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29 思い付き


「あんた……でも、どうし…て……」

 二歩三歩、躓くように駆け寄り腕を掴まえる。語尾が掠れてしまったのは、かろうじて弱々しくはないが、すっかり細くなった手首にうろたえずにいられなかったからだ。

おかげさま(・・・・・)でね。大切に使()()()()()()()()()よ』

 あの頃と変わらぬ口調は、重ねた歳月にしゃがれていた。

 当時も既に青年が背を追い越してしまっていたが、もとより特筆するほど背が高いわけではなかっただろう。夏物の薄色の羽織に包まれた肩は、しかし記憶よりも小さく思われた。真っ白になってしまった襟足で束ねられた髪の豊かさだけが、あの頃のままだろうか。

『お前さんと引き替えた(・・・・・)寿命だからねぇ』

 老人は、長らく最後だと思っていた笑みと同じ笑みを浮かべていた。


 青年の母は、青年の寿命を母自身の所有物にしてしまっていた。

 青年を出産する際に、命の危機に直面した母は、姉への意趣返しの手段でしかなかった子供の寿命を奪って生きながらえた。

『随分と強欲で傲慢な嬢ちゃんだったよ』

 己が育てた闇がむかえた膨張の限界を自分の腹に宿った命に負わせた。

わたしたち(・・・・・)は、見届けるだけさね……魂の終焉を』

 それだけの存在だと、老人は告げる。

 ところが、青年の母は、魂を握りつぶそうとする闇の手の中に、誕生するばかりの赤子だった青年を投げ込んだのだ。

『そりゃぁ、さすがにお前さんが不憫だろうさ』

 とはいえ、老人――否、若者(・・)にもなにができるわけでなく、次に青年の寿命が贄にされるまで、青年の魂の成長の行方を見守るのがせいぜいだった。

『見続けていりゃ……そりゃぁ、わたしだって情くらい移らないことはないだろうよ』

 賢いが素直な魂であったからと、老人は目を細める。

 そして、あの夜を迎えた――。

 青年の命数は思いのほか長かったようではあるが、なにも知らないまま食いつぶされるには不公平が過ぎまいか……若者(・・)には、それが忍びなく口惜しくも思われたのだと言う。

『ちょうど、お前さんを見てるうちに、歳月を背負(しょ)いたくなった潮時でもあったのさ』

 見届けるしかできない存在にもひとつだけ、自らの意志で自在にできるもの(・・)があった。

 ある条件を満たすなら、自らの長すぎる時間を他人に肩代わりさせ、世界から降りることが許される――それは、世界を保つ(ことわり)にすぎないだろうが、あるいは終わりのない生に飽いてしまう苦しみに差し伸べられる救済でもあるだろう。

 同時に、母の闇に紐付けられた青年を解放するには、青年の命を絶つかまたは変質させてしまうしかなかった。少なくとも、あの時点で選べる選択肢は他になかった。

『条件は、お前さんがわたしと同じ望みをもつことだったさ』

 若者が(・・・)願ったのは、青年が母に繋がるくびきを断ち切ることであり、その為に自身に宿る不老不死を青年に与えることだった。

 そして――。


 あんたに(・・・・)願えばいいのか?


 俺の寿命を引き替え(・・・・・・・)に――。


 つまり……。

「俺は、母を終わらせるために……あんたと(・・・・)、寿命を交換した(・・・・)……?」

 青年の指から、老人の細い手首がこぼれてゆく。

『こんな、言葉遊び――騙し討ちたぁ、承知の上さね』

 もっとも、青年がただ自身の死の回避(・・・・・・・)を願っていたなら、老人は若者のまま(・・・・・)消えていただろうが。それはそれで構わなかったと、艶をなくし撓んだ頬に老人は薄い笑みを浮かべる。

『お前さんが、母親とは言え他人の闇に喰い殺されちまう方がよっぽど、わたしには癪だったろうよ』


 そして、まんまと寿命の入れ替えは完了し――青年の母は、命の供給を断たれた。

 青年は不老不死を与えられ、あの若者は青年の負うはずだった時を経て老人となった。


『いつか、わたしにも終わりの日が来るんだろう? なかなか楽しみなことでないかえ』


 さも愉快そうに咽喉を鳴らして、老人はそろりと身を引こうとした。

『お前さん……』

 成し得なかったのは、再び青年がその腕を伸ばしたから。

『放しておくれ』

 一度はひるんだ細い手首を二度目はためらわず掴まえ、手繰り寄せる。

「放したら――あんたは、俺から逃げ回る」

 表情の変化に乏しい青年のそれでも意志の熱を孕んだ視線を受けて――老人の表情が揺れた。


『怒って、おいでだね』


 青年は、指に力を込めた。



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