EP 2
空を統べる堕落(AIR)
巨大な大陸の出現からわずか数時間後。
海自最大の護衛艦『いずも』を中核とする出雲打撃群の戦闘指揮所(CIC)は、冷たい緊張感に包まれていた。
「……来たな。空の『お客人』じゃ」
艦隊総司令官・坂上真一が、ディスプレイを睨みつける。
画面には、出現した大陸の沿岸部から飛び立った六つの熱源が映し出されていた。時速は優に四百キロを超えている。だが、ジェットエンジンのような赤外線シグネチャはない。
「光学映像、出ます」
ラフなオーバーサイズのパーカーを着た女——特A級AIエンジニア、早乙女蘭(25)が、ピンク色のマカロンをかじりながらキーボードを叩く。
月給三億円で防衛省にヘッドハントされた彼女のデスク周りには、エナジードリンクの空き缶が散乱していた。彼女にとって、この『イカれたお茶会』のような状況すら、極上のパズルに過ぎない。
モニターに映し出されたのは、武装した騎士を乗せ、空を滑空する巨大な翼竜——ワイバーンの編隊だった。
「……ファンタジーの生き物ね。でも、編隊の組み方は極めて合理的。あれ、ただの獣じゃないわ。統率された空軍よ」
蘭の冷徹な分析。彼女の愛読書『暗号解読』の思考が、未知の敵の動きから即座に「論理」を抽出する。ワイバーンの周囲には、うっすらと光る幾何学模様の障壁——防空魔法陣が展開されていた。
「司令、アメリカの第七艦隊が『神様』にドン引きして固まってる今、日本の領空はウチらで守らんと」
「わかっとる。……おい、平上。酒は抜けとるか」
坂上のインカム越しの怒声に、気怠げな声が返ってくる。
『……司令、俺を誰だと思ってんすか。合コンで全敗した悲しみは、とっくにアルコールと一緒に消化済みですよ』
飛行甲板。最新鋭のステルス戦闘機F-35Bのコックピットで、平上雪之丞(30)一等空尉は大きく欠伸をした。
昨日も信長と一緒に六本木で撃沈したばかりだ。愛読する『堕落論』によれば、人は堕ち切ってこそ真実に至るらしいが、俺はただ布団で寝ていたいだけだ。
『ま、サクッと片付けてきますわ』
轟音。
推力偏向ノズルが火を噴き、F-35Bが短い滑走で垂直に近い角度で空へと跳ね上がる。
*
ルナミス帝国・第参飛竜騎士団。
小隊長である熟練の騎士は、前方から迫る『灰色の鉄鳥』を鋭い目で捉えていた。
(なんだ、あの機体は? 魔力を一切感じないが、速い……!)
騎士は油断していなかった。未知の大海原に現れた鉄の船団。そこから飛び立った以上、何らかの強力なアーティファクトであると仮定し、編隊に指示を飛ばす。
『散開! 敵機の死角を取れ! 炎竜、対空魔弾用意!』
魔導通信石を通じた見事な連携。六騎のワイバーンが立体的に散開し、F-35Bを包囲する陣形をとる。そして、ワイバーンの顎と騎士の杖から、分厚い鋼鉄すら撃ち抜く魔法の閃光が放たれようとした——その瞬間。
『——はい、パスワード解除っと。セキュリティ甘すぎ』
雪之丞のヘルメットに、蘭の間の抜けた声が響く。
出雲のCICで、蘭は『月と六ペンス』の芸術家のごとく、コンソール上で指を踊らせていた。彼女が構築した量子AI戦術予測システムは、すでに飛竜騎士たちの『魔法陣の波長』を電波の暗号として解読・変換し終わっていた。
「マナの収束パターン、解析完了。逆位相のジャミング波、照射!」
蘭がエンターキーを叩いた瞬間。
飛竜騎士たちが放とうとしていた魔法陣が、まるでノイズが走ったかのように空中で「パリン」と砕け散った。ワイバーンの喉の奥でくすぶっていた炎も、不発のまま煙となって霧散する。
(な、なんだと!? 魔力構成が……書き換えられた!?)
ルナミスの騎士が驚愕に目を見開いた。
『さて。魔法が使えないなら、あとは純粋な「飛び方」の勝負だな』
雪之丞の目が、怠惰なそれから、空に愛された天才の光へと切り替わる。
彼の脳裏に浮かぶのは『かもめのジョナサン』。誰よりも高く、速く、自由に飛ぶという純粋な狂気。
「いくぜ」
時速一千キロでの交差。
通常、戦闘機はこの速度で旋回戦に入れば、大きな弧を描かざるを得ない。ワイバーンの小回りの良さに背後を取られるのが物理の定石だ。
だが、雪之丞は『物理法則を無視した』。
すれ違った直後、F-35Bの機首が突然、あり得ない角度で跳ね上がる。クルビット(失速反転)。推力偏向ノズルとVTOL(垂直離着陸)機能を極限まで酷使し、空中ブレーキをかけながらその場でクルリと反転したのだ。
(ば、馬鹿な! 空中で停止しただと!?)
飛竜騎士が振り返った時には、すでに巨大な灰色の機体が、ワイバーンの背後にピタリと張り付いていた。
『ピーーーーッ!』
ワイバーンの騎士が持つ魔導通信石から、聞いたこともない不快な高周波アラートが鳴り響く。
レーダー・ロックオン。
雪之丞はミサイルを一発も撃たない。機関砲も撃たない。
ただ、圧倒的な推力と神がかり的な操縦センスで、六騎のワイバーンがどれほど鋭い急降下や旋回を見せても、その『背後』から絶対に離れない。
「墜とさない……? いや、墜とすまでもないと、我々を弄んでいるのか……!」
それは武力による破壊ではなく、存在そのものによる暴力。
『存在の耐えられない軽さ』。雪之丞はただ飛び続けることで、ルナミス帝国のエリート騎士たちの矜持と戦意を、根こそぎ刈り取っていく。
いつ撃たれてもおかしくない絶対的死角。その恐怖に、ついにワイバーンが恐慌状態を起こし、騎士の制御を振り切って逃走を始めた。
『……フッ。お粗末様。全機、撤退していくっすよ』
コックピットで再び欠伸を噛み殺しながら、雪之丞は出雲へ帰投の針路をとる。
遠く離れた第七艦隊の旗艦で、この異常なドッグファイトのデータを見ていたジャック大将は、無言で額の汗を拭った。
魔法を無力化する電子戦能力と、機体の限界性能を完全に引き出すパイロット。
——日本の自衛隊は、いつからこれほどの牙を隠し持っていたのか。
世界が、日本の『規格外の戦力』を思い知った最初の空戦であった。




