6 重ねる
男は、絵描きだった。
普段は、生きるたつきとして文芸書籍の装画や科学雑誌のイメージ図を請け負っていたが、自らの意思で描く絵には少年をモチーフとした作品が多かった。華奢な美少年を描くので、彼の人間性にまで及び揶揄する声も一部にあったが――幾度か、その経緯が紹介されるにつれ、下世話な評はそれを口にする人物の品性こそが疑わしいと蔑まれるようになった。
男は子供の頃に、無二の友を失っていた。
その友を偲び、絵を描き始め――その友を描き続けていた。故に、少年画だけは、個展の際にのみ展覧を許し、売ることも譲渡することも貸与することでさえ決してなかった。
男は、何度も何度も失った友を繰り返し描いた。
郊外に求めた住居を兼ねたアトリエに、友を描くためだけの部屋を用意したほどに。
男は、筆を重ねた。
友を描いた絵は、いつも明るさを感じさせるものだったが、他で描く絵より厚く厚く絵具が塗り重ねられていた。
ミルクのようなまろい白を練り上げ、キャンバスに現れつつある少年の白いふくらはぎに慎重に丁寧に重ねていく。
亡くした友は、滑らかな白い肌に艶々と濡れたような黒髪と同じくつるりと光をはじく大きな黒い瞳、それを縁取る長い睫毛、小さく赤い唇、首は細く身体は薄く華奢な手足の先に、海岸で拾う半透明の貝殻のような爪を纏い――同じく子供であった男の目から見ても、神の宝物のように美しい少年だった。
家が隣同士であったので、初めての出会いは互いに物心つく前のこと――気が付いた時には美しい友が隣にいて、男は友の手を引き、友が傷つかないよう脅かされないよう、自分が守るのだと自負していた。
思い出す友は、いつでも煌めく夏の日差しの中を軽やかに跳ね、てらいなく声をあげて笑いながら、男に手を差し伸べる。
その手を求めて、自分は描き続けている――。
男は、誰にでも問われるままに、理由を答えた。
けれど、その手は――ある日、失われたから。
鯨幕と白い花、黒いリボンのかけられた額には、男の隣に写っていた友の写真が切り抜かれ引き延ばされて収められていた。
お別れだと言われ、金銀の模様の浮かぶ布で覆われた箱の上に、切り花を置いておいでと言われた。
それで終わった――。
友の死因は、知らない。教えてもらえるほど、もののわかる年齢ではなかったのだ。
大人たちは痛ましさに声を潜め、友を失った男にも労わりを持って接してくれた。
筆を持ち替え、長い睫毛を――その落とす影を重ねていく。
筆を重ねるごとに、友の姿が現れる。
そうして、友は永遠になる……。
「嘘つき」
唇の丸みをなぞっていた、筆が止まった。
「本当の望みは、そんなんじゃないくせに」
男に家族はいない――アトリエにひとを招くこともなければ、この特別な部屋に他人を入れたことなどない。建物の施錠はもちろん、友のためだけの部屋は常に厳重に閉ざされている。
「もう魂は熟れて食べごろなのに」
高く澄んだ声の主を求めて振り向けば、あの頃のままの友がいた……と、ほんの束の間、鼓動が弾んだ。
いや、違う……。
同じようにまだ明確な男女の別を持たないなよやかな美しい少年だったが、黒目がちな目元は、光まで吸い込んでしまうかのような漆黒を湛えていた。
「早く弾けて、果肉を見せて」
肌の白さに映える唇の隙間から、小さく薄い舌がのぞいた。
「あぁ……」
男は、かすれた悲鳴をあげた。
振り払われ壁にぶつかり、気を失っていたのだ。
気が付くと、限界まで見開かれた友の瞳に見つめられていた。
その白い顔の下半分を武骨で大きな手が覆っていた。
友の細い四肢は、見知らぬ大人に押さえつけられていた。
理解は追い付かないまでも友が酷い目に遭わされようとしていることはわかった。
そんなことは許さない……!
美しい友が欠片ほども汚されるようなことがあってはいけない。
まだふらつく身体で遮二無二に、友に覆いかぶさる大人の横腹に突っ込んだ。
大きく吹き飛ぶようなことはなかったが、大人の身体はよろめき衝撃のまま奥へと仰向けに転がった。ごつり…鈍い音がしたあと、二度三度大きく震えて、動かくなったが――そんなことはどうでもよかった。
しかし、慌てて覗き込んだ友もまた、目尻に涙の跡をひいた目を見開いたまま瞬きもせず、切れた上唇からの血と溢れるよだれで汚れた口元から充血した舌を覗かせて、微動だにしなかった。
釦が弾け、乱れた襟元――血管の透ける首筋、鎖骨、胸……新たな眩暈を覚えるほどに、白かった。
震える手を伸ばしていた。
触れた肌は、まだ温かかった。
「俺は……僕は、ただ……」
嗚咽しながら男は筆を走らせ、絵具を重ね続けた。
数日後、壁一面に少年画の飾られた部屋の中央で、キャンバスに山盛りにされた白い絵の具に顔を埋めて窒息している、男の死体が発見された。




