27 しっぽ
面がいいことは便利だと、男は思う。
男は自分の容貌に自信があった。幼少の頃より大人に褒めそやされ、同世代の女児にももてはやされ、なるほど自分は顔がいいのだと自覚した。幼さを愛でる世辞でもなく、幼さゆえの価値観でもなく、長じて声変わりする頃になればますます男の顔を賛美する声は高くなった。ごく世間一般の規範に照らし、冷静で公平な眼で判断してもおよその女性に好まれるスマートかつ凛々しい造作であると自負していた。
言い寄る女は多く、十代半ばには学友の母親たちから、ちょっとした手伝いの対価に口止め料と称した小遣いをせしめることを憶えた。
接客業につけばいいと冗談交じりに勧める輩もいたが、あの世界で重宝されるのは数年のことで、しかも女の気を引く策を講じる必要も出てくるだろう――そんな面倒をわざわざ背負いこんでどうするというのだ。手堅く大学を経て、さる企業の広報課に職を得たが、その間も労せず、女は寄って来たし、たまに男の側から声をかけてみれば女は簡単にのぼせあがった。
その頃になると、結婚をほのめかす女も増えたが、気配を察して縁を切るタイミングも慣れたものだ。そもそも、男としては、世に言う恋人になったつもりもなかったが、逆手に取れば、金蔓に出来ることもままあった。
数日前に、カフェ店員の女と別れた。
そこそこ美人のおとなしい女で、少し世話焼きだったので強請るまでもなく細々とした支払いを負ってくれるのは便利だったが、両親に会って欲しいと言い出したので、適当な理由をつけて連絡を絶った。
『罪作りだねぇ、お前さん』
そんな会話をバーテンダーと交わしていると、ひとつ置きのスツールでロングカクテルを傾けていた和装の老人が席を立った。目尻や口元に皺を刻み、頬も緩んではいるが、若かりし頃の美貌の面影の残る顔に、品のある笑みをたたえた老人だった。
『このくらいは手向けだ。せいぜい謳歌おしよ』
老人もまたかつての経験者なのかもしれない。嫌味なくカウンターに差し出された高額紙幣をありがたく受け取って、老人と入れ違いに来店した女を隣に呼んで奢った。
化粧が上手く装いのセンスも悪くない女は、小振りのバッグの他にこれも小さな無地のペーパーバッグを携えていて、水を向けると、ごく近くの路肩に風鈴売りが屋台を構えていたのだと、ガラス風鈴を取り出して見せた。
光量を落としたバーの灯りをちらちらと弾くガラスには、透明色で青い蝶々が描かれていた。
のどの渇きを覚えて目が覚めると、窓にカーテンのない部屋は戸外の光で、薄暗くはあるが灯りがなくとも室内を歩けるだろう程度には明るかった。
自分の寝室ではなかったがすぐに、バーで出会った女の部屋だと思い出す。そのあたりのホテルでなく、部屋に招かれたと言うことは、これきりではなく何度か関係を持つつもりがあるのだろう。
ところが、隣に寝ていると思った女の姿はなかった。
ワンルームとはいえ、キッチンやバスルームとは扉を隔てている。水を飲みに、あるいはシャワーを浴びに言っているのかとも考えたが、立ち動く気配や水音もしない。
いや、それどころか――都会であれば当然四六時中なにがしかの生活音が聞こえてしかるべきところ、それさえも聞こえていない。
からん……。
しかしながら、不意に軽やかな乾いた音が短く響いた。
驚いて振り向くと、用をなしていないカーテンレールの下で、あの青い蝶々の描かれたガラス風鈴が揺れていた。
からり、からり、からかららん……。
安堵する間もなく、ポリプロピレンの短冊をひらめかせて、二度三度。
息を呑むのは、締め切られ空気の流れさえ感じない室内で、短冊のおどる通りがないと気付くから。
からかららん……。
からからりらりん……。
戸惑ううちにも風鈴は忙しなくなり続ける。
ぬらぬらと窓の外の光を受けた外身が、青く発光して見えたと思う端から、するりと青い光は室内へと抜けだした。
はたはた、ひらり……。
次々と燐光を引いて、広くはない室内に放たれるのは――青い蝶々。
「夢……?」
しかし、描かれていた絵が抜けだしたかと疑ったことさえ、まるきり浅はかな早計だった。
はたはたはたた……。
ひらひらり……。
天井を覆い尽くしてなお、風鈴は蝶々を吐き続ける。
「う、わ…ぁ……」
あげようとした悲鳴が引きつる。
見上げる天井にうごめく蝶々の陰影は、まるで数多の女性の顔のようであった。
からからからりん……。
わさわさわさわさ……。
変わらず乾いた音を響かせ続ける風鈴に対し、蝶々の羽音はもはや騒めきだった。
ふわり……。
そして、一頭が舞い落ちる――男の眼前へと。
「ひぃ……っ!」
顔に取り付かれ、払おうとする先から、次々と蝶々は降ってきた。
重さに耐えかねて身体ごとベッドに倒れ込んでもなお、蝶々は次から次へと男の身体に取り付き続ける。
やがて、ぶるぶると震える男の身体が、ピクリとも動かなくなるまで。




