第19話 サン・ジョアンの火祭り
彼女は椅子に座っておれを見上げた。
その眼を見た瞬間おれは彼女に勝ったと思い、気分が良くなって調子に乗った。
彼女は信心深い田舎娘になって平べったい胸に手を当てている。
おれは長いシーツを被り右手を彼女に向かって差し出していた。
これは何かに似ている、そうだ、受胎告知だ。
青い眼の魂を善良に感じ、彼女を可愛いと感じていた。
今や中間界の黒宰相ではない。
奸智を巡らすこともないだろう。
昔の彼女のようにおれに嫌味をぶっかけることもないだろう。
おれはますます爽快になり高揚し、口から託宣が出た。
「君の邪悪な部分は転生した方がすべて持ち去った。目の前のカルメンは無原罪となった。金色のピレネー百合よ、なんと純潔で高貴なことよ!」
カルメンは唖然とした。
おれは花瓶の百合を引き抜いて彼女に差し出した。
彼女は花を受け取り、それに顔を寄せて言った。
「黄金のアル!」
「何っ! 黄金のアルだと?」
月面で天使の声だと思っていたのはカルメンの声だったのか。
体を揺すり目を醒ませ、と言ったのは白い母ではなく地上の母だったのか。
家で寝ているおれと時空の彼方に飛んで行ったおれはそのとき二重身になっていて、帰ってきて合体したとき両世界の記憶が合成されたのか。
或いは全部夢としても話は合う。
その時隣室から退屈そうなダミ声が聞こえた。
さっきからのカルメンの声が妖しく悶えるように聞こえたらしい。
「そこで、二人で何やってんのよ」
我に返ったおれは寸劇を止めた。
彼女は小声で言った。
「ところで転生した方のアタシは邪悪の塊になっているの?」
「地球に戻ってくる途中で道が捻じれて表裏が反転して、邪悪な田舎娘は善良な皇女に生まれ変わったのだろう」
それを聞いたカルメンはすべておしまい、というような微笑みをした。
「そうなの。善人に生まれ変わっているならよかった」
「おれの生まれ変わりはどこの誰だろう。一緒に転生した人々も近くにいて関わり合っているのだろうなあ」
こういった時に大事なことをすべて中途半端にほったらかしてきたことに気づいた。
騎士道的恋、隠された真実の歴史、これら全てを自分の分身が背負って転生した。
そう思ったとき記憶の鮮度が急に落ちてきて本当に夢のように消え始めた。
早めに書き残さなければ、と思った。
そのとき子供っぽくカルメンが誘った。
「ねえ、サン・ジョアンの祭りに行こうよアル。今から。ねえ行こうよ、ねえったらあ」
すぐに二人はサン・ジョアンの火祭りに行った。
それでこの冒険譚は村の年代記に記録されることはなかった。
山中の松明行列は既に終わって火祭りは中盤にさしかかり、大勢の人々が音楽に合わせて踊っていた。
その中に入ると二人が皆に囲まれ、周りからすぐ手拍子が始まった。
下手くそだが仕方がない、覚悟を決めて踊った。
おれは恥ずかしかったがカルメンは見たことないほど嬉しそうだった。
夏至の短い夜は終わり、どこまでも爽やかな南フランスの初夏の朝がやってきた。
(第一部 夏至祭の時空の彼方 終わり)




