EP 5
笑う資本のジョーカー
横浜港、大さん橋国際客船ターミナル。
灰色のイージス艦が遠巻きに警戒する中、一隻の異様な船が接岸しようとしていた。
帆船のシルエットを持ちながら、船体には無数の魔導陣が刻まれ、波を切るのではなく「海面を滑る」ように進む巨大な商船。
マンルシア大陸全土の物流と金融を裏で牛耳る絶対的独立資本——『ゴルド商会』の旗艦である。
タラップが下りる。
出迎える外務省の役人たちが息を呑む中、悠然と降りてきたのは、豪奢な金糸の衣を纏った五十がらみの男だった。
頭にはピンと立った二つの「猫耳」。
手には純金製の煙管。
「いやー、ええ港やねェ。潮の匂いの中に、ぎょうさんの『ゼニの匂い』が混じっとる」
ゴルド商会会長、ニャングル。
彼はコテコテの関西弁(それに似た異世界語の翻訳魔法)を響かせ、出迎えの列の奥——ただ一人、スーツ姿で煙草をふかしている男の前に歩み寄った。
「日本の親分は、アンタでっか? 儲かりまっか?」
与党幹事長、若林幸隆。
彼はピースを携帯灰皿に揉み消し、完璧な笑みを浮かべて答えた。
「ぼちぼちですわ。……ようこそ、日本へ。ニャングル会長」
*
場所を移し、港が見える厳重なVIPルーム。
部屋の中には、若林とニャングル、そして護衛として背後に立つ坂上信長一尉の三人だけだ。
ニャングルは、若林が用意した『一万円札』と『五百円玉』を、猫のような手つきで弄んでいた。
「紙切れと、ただのニッケル合金……。せやけど、これ一枚で極上の肉が食えるんやてな」
ニャングルは五百円玉を親指で弾いた。
チィィィン……。
空気を震わせる硬貨の音。ニャングルはその周波数を猫耳で拾い、うっとりと目を細めた。
「ええ音や。金の含有量を誤魔化した帝国の粗悪な金貨なんかより、ずっと純粋な『信用』の音がする。……これこそがアンタらの魔法、『信用創造』っちゅうやつやな。惚れ惚れするで」
「お褒めいただき光栄です」
若林は静かに本題を切り出した。
「我が国は、ルナミス帝国との間に『安定した魔石の供給ルート』を求めています。我々の高度な工業製品やシステムを輸出する代わりに、エネルギーを輸入する。その『仲介と決済』を、ゴルド商会に独占的に委託したい」
若林が提示した条件は、破格だった。
だが、ニャングルは煙管をふかし、紫煙の向こうから若林を『観察』した。
「……アカンなァ」
ニャングルの瞳孔が、猫のように縦に細く収縮する。
猫耳族の並外れた動体視力。それは彼にとって、戦闘のためではなく『究極の嘘発見器(マイクロエクスプレッションの看破)』として機能する。
「若林はん。アンタ今、コンマ2秒だけ瞬きの回数が増えたで。首筋の脈拍も、ほんの少し跳ねた」
「……」
「アンタら、実は相当焦っとるな? 海の向こうの中東から石油が運べのうなって、このままやと国のエネルギーが干上がる。せやから、足元を見られる前に『独占権』っちゅう甘い餌で、ワイらを囲い込もうとしとるんや」
背後の信長が、思わず息を呑んだ。
若林の完璧なポーカーフェイスを、この猫耳の男は「視覚」だけで完全に丸裸にしたのだ。
「……お見事」
若林は隠すことをやめ、低く笑った。
「せやろ? ワイの目は誤魔化せまへんで」
ニャングルはソファに深く沈み込み、愛読する『反脆弱性』の哲学を口にする。
「大陸が現れて、世界はひっくり返った。みんな怯えとるが、ワイは歓喜しとるんや。ショック(戦争)が起きれば起きるほど、相場は荒れ、ワイらは儲かる。……若林はん。組むのはええ。せやけど、マージン(手数料)はワイが6、アンタらが4や」
「6対4。それは我が国の『首根っこ』を商会が握るということですな」
「嫌なら、ワイは明日からアメリカっちゅう国の『ウォール街』と組むで? アッチの方が、よっぽどゼニ払いが良さそうやさかいな」
圧倒的な強者の交渉。
だが、若林は一切動揺しなかった。彼は再びピースに火をつけ、マキアヴェッリの冷徹さで盤面をひっくり返す。
「アメリカと組む。なるほど、結構です」
「……ほう?」
「ただし、その場合、我が国は『日本円とルナミス帝国のタロウマートのシステムリンク』を完全に遮断します。ゴルド商会が扱う商品から、日本の高品質な製品は一切消える」
若林は、煙を吐き出しながらニャングルの眼球を真っ向から見据えた。
「あなたの目は『嘘』を見抜く。なら、これがハッタリではないことも分かるはずや。あなたがアメリカと組めば、我々はルナミスの経済ごと道連れにして、市場を『焼け野原』にする。利益ゼロの焦土ですわ」
沈黙が降りた。
ニャングルの猫耳がピクリと動き、彼の縦長の瞳孔が若林の全身を舐め回すようにスキャンする。
脈拍、発汗、筋肉の弛緩。……嘘はない。この日本の政治家は、国益のためなら市場を自爆させるスイッチを本気で押す覚悟ができている。
『ヴェニスの商人』が、自分と同じ「血も涙もない怪物」を見つけた瞬間だった。
「……カッカッカッ! おっかない男やで、ホンマ!」
ニャングルは腹を抱えて笑い出した。
「ええで。マージンは5対5や。その代わり、日本の『金融ネットワークの構築技術』、ワイらの商会にも一枚噛ませてもらうで」
「契約成立です」
若林とニャングルが、テーブル越しに手を握り合う。
互いに「相手が隙を見せればいつでも喰い殺す」という明確な殺意と敬意を孕んだ、世界で最も黒く、最も強固な経済同盟が結ばれた瞬間だった。
「信長君」
握手を解いた若林が、振り返らずに言った。
「アメリカ、中国、ロシアの動きを警戒しろ。我々が『商会』と組んだと知れば……奴らは必ず、力ずくでこの盤面をひっくり返しに来る」
信長は無言で頷き、腰のナイフの柄に触れた。
知略とカネで世界を縛る大人たちの裏で、血の匂いが濃厚に漂い始めていた。




