭さん。今日の放課後校舎裏で待ってます」
「ごめん。今日も用事あるから」
「そこをどうにかできませんか?」
適当に言い訳をつくって逃げたいけれど、向こうは引き下がらない。
いつまでも押し問答をしているから、周りの生徒からの少し視線を感じる。
変に目立ちたくなくて、仕方なく折れることにした。
「分かった。手短にしてよ」
「ありがとうございます! 二重の意味で!」
満面に微笑みを浮かべて去っていく。
それに対して僕は『二重の意味で』——その言葉の意味が分からず首を傾げることしかできなかった。
教室へ向かい、クラスメイトに軽く挨拶をして席に着く。
幸いなことに誰かに佐伯との会話を聞かれているわけではなかったようだ。
窓の外を眺めながら、用件は何か考える。
校舎裏に呼び出すなんて告白か何かか?
昨日あそこまで突き放したのだから、そんなことする訳ないか。
万が一にそんなことをされたときは僕は強い言葉で彼女を非難してしまうだろう。
放課後に嫌なイベントが待ち構えているせいで、今日の授業は嫌に集中できなかった。
人というのは弱い生き物だなと感じた。
◇
帰りの準備を進めて、渋々校舎裏へ向かうことにする。
現地にはもうもじもじと身体をくねらせている佐伯がいた。
「桜庭さん!来てくれたんですね!」
「君がゴチャゴチャと人目のつくところで騒いでたからね」
つい悪態をついてしまう。
それを聞いても彼女は何も気にしていない様子で口を開いた。
「私のことが嫌いですか?」
彼女は頬を赤く染め、にやにやと笑ってこちらを見ている。
普段はもっと感情を表に出さないようなキャラクターだから困惑する。
正直に答えるべきか、嘘をつくべきか。
悩んでいる内に向こうはこちらへ一歩踏み出してくる。
「お願いです。私を貴方の奴隷にしてくれませんか?」
「……は?」
思わず間抜けな声がでる。
「私、貴方の命令なら何でもします。毎日パンは買ってきますし、靴だって舐めます! 私のことを殴りたいならサンドバックになります! 望むなら性処理だって私がします!」
じりじりと歩み寄ってくる。
反射的に後ずさりしていくうちに壁際までたどり着いてしまった。
「貴方は私のことが嫌いで、そんな私を傷めつけることが出来るんです! とてつもなく嬉しいことでしょう?」
ああ……分かってしまった。
彼女がクラスで正しさを追い求めているふりをしている理由を。そして、『二重の意味で』の発言の意図も。
早い話彼女はドがつくほどのマゾなのだ。
そして、彼女は正しさではなく、快楽を追い求めている。
クラスで細かいことに噛みついているのは、人から非難の目を浴び自分の快楽を得たいから。
放課後ここにくると約束したことに加え、冷たい態度を取ったから『二重』ということなのだろう。
そんな彼女に僕は、単純に興味が湧いた。
当然こんな奴は今まで僕の周りにはいなかった。
これもまた、嫌いだと思うのと同じく、初めての感情だった。
「分かった。その話を受けるよ」
そういうと彼女は今までに見たことない笑みを浮かべている。
「はい!ご主人様!」
こうして、僕と彼女の奇妙な関係の幕が上がった。




